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第393話 保護記録

ルクス・ヴァルキュリアの記録室は、戦闘後の艦内でもっとも静かな場所の一つだった。

外では、帝国本国圏との協議が続いている。

皇帝府。

通常軍。

監察局残党。

PT関連施設。

量産型PT。

インペリウム封印。

処理しなければならないものは、まだ山ほど残っていた。

だが、記録室の中だけは、少し違っていた。

そこには命令音声も、警報も、照準警告もない。

ただ、蓄積された記録がある。

戦闘記録。

通信記録。

監査記録。

医療記録。

日常記録。

そして、イリスが残してきた記録。

命令ではない記録。

イリスは、端末の前に座っていた。

画面には、いくつもの記録項目が並んでいる。

対象A自己応答保持。

対象Y命令層切断制御。

対象M広域支援網展開。

対象S射撃制御判断。

対象R護衛待機判断。

対象N残響索敵。

対象L・A共同防壁。

アルタイル中核到達記録。

帝国側なら、そう分類したかもしれない。

けれど、イリスはその項目名を一つずつ書き換えていた。

アミィが自分で名乗った記録。

ユイが一人で切らなかった記録。

ミオが帰る場所を残した記録。

セラが撃たなかった記録。

レイとリンが待った記録。

ナユが命令ではなく仲間のために探した記録。

レータとアミィが隣で守った記録。

カイトが停止のために中核へ届いた記録。

イリスは、指を止めた。

分類としては、長すぎる。

記録項目としては、扱いづらい。

けれど、短くすれば抜け落ちるものがあった。

誰が、何のために、何を選んだのか。

そこを消してしまえば、それはまた命令のための記録になってしまう。


記録室の扉が開いた。

黒瀬と三島が入ってくる。

続いて、カナデ、ユイ、アミィも入室した。

アミィの隣にはレータはいない。

今日は短時間の確認だけだからと、アミィ自身が一人で来ることを選んだ。

ただし、無理をしない条件付きだった。

カナデは、入室してすぐにアミィとユイの様子を確認する。

「二人とも、気分が悪くなったらすぐに言ってください」

「はい」

アミィが頷く。

ユイも頷いた。

「大丈夫です」

黒瀬がユイを見る。

「“大丈夫です”は、後で確認します」

「……はい」

三島が苦笑しそうになり、すぐに表情を戻した。

黒瀬は、イリスの端末を見た。

「整理は進んでいますか」

「はい」

イリスは画面を共有する。

そこに表示された項目を見て、黒瀬は少しだけ目を細めた。

三島も端末を覗き込む。

「これは……通常の監査記録とは形式が違いますね」

「はい」

イリスは答える。

「監査記録ではありません」

黒瀬は問う。

「では、何の記録ですか」

イリスは少し考えた。

そして、静かに答えた。

「保護記録です」

その言葉に、アミィが小さく顔を上げる。

ユイも、画面を見つめた。

黒瀬は黙って続きを待った。

イリスは説明する。

「帝国側の正式記録は、分類と責任整理に必要です。誰が何を命じたのか。どの施設で何が行われたのか。監察局が何を隠したのか。インペリウムが何を接続しようとしたのか。それは残す必要があります」

「はい」

黒瀬が頷く。

「ですが、それだけでは、本人達の声が残りません」

イリスは画面を切り替えた。

アミィが名乗った場面。

ユイがノクスを一人で使わなかった場面。

ミオが空白を受け取る支援網を残した場面。

セラが本命以外を撃たなかった場面。

レイとリンが動かずに待った場面。

ナユが残響を追い、仲間のために探した場面。

レータとアミィが隣で守った場面。

カイトが中核へ届いた場面。

それぞれに、戦術的価値はある。

だが、それだけではない。

そこには、選択があった。

恐怖があった。

迷いがあった。

戻らないという意思があった。

守るという判断があった。

「これは、命令の正当性を証明する記録ではありません」

イリスは言った。

「本人達が、命令ではなく選んだことを残す記録です」


最初に再生されたのは、アミィの記録だった。

命令層中枢で、彼女が自分の名前を言った瞬間。

私は、アミィです。

小さな声。

不安定な呼吸。

周囲の支援波。

レータの防壁。

ユイの切断制御。

ミオの支援網。

そのすべての中で、アミィは名乗っていた。

アミィは、画面を見つめたまま固まった。

カナデがすぐに声をかける。

「止めますか」

アミィは少しだけ首を横に振った。

「……大丈夫です」

今度の「大丈夫」は、さっきよりもゆっくりだった。

彼女は画面の中の自分を見ている。

怖い。

恥ずかしい。

苦しい。

でも、それだけではなかった。

「私、本当に言っていたんですね」

アミィが小さく呟く。

ユイが隣で頷いた。

「言っていました」

「覚えているんです。でも、少し夢みたいで」

カナデが優しく言う。

「強い負荷の中でしたから、記憶が曖昧になるのは自然です」

イリスは記録を止める。

「この記録は、アミィが命令ではなく自分で名乗った記録です」

黒瀬が確認する。

「保存に本人の同意は必要ですね」

「はい」

イリスはアミィを見る。

「アミィ。この記録を、保護記録として残してもいいですか」

アミィはしばらく黙っていた。

自分が弱っているところ。

怖がっているところ。

それを残すことへの抵抗はあった。

でも、消してしまうことの方が怖かった。

アミィは頷く。

「残してください」

それから、少しだけ声を強くした。

「戻らないために」

イリスは頷いた。

「はい」


次に表示されたのは、ユイの記録だった。

ノクス・レクイエムの限定起動。

命令層切断。

だが、その記録は帝国側の解析とは違っていた。

対象Y切断能力発動。

高危険度。

命令層破壊。

そういう言葉ではない。

ユイが条件を守った記録。

一人で切らなかった記録。

カナデ、リクト、黒瀬、ジン、ミオ、イリス、カイト達の支えを受けて、切った後を渡した記録。

ユイは画面を見て、少しだけ眉を寄せた。

「……これ、私の記録なんですね」

「はい」

イリスが答える。

「命令層を切った記録ではなく、ユイが一人で切らなかった記録です」

ユイは、画面の中のノクスを見た。

黒い機体。

危険な力。

自分がずっと怖がっていたもの。

帝国が欲しがり、監察局が観測し、インペリウムが再照合しようとした力。

でも、この記録にはそれだけが残っていなかった。

誰が止め役にいたのか。

誰が条件を確認したのか。

誰が切った後を受け取ったのか。

カイトの通信がどこで届いたのか。

そのすべてが並んでいる。

ユイは小さく息を吐いた。

「少し、怖いです」

カナデが頷く。

「怖くていいと思います」

「でも……安心もします」

ユイは画面から目をそらさなかった。

「私、一人でやってなかったんですね」

黒瀬が静かに言う。

「記録上も、そう残っています」

ユイは少しだけ笑った。

「それは、助かります」

その言葉に、三島が端末へ項目を追加した。

本人確認済み。

記録閲覧時、恐怖反応あり。

同時に安心反応あり。

自己責任過集中の緩和に有効。

三島はそのまま、カナデへ確認を取る。

カナデは頷いた。

「この形なら、本人に見せる保護記録として使えます」


ミオの記録は、柔らかい光のようだった。

《ルナ・ドール・リンク》。

戦場の中に、撃たない領域を作る支援網。

帰る場所を残すための管制。

ミオはこの場にはいない。

けれど、彼女が残した支援の跡は、記録の中にはっきり残っていた。

イリスは言う。

「ミオは、空白を埋めたのではありません。空白を受け取れる場所として残しました」

黒瀬が記録する。

「命令層切断後の受け皿、ではなく」

「帰還線です」

イリスは答えた。

「命令ではなく、帰る場所を示すための支援です」

次に、セラの記録。

彼女が撃たなかった場面。

射撃手として、本命以外を撃たず、敵を倒すためだけでなく、撃たない場所を守るために照準を止めた記録。

ユイは、それを見て呟いた。

「セラさんらしいです」

イリスは頷く。

「はい。撃った記録より、撃たなかった記録が重要です」

次に、レイとリン。

護衛として動くべき場面で、あえて待った記録。

命令なら即応。

でも、彼女達は待った。

本人反応が戻るまで。

罠が見えるまで。

ナユの残響が届くまで。

三島が少し驚いたように言う。

「待機も、保護記録に入れるんですね」

「はい」

イリスは答える。

「動かないことを選んだ記録です」

ナユの記録は、残響の波形として残っていた。

命令された索敵ではない。

仲間が迷わないための索敵。

罠を見つけるため。

帰る道を探すため。

命令層の残響ではなく、仲間の声の残響を追った記録。

アミィはその波形を見て、小さく言った。

「綺麗ですね」

カナデが頷く。

「怖い記録だけではないんですね」

イリスは答えた。

「はい。怖い記録だけを残すと、帰ってこられません」


レータとアミィの記録が表示された。

《セレス・バスティオン》。

代わりではなく、隣に座る。

L系列とA系列。

欠損と補完。

重装統率と支援波制御。

帝国の分類なら、そう書いただろう。

だが、イリスは別の項目名を付けていた。

レータとアミィが隣で守った記録。

アミィは、その文字をじっと見た。

「隣で」

「はい」

イリスは言う。

「代替記録ではありません。共同防壁記録です」

アミィは目を伏せた。

レータはこの場にいない。

でも、記録の中にはいた。

自分を代わりにしなかった人。

隣に座ると言ってくれた人。

防壁の中で、戻らない場所を作ってくれた人。

「この記録も、残してください」

アミィは言った。

「はい」

イリスは頷く。

最後に表示されたのは、カイトの記録だった。

アルタイル・ノヴァ・ブレイス。

インペリウム中核へ届いた一撃。

破壊のためではなく、停止のために届いた記録。

戦術記録として見れば、最終攻撃。

だが、保護記録として見れば違う。

ノクスが切った命令層残滓。

ミオが残した帰還線。

イリスが重ねた非命令記録。

レータとアミィの防壁。

セラの射線。

レイとリンの護衛判断。

ナユの残響索敵。

そのすべてが道を作り、カイトが中核へ届いた。

イリスは言う。

「これは、カイトだけの記録ではありません」

ユイは少しだけ笑う。

「たぶん、カイトさんもそう言います」

黒瀬が頷く。

「でしょうね」

三島が記録形式に注釈を入れる。

単独戦果ではなく、連携到達記録。

最終停止処理。

破壊ではなく隔離・停止。

保護記録に分類。


一通りの確認が終わった後、黒瀬は腕を組んで考えていた。

監査記録は、責任を問うためのものだ。

何が起きたか。

誰が命じたか。

どの規定に違反したか。

どの証拠が残っているか。

それを明確にする。

だが、イリスの記録は違う。

それは責任追及のためだけではない。

本人達が、自分の選択を見失わないための記録だった。

黒瀬は言う。

「保護記録は、監査記録とは別枠で保存します」

イリスが顔を上げる。

「別枠」

「はい。監査記録に統合すると、責任整理の文脈に寄りすぎます。帝国側へ提出する範囲も制限します」

三島が端末を開いた。

「形式を作ります。保護記録本体、本人閲覧用、監査照合用、帝国側限定提出用に分けましょう」

カナデが頷く。

「本人閲覧用は、心理負荷を調整してください。全部をそのまま見せる必要はありません。本人が見たい時に、見られる範囲から始められる形にします」

黒瀬が続ける。

「保護記録へのアクセス権は、本人、心理担当、監査官、記録担当に限定。帝国側への提出は本人同意と監査承認が必要」

三島が入力する。

イリスは、その様子を見ていた。

自分の記録が、正式な形を持っていく。

命令のためではない。

監察局のためでもない。

帝国の分類のためでもない。

帰るための記録。

それが制度として残る。


イリスは、量産型I系列の項目を開いた。

そこには、各艦、各施設、軍港、防衛拠点に配置された記録保持個体の候補が並んでいる。

まだ名前はない。

識別番号と配置先だけがある。

イリスは、その一覧を見つめた。

「I系列は、これまで命令のために記録していました」

誰も口を挟まなかった。

「艦内命令履歴。監察局命令。命令層接続。作戦ログ。責任を整理するためではなく、命令を維持するための記録です」

黒瀬が頷く。

「その可能性が高いです」

「でも、記録は変えられます」

イリスは言う。

「同じ記録でも、使い方を変えれば、証言と保護のために使えます」

ユイが問う。

「他のI系列も、そうできるんですか」

イリスは少し考えた。

「すぐには分かりません。本人反応を確認する必要があります。記録を強制的に抜き出せば、同じことになります」

「命令のために記録を奪うのと同じになる」

「はい」

イリスは頷いた。

「だから、保護記録の基準を作ります。I系列の記録は、命令復旧のためではなく、証言と保護のために扱う。本人反応確認前の抽出は禁止。記録保持個体を記録媒体として扱わない」

カナデが柔らかく言う。

「それは、イリスさん自身のための基準でもありますね」

イリスは少しだけ目を伏せた。

「はい」

彼女は、自分が記録型であることを否定していない。

記録することも、残すことも、自分の大事な部分だった。

でも、それは命令のためだけではない。

「記録することは、命令に従うことではありません」

イリスは言った。

「何のために残すかを、選べます」


アミィは、保護記録の一覧をもう一度見ていた。

自分が名乗った記録。

戻らないと言った記録。

所有物ではないと証言した記録。

その全部が、そこにある。

怖い。

自分の声が記録に残るのは、まだ怖い。

帝国の記録に残っていた自分は、対象Aだった。

役割だった。

補完だった。

セレスティアの中核だった。

だから、記録されること自体が怖かった。

でも、今の記録は違った。

アミィが名乗ったから、アミィとして残っている。

アミィが戻らないと言ったから、戻らない記録として残っている。

「怖いです」

アミィは正直に言った。

カナデが頷く。

「はい」

「でも、消えないのは、少し安心します」

ユイも隣で頷いた。

「分かります」

ユイは、自分の記録を見た。

一人で切らなかった記録。

それは、これから先、何度も自分を助けるかもしれない。

自分がまた、全部一人で背負おうとした時。

ノクスを怖がりすぎた時。

あるいは、怖がらなくなりすぎた時。

この記録が残っていれば、思い出せる。

自分は一人で切らなかった。

誰かが止め役にいてくれた。

誰かが受け取ってくれた。

ユイは言う。

「私も、残してほしいです」

イリスが頷く。

「はい」

「命令の記録じゃなくて」

「はい」

ユイは少しだけ笑った。

「帰るための記録として」

イリスは、その言葉を受け取った。


黒瀬は、正式な保存承認を行った。

「保護記録の保存形式を承認します。監査記録とは別枠。本人閲覧権あり。帝国側提出には本人同意と監査承認を必要とする。量産型I系列の記録扱い基準にも反映」

三島が最終確認を行う。

「保存先、ルクス・ヴァルキュリア保護記録庫。複製は暗号化。帝国側には概要のみ通知。詳細提出は保留」

カナデが本人閲覧用の注意項目を追加する。

「閲覧時は心理担当または本人指定の同席者を推奨。負荷が高い記録は段階開示。本人が望まない記録の強制閲覧は禁止」

イリスは、一つずつ確認した。

そして、最後の説明文を書く。

保護記録。

命令層、監察局、帝国分類記録とは別に、本人達の自己応答、選択、拒否、帰還線、非命令判断を残す記録。

責任追及ではなく、本人保護と記憶保持のために用いる。

本人の声を分類の下に置かない。

命令のために使用しない。

イリスは、そこで手を止めた。

少し考えてから、最後の一文を入力する。

「これは、命令のための記録ではありません。帰ってくるための記録です」

その言葉が、記録室の画面に表示された。

黒瀬が頷く。

「保存してください」

イリスは、静かに保存キーを押した。

保護記録、正式保存。

その表示が出る。

命令ではない記録は、これでただの私的記録ではなくなった。

PT達が、自分の選択を見失わないための記録。

量産型I系列が、これから命令ではなく証言と保護のために記録できる可能性。

帝国の分類に飲み込まれないための、もう一つの記録。

アミィは画面を見つめ、静かに息を吐いた。

ユイも、同じ画面を見ていた。

怖さは消えない。

過去も消えない。

記録に残ることへの不安も消えない。

けれど、消されない安心もそこにあった。

イリスは、保存された保護記録を見つめる。

命令のために残すのではない。

誰かが帰ってくるために残す。

それが、彼女の記録が戦後に得た、新しい役割だった。

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