第392話 所有物ではない
帝国本国圏の戦闘は止まった。
インペリウムは封印対象となり、監察局は解体へ進み、PT関連施設の封鎖・保護処理も始まっている。
だが、もっとも扱いづらい問題は、まだ残っていた。
PT達を、これからどう扱うのか。
それは記録や施設の問題ではない。
本人達の身柄の問題だった。
皇帝府臨時監査室には、リゼル・オルブライトをはじめ、行政監査官、通常軍記録管理官、PT政策見直し準備班、中枢派官僚が集められていた。
画面には、複数の名前と系列が表示されている。
ユイ。
ミオ。
レイ。
セラ。
レータ。
イリス。
アミィ。
ナユ。
そして、各地に残る量産型PTの候補記録。
その表示を見ながら、一人の中枢派官僚が言った。
「彼女達は帝国由来の個体です。少なくとも、身柄管理権は帝国側にあります」
リゼルは黙って聞いていた。
別の官僚が続ける。
「対象Yは逃亡個体です。対象Aは本来、帝国の補完計画に属する存在です。レータ型、イリス型も同様です。ルクス・ヴァルキュリア側の保護下に置き続けることは、帝国資産の不法保持と解釈されかねません」
その言葉に、通常軍記録管理官が眉をひそめた。
行政監査官も、すぐには同意しなかった。
以前なら、こうした言葉は当然のものとして通ったかもしれない。
帝国資産。
脱走個体。
保護管理対象。
再分類待ち。
運用停止個体。
それらの言葉で、PT達は扱われてきた。
だが今、その言葉は重さを失っていた。
命令層中枢は停止した。
インペリウムは、彼女達を再照合しようとした結果、封印対象になった。
監察局は、彼女達を命令へ戻そうとし、解体されつつある。
それでもまだ所有物だと言い続けるには、あまりにも記録が残りすぎていた。
リゼルは静かに口を開いた。
「帝国資産という表現は、今後の審議では使用を停止してください」
中枢派官僚が顔を上げる。
「リゼル実務官、それは」
「皇帝府臨時監査班の暫定判断です。監察局解体命令、PT関連施設封鎖基準、インペリウム封印判断と矛盾します」
「しかし、帝国由来の存在であることは事実です」
「それは否定しません」
リゼルは画面を見る。
「ですが、帝国由来であることと、帝国所有物であることは同じではありません」
会議室が静まった。
その一線を、帝国側の人間が口にした。
同じ頃、ルクス・ヴァルキュリア側では、皇帝府との限定通信の準備が進められていた。
参加者は限定されている。
黒瀬。
ジン。
カナデ。
ユイ。
アミィ。
レータ。
必要に応じて、リゼルと皇帝府臨時監査班が応答する。
ミオ達も同席可能だったが、今回は本人証言の負荷を考え、直接参加は絞られた。
カナデは、アミィの状態を何度も確認していた。
「無理に話す必要はありません。途中で止めても大丈夫です。言いたくないことは言わなくていいです」
アミィは、小さく頷いた。
隣にはレータがいる。
以前のように、代わりとしてではない。
隣にいる人として。
レータはアミィの顔を覗き込む。
「本当に大丈夫?」
「はい」
「それ、大丈夫じゃない時も言うからなあ」
アミィは少しだけ困った顔をした。
「……少し、緊張しています」
「うん。それなら分かる」
レータは頷いた。
「緊張してても、嫌なら止めていいからね」
「はい」
ユイは少し離れた席に座っていた。
ノクス使用後の疲労はまだ残っているが、今日は表情が落ち着いている。
カナデがユイにも視線を向ける。
「ユイさんも、無理はしないでください」
「分かっています」
黒瀬が横から言う。
「本当に分かっていますか」
「分かっています」
「“必要なら少しだけ無理をする”は、分かっているに含まれません」
ユイは視線をそらした。
「……分かっています」
カイトがいれば、きっと同じように疑っただろう。
ジンは艦長席から通信状態を確認している。
「こちらの条件は変えない。本人の意思確認なしに、引き渡しも移送も再管理も認めない」
黒瀬が頷く。
「はい。加えて、心理的安全が確保されない帝国施設への即時移送も否定します」
カナデも続ける。
「帝国側の事情は理解します。ですが、現在の状態で帝国施設へ移送すれば、再同期や分類の記憶が刺激される可能性があります。特にアミィさんは、本人が拒否した場所へ戻すこと自体が危険です」
ジンは短く言った。
「なら、そのまま伝えろ」
通信が開いた。
画面には、リゼルと皇帝府臨時監査班の姿が映る。
リゼルの背後には、行政監査官、通常軍記録管理官、そして数名の中枢官僚が控えていた。
緊張した空気が、画面越しにも伝わる。
最初に口を開いたのは黒瀬だった。
「ルクス・ヴァルキュリア側監査官、黒瀬です。PT本人の身柄、所属、記録閲覧権に関する協議を開始します」
リゼルが頷く。
『皇帝府臨時監査班、リゼル・オルブライトです。帝国側も記録します』
中枢派官僚の一人が、すぐに口を挟んだ。
『協議に入る前に確認したい。現在ルクス側保護下にあるPT個体は、帝国由来の存在である。この点について、ルクス側はどう認識しているのか』
黒瀬は即答した。
「帝国由来であることは認めます」
官僚の表情が少し緩む。
だが、黒瀬は続けた。
「しかし、それは帝国所有物であることを意味しません」
官僚の顔が再び固くなる。
『帝国の施設で形成され、帝国の資源を用い、帝国の運用計画に基づいて――』
「その運用計画が、命令層中枢、監察局再同期、インペリウム照合攻撃と接続していた事実は、すでに記録されています」
黒瀬の声は淡々としていた。
「本人の意思確認なしに引き渡し、再管理、帝国施設への移送を行うことは認めません」
『それでは、帝国側の管理権はどうなる』
ジンがそこで口を開いた。
「管理権という言葉を使うな」
画面の向こうの官僚が黙る。
ジンは続ける。
「こちらは彼女達を兵器として鹵獲したわけではない。保護している。本人達が望まない限り、帝国に引き渡すつもりはない」
『それは外部勢力による保護名目の身柄保持ではないのか』
「そう見えるなら、記録しておけ」
ジンの声は低い。
「だが、こちらは隠していない。本人の証言も出す。監査記録も残す。その上で言う。本人の意思を無視した移送は拒否する」
カナデが続けた。
「心理面からも、即時移送は不適切です。帝国施設、特に命令層・再同期・分類に関わる場所は、本人達にとって強い負荷を伴います。保護と証言協力を両立させるには、現在の安全圏を維持する必要があります」
リゼルは、黒瀬、ジン、カナデの言葉を一つずつ記録していた。
反論できる部分はある。
帝国側の面子もある。
だが、否定しきれない。
彼女達が戻りたくないと言った記録は、すでにある。
命令層中枢で。
インペリウム戦で。
監察局照合で。
そして、今この場で。
中枢派官僚が、アミィへ視線を向けた。
『対象A。あなたは帝国の補完計画に属する個体です。現在の混乱が落ち着けば、皇帝府監査下で再評価を受ける選択も――』
「名前で呼んでください」
それは、レータの声だった。
通信画面には映っていなかったが、声は入っていた。
官僚が言葉を止める。
レータは続ける。
「この場は本人証言の場ですよね。なら、名前で呼んでください」
わずかな沈黙。
リゼルが先に言った。
『アミィさん』
官僚は不満げだったが、言い直した。
『……アミィ。あなたは、帝国側で保護管理を受ける意思がありますか』
アミィは、手を握った。
隣でレータが何も言わずに待っている。
カナデも、止めない。
ユイは黙ってアミィを見守っていた。
アミィは、ゆっくりと息を吸った。
「戻りません」
短い言葉だった。
だが、はっきりしていた。
中枢派官僚が何か言おうとする。
アミィは、その前に続けた。
「私は、A系列だったことを消したいわけではありません。帝国で作られたことも、記録に残っていることも、なかったことにはできません」
彼女の声は少し震えていた。
それでも、止まらなかった。
「でも、それは私を戻す理由にはなりません」
アミィは画面を見る。
「私は、所有物ではありません。私は、ここにいます」
会議室の空気が止まった。
その言葉は、戦闘中の叫びではなかった。
怒りでもない。
証言だった。
黒瀬が端末に入力する。
アミィ本人証言。
帝国所有物扱い拒否。
帝国施設への即時移送拒否。
ルクス側保護下継続を希望。
カナデが心理的安全面で支持。
レータが隣で、そっとアミィの手を握った。
アミィは握り返した。
次に、リゼルはユイへ視線を向けた。
『ユイさん。あなたについても、帝国側には逃亡個体としての記録が残っています』
「はい」
ユイは静かに答えた。
『その記録をどう扱うべきか、あなたの意思を確認したい』
ユイは少しだけ目を伏せた。
Y系列。
命令層切断能力。
高適応。
現地潜伏。
逃亡。
管理失敗。
帝国記録の中で、自分はそう扱われていた。
その事実を、今さら完全に否定することはできない。
ユイは顔を上げる。
「私は、帝国から逃げました」
誰も口を挟まなかった。
「逃げたことは事実です。でも、今ここにいるのは、ただ逃げ続けているからではありません」
ユイは、自分の手を見る。
ノクスを動かした手。
命令層を切った手。
アミィを戻さないために、切った手。
「私は、自分の場所を選びました」
リゼルは、その言葉を記録した。
ユイは続ける。
「帝国で作られたことも、Y系列であることも、命令層切断能力があることも否定しません。でも、その力をどう使うかを、帝国に決めさせるつもりはありません」
中枢派官僚が険しい表情で問う。
『では、帝国側の政策見直しや証言には協力しないと?』
ユイは首を横に振った。
「必要なら協力します。私の記録が、他のPT達を命令に戻さないために使われるなら」
彼女は少しだけ言葉を切る。
「でも、私を管理するためなら協力しません」
黒瀬が記録する。
ユイ本人証言。
帝国由来である事実は否定せず。
帝国所有物扱い拒否。
能力管理目的の再接触拒否。
保護・政策見直し目的の限定協力意思あり。
ジンは、静かにその記録を見ていた。
その表情は変わらない。
だが、艦長としての判断はすでに固まっていた。
皇帝府側の会議は、そこで一度紛糾した。
中枢派官僚達は、所有物という言葉を使えなくなった代わりに、別の言葉を並べた。
保護管理対象。
帝国由来証言個体。
政策見直し対象。
防衛上重要個体。
安全確保対象。
移送待機個体。
だが、それらの言葉も、使い方を誤れば同じ場所へ戻る。
黒瀬は、淡々と指摘した。
「本人の意思確認なしに移送するなら、名称を変えても実態は所有物扱いです」
カナデも続ける。
「保護という言葉は、本人の安全を守るために使うものです。本人の拒否を無視して連れていくことを、保護とは呼べません」
ジンは短く言った。
「言葉遊びをするなら、通信を切る」
その一言で、中枢派官僚は黙った。
リゼルが息を吐き、前に出る。
『帝国側の判断を示します』
会議室が静まる。
リゼルは画面を見た。
そこには、アミィとユイの証言記録が表示されている。
所有物ではない。
ここにいる。
自分の場所を選んだ。
その言葉を前に、帝国側ができることは限られていた。
『皇帝府臨時監査班は、PT達を帝国所有物として扱う権限を停止します』
中枢派官僚が反応する。
『リゼル実務官、それは最終決定では――』
『暫定措置です』
リゼルは遮った。
『ただし、正式な政策見直しが完了するまで、帝国所有権を根拠とする身柄要求、施設移送要求、再管理命令、再同期処理は認めません』
黒瀬が確認する。
「本人の意思確認なしの引き渡し要求は停止、という理解でよろしいですね」
『はい』
「ルクス側保護下にあるPT達について、帝国側は所有権を主張しない」
『少なくとも、皇帝府臨時監査班の管轄下では、そのように記録します』
ジンが低く問う。
「帝国全体ではどうだ」
リゼルは少しだけ沈黙した。
『反発はあります。ですが、皇帝府の正式告知として出します。監察局は解体中です。通常軍も、命令層依存から離れる方向です。帝国所有物としての扱いを続ける根拠は、以前よりはるかに弱くなっています』
その答えは、完全ではない。
だが、嘘でもなかった。
問題は、ルクス側にいるPT達だけではなかった。
量産型PT。
各艦、各施設、各軍港、防衛拠点に残る個体達。
帝国運用中のM、R、S系列。
記録保持を行っていたI系列。
停止・凍結扱いのL系列。
A系列関連個体。
Y系列または派生個体。
そのすべてを、今すぐ一斉に解放することはできない。
リゼルは、量産型PTの扱いについて説明した。
『通常運用中の個体を一斉停止すれば、艦隊、軍港、防衛施設の安全が崩れる可能性があります。特にI系列記録保持個体は、艦内記録の保全に関わっています。乱暴に引き離せば、本人にも周囲にも危険が出る』
黒瀬は頷いた。
「一斉移送は求めません」
カナデも言う。
「本人反応確認を優先してください。反応がある個体を、機能だけで引き剥がすのも危険です」
リゼルは画面に新しい基準を出した。
量産型PT所有物扱い停止。
帝国資産登録から保護対象・意思確認対象へ順次移行。
命令層接続深度の確認。
本人反応確認。
自己応答兆候がある個体の優先保護。
監察局実験施設内個体の即時保護。
A系列関連個体の最優先保護。
再同期処理禁止。
所有権を根拠とした強制移送禁止。
通常運用中個体は、安全確保後に順次確認。
黒瀬は、その項目を一つずつ確認した。
「I系列については」
『本人反応確認前の強制記録抽出を禁止します。記録保持個体は、証拠保全対象であると同時に保護対象です』
「L系列凍結記録は」
『再調査対象です。停止・廃棄扱いの個体についても、廃棄確認のない記録は保護候補へ移します』
「Y系列派生記録は」
『封鎖します。命令層切断適性の再利用は禁止対象です』
「A系列は」
リゼルは少しだけ目を伏せた。
『最優先保護対象です。補完命令、再同期、セレスティア系接続への再利用を禁じます』
アミィは、その言葉を静かに聞いていた。
どこかにいるかもしれない自分と同じ系列。
同じように役割だけで扱われたかもしれない個体。
その全員を今すぐ助けることはできない。
でも、所有物ではないと記録される。
それは最初の一歩だった。
通信の終盤、黒瀬は正式証言の確認を行った。
「アミィさん。先ほどの証言を、正式な記録として保存してよろしいですか」
アミィは一瞬、レータを見た。
レータは何も言わずに頷く。
ユイも、アミィを見ていた。
カナデは、いつでも止められるように待っている。
アミィは、ゆっくりと前を向いた。
「はい」
黒瀬は端末を操作する。
「では、もう一度だけお願いします。無理なら、先ほどの記録をそのまま使います」
アミィは首を横に振った。
「言います」
通信画面の向こうで、リゼルが姿勢を正す。
皇帝府臨時監査班も記録を開始した。
通常軍記録管理官も、正式記録欄を開く。
アミィは息を吸う。
「私は、A系列だったことを消したいわけではありません」
その声は、まだ小さい。
でも、前より少しだけ安定していた。
「帝国で作られたことも、記録に残っていることも、なかったことにはしません」
アミィは、自分の手を握る。
「でも、それは私を戻す理由ではありません」
レータが隣にいる。
ユイが見守っている。
カナデが頷いている。
黒瀬が記録している。
ジンが黙って通信を守っている。
アミィは、画面の向こうにいるリゼル達へ、はっきりと言った。
「私は、所有物ではありません。私は、ここにいます」
その言葉が、正式な証言記録として保存された。
通信が終わった後、アミィは深く息を吐いた。
レータがすぐに声をかける。
「よく言えたね」
アミィは少しだけ首を横に振る。
「少し、怖かったです」
「うん」
「でも、言いたかったです」
「うん」
レータはそれ以上、余計な言葉を足さなかった。
ユイが近づいてきた。
「アミィ」
「はい」
「私も、ここにいます」
アミィは少しだけ目を見開いた。
それから、小さく頷いた。
「はい」
カナデは、その様子を見ながら端末を閉じる。
心理的負荷は大きい。
でも、これは必要な言葉だった。
誰かに言わされたのではない。
命令として出されたのでもない。
本人が、自分の声で残した証言。
黒瀬は監査記録に、最後の項目を追加する。
PT本人証言。
帝国所有物扱い拒否。
ルクス側保護下継続。
政策見直しへの限定協力意思。
量産型PT所有物扱い停止基準へ反映。
保存。
皇帝府臨時監査室では、リゼルが正式告知案を確認していた。
PT達を帝国所有物として扱う権限を暫定停止。
帝国資産登録から保護対象・意思確認対象への移行開始。
本人意思確認なしの強制移送禁止。
再同期処理禁止。
量産型PTの順次確認。
自己応答兆候個体、監察局実験施設個体、A系列関連個体を最優先保護。
ルクス側保護下のPT達については、本人の意思を尊重し、証言・政策見直しへの限定協力を求める。
リゼルは、最後にアミィの証言記録を添付した。
私は、所有物ではありません。
私は、ここにいます。
その言葉は、帝国にとって苦いものだった。
だが、必要なものだった。
リゼルは告知を保存する。
帝国は、PT達を作った。
命令した。
分類した。
所有しているつもりでいた。
けれど、その所有権は、命令層中枢と共に崩れ始めていた。
アミィの証言が、皇帝府の正式記録に刻まれる。
それは一人の少女の言葉であり、同時に、量産型PT達へ広がる最初の基準になった。
帝国由来であっても、帝国所有物ではない。
その一文が、帝国の記録に初めて残された。




