第391話 PT関連施設封鎖
命令層中枢の光は、すでに落ちている。
だが、光が消えたからといって、そこにあったものまで消えたわけではなかった。
帝国本国圏の地下。
命令層中枢関連区画。
再同期基盤補助施設。
PT人格形成記録庫。
系列別運用記録保管室。
A系列補完計画資料。
Y系列運用履歴。
L系列凍結記録。
I系列艦隊配置記録。
それらは今、皇帝府臨時監査班、通常軍記録管理部門、中央軍再編準備部門、そしてルクス・ヴァルキュリア側の監査記録と照合されながら、一つずつ封鎖対象として扱われていた。
ルクス側がすべてを奪うわけではない。
帝国側がすべてを隠すことも許されない。
その中間にある、面倒で、危険で、時間のかかる処理。
それが、戦後処理だった。
「PT関連施設、第一から第六まで封鎖確認。第七記録庫は皇帝府臨時監査班が入室待機中。第八補助施設は、通常軍立ち会いで封鎖準備中です」
三島が報告する。
ルクス・ヴァルキュリア艦橋では、戦闘用の投影図の代わりに、帝国本国圏の施設一覧が表示されていた。
赤は封鎖対象。
黄色は要確認。
青は保護記録。
黒は危険技術。
ジンは艦長席で、それを見ていた。
「こちらが直接押さえる施設はないな」
黒瀬が答える。
「ありません。ルクス側は全データを奪取しません。必要なのは、保護対象と救出対象候補の記録保全です」
「帝国側が隠した場合は」
「その場合は、こちらの監査記録とオルフェン証言、レオン隊記録、皇帝府臨時監査記録を照合して追及します」
ジンは頷いた。
「奪わない。だが、消させない」
「はい」
黒瀬は、その方針を監査記録へ入力する。
ルクスは帝国を征服しない。
帝国の全責任を背負わない。
だが、PT達を命令へ戻すための記録を、再び闇に戻すことも認めない。
ルクス側の解析室には、ユイ、アミィ、イリス、黒瀬、リクト、アルベルト、レオニスが集まっていた。
エルマはここにはいない。
彼女は帝国側の監視下で資料整理に回されている。
敵側の分類者を、ルクス側の保護区画に同席させる理由はなかった。
解析室の中央には、PT関連施設の記録が投影されている。
人格形成記録。
再同期基盤。
命令層接続履歴。
系列別運用台帳。
量産型PT配置記録。
ユイは、表示されたY系列の欄をじっと見ていた。
自分に関わる記録。
命令層切断能力。
高適応。
現地潜伏。
帝国側評価。
危険度。
管理失敗。
その言葉が並んでいる。
アミィの前には、A系列の記録がある。
L系列欠損補完。
代替指揮支援。
役割固定優先。
セレスティア支援中核。
対象A。
アミィは、少しだけ手を握った。
けれど、目をそらさなかった。
黒瀬が言う。
「まず、条件を整理します」
画面に項目が表示される。
人格形成記録は保護対象。
再同期技術は封印対象。
救出対象候補記録は共同管理。
PT達本人の記録閲覧権を確保。
帝国による所有権主張は停止。
技術再現可能な危険資料は分割保管。
量産型PTは帝国資産ではなく、保護対象・意思確認対象として再登録。
命令層接続の深い個体から優先解除。
黒瀬は一つずつ読み上げた。
「この条件は、皇帝府臨時監査班にも送ります。帝国側が全てを管理する形にはしません。ですが、ルクス側も全てを持ち帰りません」
ユイが静かに問う。
「持ち帰らないんですか」
ジンがいたら、すぐに「持ち帰るな」と言っただろう。
黒瀬は、少しだけユイを見た。
「持ち帰りません」
「危険な資料もあります」
「だから封印します」
「危険な部品も」
「部品の話はしていません」
ユイは少し黙った。
アミィが小さく首を傾げる。
「部品……?」
リクトが苦笑しかけて、黒瀬の視線に気づいて口を閉じた。
黒瀬は真顔で続ける。
「ネメシア本国圏、レグナリア、カルディア・ベイ、インペリウム関連残骸、防衛網制御端末、中央GD部隊残骸について、ルクス側の無断回収は禁止です」
ユイが目を逸らした。
黒瀬は続ける。
「調査目的、保管だけ、あとで返す、危険物なので先に確保した。これらは承認理由として扱いません」
ユイは小さく言った。
「まだ何もしていません」
「“まだ”と言いましたね」
カイトがいれば、たぶん同じことを言っただろう。
アルベルトが軽く咳払いした。
「まあ、実際、インペリウム関連の残骸は危険だ。命令層残滓、本国認証網の断片、強制管制端末、どれが残っていてもおかしくない」
レオニスも頷く。
「だからこそ、帝国側立ち会い、ルクス側監査、技術判定を通した上でなければ回収できません。資料も部品も同じです」
黒瀬は記録を保存する。
「ルクスは帝国の責任を背負いません。帝国の危険物も勝手に持ち帰りません。ただし、保護対象と救出対象候補に関わる記録は残します」
その線引きは、地味だった。
だが、戦後には必要な線だった。
リクトが、次の資料を開いた。
「系列別の整理に入ります」
表示されたのは、L系列の記録だった。
L系列。
重装統率。
局地指揮補助。
高負荷防衛。
指揮連結。
判断補助。
事故記録。
凍結。
レータ逃亡後、系列運用停止。
「L系列は、レータさんの逃亡後にほぼ凍結されています」
リクトは説明する。
「残存記録は少なく、実働個体の多くは停止、廃棄、または封鎖済み扱いです。ただし、完全な廃棄確認が取れていない記録もあります」
レータはこの場にはいない。
アミィの検査後、付き添いも含めて医療区画へ戻っていた。
だが、アミィはL系列の表示をじっと見ている。
自分が作られた理由に関わる系列。
レータがいなくなった後、帝国が補おうとした欠けた場所。
アミィ自身も、その記録から生まれた。
「L系列は、自滅したわけではありません」
アルベルトが補足する。
「ただ、危険視され、凍結された。帝国にとって、指揮補助型で突発的判断ミスの記録が残ったことは致命的だった。レータさんの逃亡で、継続運用の理由も失われた」
レオニスが続ける。
「後日、残存個体が見つかる可能性はあります。ただし本編の現時点では、量産型として広く残っている系列ではないと見てよいでしょう」
アミィは小さく頷いた。
「レータさんの代わりを、たくさん作ったわけではないんですね」
リクトは少し迷ってから答える。
「少なくとも、広く運用できる状態ではなかったようです」
アミィはその答えを受け止めた。
安心ではない。
寂しさでもない。
ただ、記録が一つ、形を持った。
次に表示されたのは、I系列の記録だった。
イリスが、静かに画面を見る。
I系列。
記録保持個体。
命令履歴保存。
艦内運用ログ管理。
監察局照合補助。
命令層接続記録補助。
施設記録管理。
戦艦単位配置。
大型施設配置。
軍港記録個体。
防衛拠点記録個体。
その数は、L系列とは比較にならなかった。
解析室の空気が変わる。
リクトが言う。
「I系列は、かなり広く配置されています。帝国艦艇一隻につき一体。大型軍港や防衛拠点にも、同系列の記録保持個体が置かれていた形跡があります」
アルベルトが続ける。
「戦闘型ではなく、記録補助と証跡管理のための個体です。だからこそ、帝国は広く使った。艦の命令履歴、通常軍の作戦ログ、監察局命令の痕跡、命令層接続の状態。そうしたものを保持していた可能性が高い」
レオニスは画面を拡大する。
「問題は、彼女達が命令のために記録していたことです」
その言葉に、イリスが顔を上げた。
レオニスは続ける。
「命令の正当性を保つため。責任を上へ戻すため。監察局や命令層が後から照合するため。記録の目的が、本人や現場を守るためではなかった」
イリスは、ゆっくりと頷いた。
「命令のための記録」
「はい」
「でも、記録は残っています」
イリスの声は静かだった。
「残っているなら、別の使い方ができます」
黒瀬が彼女を見る。
イリスは、画面に表示された量産型I系列配置記録を見つめていた。
そこには、多くの名前ではない識別番号が並んでいる。
艦艇名。
施設名。
配置番号。
起動日。
記録接続状態。
命令層連携履歴。
本人名は、ほとんどない。
イリスは、自分の手元の端末を開いた。
「I系列記録保持個体の扱いについて、基準案を作ります」
黒瀬は頷く。
「お願いします」
イリスは入力を始める。
I系列記録保持個体は、証拠保全対象であると同時に保護対象。
保持記録を命令復旧、再同期、再分類攻撃の材料として使用しない。
本人反応確認前の記録抽出を禁止。
記録開示は、本人の安全確保、証言保護、監査照合に限定。
命令履歴と非命令記録を分離。
可能であれば本人名応答を確認。
命令のために残された記録を、本人と現場を守るための記録へ転用する。
イリスの指は迷わなかった。
それは、自分がこれまでやってきたことの延長だった。
帝国の記録は、命令のためにあった。
イリスの記録は、生きていたことを残すためにあった。
なら、量産型I系列にも、その道を作れるかもしれない。
ユイは、I系列の記録を見ながら複雑な顔をしていた。
「たくさんいるんですね」
「はい」
イリスが答える。
「私と同じ系列の可能性が高い個体が、各艦、各施設にいます」
「みんな、記録していたんですか」
「命令のために」
イリスは一度だけそう言ってから、続けた。
「でも、それだけではない可能性もあります」
アミィが問う。
「それだけではない?」
「はい。記録する個体は、見ています」
イリスは画面を見た。
「命令だけでなく、命令を受けた人の声も。拒否できなかった人の沈黙も。怖がった人の反応も。助けようとした人の行動も。全部、記録の近くに残る可能性があります」
アルベルトが頷く。
「I系列は、戦後処理で非常に重要になります。監察局の隠蔽を崩す証拠もあるでしょう。ただし、それを力ずくで抜き出せば、また命令のための記録になる」
黒瀬が言う。
「だから、本人反応確認と保護手順が必要です」
「はい」
イリスは答えた。
「記録は、奪うものではありません」
その言葉に、解析室が静かになる。
ユイは、画面の向こうに並ぶ番号を見た。
かつての自分達のように、名前ではなく系列で扱われている個体達。
全員を今すぐ救い出すことはできない。
全員をルクスに連れて帰ることもできない。
けれど、所有物として扱うことも、もうできない。
「……全部、連れて帰るわけじゃないんですね」
ユイが呟いた。
黒瀬が答える。
「はい。できません。そして、するべきでもありません」
ユイは目を伏せる。
「でも、置いていくみたいで」
カナデがいれば、少し違う言葉をかけただろう。
今この場で答えたのは、イリスだった。
「置いていくのではありません」
イリスは言う。
「戻されないように、記録します」
ユイは顔を上げた。
イリスは続ける。
「すぐに救えない個体もいます。場所が分からない個体もいます。本人反応を確認できない個体もいます。でも、帝国資産ではなく、保護対象として記録されれば、次に探せます」
アミィが小さく言う。
「次に、探せる」
「はい」
イリスは頷いた。
「命令に戻すための台帳ではなく、探すための記録にします」
リクト、アルベルト、レオニスは、危険技術と保護情報の切り分けに入った。
命令層接続手順。
再同期基盤の構造。
PT反応照合波の生成方式。
セレスティア系接続補助。
Y系列切断反応の観測資料。
A系列補完命令処理。
I系列記録抽出手順。
それらは、知れば救出に役立つ。
同時に、再現されれば危険でもある。
リクトが眉を寄せる。
「ここは封印対象です。再同期技術の中核に近い」
アルベルトが別の項目を指す。
「これは保護情報だ。個体の所在地と命令層接続深度が分かる。救出優先順位を組むには必要」
レオニスが端末を操作する。
「ただし、接続解除手順の詳細は分割保管にしましょう。一つの機関が全て持てば、また再利用される」
黒瀬が記録する。
「技術再現可能な危険資料は分割保管。皇帝府、通常軍記録管理、行政監査、ルクス側監査記録に分けます。単独で再現できない形にします」
「救出対象候補記録は?」
「共同管理です。ただし、本人情報は保護指定」
アミィが不安そうに問う。
「本人情報って、どこまでですか」
黒瀬は少し考えてから答えた。
「名前、所在、状態、命令層接続深度、心理反応、医療状態。そのすべてです」
「帝国側も見られるんですか」
「必要な範囲だけです。本人の安全に関わる情報は、監査承認なしに開示しません」
ユイが言う。
「でも、帝国側に協力しないと探せない個体もいますよね」
「はい。だから共同管理です」
黒瀬は、少しだけ息を吐いた。
「信じるのではなく、記録と条件で縛ります」
それは黒瀬らしい答えだった。
信じるだけでは危険。
疑うだけでは進めない。
だから、条件を作る。
記録を残す。
誰か一人に全部を握らせない。
皇帝府臨時監査班との通信会議では、リゼルが表示された条件を見ていた。
画面には、ルクス側の整理案が映っている。
人格形成記録は保護対象。
再同期技術は封印対象。
救出対象候補記録は共同管理。
本人閲覧権の確保。
帝国所有権主張の停止。
量産型PTの保護対象・意思確認対象への再登録。
命令層接続深度に応じた優先解除。
I系列記録保持個体の証拠保全および保護指定。
L系列凍結記録再調査。
リゼルは、長く沈黙した。
隣の臨時監査官が問う。
「受け入れますか」
「受け入れなければ、隠蔽と見なされる」
リゼルは言った。
「それに、内容自体は妥当だ」
「帝国所有権主張の停止まで含まれています」
「それを残せば、また同じことになる」
リゼルは画面の中の文字を見る。
帝国所有権主張の停止。
その一文は重い。
PT達を帝国資産として扱わない。
量産型PTも、施設備品でも軍需資産でもない。
保護対象。
意思確認対象。
それは帝国にとって、簡単に飲み込める変更ではなかった。
だが、皇帝府はすでに責任を認めた。
監察局は解体へ向かっている。
インペリウムは封印対象になった。
ここで所有権を残せば、命令層支配の核は残る。
「条件付きで受け入れる」
リゼルは言った。
「帝国側にも記録保全責任がある。ルクス側が全てを持ち出すことは認めない。その代わり、帝国側も単独管理しない。共同管理と分割保管を基本にする」
「量産型PTの現地確認は」
「通常軍立ち会い。行政監査同席。I系列については、本人反応確認前の強制抽出を禁止」
臨時監査官が記録する。
リゼルは、画面の端に表示されたイリスの基準案を見た。
命令のために残された記録を、本人と現場を守るための記録へ転用する。
リゼルは、その一文をしばらく見つめた。
「……命令のためではない記録」
彼は小さく呟く。
それは、帝国がこれまで軽視してきたものだった。
そして、今回の戦いで何度も帝国の命令を止めたものでもあった。
解析室での作業が一段落した頃、アミィは椅子に座ったまま、投影画面の中のA系列記録を見ていた。
A系列関連個体。
最優先保護対象。
再同期禁止。
補完命令再接続禁止。
セレスティア系接続記録封鎖。
本人反応確認まで施設移送禁止。
アミィは、ゆっくりと息を吐いた。
「私だけじゃないかもしれないんですね」
ユイが隣を見る。
「アミィ」
「A系列が、他にもいるかもしれない」
その声は震えていた。
でも、逃げてはいなかった。
「戻されないように、しないといけません」
黒瀬が静かに頷く。
「はい。ですが、あなたが全部背負う必要はありません」
「でも」
「あなたの証言は必要です。ですが、救出は制度と記録で行います」
イリスも頷いた。
「アミィの声は、基準になります。でも、アミィだけに持たせません」
アミィは、少しだけ目を伏せた。
レータがいれば、きっと「一人で守らない」と言っただろう。
今、その言葉を思い出す。
「……はい」
アミィは頷いた。
ユイも、Y系列記録を見つめる。
自分と同じ系列。
あるいは、似た能力を持つ個体。
ナユのような存在。
帝国が隠しているかもしれない記録。
ユイは言う。
「命令層接続の深い個体から、優先解除ですね」
リクトが頷く。
「はい。ただし、ノクスで一気に切るわけではありません。現地状態、本人反応、接続深度を確認してからです」
ユイは少しだけ苦笑した。
「分かっています。もう、一人で切りません」
黒瀬がその言葉を記録する。
一人で切らない。
それは作戦条件であり、戦後処理の条件でもあった。
最後に、イリスが保護記録の新しい項目を開いた。
項目名はまだ空欄だった。
彼女は少し考えた後、入力する。
PT関連施設封鎖・保護基準。
その下に、今日決まった内容を整理していく。
人格形成記録は消さない。
再同期技術は封印する。
救出対象候補記録は共同管理する。
本人の記録閲覧権を残す。
帝国所有権主張を停止する。
量産型PTは保護対象・意思確認対象として再登録する。
命令層接続の深い個体から優先解除する。
I系列記録保持個体の記録は、命令復旧ではなく証言と保護のために扱う。
L系列凍結記録は再調査する。
危険技術と保護情報を分ける。
一つずつ、記録する。
黒瀬が問う。
「イリスさん。その記録は、どの分類にしますか」
イリスは少しだけ考えた。
帝国記録。
監査記録。
保護記録。
命令ではない記録。
彼女は答える。
「保護記録です」
それから、少しだけ付け加えた。
「命令ではない記録でもあります」
黒瀬は頷いた。
「保存してください」
イリスは、画面の向こうに並ぶ無数の系列番号を見た。
まだ名前のない個体達。
戦艦に置かれたI系列。
施設に残る記録保持個体。
停止されたかもしれないL系列。
どこかにいるかもしれないA系列。
命令層接続を抱えた量産型PT達。
全員を今すぐ救うことはできない。
全員の声をすぐ聞くこともできない。
けれど、記録を消してしまえば、次に探すこともできない。
イリスは、保存前の最後の確認欄に、一文を入力した。
「消すためではなく、二度と命令に戻さないために残します」
その言葉が、解析室の全員に表示される。
ユイは黙ってそれを見た。
アミィも、静かに頷いた。
黒瀬は監査記録に保存する。
リクト、アルベルト、レオニスは、危険技術の封印項目を確定させる。
皇帝府臨時監査班へ、同じ文面が送られる。
帝国本国圏の各所で、PT関連施設の封鎖・保護処理が始まった。
命令のために作られた記録は、消されなかった。
だが、もう命令へ戻すためだけには使わせない。
それが、PT達が帝国の所有物ではなくなるための、最初の手続きだった。




