第390話 通常軍再編
レグナリアの軍港区画には、まだ焦げた装甲片が漂っていた。
インペリウムの強制管制から切り離された無人艦。
統合照準を解除された防衛砲台。
自動突撃命令を失い、待機姿勢のまま停止した中央GD部隊。
救助艇の灯が、その間を縫うように進んでいる。
帝国中央軍港『レグナリア』は、落ちてはいない。
だが、無傷でもなかった。
もっとも大きな損傷は、外殻でも、艦艇でも、砲台でもない。
通常軍の指揮系統そのものだった。
「第三艦隊、損傷艦二十七。うち七隻は自力航行不能。第九防衛砲台群、統合照準解除後、手動承認へ移行。中央GD部隊は、命令層残滓の影響確認待ちです」
クラウス・ベルガーが、記録を淡々と読み上げる。
その声に、疲労はある。
だが、乱れはない。
レオン・グレイスナーは、エリシオンの整備区画に設置された臨時指揮卓の前で、報告を聞いていた。
外縁方面軍第七機動戦隊。
ヘルメス隊。
レグナリア残存部隊。
中央軍から切り離されかけた部隊。
インペリウム管制に従いかけた部隊。
命令を拒否した部隊。
命令が届かず、独自判断で民間区画を守った部隊。
そのすべての記録が、いま彼の前に積まれている。
リュカ・ヴァレンが、ヘルメス隊の損害報告を持って入ってきた。
「ヘルメス隊、全機帰還済みです。損傷は多いですけど、落ちた機体はありません。まあ、かなり無茶はしましたけど」
「よく戻した」
レオンが短く言う。
リュカは肩をすくめた。
「戻らないと、また中継器にされかけますからね」
その軽口に、誰も笑わなかった。
軽口で済ませるには、あまりにも近すぎた。
インペリウムは、通常軍を奪おうとした。
命令層残滓を使い、中央防衛網を通し、艦隊とGD部隊と防衛砲台を一つの最終防衛機構へ組み込もうとした。
帝国軍は、帝国を守るための軍ではなく、機構の部品にされかけた。
レオンは、それを拒んだ。
その判断が、いま問題になっている。
「中央軍再編準備部門より通信」
クラウスが顔を上げる。
「発信者、レグナート・ヴァルハイム閣下」
レオンは一瞬だけ目を閉じた。
「繋げ」
臨時指揮卓の投影に、レグナートの姿が映る。
厳格な表情。
疲労を隠さない目。
だが、その姿勢は崩れていない。
『レオン・グレイスナー』
「はっ」
レオンは立ったまま敬礼した。
『状況報告は受け取った。インペリウム管制拒否、通常軍回線維持、レグナリア防衛線の無断戦闘再開禁止。いずれも記録上、確認済みだ』
「はい」
『同時に、ルクス・ヴァルキュリアとの一時戦闘停止線設定、および命令層切断後の指揮空白を外縁方面軍第七機動戦隊が受け取った事実も確認した』
クラウスの表情がわずかに固くなる。
リュカも黙った。
それは、功績でもあり、問題でもある。
帝国通常軍の一部隊が、帝国本国圏内で、外部勢力と戦闘停止線を引いた。
しかも、皇帝府や中央軍の明確な事前承認なしに。
必要だった。
だが、規律上は危うい。
レグナートは、しばらくレオンを見ていた。
『自分の判断を、どう説明する』
レオンは即答しなかった。
言い訳なら、いくつもある。
通信が混乱していた。
インペリウムが暴走していた。
皇帝府の停止命令も通らなかった。
中央軍指揮が遅れた。
ルクスとの利害が一致した。
だが、そのどれも、自分の判断の芯ではない。
レオンは、まっすぐに答えた。
「私はルクスを助けたのではありません。帝国軍を機構の部品にさせなかっただけです」
投影の向こうで、レグナートは目を細めた。
「帝国本国圏へ侵入した敵と、一時的に線を結んだことは事実です」
「事実だな」
「ですが、あの時、通常軍がインペリウム管制に従えば、帝国軍は命令層残滓へ吸われていました。レグナリアも、カルディア・ベイも、ネメシア防衛砲台も、通常軍の判断を失っていた」
レオンは言う。
「帝国を守るために、帝国軍の判断を残す必要がありました」
レグナートは沈黙した。
怒りではない。
問いの続きでもない。
その沈黙は、判断するためのものだった。
やがて、彼は口を開いた。
『現場判断として、一部追認する』
クラウスがわずかに息を吐いた。
リュカも肩の力を抜きかける。
だが、レグナートの声はそこで緩まなかった。
『ただし、全面的に賞賛はしない。帝国通常軍として、独自に外部勢力と戦闘停止線を設定した事実は記録される。今後、同様の判断には中央軍再編準備部門および皇帝府臨時監査への即時報告を義務づける』
「承知しています」
『お前の判断は帝国軍を救った。同時に、帝国軍の指揮系統がそれほど脆くなっていたことを示した』
レオンは何も言わなかった。
それは、自分だけの問題ではない。
帝国軍全体の問題だった。
レグナートは、通信先を通常軍各部隊へ拡張した。
レグナリア残存部隊。
中央軍艦隊。
外縁方面軍。
有人承認班。
防衛砲台指揮班。
ヘルメス隊。
そして、インペリウム管制に従いかけた部隊の代表者達。
投影画面に、多数の識別表示が並ぶ。
レグナートは、全員へ向けて話し始めた。
『帝国通常軍各部隊へ。中央軍再編準備部門、レグナート・ヴァルハイムである』
その声が、損傷した軍港区画、艦艇の臨時指揮室、防衛砲台の手動管制室へ届いていく。
『インペリウムは停止した。だが、問題は終わっていない。通常軍指揮系統は、命令層残滓と最終防衛機構に奪われかけた。監察局は、その危険を把握してなお、通常軍を中継器として扱った』
通信の向こうで、いくつもの沈黙が生まれる。
自分達が何に使われかけたのか。
それを、まだ認めたくない者もいる。
だが、記録はある。
命令も、通信ログも、強制管制要求も、すでに保全されている。
『中央軍にも責任がある』
レグナートは、はっきりと言った。
『監察局に任せすぎた。命令層技術を疑わず、防衛網の上に置きすぎた。現場の通常軍が何を負わされているのか、中央は十分に見ていなかった』
その言葉に、複数の回線でわずかなざわめきが起きた。
中央軍上位指揮官が、自ら責任を認める。
それは、帝国軍にとって軽いことではない。
『だが、責任を認めることと、規律を失うことは違う』
レグナートの声が強くなる。
『以後、通常軍は監察局命令を無条件には受けない。命令層接続、PT関連作戦、民間区画を巻き込む防衛機構の起動、通常軍指揮系統の外部接続については、皇帝府、通常軍、行政監査、帝国再編評議会準備機関による多重承認制へ移行する』
画面に、新しい規定案が表示される。
監察局単独命令無効。
通常軍指揮系統外部接続禁止。
命令層技術使用には多重承認。
インペリウム級防衛機構への接続禁止。
PT関連作戦は本人反応確認および監査記録必須。
民間区画を盾にする防衛命令禁止。
記録隠蔽命令の拒否権。
リュカが小声で呟く。
「……随分、変わりますね」
クラウスが答える。
「変えなければ、また吸われる」
レオンは黙って投影を見ていた。
多重承認。
監査。
記録。
これまでの帝国軍なら、面倒な制限だと感じただろう。
今でも、そう思う者はいるはずだ。
だが、制限がなければ、また命令層や監察局が軍を呑み込む。
『通常軍は、皇帝府の私兵ではない。監察局の端末でもない。最終防衛機構の部品でもない』
レグナートは言った。
『帝国を守る軍である』
その一言に、レグナリアの防衛管制室が静かになった。
通信が一度切られた後、レオンの元へ別回線が入った。
ルクス・ヴァルキュリアからだった。
発信者はジン。
映像はない。
音声のみ。
第386話の時と同じ、必要最低限の距離だった。
『こちらジン。通常軍再編の通信を一部受信した』
レオンは眉を動かす。
「盗聴か」
『戦闘停止線に関わる範囲だけだ。そちらが撃つかどうかは、こちらの安全に関わる』
「当然の警戒だな」
『そちらの再編には介入しない』
ジンの声は低かった。
『帝国軍をどう立て直すかは、そちらの問題だ。こちらが指揮を取るつもりはない』
「取られても困る」
レオンは即答した。
『だろうな』
短い沈黙が流れる。
味方同士ではない。
だが、もう無意味に撃ち合う段階でもない。
レオンは言った。
「こちらも、ルクス・ヴァルキュリアを英雄扱いするつもりはない」
『構わん』
「帝国通常軍の記録上、貴艦は帝国本国圏へ侵入し、最終防衛機構を停止させた外部勢力だ」
『事実だな』
「同時に、インペリウムを破壊ではなく停止・隔離し、本国防衛網を乗っ取らなかった」
『それも事実だ』
レオンは少しだけ目を伏せた。
「なら、そのように記録する」
ジンの返答は少し遅れた。
『助かる』
「礼は不要だ。これは帝国軍の記録だ」
『分かっている』
ジンは続ける。
『こちらからも言っておく。ルクス側は、帝国通常軍の再編に介入しない。だが、監察局残党が保護記録やPT関連施設へ手を出すなら、話は別だ』
「その時は通常軍が止める」
『止められなかった場合は』
レオンは目を上げる。
「その時は、こちらの責任だ」
『なら、記録しておく』
ジンの声はそこでわずかに柔らかくなった。
『レオン・グレイスナー。そちらが帝国軍を残したことは、こちらの艦にも記録されている』
「私はルクスを助けたのではない」
『知っている』
ジンは即座に答えた。
『だから、話が早い』
通信はそこで切れた。
レオンはしばらく黙っていた。
リュカが近くで苦笑する。
「艦長同士って、もう少し友好的に話せないんですかね」
クラウスが眼鏡を押し上げる。
「敵対関係が残っている以上、あれで十分だ」
レオンは短く言った。
「友好は必要ない。今必要なのは、撃たない理由だ」
通常軍再編の第一段階は、分類から始まった。
インペリウム管制を拒否した部隊。
従いかけた部隊。
強制管制を受け、被害を出した部隊。
命令が届かず独自判断で民間区画を守った部隊。
監察局命令を優先して通常軍指揮系統を乱した部隊。
それぞれを調査し、記録し、処分ではなく再編の材料にする。
クラウスは、膨大な記録を整理しながら言った。
「従いかけた部隊をすべて処分すれば、通常軍は半分以上機能しません」
レオンは頷く。
「処分が必要な者と、命令層接続の被害者を分けろ」
「監察局命令を能動的に通した指揮官は」
「記録を出せ。中央軍再編部門へ回す」
「命令を拒否した部隊は」
「賞賛だけで終わらせるな。なぜ拒否できたのか、手順を記録しろ。再現できなければ、次は別の部隊が吸われる」
クラウスは端末に入力していく。
リュカが軽く手を上げた。
「ヘルメス隊はどうなります? かなり命令を無視しましたけど」
「お前達は命令を無視したのではない。強制管制位置から離脱した」
「言い方の違いでは?」
「記録上は重要だ」
クラウスが淡々と返す。
リュカは肩をすくめる。
「じゃあ、その方向でお願いします」
レオンは、ヘルメス隊の損傷記録を見る。
彼らは軽口を叩く。
だが、インペリウム管制線に引っ張られながら、通常軍機を誘導し続けた。
監察局端末の回収線を妨害し、強制接続されかけた部隊を逃がした。
その行動も、ただの独断では終わらせてはいけない。
判断として残す必要がある。
「リュカ」
「はい」
「ヘルメス隊の行動記録を、逃げた記録ではなく、管制回避手順としてまとめろ」
リュカは一瞬だけ目を丸くした。
それから、にやりと笑う。
「了解です。逃げ足の速さも役に立つってことで」
「調子に乗るな」
「はいはい」
クラウスが小さく咳払いした。
「隊長、記録には『逃げ足』とは書きません」
「そこは上手くお願いします」
「書きません」
その短いやりとりに、臨時指揮卓の空気が少しだけ緩んだ。
戦場の緊張が消えたわけではない。
だが、軍がまだ生きていることを示す小さな音だった。
レグナートは、中央軍再編準備室で各部隊の報告を受けていた。
壁面には、帝国本国圏の軍事系統図が表示されている。
以前の図なら、皇帝府、中央軍、監察局、防衛網、命令層が複雑に重なりながらも、一応は一つの秩序として描かれていた。
今は違う。
監察局系統には、赤い封鎖表示が走っている。
命令層接続には、隔離表示。
インペリウム級防衛機構には、封印予定。
通常軍指揮系統には、手動承認への移行表示。
行政監査と帝国再編評議会準備機関が、新しい線として追加されている。
それは美しい図ではなかった。
むしろ、継ぎ接ぎだらけだった。
だが、命令層にすべてを預けた整った図よりは、ずっとましだった。
中央軍士官が報告する。
「一部軍区から反発があります。皇帝権限制限と再編評議会案について、軍の弱体化だと」
「予想通りだ」
「アース・ネメシスを含む各地球圏代表選出についても、保守派から反対が出ています」
「それも予想通りだ」
レグナートは淡々と答えた。
「反対が出ない再編など、再編ではない」
「しかし、強硬派が動けば――」
「通常軍を使って押さえつけるだけでは、命令層支配と変わらん」
レグナートは、表示された各軍区の記録を見る。
「まずは記録を出す。インペリウムが何をしたか。監察局が何を命じたか。通常軍が何を失いかけたか。それを隠せば、強硬派は好きな物語を作る」
中央軍士官は頷いた。
「レオン隊の記録も公開対象に?」
「一部だ。ルクスとの通信詳細は制限する。だが、インペリウム管制拒否と通常軍回線維持は公開する」
「レオン隊を英雄視する声が出る可能性があります」
「英雄にするな」
レグナートの声が低くなる。
「だが、裏切り者にもするな。必要なのは神話ではない。手順だ」
士官はその言葉を記録した。
英雄ではなく、手順。
裏切りではなく、判断。
それが、通常軍再編の最初の骨格になる。
レオンの臨時指揮卓に、レグナートから再び通信が入った。
今度は短い。
『レオン・グレイスナー』
「はい」
『お前の部隊は、通常軍再編の初期指針作成に協力しろ』
クラウスが一瞬、目を伏せる。
リュカは小さく「うわ」と呟いた。
レオンは表情を変えなかった。
「処分ではなく、仕事ですか」
『処分が不要とは言っていない。記録に残るべき問題もある。だが、お前達の判断を再編に使わなければ、同じ状況で別の部隊が判断できん』
「承知しました」
『監察局命令の拒否条件。命令層接続要求の遮断手順。通常軍回線の手動維持。民間区画保護優先時の判断基準。ルクスのような外部勢力と一時戦闘停止線を引く条件。すべて整理しろ』
「かなり多いですね」
『帝国軍が怠けた分だ』
レオンは、わずかに口元を引き締めた。
「了解しました」
レグナートは少しだけ沈黙した後、低く言った。
『帝国軍は、命令を待つだけの軍ではいられなくなった』
その言葉に、レオンは静かに敬礼した。
「はい」
『ならば、判断できる軍に戻す』
通信は切れた。
レオンはしばらく画面を見つめていた。
命令を待つだけの軍ではいられない。
その言葉は、重かった。
命令を待つことは、楽だ。
命令に従えば、責任を上へ預けられる。
命令層があれば、判断の空白を埋めてくれる。
監察局がいれば、厄介な処理を任せられる。
インペリウムがあれば、すべてを統合してくれる。
だが、その先で軍は部品になる。
レオンは、臨時指揮卓に積まれた記録を見た。
「クラウス」
「はい」
「再編指針の作成に入る」
「了解しました」
「リュカ」
「はいはい。逃げ足の記録ですね」
「管制回避手順だ」
「了解です、管制回避手順」
リュカは少しだけ笑った。
クラウスは端末を開き、項目を作成する。
監察局命令拒否条件。
命令層接続遮断手順。
通常軍回線手動維持。
民間区画保護基準。
外部勢力との一時戦闘停止線設定条件。
インペリウム級防衛機構接続拒否。
それらが、通常軍再編の最初の文書になる。
レオンは、レグナリアの損傷した外郭を見た。
遠くに、ルクス・ヴァルキュリアの艦影がある。
敵。
そう記録される。
だが、あの艦は帝国軍を奪わなかった。
防衛網を乗っ取らなかった。
インペリウムを破壊ではなく停止した。
その事実もまた、記録される。
レオンは静かに言った。
「帝国軍は、帝国を守る」
クラウスとリュカが彼を見る。
「皇帝府だけを守るのではない。監察局の命令を守るのでもない。命令層に従うのでもない」
レオンは前を見据えた。
「判断で守る」
その言葉が、臨時指揮卓に残る。
まだ、通常軍は揺れている。
再編は始まったばかりだ。
反発もある。
処分もある。
責任も問われる。
各軍区は黙って従わないだろう。
帝国再編評議会が成立する保証もない。
それでも、最初の線は引かれた。
監察局の端末ではない。
最終防衛機構の部品でもない。
命令を待つだけの軍でもない。
帝国通常軍は、自分達の判断を取り戻すために、再編へ動き始めた。




