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第389話 分類者エルマ

監察局解体命令が発令されても、すべての部門が同時に止まるわけではなかった。

命令が出る。

記録が押収される。

施設が封鎖される。

担当者の権限が停止される。

だが、帝国ほど巨大な組織では、命令の到達にも時間がかかる。

そして、命令が届いたとしても、その意味を受け入れるには、さらに時間が必要だった。

帝国戦術演算局。

パルスティア識別管理部門。

その一室で、エルマ・ディクセンは自分の端末を見つめていた。

表示されているのは、自身が作成した再分類案だった。

対象Y。

対象A。

対象L。

対象M。

対象I。

対象S。

対象R。

対象N。

対象補助個体。

分類。

補助分類。

危険度。

安定度。

命令層外維持率。

自己応答保持傾向。

再同期適性。

そして、その一部がインペリウムのPT反応照合攻撃に使用された記録。

エルマは、表情を崩していなかった。

ただ、指先だけが止まっていた。

「……私は、再同期命令を出していません」

彼女の前に立つリゼル・オルブライトは、その言葉を黙って聞いていた。

「人格消去も命じていない。対象個体の反応を分類し、危険度を評価し、命令層外で安定した個体の運用リスクを提示しただけです」

リゼルは答える。

「その分類案が、インペリウムのPT反応照合に接続された」

「接続したのは中枢防衛処理です。私は、照合攻撃の実行権限を持っていません」

「だが、あなたの分類は攻撃に使えた」

エルマは顔を上げた。

怒りではない。

反論でもない。

その目には、ただ納得できないものを見る冷静さがあった。

「分類は、危険を管理するために必要です。対象が何であり、どのような機能を持ち、どの条件下で不安定化し、どの程度の影響を周囲に及ぼすか。それを評価しなければ、帝国規模の防衛は成立しません」

リゼルは端末を操作し、記録を投影した。

インペリウム起動時のPT反応照合波。

エルマの再分類案。

対象A自己応答保持個体。

対象Y命令層切断能力保持個体。

相互補完型系列管理逸脱構造。

非命令記録生成個体。

判断保留型戦闘個体。

それらが、照合波の基礎分類として使われた痕跡。

リゼルは静かに問う。

「分類すれば、止められると思ったのか」

「分類できれば、少なくとも危険を把握できます」

「把握した後、どうする」

エルマは即答しなかった。

それが答えだった。


ルクス・ヴァルキュリアからの限定通信は、皇帝府臨時監査班の立ち会いで接続された。

通信の参加者は限定されている。

リゼル。

エルマ。

皇帝府臨時監査官。

ルクス側からは黒瀬、カナデ、そしてジンの監視通信。

PT本人の参加は、本人の意思確認を条件にされた。

カナデは通信越しにエルマを見た。

画面の向こうにいるエルマは、敵意をむき出しにしているわけではない。

だからこそ厄介だった。

彼女は悪意でPT達を消そうとしたわけではない。

命令層へ戻すことだけを目的にしていたオルフェンとも違う。

彼女は、分類した。

評価した。

危険度をつけた。

管理可能性を測った。

それが正しい仕事だと信じていた。

カナデは静かに口を開いた。

「分類すること自体が悪いとは言いません」

エルマの目が、わずかに動く。

カナデは続ける。

「医療でも、心理評価でも、分類は必要です。状態を見分けること。危険を予測すること。支援方法を決めること。それ自体は、誰かを守るために必要な場合があります」

「ならば、私の評価は間違っていません」

エルマが言う。

「命令層外で安定するPT個体は、帝国の管理構造にとって重大な例外です。例外は分類しなければならない」

「そこまでは、分かります」

カナデは否定しなかった。

その返答に、エルマはわずかに眉を動かした。

カナデは、画面の向こうの彼女をまっすぐ見る。

「でも、名前も、声も、選択も、全部を分類の下に置いた時点で、本人はいなくなります」

エルマは沈黙する。

「あなたの記録では、アミィはA系列自己応答保持個体でした。ユイさんはY系列命令層切断能力保持個体でした。イリスさんは非命令記録生成個体。ミオさんは広域管制個体。分類としては、間違っていない部分もあるのだと思います」

カナデの声は穏やかだった。

だが、その穏やかさは甘さではない。

「でも、それは彼女達の全部ではありません」

エルマは、端末に視線を落とした。

「全部を記録することはできません。だから分類します」

「はい」

カナデは頷いた。

「だからこそ、分類は限界を自覚しないといけないんです」


アミィが通信に参加したのは、その後だった。

カナデは何度も確認した。

無理に出る必要はない。

相手と話さなくてもいい。

名前を言う必要もない。

嫌なら途中で切っていい。

それでも、アミィは頷いた。

レータは隣にいた。

画面には映らない。

だが、アミィのすぐ横に座っている。

それだけで、アミィの呼吸は少し安定していた。

通信画面に、エルマの顔が映る。

アミィは一瞬、肩を強張らせた。

彼女の記録の中で、エルマの名前は何度も見た。

A系列。

代替指揮支援個体。

L系列欠損補完。

対象A自己応答保持。

役割固定優先。

セレスティア支援中核。

その言葉を並べた人物。

アミィを直接命令層へ戻そうとしたわけではない。

だが、アミィを分類し、その分類を帝国の処理に渡した人物。

アミィはゆっくり息を吸った。

「……私は、アミィです」

最初にそう言った。

エルマは彼女を見た。

「対象A。いえ、アミィ」

言い直した。

そのことに、アミィは少しだけ瞬きをした。

「あなたの再分類案を確認しました」

アミィの声は小さかった。

それでも、切れなかった。

「私は、A系列だったことを消したいわけではありません」

エルマの表情がわずかに変わる。

アミィは続けた。

「私は、作られました。役割がありました。レータさんの代わりに、欠けた場所を埋めるための個体として記録されていました。その記録が全部嘘だったとは思いません」

隣で、レータが何も言わずにアミィの手に触れた。

アミィはその手を握り返す。

「でも、それだけに戻るつもりはありません」

通信越しに、誰も言葉を挟まなかった。

アミィは、エルマを見ていた。

「私は、A系列だったことを消したいわけではありません。でも、それだけに戻るつもりはありません」

その言葉は、責める声ではなかった。

叫びでもなかった。

拒否だった。

静かな、自分の場所を守るための拒否だった。

エルマは、しばらく何も言わなかった。

彼女の端末には、アミィの反応値が表示されている。

呼吸の乱れ。

緊張。

恐怖反応。

だが、自己応答は保たれている。

命令層外で安定。

A系列記録保持。

本人名応答継続。

エルマは、それを見つめた。

「あなたは、A系列としての記録を否定しないのですね」

「はい」

「ならば、なぜ分類に戻らないのですか」

アミィは少しだけ考えた。

その問いは、彼女にとって難しかった。

けれど、答えはあった。

「分類は、私を説明する言葉の一つだからです」

アミィは言う。

「でも、私がどこに座るか。誰の隣にいるか。戻るか戻らないか。それを決める言葉ではありません」

エルマは黙った。

その沈黙の中で、カナデは小さく息を吐いた。

アミィは、分類を否定していない。

過去も、作られた理由も、系列も、消そうとしていない。

そのうえで、それだけではないと返した。

それは、エルマの分類では捕まえきれない返事だった。


ユイが通信に入ったのは、アミィの後だった。

ノクス使用後の疲労はまだ残っている。

医療班は長時間の会話を止めた。

だから、ユイの参加は短時間だけ許可された。

画面越しのユイは、どこか静かだった。

疲れている。

だが、声は残っている。

エルマはユイを見る。

「対象Y」

その言葉を口にしかけて、止めた。

「ユイ」

ユイは少しだけ目を細めた。

「はい」

エルマは端末に残る記録を見る。

Y系列。

命令層切断能力保持個体。

高適応。

現地潜伏。

命令層外活動。

危険度最上位。

再同期困難。

帝国管理構造に対する重大例外。

「あなたは、自分がY系列であることを否定しますか」

エルマの問いに、ユイは首を横に振った。

「否定しません」

即答だった。

「私はY系列として作られました。命令層に関わる力もあります。帝国の記録に、そう残っていることも分かっています」

黒瀬が画面の外で、その言葉を聞いていた。

カナデも、ユイの反応を見守っている。

ユイは続けた。

「でも、私は命令層切断能力だけではありません」

エルマは黙って聞く。

「私は、切りました。でも、壊すためだけに切ったわけではありません。アミィを戻さないために切りました。命令と本人の返事を分けるために切りました。一人で切らないために、みんなに渡しました」

ユイの声は少しだけ震えた。

疲労のためかもしれない。

あるいは、自分の力を言葉にすることが、まだ簡単ではないからかもしれない。

それでも、彼女は続けた。

「あなたが私をY系列と分類することは、間違いではないと思います」

ユイは画面の向こうのエルマを見る。

「でも、その分類だけで、私が何を切るかまでは決められません」

エルマは端末を見下ろした。

対象Y。

命令層切断能力保持個体。

その分類は、消えない。

しかし、その分類からは、ユイがなぜ切ったのかは見えない。

誰に渡したのかも。

切った後に、何を守ろうとしたのかも。

記録されていない。

いや、記録はある。

だが、それは分類項目の中には入らない。

エルマは、初めて小さく息を吐いた。

「分類は、行動理由を保持しない」

カナデが静かに言う。

「保持できる分類もあります。でも、本人の声を聞かない分類では届きません」


リゼルは、ここまでの通信を黙って聞いていた。

彼にとっても、これは簡単な話ではない。

帝国は巨大だ。

危険な力を持つ存在を、すべて名前と声だけで扱うことはできない。

防衛網を維持するには分類がいる。

通常軍の判断には危険度がいる。

行政には記録がいる。

PT政策を見直すにも、系列情報、命令層接続状況、自己応答保持の有無、医療・心理状態、すべてを整理しなければならない。

分類は必要だ。

だが、その分類が本人を押し潰すのなら、命令層と同じ場所へ戻る。

リゼルはエルマへ向き直った。

「エルマ・ディクセン」

「はい」

「あなたの評価能力は、帝国にとって必要です」

エルマはリゼルを見る。

その言葉は、彼女にとって予想外ではなかった。

だが、次の言葉は違った。

「だが、PT管理権限からは外す」

エルマの表情が硬くなる。

「私の評価が不要だと?」

「不要ではない。危険だ」

リゼルは言った。

「あなたの分類は精密だ。だからこそ、命令層やインペリウムのような構造に接続された時、攻撃に使える」

「分類を使った側の問題です」

「使える形で渡した側にも責任がある」

エルマは黙った。

リゼルは続ける。

「あなたを処刑するつもりはない。監察局のように隠して処分するつもりもない。だが、今後あなたは、PT本人への管理判断、再分類命令、再同期判断、施設移送判断には関与できない」

「では、私は何を」

「証言と資料整理だ」

リゼルは端末を開いた。

「あなたは分類者として、どの分類がどこで使われ、どの情報が攻撃転用可能だったのかを証言する。量産型PTの記録整理にも協力してもらう。ただし、本人の処遇を決める権限は持たない。皇帝府臨時監査班、PT政策監査準備部門、心理担当、通常軍記録管理部門の監視下で行う」

エルマは、しばらく目を伏せた。

「つまり、私は分類するが、決められない」

「そうだ」

「それは、分類者としては片腕を奪われるようなものです」

「違う」

リゼルは即答した。

「それが、本来の分類の位置だ。分類は判断の材料であって、本人の代わりに答えを決める命令ではない」

その言葉に、エルマは初めて何も返せなかった。


通信が終わる前に、カナデが一つだけ言った。

「エルマさん」

エルマは画面を見る。

カナデは、少し迷ってから続けた。

「あなたの分類で、助かる人もいると思います。危険を見つけることも、必要な支援を整理することも、意味があります」

「ならば――」

「でも、分類の後に本人の声を聞いてください」

カナデの声は、静かだった。

「分類不能と書く前に。異常と書く前に。逸脱と書く前に。その人が何を言っているのかを、聞いてください」

エルマは答えなかった。

だが、端末へ視線を落とした。

そこには、アミィとユイの反応記録が並んでいる。

A系列。

Y系列。

分類は残っている。

だが、その横に新しい欄が追加されていた。

本人名応答。

自己選択。

拒否意思。

命令層外安定。

分類後自己応答保持。

エルマは、しばらくその欄を見ていた。

「……分類後も」

彼女は小さく呟いた。

「自己応答保持」

その言葉を、端末に入力する。

分類不能ではない。

異常でもない。

逸脱だけでもない。

分類後も自己応答保持。

その一文は、彼女にとって敗北の記録だったのかもしれない。

あるいは、分類者として初めて分類の限界を書いた記録だったのかもしれない。


通信終了後、ルクス・ヴァルキュリアの医療区画には、静かな空気が戻った。

アミィは椅子に座ったまま、少し疲れたように息を吐いた。

レータが隣で覗き込む。

「大丈夫?」

「はい。少し、疲れました」

「無理した?」

「少しだけ」

レータは困ったように笑った。

「それ、大丈夫じゃない時の言い方だよ」

アミィは目を瞬かせた。

どこかで聞いたような言い方だった。

近くでユイが小さく笑う。

「カイトさんにも言われました」

カナデは二人の反応を確認しながら、端末を閉じた。

「今日はここまでにしましょう。二人とも、もう十分話しました」

アミィは頷いた。

それから、自分の手を見下ろす。

A系列。

その記録は消えない。

自分が作られた理由も、セレスティアに接続されていた過去も、全部なくなるわけではない。

でも、それだけではない。

アミィは小さく呟いた。

「私は、A系列だったことを消したいわけではありません」

レータが隣で聞いている。

ユイも、カナデも。

アミィは続けた。

「でも、それだけに戻りません」

それは、エルマへ向けた言葉であると同時に、自分自身への確認だった。


帝国戦術演算局。

封鎖対象となった部門の一室で、エルマ・ディクセンは端末の前に座っていた。

彼女の権限はすでに一部停止されている。

PT管理判断。

再分類命令。

施設移送判断。

再同期関連処理。

それらの項目には、赤い制限表示がついていた。

残されているのは、証言入力と資料整理。

監視付きの記録照合。

彼女は、ゆっくりと新しい記録欄を開いた。

対象A。

旧分類、L系列欠損補完個体。

現分類、A系列自己応答保持個体。

追加記録。

本人名応答、アミィ。

A系列記録否定なし。

分類後も自己応答保持。

対象Y。

旧分類、命令層切断能力保持個体。

現分類、Y系列命令層切断能力保持個体。

追加記録。

本人名応答、ユイ。

Y系列記録否定なし。

行動理由、分類項目のみでは保持不能。

分類後も自己応答保持。

エルマの指が、そこで止まる。

分類は終わっていない。

むしろ、分類しなければならないものは増えた。

量産型PT。

I系列記録保持個体。

A系列関連個体。

凍結されたL系列記録。

命令層外で安定する個体。

本人の声を持つ個体。

そのすべてを、これまでと同じ方法では扱えない。

エルマは画面を見つめ、最後に一文を追加した。

分類は、対象の全体を保持しない。

しばらくして、彼女はその文を削除しようとした。

だが、消さなかった。

代わりに、別の行を加える。

分類後も自己応答保持。

その記録を保存する。

エルマ・ディクセンは、分類者だった。

その彼女が初めて、分類だけでは届かないものを記録した。

その日、彼女の端末には、分類不能ではなく、分類の限界が残された。

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