第380話 命令層再接続波
セレス・バスティオンが、PT反応照合波を押し返した。
アミィは、自分の名前を言った。
レータは、その隣に立った。
ユイは、ノクスを使わずに待った。
それで、分類だけでPT達を遮断するインペリウムの試みは、一度失敗した。
だが、インペリウムは止まらなかった。
黒金の巨体を包む認証防壁の奥で、別の波が立ち上がる。
照合ではない。
識別でもない。
もっと広く、もっと深く、戦場そのものを命令へ戻そうとする波。
『命令層再接続波、展開』
『本国防衛網、再統合処理』
『手動指揮系統、命令層補助認証へ接続要求』
『支援網、再接続対象として照合』
『保護記録、再分類用コピー要求』
『カルディア・ベイ自動防衛機構、再管制準備』
『本国防衛砲台群、統合照準復旧』
ネメシア本国圏に、再び命令の線が伸び始めた。
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
リンの報告が、緊張を帯びる。
「命令層再接続波、拡大。対象はPTだけではありません」
表示画面に、赤い接続線が次々と描かれていく。
「通常軍手動指揮系統、レオン隊の通常軍回線、ルクス側支援網、PT反応照合結果、保護記録の再分類用コピー、カルディア・ベイ自動防衛機構、本国防衛砲台の統合照準。全てに再接続要求が出ています」
ジンの顔が険しくなった。
「PTを戻すだけじゃない。ネメシア防衛網全体を、命令で繋ぎ直す気か」
「はい。インペリウムは、手動指揮や支援網、保護記録まで『防衛網から外れた要素』として扱っています」
黒瀬が監査卓の表示を読む。
「命令層再接続波に、旧命令層残滓が混ざっています。前回の命令復旧処理よりも範囲が広い。ここで放置すれば、レオン隊が維持している通常軍回線も、ミオさんの支援網も、イリスさんの保護記録も命令復旧側へ引き込まれます」
艦橋の空気が重くなる。
それを切れるのは、ノクス・レクイエムだった。
だが、切ればいいという状況ではなかった。
切る対象が広すぎる。
そして、命令層再接続波の中には、守るべきものも絡んでいる。
通常軍の手動指揮。
民間区画を守るための砲台制限。
カルディア・ベイの安全停止回線。
PT達の反応。
保護記録。
それらをまとめて切れば、インペリウムは一時的に止まるかもしれない。
だが、同時に、防衛網そのものが崩壊する。
ジンは通信を開いた。
「リクト、解析状況は」
技術解析区画。
リクトは複数の表示を並べ、命令層再接続波の構造を追っていた。
隣ではアルベルトとレオニスも、帝国側の認証形式を照合している。
リクトの顔色は良くない。
だが、声は落ち着いていた。
『かなり厄介です』
彼は艦橋へ向けて答える。
『再接続波は、単独の線ではありません。インペリウム本体から出ている主線、本国認証網から折り返している補助線、旧命令層残滓による疑似命令線、エルマ評価官の再分類情報を参照する照合線が重なっています』
「切れるか」
『切るだけなら、ユイさんなら可能です。ただし、今のまま切ると、切ってはいけない線まで巻き込みます』
リクトは表示を切り替える。
『例えば、ここです』
画面に、レオン隊の通常軍回線が表示される。
『インペリウムは、この回線を命令層補助認証へ戻そうとしています。これは切るべきです。ただし、そのすぐ隣に、レオン隊が手動指揮を維持するための最低限の認証線があります。そこまで切ると、通常軍の指揮空白が広がります』
次の表示。
ミオの《ルナ・ドール・リンク》。
『ルクス側支援網にも再接続要求が来ています。これも切るべきです。ただし、支援網の保護線ごと切ると、退避路と民間区画側の防御が抜けます』
さらに、保護記録。
『イリスさんの保護記録にも、再分類用コピー要求が出ています。これを切る必要があります。ただし、保護記録の封鎖線まで裂くと、記録自体が壊れます』
ジンは眉を寄せる。
「細かく選んで切るしかない、か」
『はい。ノクス・レクイエムの段階起動が必要です。全開ではなく、指定した命令層再接続線のみを切断する形になります』
リクトの声が少しだけ硬くなる。
『そして、外部停止役が必要です。ユイさんが深く入りすぎた時に止める役です』
艦橋で黒瀬が頷いた。
「その条件は、以前に決めています」
ノクス・レクイエムの操縦席。
ユイは、リクトの解析表示を受け取っていた。
線が見える。
切るべき線。
切ってはいけない線。
だが、それらは綺麗に分かれているわけではない。
絡み合っている。
手動指揮と命令再接続。
支援網と再統合要求。
保護記録と再分類用コピー。
防衛砲台の射線制限と統合照準。
どれも、帝国が長く命令で管理してきた構造の一部だった。
ユイは、ノクスの起動キーへ手を伸ばす。
その瞬間、黒瀬の声が入った。
『ユイさん。使用条件を再確認します』
「はい」
黒瀬の声は、いつもより少しだけゆっくりだった。
『一つ。本人反応不明対象へは使用しない』
「はい」
『一つ。命令層切断以外の目的では使用しない』
「はい」
『一つ。外部停止役を必ず置く』
「はい」
『一つ。主砲級火力との連動は禁止』
「はい」
それは、第268話で決めた条件だった。
ユイが、自分の力を怖がりながらも、使うために決めた線。
ノクス・レクイエムは、壊すための力ではない。
だからこそ、条件が必要だった。
黒瀬は続ける。
『今回は、命令層再接続波の切断が目的です。攻撃対象はインペリウム本体ではなく、命令層再接続線。本人反応不明対象への使用ではありません』
リクトが補足する。
『切断対象は、解析済みの命令層再接続線に限定します。PT反応そのもの、保護記録の原本、通常軍手動指揮の最低限認証線は切断対象外です』
カナデの声も入る。
『ユイさん。もし切っている途中で、自分が一人で全部持とうとしていると感じたら、すぐに声を出してください。こちらからも止めます』
ユイは、小さく息を吸った。
「分かっています」
カイトの声が入る。
『ユイ、俺は前で道を作る。無理に急がなくていい』
「はい」
ミオの声が続く。
『切った後の空白は、こっちで受け取る準備をする。だから、全部持たないで』
「はい」
レータの声。
『再接続波がPT側へ返ってきたら、セレス・バスティオンで受けるよ』
アミィも続く。
『私も、受け止めます』
イリスの声が最後に入った。
『保護記録は、私が分けます。命令復旧用の記録には渡しません』
ユイは、目を閉じた。
以前なら、切ることばかり考えていた。
切らなければ助けられないと思っていた。
けれど今は違う。
切った後を、渡す。
受け取ってくれる人がいる。
止めてくれる人がいる。
見てくれる人がいる。
だから、切れる。
イリスは記録区画で、インペリウムから伸びる再分類用コピー要求を見つめていた。
要求は丁寧だった。
乱暴な破壊命令ではない。
保護記録の参照。
分類用複製の作成。
照合用反応値の抽出。
命令層再接続波への補助情報提供。
まるで、正当な防衛手順のように見える。
だが、イリスには分かる。
これは、保護のための記録ではない。
命令復旧へ使うための記録だ。
「保護記録、原本封鎖」
イリスは操作する。
「再分類用コピー要求、隔離」
彼女の前に、いくつもの記録が並ぶ。
アミィの声。
ユイの声。
ミオの支援記録。
セラが撃たなかった記録。
レイとリンが待った記録。
ナユが命令へ渡すためではなく、仲間のために探した記録。
レータとアミィが隣で防壁を張った記録。
それらは、命令復旧の材料ではない。
分類のための素材でもない。
生きていたことを残す記録だった。
インペリウムの再接続波が、記録区画の端に触れる。
『保護記録、再分類用コピー要求』
『対象A自己応答記録、照合補助へ提出』
『対象Y切断意思記録、危険度再評価へ提出』
イリスは、首を横に振った。
「提出しません」
静かな声だった。
「これは、命令ではありません」
保護記録の周囲に、隔離壁が立ち上がる。
命令復旧用記録と保護記録が、はっきり分けられていく。
イリスは、自分の署名を重ねた。
「私は、イリスです。この記録は、命令復旧には渡しません」
ミオは《ルナ・ドール・リンク》を再編していた。
外部防衛網切り離しのために広げた支援網は、すでに負荷が大きい。
そこへ、インペリウムの命令層再接続波が入り込もうとしている。
支援網を命令層補助管制へ戻すために。
ミオの管制を、広域管制個体として再分類するために。
それを防ぎながら、切断後の空白を受け取る準備をしなければならない。
「きつい……」
ミオは思わず呟いた。
レガロンの声が通信に入る。
『支援網を全部広げたまま受け取ろうとするな。空白が出る場所を予測して、先に器を作る』
「器?」
『そうだ。ユイが切った瞬間、そこに何もなければインペリウムが再接続を流し込む。だが、こちらが先に支援網の受け皿を置いておけば、空白は命令ではなく支援で埋まる』
ミオは表示を見た。
通常軍回線の空白はレオンが受け取る。
記録区画はイリスが守る。
PT照合波はレータとアミィが防ぐ。
ルクス側支援網と退避路保護は自分が受け取る。
全部ではない。
自分の場所だけ。
そして、他の場所は任せる。
「分かった」
ミオは、支援網を細く整え直した。
「バリスタ、防衛砲台の暴発だけ抑えて。ファランクス、退避路と民間区画側の防御壁を維持。リーフガード、切断後の支援網受け皿を準備」
管制線が、広がるのではなく、必要な場所へ絞られていく。
「ユイが切った後、すぐに受け取る」
ミオは画面の向こうへ言った。
「だから、一人で持たないで」
艦橋では、最終確認が進んでいた。
黒瀬が監査項目を読み上げる。
「ノクス・レクイエム使用目的、命令層再接続波の限定切断。承認対象は、インペリウム由来の命令層再接続線に限定」
三島が記録補助を行う。
「本人反応不明対象への使用なし。保護記録原本への使用なし。通常軍手動指揮最低限認証線への使用なし。民間区画防衛認証線への使用なし」
リクトが解析表示を更新する。
『切断対象の座標指定、完了。危険線を赤、保護線を青、受け渡し対象を白で表示します』
カナデがPT反応を確認する。
『ユイさんの心理負荷は高いですが、応答は安定しています。アミィさん、レータさん、ミオさん、イリスさんの支援準備も確認できています』
ジンは全てを聞いた。
そして、静かに言う。
「艦長承認。ノクス・レクイエム、段階起動を許可する。ただし、切断範囲は指定線のみ。逸脱が出たら即時停止」
黒瀬が続く。
「監査承認。条件付き使用を認めます」
リクトの声。
『技術承認。切断座標をノクスへ送ります』
カナデの声。
『心理支援承認。外部停止役として、反応監視を継続します』
ユイは、それらの声を聞いていた。
一つずつ、自分ではない誰かの承認が重なる。
それは命令ではない。
縛るための承認でもない。
自分一人で持たないための確認だった。
ユイは、ゆっくりと目を開く。
「今度も」
彼女は言った。
「一人では切りません」
ノクス・レクイエムの黒い光が、静かに立ち上がる。
全開ではない。
破壊のための起動でもない。
命令層再接続波だけを切るための、段階起動。
戦場に走る無数の命令線の中から、切るべき線だけを選ぶために。
ノクス・レクイエムが、再び目を開いた。




