第379話 PT反応照合波
インペリウムの認証防壁に、一つ目の穴が開いた。
ナユが本命の核を見つけ、セラが一点を撃ち、レイとリンが同時に斬り込んだ。
防壁の一層は崩れた。
黒金の巨体へ届くための、有効な進路が初めて見えた。
だが、インペリウムは後退しなかった。
むしろ、認証防壁が崩れた直後に、別の照合を始めた。
それは砲撃ではない。
空間固定フィールドでもない。
もっと深く、もっと静かに、ルクス側へ伸びてくる波だった。
『PT反応照合波、本格展開』
『対象群、再分類情報に基づき統合識別』
『対象Y、照合開始』
『対象A、照合開始』
『対象L、照合開始』
『対象M、照合開始』
『対象I、照合開始』
『対象S、対象R、関連戦闘個体群、照合開始』
戦場全体に、見えない圧力が広がった。
インペリウムは、PT達を攻撃しようとしているのではない。
まず、識別しようとしていた。
名前ではなく。
声ではなく。
帝国の分類で。
戦術演算局、パルスティア識別管理部門。
エルマ・ディクセンは、照合結果を見つめていた。
彼女の端末には、インペリウムが取得した反応値が流れている。
『対象Y:命令層切断能力保持個体』
『対象A:A系列自己応答保持個体』
『対象Lおよび対象A:相互補完型系列管理逸脱構造』
『対象M:広域管制個体』
『対象I:非命令記録生成個体』
『対象S、対象R、補助索敵・護衛個体群:判断保留型戦闘個体』
表示されているのは、彼女が提出した再分類案を元にした照合だった。
エルマは、アミィという名前を知らないわけではない。
ユイという名も、レータという名も、ミオ、イリス、セラ、レイ、リン、ナユという名も、資料として把握している。
彼女達が自分の声を持っていることも、記録上は否定していない。
だが、エルマにとって重要なのは、名前ではなく機能だった。
名前を持つA系列。
自己応答を保持したY系列。
非命令記録を生成するI系列。
広域管制へ変質したM系列。
命令射撃・命令近接から判断保留型へ移行した戦闘個体群。
名前と分類は矛盾しない。
だからこそ、危険だった。
「対象A、反応値が上昇」
部下が報告する。
「セレス・バスティオン展開準備。対象Lとの連動が確認されています」
エルマは頷いた。
「記録してください。対象A単独ではなく、対象Lとの相互補完構造として処理します」
「相互補完構造、ですか」
「はい。L系列の統率欠陥と、A系列の補完設計が、命令層外で安定しています。これは単なる救出後の情緒反応ではありません。系列管理上の逸脱です」
端末の中で、アミィの自己応答記録が流れる。
『私は、アミィです』
エルマはその音声を消さなかった。
だが、分類欄へ落とし込む。
『A系列自己応答保持音声記録』
続いて、ユイの声。
『私は、命令層を切れます。でも、壊すために切ったわけではありません』
『Y系列命令層切断意思記録』
イリスの記録。
『この記録は、命令ではありません』
『I系列非命令記録生成反応』
エルマは静かに言った。
「名前を認めることと、危険性を見逃すことは違います」
彼女の声に怒りはなかった。
むしろ、冷静だった。
「インペリウムへ用途制限を再送。照合目的は識別と遮断。再同期命令、直接再制御命令、人格消去命令は付与しない」
部下が操作する。
「送信します。ただし、インペリウム側が最終防衛規定を優先する可能性があります」
「それでも送ってください。評価は評価です。命令復旧処理とは別に扱わせる必要があります」
エルマは画面を見る。
照合波が、戦場へ伸びていく。
彼女は彼女なりに、制御不能な暴走を望んでいるわけではなかった。
だが、彼女の分類は、すでにインペリウムの攻撃の理屈になっていた。
ルクス・ヴァルキュリア艦内に、警告が走った。
「PT反応照合波、強度上昇!」
リンが声を上げる。
「対象識別が始まっています。ユイ、アミィ、レータ、ミオ、イリス、セラ、レイ、リン、ナユ、全て照合対象です!」
黒瀬が監査卓でデータを読む。
「照合内容は、エルマ・ディクセンの再分類案と一致しています。インペリウムは、彼女達を名前ではなく、系列と機能で識別しようとしています」
ジンの表情が険しくなる。
「遮断できるか」
「単純遮断は危険です。照合波に命令層残滓が混ざっています。無理に切れば、逆流する可能性があります」
リクトが通信に入る。
『現時点でノクスを使うのは危険です。照合波そのものは命令層接続ではありますが、PT全員の反応に広く触れています。今切ると、照合されている本人達へ反動が返る可能性があります』
ユイの声が、ノクス・レクイエムから返る。
『分かっています』
だが、その声には緊張があった。
ユイは切れる。
分類の線も、命令の線も、見えている。
けれど、今切れば、アミィやレータ、ミオ、イリス達の反応に直接触れてしまう。
それは、切ってはいけない。
カナデが静かに言う。
「今は、照合波を直接切るより、受け止める方がいいです。分類されても、本人の声が消えるわけではありません。まず、それを保つ必要があります」
「受け止める役は」
ジンが問う。
通信にレータの声が入った。
『こっちでやるよ』
続いて、アミィの小さな声。
『私も、やります』
ジンは一瞬だけ黙った。
それから、静かに頷く。
「ヴァルクレイド・セレス、前へ。セレス・バスティオン展開準備。ミオ、支援網で防壁補助」
『了解』
ミオが答える。
ユイは、起動キーに触れたまま、手を止めた。
今は、自分が切る場面ではない。
レータとアミィに任せる場面だった。
「お願いします」
ユイは言った。
通信の向こうで、レータが笑う。
『任された』
ヴァルクレイド・セレスが、ルクス前方へ出た。
インペリウムのPT反応照合波が、正面から押し寄せる。
最初に揺れたのは、アミィだった。
『対象A』
『A系列自己応答保持個体』
『L系列欠損補完設計由来』
『対象Lとの相互補完構造を確認』
『系列管理逸脱』
表示が、アミィの視界に重なる。
声ではない。
命令でもない。
だが、分類が彼女を包み込む。
アミィ。
その名が、すぐに別の言葉へ変換される。
対象A。
A系列。
自己応答保持個体。
相互補完構造。
逸脱。
「……また」
アミィの指が震えた。
自分は戻らないと何度も言った。
私はアミィですと、何度も言った。
それでも、帝国は彼女を分類する。
名前を知った上で。
声を聞いた上で。
それを機能へ戻そうとする。
レータの声が隣から届く。
「アミィ」
短く、名前だけ。
それだけで、アミィは息を吸えた。
「はい」
「見えてる?」
「……はい。対象A、A系列、自己応答保持個体、相互補完構造」
「ひどい言い方だね」
レータは軽く言った。
だが、その声は震えていなかった。
「こっちにも来てるよ」
レータの画面にも表示が走っている。
『対象L』
『L系列統率補助個体』
『A系列との相互補完により指揮欠陥補正』
『系列管理外安定構造』
レータはそれを見て、少しだけ眉を寄せた。
L系列の欠陥。
突発的判断ミス。
レータ逃亡後の凍結。
アミィは、L不在を補うために作られた。
その過去は、消えない。
けれど、過去が全てではない。
「アミィ」
「はい」
「防壁、張れる?」
アミィは画面を見る。
照合波は、自分達だけに向いているのではなかった。
ユイへ。
ミオへ。
イリスへ。
セラへ。
レイへ。
リンへ。
ナユへ。
それぞれを分類し、遮断対象として処理しようとしている。
「張ります」
アミィは答えた。
「私達だけじゃなくて、みんなの前に」
「うん。それでいこう」
レータはヴァルクレイド・セレスの出力を上げる。
アミィが支援波を重ねる。
《セレス・バスティオン》が展開した。
巨大な防壁が、ルクス側PT群の前へ広がっていく。
だが、これまでの防壁とは違う。
ただ攻撃を防ぐ壁ではない。
分類の波を、本人達へ直接届かせないための壁。
名前を機能へ変換する照合を、いったん受け止める壁。
レータが前線維持を担当し、アミィが照合波の揺らぎを抑える。
防壁の表面に、いくつもの分類名がぶつかった。
『対象Y』
『対象A』
『対象M』
『対象I』
『判断保留型戦闘個体』
そのたびに、アミィの胸の奥が揺れる。
だが、彼女はもう一人ではない。
隣にレータがいる。
後ろにミオの支援網がある。
通信にはカナデの声がある。
そして、ユイは今、切らずに任せてくれている。
カナデは医療・心理支援区画から、各PTの反応を確認していた。
照合波が届くたびに、反応値が跳ねる。
ユイは切断衝動を抑えている。
アミィは自己応答を保とうとしている。
レータは軽口で支えているが、L系列照合の負荷は大きい。
ミオは広域管制個体として分類され、支援網の一部にノイズが入っている。
イリスは非命令記録生成個体として照合され、記録区画への再分類要求を受けている。
セラ、レイ、リン、ナユも、判断保留型としてまとめられようとしている。
カナデは全員へ通信を開いた。
「聞いてください。分類されても、あなた達の声が消えるわけではありません」
その声は、戦場の中で不思議なほど穏やかだった。
「相手は、名前を消しているわけではありません。もっと厄介です。名前を知った上で、機能へ戻そうとしています」
アミィが息を呑む気配がした。
カナデは続ける。
「だから、否定するだけでは足りません。分類を聞いた上で、それでも自分の名前を言ってください」
ユイが小さく答える。
『私は、ユイです』
ミオが続く。
『私は、ミオ。支援個体じゃなくて、みんなが帰れる場所を残すために動いてる』
イリスの声が入る。
『私は、イリスです。この記録は、命令ではありません』
セラが短く言う。
『私は、セラ。撃つかどうかは、私が決める』
レイが続く。
『私は、レイ。斬る時を選ぶ』
リンも答える。
『私は、リンです。守るために、待つこともできます』
ナユが静かに言う。
『私は、ナユです。命令に渡すためではなく、みんなが間違えないために探します』
通信に、それぞれの声が重なった。
照合波は消えない。
だが、分類だけでは覆いきれない反応が、防壁の内側に残る。
カナデは最後に、アミィへ向けて言った。
「アミィ。あなたも」
アミィは、セレス・バスティオンの中で目を開いた。
ノクス・レクイエムの操縦席で、ユイは両手を握りしめていた。
切りたい。
分類の線が見える。
命令層残滓が混ざっている。
この波が、アミィ達を分類し、遮断し、機能へ戻そうとしている。
だから切りたかった。
だが、今切れば危ない。
レータとアミィが受け止めている波ごと裂いてしまう。
ミオの支援網にも反動が返る。
イリスの記録区画にも歪みが出る。
ユイは、起動キーに触れたまま、力を入れなかった。
カイトの通信が入る。
『ユイ』
「分かっています」
『任せるのも、戦いだ』
その言葉に、ユイは息を吐いた。
以前の自分なら、一人で切ろうとしたかもしれない。
切れるから。
自分がやらなければと思ったから。
でも今は違う。
切る時と、任せる時がある。
「はい」
ユイは、ノクスの出力を待機状態に保った。
「今は、レータさんとアミィに任せます」
その判断をした瞬間、ユイの中で、少しだけ力が抜けた。
セレス・バスティオンの前面に、インペリウムの照合波が叩きつけられる。
『対象A』
『対象A』
『対象A』
アミィの視界に、何度も同じ文字が浮かぶ。
それでも、彼女は前を見た。
レータが隣にいる。
ユイが切らずに待ってくれている。
カナデが声を届けている。
ミオが支援網で防壁の端を支えている。
イリスが記録を守っている。
なら、自分も言える。
「私は」
一度、声が震えた。
それでも、アミィは続けた。
「私は、分類ではありません」
照合波が、さらに強くなる。
対象A。
A系列。
自己応答保持個体。
相互補完構造。
分類の言葉が押し寄せる。
アミィは、それを聞いた。
逃げなかった。
聞いた上で、言った。
「私は、アミィです」
その瞬間、セレス・バスティオンの光が強まった。
レータが防壁出力を合わせる。
「そう。私の隣にいる、アミィ」
防壁が前へ押し出される。
PT反応照合波が、押し返される。
インペリウムの表示が乱れた。
『対象A、照合不安定』
『A系列自己応答保持、再分類継続』
『相互補完構造、防壁干渉』
『照合波、減衰』
ルクス艦橋で、リンが声を上げる。
「PT反応照合波、減衰! セレス・バスティオン、照合波を押し返しています!」
ジンが頷く。
「よし。今は切らずに済んだ」
黒瀬が記録を保存する。
「分類照合に対する自己応答保持、記録します」
戦術演算局では、エルマが同じ反応を見ていた。
対象Aは、再分類されてもなお、自分の名で応答した。
彼女はそれを見て、静かに記録欄へ入力する。
『対象A、自己応答保持継続』
エルマは眉を動かさない。
だが、短く呟いた。
「……分類後も、保持するのですね」
それは驚きに近かった。
否定ではない。
観測でもない。
評価者として、見落としていた条件を確認する声だった。
戦場では、セレス・バスティオンがまだ光を放っていた。
照合波は完全には消えていない。
インペリウムも止まっていない。
だが、PT達を分類だけで遮断することはできなかった。
アミィは息を荒くしながら、それでも前を見ていた。
レータが隣で笑う。
「よく言えました」
「……はい」
「次も言える?」
アミィは少しだけ迷い、それから頷いた。
「言います」
彼女の声は、まだ小さい。
だが、もう分類に飲まれてはいなかった。
「私は、アミィです」
セレス・バスティオンの光が、もう一度強くなった。
インペリウムの照合波は押し返され、ルクス側PT群の反応は、防壁の内側で保たれた。
名前は、まだ残っている。
声も、まだ消えていない。




