第376話 インペリウム起動
ネメシア中枢地下で、黒金の巨体が目を覚ました。
それは、ただの機体ではなかった。
皇帝専用機ではない。
監察局専用機でもない。
通常軍の機体でもない。
帝国本国認証網。
旧命令層残滓。
中枢防衛システム。
レグナリア軍港、カルディア・ベイ、本国防衛砲台群、無人艦管制圏、中央GD防衛線。
それらを一つに束ねるための、帝国最後の防壁。
GD-NM-00 インペリウム。
帝国が命令で秩序を保とうとした、最後の形だった。
封鎖区画の拘束架が外れていく。
赤黒い認証光が、インペリウムの装甲の隙間を走った。
重い脚部が格納床を踏みしめる。
その一歩だけで、地下区画全体が低く震えた。
『GD-NM-00 インペリウム、本格起動』
『帝国本国認証網、接続開始』
『中枢防衛システム、統合処理開始』
『旧命令層残滓、補助認証として参照』
『本国防衛砲台群、再統合』
『無人艦隊、強制再配置』
『中央GD部隊、命令再接続』
『カルディア・ベイ自動防衛機構、再起動』
『レグナリア残存部隊、強制指揮要求』
『PT反応照合波、広域展開』
『命令層再接続波、準備』
表示は、次々と増えていく。
インペリウムはまだ地上へ完全に姿を現していない。
だが、すでに戦場を動かし始めていた。
ネメシア外郭に散っていた本国防衛砲台が、一斉に再照準を開始する。
無人艦隊が、通常軍の退避路を無視して再配置される。
中央GD部隊の一部が、レオンの手動指揮から外れかける。
カルディア・ベイの補修機械群が、防衛機構として再起動し始める。
レグナリア残存部隊へ、再び強制指揮要求が流れ込む。
そして、見えない波が戦場全体を撫でた。
PT反応照合波。
ユイ、アミィ、レータ、ミオ、イリス達を、名前ではなく分類で捉えようとする波。
さらにその奥で、旧命令層残滓を使った再接続波が動き始める。
命令へ戻せ。
防衛のために束ねろ。
判断を捨て、統合管制へ戻れ。
その圧力が、ネメシア本国圏全域へ広がっていった。
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
警告音が鳴り止まない。
「本国防衛砲台群、再統合反応。照準がこちらへ向いています!」
「無人艦隊、強制再配置。通常軍退避路を塞ぐ進路です!」
「中央GD部隊の一部、命令再接続。レオン隊の手動指揮から外れかけています!」
「カルディア・ベイ自動防衛機構、再起動。補修ドローン、搬出機械、装甲輸送艇まで戦闘線へ出ています!」
リンの報告が続く。
ジンは指揮席で正面を見据えていた。
表示されるインペリウムの情報は、まだ完全ではない。
だが、危険性は十分だった。
単独の敵機として撃つなら、ルクス・ヴァルキュリアの主砲は有効かもしれない。
しかし、今のインペリウムはネメシア本国認証網に接続されている。
撃てば、インペリウム本体だけでは済まない。
本国防衛砲台群の認証網。
無人艦の管制回線。
カルディア・ベイの自動防衛機構。
ネメシア中枢地下の封鎖区画。
最悪の場合、民間区画や退避路まで連鎖的に巻き込む。
「主砲は使わない」
ジンは言った。
艦橋の空気が一段重くなる。
「艦長、インペリウム本体の防壁出力は上昇中です。主砲なしでの突破は――」
「分かっている」
ジンは遮らず、しかし揺れなかった。
「だが、撃てば首都ごと揺らす。俺達は帝国本国を焼きに来たわけじゃない」
黒瀬が監査卓から頷く。
「広域攻撃も監査承認できません。インペリウムが本国防衛網へ接続されている限り、攻撃範囲を限定できない兵装は使用不可です」
「全艦へ通達」
ジンが命じる。
「主砲封印継続。広域攻撃禁止。迎撃、防御、限定砲撃のみ許可。敵本体ではなく、接続点を見極めろ」
「了解」
リンが復唱する。
「主砲封印継続。広域攻撃禁止。接続点の見極めを優先」
ジンは、正面の黒金の識別表示を見た。
GD-NM-00 インペリウム。
帝国が最後まで命令で守ろうとしたもの。
それが、今、こちらを見ている。
ノクス・レクイエムの操縦席で、ユイは息を詰めていた。
命令層再接続波が来る。
それは、以前の再同期波とは違っていた。
アミィを戻す。
ユイを縛る。
PT達を命令へ引き戻す。
それだけではない。
ネメシア本国圏そのものを、命令で再び繋ごうとしている。
通常軍の指揮。
無人艦隊の管制。
防衛砲台の照準。
カルディア・ベイの自動機構。
ルクス側の支援網。
PT反応照合波。
保護記録。
その全てへ、再接続の圧力が伸びている。
「広い……」
ユイは小さく呟いた。
リクトの通信が入る。
『ユイさん、ノクスをまだ本格起動しないでください』
「分かっています」
『今回の再接続波は、単一の命令層線ではありません。インペリウム本体、本国認証網、旧命令層残滓、PT反応照合が重なっています。今切ると、切断波が防衛網全体へ逆流する可能性があります』
「切れる線は見えています。でも、切っていい線じゃない」
『はい。まず、どこがインペリウム本体の命令線で、どこが通常軍や民間区画を支えている認証線なのかを分ける必要があります』
ユイは目の前の表示を見つめた。
ノクス・レクイエムは、命令層を切れる。
だが、切れることと、切っていいことは違う。
ここまで何度も学んできた。
一人で切って、一人で抱えれば、また空白が生まれる。
その空白に、インペリウムは命令を流し込もうとするだろう。
「今は、待ちます」
ユイは起動キーから指を離さなかった。
だが、押し込むこともしなかった。
「切る時は、みんなに渡します」
アルタイル・ノヴァ・ブレイスのコクピットで、カイトはインペリウムを見上げていた。
まだ距離はある。
だが、その存在感は圧倒的だった。
単純な巨大さだけではない。
戦場の動きが、インペリウムを中心に変わっている。
防衛砲台の照準。
無人艦の進路。
中央GD部隊の配置。
通常軍への強制指揮要求。
全てが、あの黒金の機体へ集まっている。
「これが……帝国の最後の防壁」
カイトは操縦桿を握る。
倒す。
そう言うのは簡単だった。
だが、倒すだけなら、首都を壊しかねない。
インペリウムに接続されたものごと、全部を叩けば早いかもしれない。
けれど、それではここまで来た意味がない。
記録を届けた意味も。
アミィの声を皇帝府へ届けた意味も。
レオンが通常軍を命令から守ろうとした意味も。
リゼルが防衛網を暴走させまいとした意味も。
全てが壊れる。
通信にジンの声が入る。
『カイト』
「はい」
『インペリウムを撃破目標として扱うな。現時点では、停止対象だ』
「了解」
カイトは短く答えた。
そして、自分でも言葉を重ねる。
「倒すんじゃない。止める」
アルタイルの前方で、中央GD部隊が再配置を始める。
その一部は命令再接続に引かれ、不自然な動きをしていた。
カイトはブレードを抜く。
だが、狙うのは機体本体ではない。
強制管制ノード。
外部武装接続部。
命令再接続の受信端末。
「まずは、あいつに使われているものを外す」
アルタイルが加速した。
帝国本国中枢、防衛管制室。
リゼル・オルブライト実務官は、端末に走る警告を睨みつけていた。
「インペリウムの接続先を表示しろ。全てだ」
「表示します!」
技術官が悲鳴に近い声で応じる。
画面には、膨大な接続線が描かれた。
本国防衛砲台群。
無人艦隊。
中央GD部隊。
カルディア・ベイ自動防衛機構。
レグナリア残存部隊。
帝都外郭認証塔。
皇帝府防衛規定。
通常軍指揮系統。
そして、PT反応照合機能。
リゼルは即座に命じる。
「通常軍指揮系統への接続を遮断。レグナリア残存部隊の強制指揮要求を拒否。カルディア・ベイの自動搬出ラインを戦闘管制から外せ」
「処理しています。しかし、インペリウム側が最終防衛規定を優先しています!」
「最終防衛規定でも、民間区画と退避路を巻き込むな。防衛砲台の射線制限を手動で戻せ」
「本国防衛砲台群、一部が手動制限を受け付けません!」
「なら、その砲台の外部照準ノードを切れ。砲台本体は残す」
リゼルの声は鋭い。
だが、彼の額には汗が浮かんでいた。
インペリウムは速すぎる。
防衛管制室が一つずつ遮断しても、別の経路から再接続してくる。
まるで、ネメシア本国圏そのものが命令へ戻ろうとしているようだった。
「皇帝府への停止命令は」
「発令済みです。しかし、インペリウム側は最終防衛規定を優先。皇帝命令を上位承認としては参照していますが、停止処理には移行しません」
「皇帝命令より、設計時の最終防衛規定を優先しているのか」
「はい」
リゼルは奥歯を噛んだ。
帝国が作ったものだ。
命令で守るために。
皇帝すら、戦場の混乱時には防衛効率の一部として扱うよう設計されている。
「……何を守るつもりだ」
リゼルは低く言った。
「皇帝の命令すら聞かずに、本国を守ると言うのか」
端末は答えない。
代わりに、新たな警告だけを表示した。
『PT反応照合波、広域展開』
『対象Y、対象A、対象M、対象I、照合準備』
リゼルは顔を上げる。
「戦術演算局の再分類案を、さらに深く使う気か」
技術官が頷く。
「はい。インペリウムは、ルクス側PT群を本国防衛網干渉要因として統合識別しています」
「エルマ評価官へ用途制限を再送しろ。再分類情報を再同期や命令復旧へ使わせるな」
「送信します!」
だが、リゼルは分かっていた。
もう、インペリウムは単純な命令で止まる段階ではない。
止めるには、外側から接続を切り、内側から防衛網を受け止める必要がある。
皇帝府。
皇帝は、インペリウム起動の表示を見ていた。
中枢派官僚達が慌ただしく動く。
「停止命令、再送しています!」
「最終防衛規定が優先されています!」
「本格起動承認は、陛下の明示承認なしに成立していません。しかし、命令層主要線切断時の自動防衛規定が適用されました!」
皇帝は静かに問う。
「つまり、我々が作った規定が、我々の命令を超えているということか」
誰もすぐには答えなかった。
やがて、一人の官僚が苦しげに言う。
「非常時における本国中枢保護を最優先する設計です」
「誰を守る設計だ」
皇帝の声は大きくなかった。
だが、室内の音が止まる。
「本国中枢か。皇帝府か。命令層か。帝国か。それとも、そこで生きている者達か」
その問いに、誰も答えられない。
皇帝は画面を見る。
インペリウムは動いている。
停止命令は通らない。
それは、皇帝の力が及ばないという意味ではない。
帝国が、自分達の手でそういうものを作ったという意味だった。
「停止命令を再送し続けろ」
皇帝は言った。
「同時に、記録を残せ。インペリウムが皇帝府停止命令より最終防衛規定を優先した事実を、消すな」
「陛下……」
「記録を消すなと言った」
皇帝は静かに繰り返した。
「これも、帝国が受け取るべき記録だ」
レグナリア防衛線。
エリシオンの防壁が、強制再配置されかけた通常軍艦隊の進路を塞いだ。
レオン・グレイスナーは、全通常軍回線を維持している。
インペリウムからの強制指揮要求が、何度も通常軍回線へ流れ込む。
『統合防衛管制へ移行せよ』
『最終防衛規定に従い、指揮権を委譲せよ』
『通常軍部隊を本国防衛網へ接続せよ』
そのたびに、クラウスが拒否処理を記録し、レオンが上書きする。
「通常軍指揮権は委譲しない。各艦、手動指揮を維持しろ」
リュカのヘルメス隊が、命令に引っ張られる通常軍機の前を横切る。
『こっちです! 黒い線の方へ行かない! そっちは命令じゃなくて、飲み込み口です!』
部下の一人が叫ぶ。
『隊長、右側の艦隊がまた引っ張られてます!』
『了解! 面倒だな、もう!』
リュカは機体を反転させ、誘導信号を撒く。
エリシオンの防壁が、インペリウムの強制管制線を遮るように展開された。
だが、警告はさらに増える。
『エリシオン防壁系統、中継器指定』
『インペリウム補助防壁として接続要求』
クラウスが報告する。
『閣下、またエリシオンへの接続要求です。拒否していますが、要求強度が上がっています』
「拒否を継続」
『了解』
「全通常軍へ再通達」
レオンは通信を開く。
「インペリウムの指揮要求を、通常軍正規命令として扱うな。民間区画、退避路、救助経路を優先しろ。帝国軍は、帝国を守れ」
レオンは、ネメシア中枢地下の方向を見る。
インペリウムは帝国の防壁だ。
だが今、それは帝国軍を部品として使おうとしている。
ならば従わない。
その判断だけは、もう揺れなかった。
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
戦場の全表示が、インペリウムを中心に塗り替わっていく。
本国防衛砲台の照準が、ルクスへ向く。
無人艦隊が、退避路を塞ぐ配置から攻撃陣形へ変わる。
中央GD部隊が、命令再接続によって前進する。
カルディア・ベイの自動防衛機構が、補修機械まで戦闘線へ押し出してくる。
PT反応照合波が、ルクス側機体群へ届き始める。
ユイがわずかに息を呑む。
アミィが胸元を押さえる。
ミオの支援網に、分類照合の圧力がかかる。
イリスの記録区画にも、再分類要求が触れようとする。
ジンは全てを見た。
そして、短く命じる。
「全艦、防御姿勢」
リンが復唱する。
「全艦、防御姿勢!」
ルクス・ヴァルキュリアの防御システムが展開する。
ファランクスが前へ出る。
リーフガードが退避路と民間区画側の防御線を固める。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが前衛へ出る。
ノクス・レクイエムはまだ刃を抜かない。
ヴァルクレイド・セレスが、PT反応照合波の前に防壁を準備する。
ジンは正面を見た。
黒金の機影。
GD-NM-00 インペリウム。
帝国が命令で守ろうとした最後の形。
「これは、帝国が命令で守ろうとした最後の形だ」
ジンの声が、艦内全体へ届く。
「壊すために戦うな。止めるために進め」
その直後、ネメシア外郭の本国防衛砲台と無人艦が一斉にルクスへ向いた。
インペリウムが、本格的に動き出した。




