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第375話 インペリウム、覚醒前夜

 命令復旧処理は、ネメシア本国圏全域へ広がっていた。

 レグナリア軍港。

 カルディア・ベイ。

 本国防衛砲台群。

 無人艦管制圏。

 中央GD防衛線。

 通常軍指揮系統。

 それぞれの奥に残っていた旧命令層残滓が、インペリウム起動準備第二段階の照合波と重なり合う。

 命令層中枢は停止した。

 オルフェンは拘束された。

 皇帝は記録を消すなと命じた。

 レオン・グレイスナーは、旧命令層命令を拒否すると全通常軍回線へ告げた。

 それでも、帝国が長く使い続けてきた命令の構造は、最後にもう一度、自分自身を復旧しようとしていた。

『命令復旧処理、進行』

『通常軍防衛網、一部強制管制へ移行』

『PT反応照合機能、再分類情報接続』

『インペリウム起動準備、第三段階相当へ上昇』

 ネメシアの空に、赤い警告が重なっていく。

 防衛ではない。

 これはもう、防衛の名を借りた復旧だった。

 帝国を、命令の形へ戻すための処理だった。


 ルクス・ヴァルキュリア艦橋。

 リンの報告が、途切れることなく続いていた。

「旧命令層残滓、再接続範囲拡大。レグナリア、カルディア・ベイ、防衛砲台群、中央GD防衛線、全てに干渉反応」

「インペリウム準備照合波、上昇中。PT反応照合機能が、こちらのPT反応を捕捉しようとしています」

「通常軍側の一部に強制管制。レオン隊が手動回線で受け止めていますが、負荷が増大しています」

 ジンは指揮席で、それらを一つずつ受け止めていた。

 前方にはネメシア中枢区画への進路がある。

 だが、その道は命令復旧処理によって閉じられつつあった。

 中央GD部隊が不自然な角度で再配置される。

 無人艦隊が、通常軍の退避路を無視して前へ出ようとする。

 本国防衛砲台群の照準が、民間区画への射線制限を無視しかけている。

 カルディア・ベイの自動防衛機構は、補修用機械まで戦闘線へ押し出そうとしていた。

「艦長」

 黒瀬が監査卓から声を上げた。

「このままでは、防衛網が命令復旧処理に飲まれます。通常軍だけではなく、民間区画と退避路にも被害が出ます」

「ユイは」

「ノクス・レクイエム、起動準備中。ただし、切断対象が広すぎます」

 ジンは目を細めた。

「広すぎる、か」

「はい。命令層中枢で切った時とは違います。今回は旧命令層残滓、インペリウム準備照合、PT再分類情報、通常軍強制管制、防衛網認証が絡み合っています」

 黒瀬の声は硬かった。

「切れば、命令復旧は止まる可能性があります。ですが、その後に大きな空白が出ます」

「その空白はレオンが受け取ると言った」

「はい」

「なら、こちらも切った後を渡す準備をする」

 ジンは通信を開いた。

「ユイ。聞こえるか」

『聞こえています』

 ノクス・レクイエム待機区画から、ユイの声が返る。

 その声には緊張がある。

 だが、揺れてはいなかった。

「状況は分かっているな」

『はい。命令復旧処理が、旧命令層残滓を使って防衛網を飲み込もうとしています』

「切れるか」

 少しだけ沈黙があった。

 それから、ユイは答えた。

『切れます。でも、全部は切れません。無理に全部切れば、インペリウム準備照合へ逆流します』

「必要なところだけでいい」

『はい。通常軍強制管制、PT反応照合への命令復旧接続、カルディア・ベイ旧回線、防衛砲台の統合照準。その四つを優先します』

「ミオ、支えられるか」

『支えます』

 ミオの声が入る。

『ルナ・ドール・リンク、受け取り用に展開します。切断後の空白で無人艦と砲台が暴れないよう、撃たない領域と退避路を固定します』

「レータ、アミィ」

『聞こえているよ』

 レータの声が続く。

『ヴァルクレイド・セレス、前に出る。アミィ、いける?』

『はい』

 アミィの声は小さいが、はっきりしていた。

『セレス・バスティオンを展開します。PT反応照合波は、私達で受け止めます』

「イリス」

『保護記録と命令復旧用記録を分離しています』

 イリスが答える。

『インペリウム側が参照しようとしている再分類情報、命令復旧用記録、監察局旧回線の改竄差分を、保護記録から切り離します。保護すべき記録は渡しません』

「カイト」

『前にいます』

 アルタイル・ノヴァ・ブレイスの通信が入る。

『中枢区画への道は、俺が開けます。ユイが切る時間を作ります』

 ジンは、全員の声を聞いた。

 命令ではない返事が、艦内に重なる。

「よし」

 ジンは短く言った。

「ルクス・ヴァルキュリア、命令復旧処理の停止に入る。全員、自分の判断で動け」


 ノクス・レクイエムの操縦席で、ユイは目を閉じた。

 目の前に見えるのは、敵機の姿ではない。

 線だった。

 命令の線。

 認証の線。

 強制管制の線。

 旧命令層残滓が、ネメシア本国圏の防衛網へ絡みついている。

 その奥に、インペリウムの準備照合波がある。

 黒金の巨大な影が、まだ眠ったまま、こちらを見ているような感覚。

 ユイは息を整えた。

「ノクス・レクイエム、限定起動」

 機体の中で、黒い光が静かに立ち上がる。

 全開ではない。

 命令層中枢の時のような本格切断でもない。

 今は、細く、深く、必要な線だけを切る。

 リクトの声が通信に入る。

『ユイさん、命令層残滓の表層を指定します。深層まで切らないでください。深く入りすぎると、インペリウム封鎖条件に触れます』

「分かっています」

『切断後の空白は、ミオさんの支援網とレオン隊の通常軍指揮へ渡します。切ったまま保持しないでください』

「はい」

 ユイは目を開いた。

 ノクス・レクイエムの刃が、見えない線を捉える。

 通常軍防衛網へ流れ込む強制管制線。

 ヘルメス隊へ入ろうとする旧命令層指令。

 カルディア・ベイの自動防衛機構を命令へ戻そうとする搬出命令。

 本国防衛砲台群の統合照準。

 そして、PT反応照合機能へ流し込まれた再分類情報。

「これは、壊すためじゃない」

 ユイは静かに言った。

「命令に戻されないための切断です」

 ノクス・レクイエムの切断波が走った。


 同時に、ミオの《ルナ・ドール・リンク》が広がった。

 ただし、攻撃のためではない。

 受け取るための支援網だった。

「バリスタ、撃たない。待機」

 ミオは次々と指示を飛ばす。

「ファランクス、砲台群の暴発射線を遮断。リーフガード、退避路と民間区画の間に入って」

 防衛線の上に、青い保護領域が重なる。

 命令層残滓が切断されれば、無人艦や砲台は一瞬判断を失う。

 そこで暴走させないために、ミオはあらかじめ空白の形を作っていた。

「ここは撃たない。ここは残す。ここは動かさない」

 彼女の指先が震える。

 だが、止まらない。

「切った後、受け取るよ。ユイ、一人で持たないで」

『はい』

 ユイの返事が届く。

 ミオは息を吸い、支援網をさらに広げた。

 それは戦場を支配する力ではない。

 命令が抜けた後に、壊れないよう支える力だった。


 ヴァルクレイド・セレスが、ルクスの前方へ出た。

 レータが機体制御を握り、アミィが支援波を重ねる。

 インペリウムのPT反応照合波が、彼女達へ伸びてきた。

 対象L。

 対象A。

 相互補完構造。

 再分類情報が、照合波に乗って流れ込もうとする。

 アミィの顔が一瞬こわばった。

「また……」

 対象A。

 A系列。

 自己応答保持個体。

 分類の言葉が、彼女の奥に触れようとする。

 だが、レータの声がすぐに届いた。

「アミィ」

 名前だった。

 分類ではない。

「隣にいるよ」

「……はい」

 アミィは息を整えた。

 セレス・バスティオンの防壁が展開する。

 命令層照合波ではない。

 PT反応照合波。

 分類によって自分達を捉え、遮断し、命令復旧の障害として処理しようとする波。

 それを、レータとアミィが受け止める。

「私は、分類ではありません」

 アミィは小さく言った。

「私は、アミィです」

 防壁の光が強まる。

 レータが笑う。

「そう。それでいい」

 セレス・バスティオンが、PT反応照合波を外へ漏らさないよう包み込んだ。


 イリスは記録区画で、命令復旧用記録と保護記録を分けていた。

 インペリウム側は、記録を求めている。

 PT人格形成記録。

 再分類情報。

 命令層中枢の残存記録。

 監察局観測ログ。

 それらを統合すれば、PT達への照合精度が上がる。

 だから、渡してはいけないものがある。

 イリスは、保護記録に鍵をかける。

「これは、救出対象のための記録です」

 彼女は静かに言った。

「再分類のためではありません。命令復旧のためでもありません」

 監察局旧回線由来の改竄差分が、記録層の端に伸びてくる。

 イリスはそれを消さずに隔離した。

 改竄しようとした痕跡も残す。

 命令復旧へ使われようとしたことも残す。

 だが、原本には触れさせない。

「私は、イリスです」

 彼女は記録層に自分の署名を重ねる。

「この記録は、命令ではありません」

 保護記録が、命令復旧処理から切り離される。


 ネメシア外郭。

 アルタイル・ノヴァ・ブレイスが、中央GD部隊の前へ出た。

 カイトは、ノクスの切断波が走るまでの数秒を稼ぐため、正面の防衛線へ突っ込んだ。

 中央GD部隊の一部は、すでに強制管制に揺れている。

 動きが不自然だ。

 退避路を塞ぐ配置。

 味方ごと照準に巻き込む位置取り。

 命令で動いている。

「邪魔をするな!」

 カイトはブレードを振るう。

 だが、壊さない。

 関節部。

 外部武装接続部。

 強制管制ノード。

 それだけを斬る。

 GDが沈黙し、後退する。

 背後ではレオン隊が通常軍部隊をまとめ直していた。

 エリシオンの防壁が、強制前進させられかけた艦隊を押し留める。

 ヘルメス隊が手動回線を中継し、リュカが叫ぶ。

『こっち! 旧命令層に引っ張られてる艦は、俺達の光を追ってください! いや本当、変な命令よりこっちの方がまだ安全ですから!』

 レオンの声が全通常軍回線へ重なる。

『判断で動け。退避路を塞ぐな。民間区画を背に撃つな。旧命令層命令を受けるな』

 通常軍の一部が、強制管制から外れていく。

 完全ではない。

 だが、空白を受け取る準備が進んでいた。

 カイトは前方を見る。

 中枢区画への道はまだ遠い。

 それでも、進むための一点が見えた。

「ユイ、今だ!」


 ノクス・レクイエムの切断波が、旧命令層残滓の主要線に触れた。

 まず、通常軍強制管制線が切れる。

 次に、防衛砲台群の統合照準が分断される。

 カルディア・ベイの旧回線搬出命令が途切れる。

 PT反応照合機能へ流れ込んでいた命令復旧用の再分類接続が裂ける。

 一瞬、ネメシア本国圏の防衛網に空白が生まれた。

 その空白へ、ミオの支援網が入る。

 退避路を守る。

 砲台の暴発を止める。

 無人艦の漂流進路を整える。

 そして、レオン隊の通常軍指揮系統が、空白を受け取る。

『第三前衛隊、手動指揮へ移行!』

『ヘルメス隊、通常軍回線中継!』

『本国防衛砲台群、有人承認待機へ戻せ!』

『カルディア・ベイ自動搬出、停止確認!』

 クラウスの記録が流れる。

 リュカの誘導が飛ぶ。

 レオンの指揮が、命令ではなく判断として通常軍を繋ぎ直していく。

 ルクス側は、命令復旧を止めた。

 旧命令層残滓の主要線は切られた。

 防衛網の暴走は、一部抑え込まれた。

 だが、その瞬間。

 インペリウムの封鎖区画で、別の認証が起動した。


 帝国本国中枢、防衛管制室。

 リゼルの端末に、見たくない表示が現れた。

『旧命令層主要線、切断』

『通常防衛網、手動指揮へ移行』

『命令復旧処理、失敗』

 そこまでは、望んでいた結果だった。

 だが、次の行が表示された瞬間、リゼルの顔色が変わる。

『最終防衛条件、成立』

『命令層主要線切断時の本国中枢保護規定を適用』

『GD-NM-00 インペリウム、本格起動承認処理へ移行』

「違う」

 リゼルは思わず呟いた。

「それは違う。今の切断は、防衛網を守るためのものだ」

 技術官達が慌てて処理する。

「停止命令を送ります!」

「皇帝府からも命令復旧停止指示が来ています!」

「ですが、インペリウム側が最終防衛規定を優先しています。命令層主要線が切断された場合、本国中枢を防衛するため自動起動へ移行する設計です!」

 リゼルは歯を食いしばった。

 監察局残党と中枢派は、命令復旧を強行した。

 それを止めるために、ユイが切った。

 レオンが空白を受け取った。

 ミオが支援網で支えた。

 リゼルも遮断した。

 皇帝も止めるよう命じた。

 それでも、帝国の最終防衛機構は、命令層主要線の切断を本国中枢への最大危機と判断した。

 つまり、ルクス側は暴走を止めた。

 だが、その結果、帝国最後の防壁を目覚めさせてしまった。


 皇帝府にも、同じ表示が届いていた。

『GD-NM-00 インペリウム、本格起動処理開始』

 側近達が騒然となる。

「停止命令を!」

「既に送っています。しかし、最終防衛規定が優先されています」

「命令復旧処理を止めた結果、起動条件が成立したというのか」

 皇帝は、静かに画面を見ていた。

 自分が保持を許した最終防衛機構。

 帝国が、命令で秩序を守ろうとした最後の形。

 それが今、皇帝の命令すら超えて動こうとしている。

 皇帝は低く命じた。

「起動を止めよ」

 だが、画面の表示は変わらない。

『最終防衛規定、優先』

『本国中枢保護処理、開始』

 皇帝は目を伏せなかった。

 それは、帝国が自ら作ったものだった。

 そして今、その責任が形を持って目を覚まそうとしていた。


 ネメシア中枢地下、封鎖区画。

 重い扉が、一つずつ開いていく。

 封印表示が赤から黒へ変わる。

 冷却装置が唸りを上げる。

 巨大な格納空間の奥で、黒金の巨体に光が走った。

 眠っていた装甲の隙間に、深い赤の線が灯る。

 周囲の補助装置が一斉に起動し、インペリウムの機体を支える拘束架が外れ始める。

 表示される識別名。

『GD-NM-00 インペリウム』

『本格起動』

 防衛管制室で、リゼルが呟いた。

「……起きてしまった」

 その声は、誰に向けたものでもなかった。

 レグナリア防衛線では、レオンが同じ表示を見ていた。

 彼は一瞬だけ目を閉じ、それから全通常軍回線を開いた。

『全通常軍へ』

 その声が、戦場に響く。

『民間区画を守れ。退避路を確保しろ。インペリウムの照合波に飲まれるな』

 クラウスが記録し、リュカが中継する。

 レオンは続けた。

『ここから先は、防衛戦ではない』

 通常軍の誰もが、その意味をすぐには理解できなかった。

 だが、レオンは理解していた。

 インペリウムが起動すれば、これはルクス対帝国通常軍の戦いではなくなる。

 帝国が作った最後の命令構造を止める戦いになる。


 ノクス・レクイエムの操縦席で、ユイは目を開いた。

 切断の反動で、呼吸が浅い。

 だが、意識はある。

 正面の表示に、黒金の機影が映る。

 GD-NM-00 インペリウム。

 帝国本国認証網。

 命令層残滓。

 中枢防衛システム。

 PT反応照合機能。

 それらを統合した、帝国最後の防壁。

「命令で守る最後の形……」

 ユイは小さく呟いた。

 命令層中枢を止めた。

 命令復旧処理も切った。

 それでも、帝国にはまだ残っていた。

 命令で守ることを、最後までやめられなかった形が。

 通信越しに、カイトの声が届く。

『ユイ』

「聞こえています」

『あれが、次か』

「はい」

 カイトは、アルタイル・ノヴァ・ブレイスの操縦席で前を見据えていた。

 ネメシア中枢地下から、黒金の巨体がゆっくりと起き上がる。

 その存在だけで、戦場全体の空気が変わった。

 通常軍も、ルクスも、リゼルも、レオンも、皇帝府も。

 全てを見下ろすように、インペリウムが覚醒していく。

 カイトは操縦桿を握った。

「なら、止める」

 その声は静かだった。

「今度も、壊すためじゃなく」

 ユイは頷く。

「はい」

 ルクス・ヴァルキュリアの艦橋で、ジンが正面を見た。

 黒瀬が記録を開く。

 ミオが支援網を再編する。

 レータとアミィがセレス・バスティオンを維持する。

 イリスが、インペリウム起動の記録を残す。

 リゼルは防衛管制室で、暴走を抑える手段を探す。

 レオンは通常軍を命令から守るために指揮を続ける。

 皇帝は、自らの帝国が作った最後の防壁を見つめる。

 そして、ネメシア中枢地下で、インペリウムが完全に目を覚ました。

 黒金の巨体が、ゆっくりと動き出す。

 帝国が命令で守ろうとした最後の形。

 その最終決戦が、始まろうとしていた。

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