第374話 レオンの最終判断
ネメシア全域に、旧命令層の警告が走った。
『命令復旧処理、開始』
その文字は、帝国本国圏のあらゆる防衛端末に表示された。
レグナリア軍港。
カルディア・ベイ。
本国防衛砲台群。
無人艦管制圏。
中央GD防衛線。
そして、通常軍の指揮系統にまで。
命令層中枢は停止したはずだった。
監察局単独処理は禁止されたはずだった。
皇帝は記録を消すなと命じたはずだった。
それでも、帝国が長く依存してきた命令の残骸は、最後にもう一度、全てを飲み込もうとしていた。
エリシオンの内部に、警告が連続して響いた。
『旧命令層残滓、接続要求』
『インペリウム予備接続、承認待機』
『エリシオン防壁系統、中継器指定』
『外縁方面軍第七機動戦隊、統合管制候補』
レオン・グレイスナーは、指揮座で表示を見据えていた。
警告は一つではない。
拒否しても、別経路から再要求が来る。
防壁系統。
通信系統。
機体認証。
通常軍指揮回線。
エリシオンという機体そのものを、インペリウム起動準備の一部として組み込もうとしている。
クラウス・ベルガーの声が硬くなる。
『閣下、強制接続要求が増加しています。通常軍指揮系統の一部が、インペリウム側へ吸われかけています』
「被害範囲は」
『レグナリア残存部隊の一部、中央GD部隊の有人管制機、ヘルメス隊の後方通信網。それと、我々のエリシオン防壁系統です』
クラウスは、次の表示を拡大した。
『命令に従えば、通常軍側の指揮権は一時的に統合防衛管制へ移ります』
「一時的、か」
『名目上は』
クラウスの声には、はっきりと警戒があった。
『ですが、旧命令層残滓とインペリウム準備照合が重なっています。一度接続されれば、通常軍指揮系統がインペリウム側へ吸収される可能性があります』
「戻せなくなるか」
『保証できません』
レオンは短く息を吐いた。
保証できない。
この状況で、それはほとんど否定に近い。
接続すれば早い。
命令で動かせば、迷いは消える。
艦隊も、砲台も、GDも、無人艦も、一つの意思で動く。
それが帝国の強さだった。
だが、その強さは、今、帝国自身を飲み込もうとしている。
「リュカ」
レオンは通信を開いた。
「ヘルメス隊の状態は」
『まあ、最悪一歩手前ですね』
リュカ・ヴァレンの声が返る。
いつもの軽口に近いが、その奥には緊張がある。
『後方二機に強制指令が入りました。即座に通信ノードを切って回避。今は全機、旧命令層系統を遮断中です』
「損耗は」
『機体損傷は軽微。隊員は無事です。ただ、さっきの指令文、ひどいですよ』
「内容は」
『ヘルメス隊をPT反応誘導のための高速中継群として再配置、だそうです。つまり俺達をルクス側PTの餌にして、反応を拾うつもりだったみたいですね』
リュカは軽く笑った。
『これ、命令じゃなくて乗っ取りですよ』
レオンは、その言葉を否定しなかった。
命令。
統合。
防衛。
どの言葉を使っても、実際に起きているのは乗っ取りだった。
通常軍の判断を奪い、機体を部品にし、兵を中継器にし、帝国を守るという名目で帝国軍そのものを命令層の残骸へ差し出そうとしている。
「全機に伝えろ」
レオンは言った。
「旧命令層由来の強制指令は受けるな。必要なら通信を落としてもいい。隊を散らせ」
『了解』
リュカの声が、少しだけ軽くなる。
『隊長がそう言うなら、安心して逃げます』
「逃げるな。位置を変えろ」
『はいはい、位置を変えます』
通信が切れる。
クラウスが、記録を更新しながら言った。
『閣下。現状では、拒否処理だけでは足りません』
「分かっている」
『旧命令層残滓を切断した場合、防衛網に空白が生じます。レグナリア、カルディア・ベイ、砲台群、通常軍艦隊。命令で束ねられていた部分が一斉に抜け落ちる可能性があります』
「その時、誰かが指揮を受け取らなければならない」
『はい』
クラウスは静かに言った。
『受け取れなければ、ネメシア本国圏の防衛網は崩壊します。ルクス側が命令層を切るとしても、その後を誰も持たなければ、被害は本国全域へ広がります』
レオンは目を閉じなかった。
正面の戦場を見続ける。
ルクス・ヴァルキュリアは進んでいる。
カイトのアルタイルが前に出ている。
ユイのノクス・レクイエムは、まだ本格起動していない。
だが、おそらく必要になる。
旧命令層残滓とインペリウム準備照合が重なり、命令復旧処理が始まった以上、どこかで切らなければならない。
切れば空白が生まれる。
命令が抜けた場所に、混乱が生まれる。
その混乱を、誰が受け止めるのか。
ルクスではない。
ルクスが受け取れば、それは帝国本国圏を外部勢力が管制することになる。
リゼルだけでも足りない。
彼は本国中枢を守っているが、現場の通常軍指揮までは届かない。
ならば、通常軍側に必要だ。
命令ではなく、判断で部隊を動かす者が。
レオンは、自分の手元の指揮卓を見た。
外縁方面軍。
第七機動戦隊。
レグナリア防衛線で戦っている通常軍部隊。
ヘルメス隊。
エリシオン。
それらを守る責任は、自分にある。
そして今、その責任は、本国圏全体の通常軍指揮へ広がろうとしていた。
「クラウス」
『はい』
「記録しろ」
『内容は』
レオンは、ゆっくりと言った。
「旧命令層切断後の通常軍指揮空白を、外縁方面軍第七機動戦隊が暫定的に受け取る。目的は、ネメシア本国圏防衛網の崩壊防止、通常軍部隊の自律指揮維持、民間区画および退避路保護」
クラウスは、わずかに目を見開いた。
『閣下、それは』
「越権だな」
『はい』
「だが、誰かがやらねばならない」
レオンは正面を見たまま続けた。
「皇帝府へも、防衛管制室へも記録を送れ。リゼル実務官に優先転送。監察局旧回線には通すな」
『了解』
クラウスは指を動かす。
記録が作成され、同時に複数の安全経路へ送られていく。
レオンは、通信回線を切り替えた。
「ルクス・ヴァルキュリアへ通信を開け」
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
警告音が鳴り続けている。
「旧命令層残滓の再接続、拡大中。インペリウム準備照合波、上昇しています」
リンが報告する。
「通常軍側の一部に強制管制反応。レオン隊は拒否処理を継続中です」
黒瀬が記録を確認する。
「レオン隊から、防衛管制室および皇帝府へ記録送信。旧命令層切断後の通常軍指揮空白を、外縁方面軍第七機動戦隊が暫定的に受け取る、とあります」
ジンは目を細めた。
「レオンが決めたか」
その時、通信が入った。
「エリシオンより通信。レオン・グレイスナーです」
「開け」
艦橋中央に、レオンの通信窓が開いた。
彼の背後には警告表示がいくつも出ている。
エリシオンもまた、強制接続に晒されているのだろう。
それでも、レオンの声は揺れていなかった。
『ジン艦長』
「聞いている」
『状況は理解しているか』
「命令復旧処理が始まった。旧命令層残滓、インペリウム準備照合、PT再分類案、通常軍強制管制が重なっている」
『ならば話が早い』
レオンは短く言った。
『命令層を切るなら切れ』
艦橋が一瞬、静まった。
ユイの通信回線も、その言葉を拾っていた。
ノクス・レクイエム待機区画で、彼女の手がわずかに止まる。
レオンは続けた。
『その後の通常軍指揮は、私が受け取る』
ジンは黙ってレオンを見た。
『勘違いするな。ルクスに味方するわけではない。帝国本国圏を、お前達に明け渡すつもりもない』
「分かっている」
『命令層を切れば、空白が生まれる。防衛網は揺らぐ。通常軍部隊は、一瞬、命令も管制も失う。その時、誰かが判断を渡さなければ、ネメシアは混乱する』
「その役を、お前がやると」
『そうだ』
レオンの声は静かだった。
『帝国通常軍として、私が受け取る』
ジンは、少しだけ息を吐いた。
レオンは敵だ。
今もルクスの進路を塞いでいる。
だが、この判断は本物だった。
命令層を切るには、その後を受け取る場所が必要になる。
ルクスだけではできない。
帝国側に、命令ではなく判断で動く者が必要だった。
「黒瀬」
ジンが呼ぶ。
「レオン隊の宣言、記録済みです。監査上、命令層切断後の通常軍指揮受け取り先として扱えます。ただし、完全な信頼ではなく、限定協定扱いです」
「十分だ」
ジンはレオンを見る。
「こちらも確認する。これは共闘ではない」
『当然だ』
「ルクスは記録と証言を届けるために進む。帝国本国圏の占領は目的ではない」
『その言葉も記録する』
「構わない」
通信窓の向こうで、レオンが小さく頷いた。
『ならば、切れ。こちらは受け取る準備をする』
アルタイル・ノヴァ・ブレイスのコクピットで、カイトはその通信を聞いていた。
レオンが言った。
命令層を切るなら切れ。
その後を自分が受け取る、と。
それは、ルクスへの降伏ではない。
味方になるという宣言でもない。
むしろ、帝国本国圏をルクスに渡さないための判断だった。
それでも、カイトは胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。
「レオン」
『何だ』
「帝国を守るって、少し答えが出ましたか」
通信の向こうで、レオンはしばらく黙った。
戦場の警告音が、二人の間を流れる。
『完全な答えではない』
レオンは言った。
『帝国は、命令だけではない。だが、命令なしで全てが立てるほど簡単でもない』
「はい」
『それでも、部品にされる者を守らずに、帝国を守るとは言えない』
カイトは、その言葉を受け止めた。
『だから、私は通常軍を受け取る。命令ではなく、判断で動かす』
「分かりました」
カイトはアルタイルのブレードを構え直した。
「俺達は、切った後を渡します」
『渡されるつもりはない。こちらが受け取るだけだ』
レオンらしい言い方だった。
カイトは少しだけ笑った。
「それで十分です」
通信が切れる。
アルタイルの正面で、エリシオンの防壁が動いた。
完全に退いたわけではない。
だが、ルクスの進路を塞ぐためだけの形ではなくなっている。
強制管制に巻き込まれかけた通常軍部隊を守り、命令層切断後の空白を受け止めるための位置へ移り始めていた。
カイトは、その背中を見る。
敵だ。
だが、今この瞬間、同じものを止めようとしている。
命令に戻ろうとする力を。
帝国本国中枢、防衛管制室。
リゼルは、レオン隊から送られた宣言記録を受け取った。
『旧命令層切断後の通常軍指揮空白を、外縁方面軍第七機動戦隊が暫定的に受け取る』
『通常軍部隊の自律指揮維持』
『民間区画および退避路保護』
『インペリウム強制管制への従属拒否』
リゼルは、その文面を見て、わずかに息を吐いた。
「レオン・グレイスナー……」
技術官が問う。
「リゼル実務官、これを承認しますか」
「正式承認権限は皇帝府にある」
「では」
「だが、防衛管制室として暫定認証する」
リゼルは即座に判断した。
「通常軍指揮空白の受け取り先として、外縁方面軍第七機動戦隊の回線を保護。監察局旧回線とインペリウム強制管制から分離しろ」
「了解」
「皇帝府へも送れ。判断が遅れれば、現場が先に崩れる」
「はい」
リゼルは、ネメシア全域の戦況図を見た。
まだ間に合うかは分からない。
命令復旧処理は始まっている。
インペリウム起動準備は強制的に進んでいる。
PT反応照合機能にはエルマの再分類案が接続されている。
それでも、通常軍側に受け取り先ができた。
命令を切った後の空白を、帝国側の誰かが持とうとしている。
それは小さな変化ではなかった。
エリシオンの指揮座で、レオンは全通常軍回線を開いた。
クラウスが最後の確認を行う。
『全通常軍回線、開きます。ただし、旧命令層残滓による妨害があります』
「構わん。届く範囲に届ける」
『記録します』
リュカの声も入る。
『ヘルメス隊、拡散中継に入ります。旧命令層に拾われないよう、通常軍手動回線だけで飛ばします』
「頼む」
『任されました』
レオンは深く息を吸った。
帝国軍人として。
外縁方面軍指揮官として。
エリシオンの搭乗者として。
そして、命令の部品にされかけた通常軍を守る者として。
彼は全通常軍回線へ告げた。
「こちら、外縁方面軍指揮官、レオン・グレイスナー」
戦場の各所で、その声が届く。
レグナリアの艦橋。
ヘルメス隊。
中央GD部隊の有人管制機。
退避中の通常軍艦。
カルディア・ベイ周辺の防衛部隊。
命令復旧処理に揺れる通常軍回線へ、レオンの声が割り込んだ。
「以後、外縁方面軍第七機動戦隊は、旧命令層命令を拒否する」
クラウスが記録を残す。
リュカが中継を広げる。
エリシオンの防壁が、通常軍部隊を強制管制線から守るように展開される。
「監察局旧回線、未承認の中枢派緊急命令、インペリウム強制管制要求。これらを通常軍正規命令として扱うな」
レオンの声は、静かだが強かった。
「帝国軍は、帝国を守れ」
その言葉に、いくつもの艦が反応する。
強制管制に引かれかけていた進路が、わずかに戻る。
ヘルメス隊が照合波を避け、通常軍機を誘導する。
クラウスが、動ける部隊から順に手動指揮系統へ接続していく。
レオンは最後に言った。
「命令ではなく、判断で動け」
その瞬間、旧命令層残滓の警告がさらに強くなった。
インペリウムの準備照合波も、明確にレオン隊を障害として認識し始める。
だが、レオンは回線を閉じなかった。
命令復旧処理が帝国を飲み込もうとする中で、通常軍の一部が、初めて命令ではなく判断で動き始めた。




