第373話 最後の命令復旧
皇帝府に、ルクス側の証言記録は残された。
アミィの声。
ユイの声。
イリスの記録。
オルフェン証言。
レオン隊の監察局越権証拠。
皇帝は、それを消すなと命じた。
だが、その命令は、帝国本国圏の全てを止めるものではなかった。
防衛は継続されている。
インペリウム起動準備第二段階も撤回されていない。
ルクス・ヴァルキュリアは中枢区画へ向けて進み続けている。
通常軍はそれを止めようとしている。
そして、皇帝の慎重判断にしびれを切らした者達がいた。
監察局残党。
中枢派の一部。
彼らにとって、証言が残されたことは敗北ではない。
まだ、命令を復旧できる。
帝国を、再び命令で動かせる。
そう信じている者達が、最後の手を伸ばし始めた。
帝国本国中枢、封鎖下層認証室。
正規の防衛管制室からは切り離された、古い命令層補助端末が並んでいた。
かつては、命令層中枢とネメシア本国防衛網をつなぐ予備認証用として使われていた区画。
命令層中枢が停止した今、本来なら完全封鎖されているはずだった。
だが、いくつかの端末に光が戻っている。
監察局残党の技術官が、低い声で報告した。
「旧命令層残滓、接続可能範囲を確認。レグナリア、カルディア・ベイ、本国防衛砲台群、中央GD防衛線に断続的な参照経路があります」
中枢派官僚の一人が、焦りを隠さずに言う。
「皇帝陛下は本格起動を認めなかった。だが、ルクスはもう外郭を越えつつある。このままでは中枢区画へ到達する」
「通常軍だけでは止められません」
別の官僚が続ける。
「レオン・グレイスナーは優秀ですが、判断が遅すぎる。彼は軍港も兵も残そうとする。だからルクスに道を作られる」
監察局残党の一人が、冷たく言った。
「命令で動かせば、遅れは消える」
その言葉に、室内の空気が変わる。
命令で動かす。
それは、帝国が長く使ってきた答えだった。
迷う者を迷わせない。
判断の遅れをなくす。
兵を配置し、艦を動かし、砲台を撃たせ、無人艦を進ませる。
命令層中枢が停止しても、残滓はまだある。
インペリウムも、起動準備第二段階に入っている。
ならば、それらをつなげばいい。
危険であっても。
暴走の可能性があっても。
ルクスを止めるには、それしかない。
「エルマ評価官の再分類案は」
「戦術演算局より参照許可済みです」
「直結は」
「リゼル実務官が拒否しています」
中枢派官僚が唇を歪めた。
「彼は何でも止める」
「しかし、PT反応照合機能には必要です」
監察局残党の技術官が言った。
「対象Y、対象A、対象M、対象I。旧系列分類では、照合精度が不足します。エルマ評価官の再分類案を直結すれば、インペリウムは彼女達を防衛網干渉要因として識別できます」
「ならば、直結しろ」
「正式承認はありません」
「本国防衛緊急処理として進める」
その言葉は、命令ではなく、言い訳に近かった。
だが、端末はそれを受け付け始めた。
『旧命令層残滓、再接続準備』
『インペリウム起動準備第二段階、強制進行要求』
『PT再分類案、反応照合機能へ接続準備』
『通常軍防衛網、一部強制管制回帰処理』
封鎖下層認証室の光が、暗い赤へ変わっていく。
戦術演算局、解析室。
エルマ・ディクセンは、強制接続要求を見ていた。
要求元は正規の防衛管制ではない。
リゼルの承認もない。
皇帝府の完全承認もない。
だが、インペリウム起動準備第二段階の中に、戦術演算局のPT反応照合準備が含まれているのは事実だった。
そして、その照合には再分類案が必要になる。
端末には、判断を求める表示が出ている。
『PT再分類案を限定照合機能へ接続しますか』
エルマは、しばらく表示を見つめた。
危険性は理解している。
旧命令層残滓が不安定なことも知っている。
カルディア・ベイが何度も命令層へ戻ろうとしたことも確認している。
リゼルが接続を拒んだ理由も、理屈としては分かる。
だが、彼女の評価は変わらなかった。
対象Yは命令層切断能力を持つ。
対象Aは命令層外で自己応答を保持し、再同期を拒否する。
対象Mは広域管制能力で防衛線を削る。
対象Iは帝国記録形式を揺らす非命令記録を生成する。
通常防衛網だけでは不十分。
個別迎撃では間に合わない。
ならば、PT反応照合機能で識別し、遮断する必要がある。
エルマは狂っているわけではない。
怒りに任せているわけでもない。
彼女の中では、これは評価として正しい判断だった。
「接続範囲を限定」
エルマは端末に入力する。
「再分類案を、PT反応照合の識別層へ接続。再同期命令、直接再制御命令は付与しない。防衛網からの遮断を目的とする」
端末が確認を返す。
『警告:旧命令層残滓との混線可能性』
『警告:インペリウム準備照合との統合時、分類情報が強制管制へ拡張される可能性』
エルマの指が止まる。
可能性はある。
だが、ルクスは進んでいる。
アミィの声も、ユイの声も、イリスの記録も、彼女は聞いた。
聞いた上で、結論は変わらない。
名前と分類は矛盾しない。
名前を持つ危険個体を、分類し、遮断する。
それが彼女の理屈だった。
「承認」
エルマは静かに入力した。
戦術演算局の再分類案が、インペリウムのPT反応照合機能へ流れ込む。
対象Y。
対象A。
対象L/A相互補完構造。
対象M。
対象I。
対象S/R。
それらが、帝国本国防衛網の奥へ接続されていった。
帝国本国中枢、防衛管制室。
リゼル・オルブライト実務官は、異常をすぐに検出した。
「何だ、この接続は」
警告表示が一斉に開く。
『旧命令層残滓、再接続試行』
『レグナリア軍港防衛網、強制管制要求』
『カルディア・ベイ自動防衛機構、命令層参照再開』
『本国防衛砲台群、統合照合へ移行準備』
『PT反応照合機能、戦術演算局再分類案と接続』
リゼルの顔色が変わった。
「誰が許可した」
技術官が慌てて照合する。
「正式な防衛管制承認はありません。皇帝府の本格起動承認も出ていません。ですが、複数の緊急防衛処理が束ねられています。中枢派の一部と、監察局旧回線、戦術演算局の識別承認が混在しています」
「エルマ評価官の系統か」
「PT反応照合への再分類案接続は、戦術演算局からの承認です。ただし、旧命令層残滓の再接続とは別処理のはずです」
「別で済むわけがない」
リゼルは即座に遮断命令を出す。
「PT反応照合機能と旧命令層残滓を分離しろ。レグナリア、カルディア・ベイ、防衛砲台群への同時再接続を止める。通常軍防衛網の強制管制も遮断」
「処理します!」
技術官達が一斉に端末を操作する。
だが、接続は予想以上に速かった。
旧命令層残滓は、命令層中枢ほど強くない。
しかし、命令で動くことに慣れた防衛網には、まだ深く根を残していた。
カルディア・ベイの自動搬出ライン。
レグナリア軍港の無人艦補助管制。
本国防衛砲台の統合照準。
中央GD部隊の配置命令。
それぞれが、命令へ戻る道を探していた。
「第七建造区画、再び旧回線へ接続!」
「本国防衛砲台群、統合照準へ移行しようとしています!」
「レグナリア残存部隊の一部に、通常軍指揮系統外の命令が流入!」
リゼルは歯を食いしばった。
今までは、個別に遮断できた。
だが今回は違う。
監察局残党と中枢派が、意図的に複数の接続を同時に走らせている。
一つを止めれば、別の経路から流れ込む。
さらに、エルマの再分類案がPT反応照合へ直結されたことで、インペリウム側の準備照合がルクス側PT達を明確な遮断対象として認識し始めている。
「インペリウム本体は」
「まだ完全起動していません。ただし、補助装置の反応が上昇。起動準備第二段階が、第三段階相当へ押し上げられつつあります」
「強制進行か」
リゼルは低く言った。
そして、すぐに皇帝府への緊急回線を開く。
「こちらリゼル・オルブライト。防衛管制室より皇帝府へ緊急報告。監察局旧回線および中枢派一部が、命令復旧処理を強行しています。インペリウム起動準備が、正式承認なしに進行中」
返答を待つ余裕はなかった。
リゼルはさらに命じる。
「遮断を続けろ。旧命令層回線を戻すな。通常軍指揮系統を守れ」
レグナリア防衛線。
エリシオンの内部で、レオンは異変を感じ取った。
通常軍艦隊の一部が、命令なしに陣形を変え始めている。
ヘルメス隊の識別表示に、別系統の管制線が重なった。
中央GD部隊の一部が、レオンの指揮を迂回して前進しようとしている。
クラウスの声が飛ぶ。
『閣下、通常軍防衛網に強制管制が流入しています! 発信元は本国中枢正規系統ではありません。旧命令層残滓を経由しています!』
「やはり来たか」
レオンはエリシオンの防壁を維持したまま、指揮系統を確認する。
警告表示が赤く染まる。
『インペリウム予備接続要求』
『エリシオン防壁系統を中継器として使用』
『外縁方面軍指揮権、一時統合管制へ移行要求』
レオンの表情が険しくなった。
「拒否しろ」
『拒否処理を実行。しかし、別経路から再要求が来ています』
「リュカ!」
『はいはい、嫌な感じがしたので逃げ始めてます!』
リュカの声が返る。
だが、軽口の奥に緊張がある。
『ヘルメス隊の後方二機に、強制管制がかかりかけました。通信ノードを落として離脱中です』
「全機、命令層由来の管制線を切れ。必要なら通信を落としても構わん」
『了解! いや、本当に面倒くさいですね、味方の命令を避けながら敵と戦うの!』
「黙って飛べ」
『はい!』
クラウスが続ける。
『第三前衛隊、一部が強制前進命令を受けています。ルクス側PT反応を誘導する囮配置です』
「下げさせろ」
『命令が上書きされています』
「ならば、こちらから物理的に進路を塞ぐ」
レオンはエリシオンを動かした。
ルクスの進路を塞いでいた機体が、わずかに角度を変える。
カイトのアルタイルが、その変化に反応する。
『レオン?』
「勘違いするな。お前達を通すためではない」
レオンは通信を開いたまま言った。
「通常軍を囮にする命令を止める」
エリシオンの防壁が、強制前進させられかけた通常軍部隊の前に展開された。
命令に押し出されていた艦隊が、防壁に遮られて進路を止める。
ルクス側から見れば、それは一瞬だけ、レオンが自分達への防壁を薄くしたように見えた。
だが、カイトはすぐに理解した。
レオンは、敵を助けたのではない。
味方を部品にしないために動いたのだ。
『そっちは、まずいんですね』
「かなりな」
レオンは短く返した。
「中枢派と監察局残党が命令を戻そうとしている」
カイトの表情が変わる。
『命令を……戻す?』
「旧命令層残滓、インペリウム、再分類案、通常軍管制。全部をつなげる気だ」
通信の向こうで、カイトが息を呑む気配があった。
レオンは続けた。
「私はまだ、お前達を通す気はない。だが、この命令には従わない」
そして、クラウスへ告げる。
「命令拒否の記録を残せ。強制管制流入、旧命令層残滓、インペリウム予備接続要求。全てだ」
『了解。記録します』
レオンは正面を見る。
戦場が変わり始めている。
ルクス対通常軍ではなくなりつつある。
帝国本国圏そのものが、命令へ戻ろうとしている。
その中で、通常軍の指揮を守れる時間は長くない。
戦術演算局。
エルマの端末にも、警告が走っていた。
『再分類案、PT反応照合機能へ接続完了』
『警告:旧命令層残滓と照合層が混線』
『警告:遮断対象識別が強制管制処理へ拡張』
『警告:インペリウム起動準備、第三段階相当へ移行中』
エルマは、表示を見つめた。
彼女は再同期命令を出したつもりはなかった。
直接再制御を承認したつもりもない。
彼女が認めたのは、識別と遮断のための分類接続だった。
だが、旧命令層残滓とインペリウム準備照合が重なったことで、その分類が別の意味を持ち始めている。
対象Y。
対象A。
対象M。
対象I。
それらが、防衛網干渉要因としてではなく、命令復旧処理の障害として扱われようとしていた。
つまり、遮断では足りない。
命令へ戻せ。
排除せよ。
管制せよ。
分類が、命令の材料に変わり始めている。
エルマは眉を寄せた。
「接続範囲を限定したはずです」
補助官が答える。
「旧命令層残滓側が、分類情報を命令復旧処理へ取り込んでいます。こちらからの制限が上書きされています」
「切り離しは」
「防衛管制室から遮断要求が来ています。ただし、中枢派系統が緊急防衛処理として保持しています」
エルマは、数秒だけ黙った。
自分の評価は正しい。
PT達は危険だ。
通常防衛網では不十分だ。
インペリウムの照合機能は必要だ。
その考えは、まだ変わっていない。
だが、評価と命令復旧は同じではない。
少なくとも、彼女はそう考えていた。
「再分類案の直接再制御使用を禁止する制限を再送します」
「受け付けられない可能性が高いです」
「それでも送信」
エルマは端末を操作する。
『再分類情報の用途制限:識別、遮断に限定』
『再同期、直接再制御、命令復旧処理への使用を禁止』
送信。
だが、返ってきた表示は冷たかった。
『命令復旧処理中』
『用途制限、保留』
エルマは、初めて明確に表情を硬くした。
彼女の理屈が、別の理屈に飲み込まれ始めている。
ネメシア本国圏全域に、警告が走った。
レグナリア軍港。
カルディア・ベイ。
本国防衛砲台群。
中央GD防衛線。
無人艦管制圏。
帝都外郭認証塔。
それぞれの端末に、同じ文字が表示される。
『旧命令層残滓、再接続』
『インペリウム起動準備、強制進行』
『通常軍防衛網、一部強制管制へ移行』
『PT反応照合機能、再分類情報接続』
そして最後に、古い命令層形式の警告が浮かび上がった。
『命令復旧処理、開始』
防衛管制室で、リゼルの顔色が変わる。
「やめろ」
彼は即座に遮断命令を重ねる。
だが、警告は消えない。
命令層中枢は止まったはずだった。
オルフェンは拘束された。
監察局単独処理は禁止された。
皇帝は記録を消すなと命じた。
それでも、命令に戻ろうとする構造は残っていた。
帝国が長く頼ってきた仕組みが、最後にもう一度、全てを命令へ戻そうとしている。
リゼルは画面を睨みつけ、低く叫んだ。
「やめろ。それは防衛ではない」
だが、ネメシア全域の警告は鳴り止まなかった。
命令復旧処理は、始まってしまった。




