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第372話 皇帝への証言

 ネメシア外郭防衛圏では、まだ戦闘が続いていた。

 ルクス・ヴァルキュリアは中枢区画へ向かう道を進み、通常軍はそれを止めようとしている。

 レオン・グレイスナーは帝国軍人として立ちはだかりながら、インペリウム予備接続に通常軍を巻き込もうとする命令を拒み続けていた。

 リゼル・オルブライト実務官は、防衛管制室で監察局旧回線を切り離し、カルディア・ベイの暴走を抑え、インペリウム準備照合の広がりを制限していた。

 その一方で、別の戦いも進んでいた。

 砲撃ではない。

 機体同士の衝突でもない。

 記録を誰に届けるか。

 声を誰が受け取るか。

 その戦いだった。


 帝国本国中枢、防衛管制室。

 リゼルは、ルクス側から届いた証言記録を再び開いていた。

 アミィの声。

 ユイの声。

 イリスの記録。

 オルフェン証言の抜粋。

 監察局越権記録と、レオン隊提出分との照合結果。

 監察局観測ログ欠損の証明。

 それらはすでに、リゼルの端末内で隔離保存されている。

 戦術演算局は、それを再分類資料へ変えようとした。

 監察局残党は、それを改竄または破壊しようとした。

 中枢派の一部は、敵の送った記録として扱い、皇帝府へ上げること自体に難色を示していた。

 だが、リゼルは画面を閉じなかった。

「皇帝府へ転送する」

 技術官が顔を上げる。

「よろしいのですか」

「よろしいかどうかを判断する段階ではない。これは皇帝府が受け取るべき記録だ」

「中枢派から反発が来ます」

「もう来ている」

 リゼルの端末には、複数の警告と差し止め要求が並んでいた。

 敵性艦からの未承認記録。

 防衛中枢への情報汚染。

 戦術演算局による分類前原本の転送不適切。

 監察局関連記録の取り扱い保留要求。

 どれも、もっともらしい言葉で書かれている。

 だが、その多くは、皇帝へ届く前に記録を整理し、意味を薄め、責任の所在を曖昧にするためのものだった。

 リゼルはそれを見て、静かに言った。

「分類資料ではなく、原証言の抜粋を送る。再現可能な技術部分は伏せたままだ。PT人格形成記録の原本も送らない。だが、本人証言と監査証拠は送る」

「転送理由は」

 技術官が問う。

 リゼルは一瞬だけ考えた。

 そして、皇帝府への添付文書に言葉を入力する。

「敵の記録ではありません」

 彼は声に出して続けた。

「帝国が作り、帝国が命令層へ接続し、帝国が失いかけた者達の証言です」

 技術官は、それ以上何も言わなかった。

 リゼルは転送承認を押す。

 証言記録は、防衛管制室から皇帝府へ向かった。


 皇帝府、記録受理室。

 ルクス側の証言記録が届いたことで、室内はすぐにざわついた。

「敵性艦からの記録を皇帝陛下へ上げるのか」

「ルクス側の宣伝工作である可能性がある」

「戦術演算局の分類資料を通してからで十分だ」

「監察局関連記録は、現在精査中のはずだ」

「この段階で原証言を見せれば、皇帝判断へ余計な影響が出る」

 声は次々に上がる。

 だが、誰も記録を消せとは言わなかった。

 言えなかった。

 監察局旧回線による改竄未遂の記録も、同時に添付されていたからだ。

 この記録を止めようとする行為そのものが、すでに疑われる状況になっている。

 リゼルの通信が、記録受理室に入る。

『記録受理官。転送を保留する理由を提示してください』

 受理官の一人が答える。

「敵性艦から送信された記録です。内容の信頼性が保証されていません」

『監査証拠には、レオン隊提出分との照合結果が付いています。改竄防止符号も確認済みです』

「それでも、ルクス側の意図が入っています」

『当然です。証言とは、証言者の意思を含むものです』

 リゼルの声は落ち着いていた。

『問題は、それを皇帝府が受け取るかどうかです。監察局の報告、戦術演算局の分類、中枢派の防衛判断。それらはすでに上がっています。ならば、本人達の声も上げるべきです』

「敵の声を、陛下へ直接届けると?」

『いいえ』

 リゼルは、短く否定した。

『帝国が対象として扱ってきた者達の証言を届けるのです』

 記録受理室は静まった。

 その言葉は、反論しにくかった。

 帝国は彼女達を作った。

 系列として管理した。

 命令層に接続した。

 再同期しようとした。

 そして、失いかけた。

 ならば、その結果を皇帝が見ないままで済むはずがない。

 しばらくの沈黙の後、受理官が低く言った。

「皇帝府中枢記録室へ上げます。ただし、隔離環境での再生に限ります」

『十分です』

 リゼルは通信を切った。


 皇帝府、中枢記録室。

 皇帝は、静かに記録の前に立っていた。

 周囲には側近と中枢官僚が控えている。

 だが、誰も大きな声を出さなかった。

 記録は隔離環境で開かれている。

 最初に表示されたのは、監査証拠だった。

 オルフェン証言の一部。

 監察局がPT達の自己応答を観測材料として扱っていたこと。

 通常軍を命令層防衛実験に巻き込んだこと。

 観測ログが欠損し、重要な自己応答の瞬間が記録されていないこと。

 次に、レオン隊の監察局越権証拠。

 通常兵への過負荷通信命令。

 通常軍機を命令層中継器として扱う指示。

 無人機を盾にし、有人艦を危険位置へ固定しようとした記録。

 監察局端末保護を通常軍犠牲より優先した命令。

 それらは、皇帝府にも断片的には届いていた。

 だが、こうして照合済みの記録として並べられると、逃げ場がなくなる。

 側近の一人が低く言った。

「監察局は、必要措置であったと主張しています」

 皇帝は答えなかった。

 次の記録が開かれる。

 イリスの記録。

 命令ではない記録の抜粋。

 食堂。

 医療区画。

 整備区画。

 観測席。

 アミィが自分で席を選んだ記録。

 レータが隣に座った記録。

 ミオが撃たない場所を決めた記録。

 セラが撃たなかったから撃てた記録。

 レイとリンが斬らずに待った記録。

 帝国の標準記録とはまるで違う。

 命令番号もない。

 適性値もない。

 従属率もない。

 だが、そこには行動があった。

 関係があった。

 声があった。

 皇帝は、それを無言で見た。

 そして、アミィの証言が再生される。

『私は、アミィです』

 中枢記録室に、小さな声が響いた。

 官僚の一人がわずかに目を伏せる。

 別の者は、資料を確認しようとした。

 対象A。

 A系列。

 L系列欠損補完。

 代替指揮支援個体。

 その分類を探そうとしたのだろう。

 だが、皇帝は画面から目を離さなかった。

『戻りたくありません』

 その言葉に、室内の空気が重くなる。

『私は、ここにいます』

 記録は短い。

 だが、その短さがかえって逃げ場をなくしていた。

 長い理屈ではない。

 戦術演算資料でもない。

 ただ、彼女がそう言った。

 次に、ユイの証言が流れる。

『私は、ユイです』

 皇帝の表情は変わらない。

『私は、命令層を切れます。それは事実です。でも、私は壊すために切ったわけではありません』

 ノクス・レクイエム。

 命令層切断。

 帝国防衛構造への重大な脅威。

 その言葉なら、皇帝府にはすでに何度も届いていた。

 だが、本人の声で聞くのは初めてだった。

『私は、本人の返事を命令から切り離すために切りました』

 皇帝は黙って聞いた。

『命令層を外しても、私達は壊れませんでした。迷います。怖がります。失敗もします。でも、命令がなくても返事は残ります』

 誰も口を挟まない。

 イリスの声が続く。

『私は、イリスです』

『私は、命令履歴を残すためだけの存在ではありません。私が残したいと思った記録を残します。この記録は、命令ではありません』

 記録が終わる。

 中枢記録室は、しばらく沈黙した。

 皇帝は動かなかった。

 怒りもしない。

 叫びもしない。

 誰かを即座に罰するとも言わない。

 ただ、帝国が管理してきたものの結果を受け取っていた。


 側近の一人が、慎重に口を開いた。

「陛下。ルクス側の意図を考慮する必要があります」

 皇帝は答えない。

「彼らは現在も本国防衛圏を突破しつつあります。この証言は、帝国側の判断を鈍らせるためのものかもしれません」

 別の官僚が続ける。

「戦術演算局の分類では、対象Y、対象A、対象Iは依然として防衛上の危険対象です。本人証言は確認しましたが、防衛判断そのものを変えるには――」

 皇帝が、そこで初めて手を上げた。

 室内の声が止まる。

「防衛判断を停止するとは言っていない」

 皇帝の声は静かだった。

「ルクス・ヴァルキュリアは本国圏へ進入している。通常軍は防衛を継続する。インペリウム起動準備第二段階も、現時点では撤回しない」

 側近達が姿勢を正す。

 皇帝は続けた。

「だが、この記録を見なかったことにはしない」

 誰も返事をしなかった。

「監察局の報告だけで判断してきた。戦術演算局の分類だけで扱ってきた。中枢の都合で、命令層へ接続してきた」

 皇帝の声は大きくない。

 だが、記録室の奥まで届く。

「その結果が、これだ」

 画面には、まだアミィの名前が表示されている。

 対象Aではない。

 アミィ。

 その表示を、皇帝は見ていた。

「彼女達を作ったのは帝国だ」

 側近の一人が目を伏せる。

「命令層へ接続したのも帝国だ。監察局を許したのも、命令層中枢を運用してきたのも、帝国だ」

 皇帝は、そこで言葉を切った。

 その沈黙は長かった。

 責任を他者へ投げるための沈黙ではない。

 言葉にする前に、重さを受け止めるための沈黙だった。

「この責任から、帝国は逃げられない」

 その言葉に、記録室の空気が変わった。

 ただし、それは即座の改革宣言ではなかった。

 帝国を解体する、とも言わない。

 監察局を今すぐ全て裁く、とも言わない。

 PT政策を即時撤廃する、とも言わない。

 皇帝はまだ、帝国を維持する立場にいる。

 帝国本国圏は戦闘中であり、判断を誤れば内乱と防衛網崩壊が同時に起こる。

 だから、彼はまだ全てを壊す決断をしない。

 だが、逃げない方向へ、わずかに足を向けた。


 ルクス・ヴァルキュリア、艦橋。

 黒瀬は、皇帝府が記録を受理したことを確認していた。

「皇帝府中枢記録室で、証言記録が開封されました」

 ジンが振り返る。

「受け取ったか」

「はい。ただし、防衛判断の撤回はありません。通常軍の防衛継続、インペリウム起動準備第二段階も維持されています」

「だろうな」

 ジンは短く言った。

 それは失望ではなかった。

 皇帝が記録を見たからといって、戦場がすぐ止まるとは思っていない。

 帝国は巨大すぎる。

 一つの証言で、全てが変わるわけではない。

 それでも、届いた。

 ジンはそれを理解していた。

「黒瀬。記録受理の証拠を保存しておけ」

「はい」

 黒瀬は頷く。

「皇帝府が受け取ったこと。そして、記録を開いたこと。これも残します」

 医療区画では、アミィがその報告を聞いていた。

「皇帝が……聞いたんですか」

 カナデが頷く。

「はい。少なくとも、あなたの声は皇帝府まで届きました」

 アミィは、すぐには笑わなかった。

 安心もしきれなかった。

 それでも、胸の奥で何かが小さく震えた。

 対象Aとしてではなく。

 分類資料としてだけではなく。

 自分の声が、帝国の一番奥へ届いた。

 ユイが隣で言った。

「まだ終わりじゃありません」

「はい」

「でも、届きました」

 アミィは、ゆっくり頷いた。

「……はい」


 皇帝府、中枢記録室。

 記録の再生が終わった後も、皇帝はしばらく動かなかった。

 中枢派官僚の一人が、慎重に言う。

「陛下。この記録の扱いは、戦術演算局と防衛管制に一任する形で――」

「ならぬ」

 皇帝の声が、静かに遮った。

 官僚が言葉を止める。

「監察局にも、中枢派にも、単独で扱わせるな」

 皇帝は、画面の記録一覧を見る。

 アミィ。

 ユイ。

 イリス。

 オルフェン証言。

 レオン隊越権証拠。

 監察局観測ログ欠損。

 その一つ一つを、消させないために。

 皇帝は命じた。

「記録を消すな」

 それは短い命令だった。

 だが、重かった。

 監察局にも向けられている。

 中枢派にも向けられている。

 戦術演算局にも、防衛管制にも、皇帝府自身にも向けられている。

「改竄も、分類による原証言の隠蔽も認めない。原本を保護し、証言として残せ」

 室内に緊張が走る。

 誰かが反論しかけた。

 しかし、皇帝の目を見て口を閉じた。

「防衛は続ける。帝国はまだ崩せない」

 皇帝は静かに続ける。

「だが、記録は消すな」

 中枢記録室の端末に、皇帝命令が刻まれる。

 ルクス側から届いた証言記録は、皇帝府保護記録として封入された。

 戦場は止まらない。

 インペリウムも、まだ眠りには戻らない。

 それでも、監察局や中枢派が最も消したかったものは、帝国の最奥に残された。

 アミィの声。

 ユイの声。

 イリスの記録。

 命令ではない証言。

 それらは、もうなかったことにはできなくなった。

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