第371話 分類では届かない
ルクス・ヴァルキュリアから届いた記録は、帝国本国中枢の複数部署へ共有された。
ただし、全体ではない。
リゼル・オルブライト実務官の判断により、記録は隔離環境で開封され、監察局旧回線と自動分類処理からは切り離された。
それでも、戦術演算局には内容の一部が送られた。
ネメシア本国防衛に関わるPT反応記録である以上、完全に遮断することはできなかった。
そして、その記録を受け取った者の中に、エルマ・ディクセンがいた。
戦術演算局。
パルスティア識別管理部門。
人格機能評価官。
彼女は、届いた声を聞いた。
名前も聞いた。
言葉も認識した。
その上で、分類を始めた。
戦術演算局、解析室。
エルマの前に、ルクス側から届いた記録が並んでいる。
オルフェン証言の抜粋。
監察局越権記録の照合結果。
監察局観測ログ欠損の証明。
PT人格形成記録の保護方針。
そして、本人証言。
アミィ。
ユイ。
イリス。
記録上は、その名前が表示されていた。
エルマは、まずアミィの音声記録を再生した。
『私は、アミィです』
小さな声。
だが、明確な自己名乗り。
『戻りたくありません』
『私は、ここにいます』
解析室の端末が、音声波形、感情反応、発声安定度、自己応答保持率を表示していく。
エルマは、それらを順に確認した。
「発声震度、軽度。自己名乗り反応は安定。命令拒否表現あり。帰属位置表現あり」
彼女は、記録の分類欄に入力する。
A系列自己応答保持音声記録。
対象A、再同期拒否傾向。
命令層外帰属意思保持。
エルマは、アミィという名前を消してはいない。
だが、名前は分類項目の一部に置かれた。
次に、ユイの記録が開かれる。
『私は、ユイです』
『私は、命令層を切れます。それは事実です。でも、私は壊すために切ったわけではありません』
『私達は、自分の声で返事をします』
エルマは、その言葉を黙って聞いた。
否定もしない。
嘲笑もしない。
ただ、解析する。
「対象Y、自身の切断能力を自覚。使用目的を破壊ではなく応答分離と説明。命令層切断の意思制御あり。ただし、能力保持そのものの危険度は変化なし」
分類欄が更新される。
Y系列命令層切断意思記録。
切断能力自己認識あり。
非破壊目的主張。
防衛網干渉危険度、高。
さらに、イリスの記録。
『私は、イリスです』
『私は、命令履歴を残すためだけの存在ではありません。私が残したいと思った記録を残します。この記録は、命令ではありません』
エルマは、少しだけ目を細めた。
記録形式が帝国標準から外れている。
だが、整合性はある。
証拠保全の意図もある。
改竄防止符号も機能している。
だからこそ、厄介だった。
「対象I、非命令記録生成を自覚。命令履歴保持役割から逸脱。自己選択型記録生成あり」
分類欄がさらに増える。
I系列非命令記録生成。
帝国標準記録形式外。
証言性保持。
記録体系干渉危険度、中から高へ再評価。
エルマは、全ての記録を閉じなかった。
むしろ丁寧に残した。
声も、名前も、言葉も、消してはいない。
ただ、その意味を機能へ戻していく。
本人の声は、音声記録。
名乗りは、自己応答保持反応。
拒否は、再同期拒否傾向。
ここにいるという言葉は、命令層外帰属意思。
命令ではない記録は、非命令記録生成。
エルマにとって、それは矛盾していなかった。
名前を認めることと、分類すること。
声を聞くことと、危険度を付けること。
その二つは、彼女の中では同時に成立していた。
帝国本国中枢、防衛管制室。
リゼルは、戦術演算局から返ってきた解析資料を見ていた。
そこには、ルクス側から届いた本人証言が、再分類資料として整理されている。
A系列自己応答保持音声記録。
Y系列命令層切断意思記録。
I系列非命令記録生成。
対象L/A相互補完構造の再評価。
対象M広域管制個体の支援網補正。
分類としては、間違っていない。
リゼルは、それを理解していた。
アミィは、A系列として作られた個体だ。
ユイは、命令層切断能力を持つ。
イリスの記録は、帝国標準記録形式とは違う。
ミオの支援網は、広域管制と呼べるほど高度になっている。
レータとアミィの共同防壁は、相互補完構造と表現できる。
全て、事実の一部ではある。
だが。
「……足りない」
リゼルは小さく呟いた。
技術官が振り返る。
「リゼル実務官?」
「いや」
リゼルは資料をもう一度見る。
エルマの分類は、正確だった。
少なくとも、防衛識別資料としては有用だ。
だが、ルクスから届いた記録は、最初から防衛識別資料ではなかった。
あれは、分類してほしいという申請ではない。
自分達はここにいると示す証言だった。
それを分類へ戻せば、確かに帝国の資料として扱いやすくなる。
しかし、扱いやすくなった分だけ、届いたものの意味が削れている。
リゼルは、アミィの音声記録を再生した。
『私は、アミィです』
その直後、戦術演算局の分類欄が表示される。
A系列自己応答保持音声記録。
リゼルは眉を寄せた。
間違ってはいない。
だが、その表示の下では、声が遠くなる。
『戻りたくありません』
分類欄。
再同期拒否傾向。
『私は、ここにいます』
分類欄。
命令層外帰属意思保持。
リゼルは、音声を止めた。
資料の整合性は高い。
だが、整合しているからこそ危険だった。
本人の声を、本人の声として受け取る前に、機能へ戻してしまう。
それは監察局の改竄とは違う。
嘘を混ぜているわけではない。
だが、届いた意味を狭めている。
「エルマ評価官へ回線を」
リゼルが言った。
技術官が頷き、戦術演算局への通信を開く。
ほどなくして、エルマの姿が表示された。
『何でしょうか、リゼル実務官』
「ルクス側から届いた本人証言の分類資料を見た」
『防衛識別に必要な整理です』
「それは分かる」
リゼルは否定しなかった。
「だが、これは証言でもある」
『証言性は保持しています。各記録には音声原本、発話時反応、自己応答安定値を添付しています』
「そういう意味ではない」
リゼルの声が少し低くなる。
「アミィという名乗りを、A系列自己応答保持音声記録に置き換えた時点で、届いたものの意味が変わる」
エルマは表情を変えなかった。
『置き換えてはいません。対応づけています』
「同じことだ」
『違います。名前は個体識別名です。分類は機能評価です。両者は矛盾しません』
エルマの返答は即座だった。
『アミィという名を持つ個体が、A系列自己応答保持音声記録を提出した。ユイという名を持つ個体が、Y系列命令層切断意思記録を提出した。イリスという名を持つ個体が、I系列非命令記録生成を行った。名前と分類は併存できます』
リゼルは黙る。
論理としては、確かにそうだった。
名前と分類は矛盾しない。
帝国が誰かを名前で呼んだからといって、機能評価が消えるわけではない。
だが、リゼルの違和感は消えない。
「あなたは、あの記録を聞いて何を受け取った」
『防衛上の危険性です』
エルマは迷わず答えた。
『対象Aは再同期拒否傾向を明確に示しました。対象Yは命令層切断能力の意図的使用を肯定しました。対象Iは帝国標準外の記録生成を宣言しました。これらはインペリウムPT反応照合機能の必要性を補強します』
「それだけか」
『防衛評価としては、それが必要な要素です』
「……そうか」
リゼルは短く答えた。
通信はまだ切らない。
エルマも黙っている。
画面の向こうの彼女は、何も間違っていないという顔をしていた。
実際、彼女の中では間違っていないのだろう。
分類は矛盾を整理する。
危険度を示す。
防衛判断に使える形へ変える。
帝国にとって、それは必要な作業だった。
だが、分類だけでは届かないものがある。
リゼルは、その言葉をまだ口にしなかった。
◇
ルクス・ヴァルキュリア、医療区画。
アミィは、戦術演算局の反応を聞いていた。
全てが届いたわけではない。
リゼル側が受信したこと。
エルマが解析したこと。
アミィの声が、A系列自己応答保持音声記録として扱われたこと。
その断片だけが、ルクス側にも伝わってきていた。
アミィは、膝の上で手を握った。
「……また、A系列です」
カナデは隣に座っていた。
ユイもそばにいる。
医療区画の明かりは柔らかい。
けれど、アミィの表情は少し硬かった。
「私は、アミィですって言ったのに」
「はい」
カナデは頷いた。
「届かなかったんでしょうか」
「届いています」
「でも、分類されました」
「分類されても、あなたの声が消えるわけではありません」
カナデは静かに言った。
アミィが顔を上げる。
「消えない……ですか」
「はい。向こうが分類したからといって、あなたが言った言葉がなくなるわけではありません。あなたが怖がりながらも、自分の名前を言ったこと。戻りたくないと言ったこと。ここにいると言ったこと。それは残っています」
アミィは黙って聞いている。
カナデは続けた。
「でも、分類だけで終わらせないためには、もう一度言う必要があります」
「もう一度……」
「はい。何度でもです」
カナデの声は穏やかだった。
「名前は、一度言えば全部の人に伝わるものではありません。聞き取られなかったり、別の言葉に変えられたり、分類されたりすることもあります。でも、そのたびに、あなたが消えるわけではありません」
ユイが、アミィの横に立った。
「私も、対象Yって書かれました」
アミィはユイを見る。
「命令層切断意思記録、だそうです。すごく帝国らしい言い方ですよね」
ユイは少しだけ肩をすくめた。
だが、その声は軽くなりすぎないように抑えられていた。
「でも、私はユイです。対象Yって書かれても、命令層切断意思記録って分類されても、それだけになったわけじゃありません」
「でも、怖くないですか」
「怖いですよ」
ユイは素直に答えた。
「また機能に戻されるのは嫌です。私の言葉を、能力の説明だけにされるのは嫌です」
アミィは、小さく頷いた。
ユイは、そっと続ける。
「でも、だからこそ、もう一度言うんです。私はユイですって。アミィはアミィですって」
カナデも言った。
「分類に勝つために、もっと強い言葉を使う必要はありません。大声で叫ばなくてもいい。あなたが自分の声で言うことに意味があります」
アミィは、胸元に手を当てた。
命令層中枢で名乗った時のことを思い出す。
私は、アミィです。
あの時、全てが終わったわけではなかった。
分類はまた来た。
A系列という文字は、また自分の前に現れた。
でも、あの時の声は消えていない。
レータが覚えている。
ユイが覚えている。
カナデが覚えている。
イリスが記録している。
自分も覚えている。
「私は……」
アミィの声は、まだ少し揺れていた。
それでも、彼女は言った。
「私は、アミィです」
ユイが頷く。
「はい」
「A系列って書かれても、分類されても……私は、アミィです」
「うん」
「戻りたくありません」
カナデが静かに見守る。
「私は、ここにいます」
それは、前と同じ言葉だった。
だが、同じではなかった。
一度分類された後に、もう一度言った言葉だった。
分類されても消えない声。
機能へ戻されても、もう一度名前へ戻ってくる声。
アミィはまだ怖がっている。
それでも、声は残っていた。
戦術演算局との通信は、まだ続いていた。
リゼルは、エルマの資料を見ながら言った。
「エルマ評価官」
『はい』
「あなたの分類は、防衛資料としては必要だ」
『当然です』
「だが、それだけでは足りない」
エルマの目がわずかに細くなる。
『何が不足していますか。音声原本、反応値、証言内容、危険度評価、インペリウム照合適用案は添付済みです』
「そういう不足ではない」
『では、何ですか』
リゼルは、画面に表示された名前を見た。
アミィ。
その横に、A系列自己応答保持音声記録。
ユイ。
その横に、Y系列命令層切断意思記録。
イリス。
その横に、I系列非命令記録生成。
名前と分類は並んでいる。
だが、同じ重さではない。
帝国の資料の中では、分類の方が常に上に来る。
名前は補助情報になる。
それが、リゼルにはどうしても引っかかっていた。
「分類としては正しいのだろう」
リゼルは言った。
「だが、分類だけでは、この記録が送られてきた理由を説明できない」
『理由は防衛網への干渉を正当化するためでは?』
「違う」
リゼルは否定した。
「彼女達は、自分達が何であるかを帝国に伝えようとしている」
『それが自己応答保持です』
「違う」
リゼルの声が少し強くなる。
「いや、分類すればそうなるのだろう。だが、その言葉にしてしまうと、届いたものが削れる」
エルマは沈黙した。
理解できないのではない。
理解する必要を感じていない顔だった。
『名前と分類は矛盾しません』
彼女は、静かに言った。
『アミィという名のA系列。ユイという名のY系列。イリスという名のI系列。それで記録上の矛盾はありません』
リゼルは、しばらく彼女を見ていた。
そして、低く返した。
「だが、分類だけでは説明できないものが届いている」
通信の向こうで、エルマは表情を変えなかった。
会話はそこで止まる。
外では、ネメシア外郭防衛線の戦闘が続いている。
インペリウムの準備照合波は、少しずつ強くなっている。
中枢派は本格起動を求め続けている。
通常軍はまだ抵抗し、ルクスはまだ進んでいる。
その中で、リゼルの端末には、分類されてもなお消えない声が残っていた。
私は、アミィです。
その声は、帝国の記録形式には収まりきらなかった。
そしてリゼルは初めて、その収まりきらなさを、危険ではなく意味として受け取り始めていた。




