第370話 声を届ける通信
ネメシア外郭防衛圏に、細い道が開いた。
ルクス・ヴァルキュリアは、その道を進んでいる。
周囲では、まだ戦闘が続いていた。
本国防衛砲台は沈黙と再起動を繰り返し、無人艦隊は進路を塞ごうと再編される。中央GD部隊は後退しながらも防衛線を重ね、レオン隊は通常軍としてルクスの進行を止めようとしている。
インペリウム起動準備第二段階の照合波も、かすかに戦場を撫でていた。
それでも、ルクス側は進んだ。
破壊するためではない。
帝国本国中枢へ、記録と声を届けるために。
ルクス・ヴァルキュリア、記録保護区画。
イリスは、保護記録の前に立っていた。
彼女の周囲には、複数の記録窓が浮かんでいる。
オルフェン証言記録。
監察局越権記録。
レオン隊提出分との照合結果。
アミィ自己応答保持記録。
ユイの命令層切断記録。
命令層中枢から保護したPT人格形成記録。
監察局観測ログ欠損の証明。
そして、イリス自身が残してきた、命令ではない記録。
食堂の記録。
整備区画の記録。
医療区画の記録。
観測席の記録。
アミィが自分で歩いた記録。
レータが隣に立った記録。
ミオが撃たない場所を決めた記録。
セラが撃たなかったから撃てた記録。
レイとリンが斬らずに待った記録。
ユイが一人で切らなかった記録。
どれも、帝国の記録形式には合わない。
命令番号も、従属率も、適性評価も、再分類値もない。
けれど、そこには確かに声があった。
「送信内容を、最終確認します」
黒瀬が監査卓から言った。
三島がその隣で、送信権限を確認している。
「ただし、すべては送れません。特に、ノクス・レクイエムの切断過程、命令層中枢の内部接続構造、再同期基盤の停止手順は伏せます。再現可能な技術情報は、帝国側で悪用される可能性があります」
イリスは頷いた。
「はい。送るのは、事実と証言です。再現手順ではありません」
「オルフェン証言は」
「一部抜粋にします」
イリスは、記録を開いた。
「監察局が通常軍を実験材料として扱ったこと。PT達の自己応答を観測対象として扱ったこと。観測ログが欠損していること。その証言部分だけを抽出します」
「監察局越権記録は」
「レオン隊提出分と照合済みのものを送ります。改竄防止符号付き。ただし、通常軍の詳細配置や個人識別情報は伏せます」
「PT人格形成記録は」
黒瀬の声がわずかに重くなる。
そこが一番難しかった。
PT人格形成記録は、彼女達を救うための手がかりでもある。
同時に、再分類や再制御に悪用される危険もある。
イリスは、少しだけ間を置いて答えた。
「保護方針だけを送ります。記録の原本は送信しません」
「方針とは」
「人格形成記録を再分類資料として扱わないこと。本人の意思確認なしに再同期、再制御、再照合へ使用しないこと。命令層中枢から保護した記録は、救出対象候補の確認と本人保護のためにのみ扱うこと」
黒瀬は静かに頷いた。
「それでいいです」
イリスは最後の記録窓を開いた。
「そして、命令ではない記録の抜粋を添えます」
三島が少しだけ驚いたように顔を上げた。
「それも送るのですか」
「はい」
イリスは、画面に映る食堂の記録を見た。
特別な戦闘記録ではない。
命令層切断でも、再同期防御でもない。
ただ、アミィが席を選んだだけの記録。
レータが隣に座っただけの記録。
ミオが支援網の調整で疲れて、レガロンに支えられた記録。
それでも、イリスはそれを選んだ。
「帝国側は、私達を機能で分類しています。だから、機能ではない記録も送ります」
黒瀬は、その言葉を受け止めた。
そして短く言う。
「分かりました。監査として承認します」
医療区画の一角で、アミィは小さな記録端末の前に座っていた。
隣にはカナデ。
少し離れた場所に、ユイが立っている。
アミィの手は、膝の上で軽く握られていた。
端末には、送信予定の証言項目が表示されている。
名前。
本人意思。
命令層中枢での自己応答保持。
再同期拒否。
帰属意思。
そこには、対象Aという文字はなかった。
アミィ。
そう表示されていた。
カナデが優しく声をかける。
「無理に長く話さなくて大丈夫です。言いたいことだけでいいんです」
アミィは小さく頷いた。
「……短くても、いいんですか」
「もちろん」
「ちゃんと、届きますか」
その問いに、カナデはすぐに答えなかった。
届く、と言い切ることはできない。
帝国本国中枢がどう受け取るかは分からない。
監察局残党や中枢派が改竄しようとする可能性もある。
エルマのように、声を聞いても機能へ戻す者もいる。
それでも、送らなければ届かない。
「届くように、みんなで守ります」
カナデはそう答えた。
アミィは、端末へ向き直った。
記録開始の表示が灯る。
彼女は一度だけ息を吸った。
「私は、アミィです」
その声は小さい。
けれど、はっきりしていた。
「戻りたくありません」
少し間が空く。
アミィは、自分の手を見た。
命令層中枢で、何度も引き戻されそうになった。
A系列。
補完。
代替。
支援中核。
戻れ。
補完せよ。
代わりになれ。
その声は、まだ完全には消えていない。
けれど、今の彼女には、それ以外の声もある。
レータが隣にいる。
ユイが支えてくれる。
カナデが名前を呼んでくれる。
イリスが記録を残してくれる。
だから、もう一度言える。
「私は、ここにいます」
記録端末の光が静かに瞬いた。
カナデは、何も付け加えなかった。
ユイも、すぐには話さなかった。
アミィの声が、そのまま残るように。
ユイも、別の端末の前に座った。
彼女の記録は、アミィよりも少し長くなる。
対象Y。
命令層切断能力保持個体。
エルマの資料では、そう分類されている。
それは間違いではない。
ユイは命令層を切れる。
ノクス・レクイエムを使い、命令と本人の返事を切り離すことができる。
だが、それだけではない。
ユイは端末を見た。
「私は、ユイです」
最初に名前を言う。
「帝国の記録では、私はY系列、または対象Yと書かれていると思います。命令層切断能力を持つ危険個体として分類されていることも分かっています」
ユイは少しだけ目を伏せた。
「私は、命令層を切れます。それは事実です。でも、私は壊すために切ったわけではありません」
ノクス・レクイエム。
その力は、今も危険だ。
使い方を誤れば、救うどころか壊してしまう。
だからこそ、条件を決めた。
だからこそ、一人で切らないことを選んだ。
「私は、本人の返事を命令から切り離すために切りました。アミィの声を、対象Aとしてではなく、アミィ自身の声として残すために切りました」
ユイは、ゆっくり言葉を続ける。
「命令層を外しても、私達は壊れませんでした。迷います。怖がります。失敗もします。でも、命令がなくても返事は残ります」
彼女は、端末の向こうにいる誰かを想像した。
リゼルかもしれない。
中枢官僚かもしれない。
皇帝府かもしれない。
エルマかもしれない。
あるいは、まだ名前も知らない誰かかもしれない。
「この記録を、再制御のために使わないでください。分類のためだけに使わないでください。私達は機能ではありません」
ユイは一度だけ息を整えた。
「私達は、自分の声で返事をします」
記録が終了する。
ユイはしばらく、端末を見つめていた。
背後から、アミィの声がした。
「ユイさん」
「はい」
「……ありがとうございます」
ユイは振り返り、少しだけ笑った。
「一緒に届けましょう」
アミィは頷いた。
「はい」
記録保護区画では、イリスが送信パッケージを整えていた。
帝国の命令層形式ではない。
監察局の観測ログ形式でもない。
戦術演算局の再分類資料でもない。
記録は、複数の層に分けられていた。
第一層。
監査証拠。
オルフェン証言の一部。
監察局越権記録の照合結果。
監察局観測ログ欠損の証明。
第二層。
保護方針。
PT人格形成記録を再分類、再同期、再制御に使用しないための扱い。
第三層。
本人証言。
アミィの声。
ユイの声。
第四層。
命令ではない記録の抜粋。
食堂。
医療区画。
整備区画。
観測席。
戦闘中に撃たなかった記録。
切らなかった記録。
待った記録。
守った記録。
イリスは、そこに自分の記録も加えた。
「私は、イリスです」
短い自己記録だった。
「私は、命令履歴を残すためだけの存在ではありません。私が残したいと思った記録を残します。この記録は、命令ではありません」
彼女は、その一文を最後に添えた。
三島が送信経路を確認する。
「ネメシア中枢への直接回線は、防衛網に妨害されています。通常の外交通信回線は閉じられています」
黒瀬が言う。
「監査証拠として送るなら、帝国本国中枢の記録受理窓口を使えるはずです。ただし、監察局旧回線に拾われる可能性があります」
「旧回線はナユが監視しています」
イリスが答える。
『残響監視、入っています』
ナユの声が通信に入った。
『偽装経路が来たら、すぐ分かります』
「リクト、命令層残滓の干渉は」
『送信経路に直接の再同期波はありません。ただし、インペリウム準備照合の波が薄く重なっています。技術情報は伏せた方がいいです』
「伏せています」
イリスは頷いた。
黒瀬は送信承認画面を開いた。
承認欄には、黒瀬、ジン、三島、イリスの名が並ぶ。
それぞれが確認し、承認を入れていく。
最後に、ジンの声が艦橋から届いた。
『送れ』
「はい」
イリスは送信キーに手を置いた。
「命令ではない記録、送信します」
記録パッケージが、ルクス・ヴァルキュリアからネメシア本国中枢へ向けて放たれた。
帝国本国中枢、防衛管制室。
リゼル・オルブライト実務官の端末に、未承認形式の記録受信警告が表示された。
『外部より記録送信』
『発信元:ルクス・ヴァルキュリア』
『形式:非命令層記録形式』
『分類不能』
技術官が警戒する。
「リゼル実務官、ルクス側から記録パッケージです。通常の降伏勧告でも、攻撃コードでもありません。記録形式が不明です」
「監察局形式か」
「違います」
「戦術演算局の識別資料か」
「それとも違います」
「開けるか」
「安全確認が必要です。再現可能な技術データは含まれていないようですが、構造が帝国標準ではありません」
リゼルはしばらく画面を見つめた。
ルクスは戦闘中に、記録を送ってきた。
破壊ではなく、送信。
命令ではなく、記録。
それを受け取るかどうかで、また一つ判断が必要になる。
「隔離環境で開け。監察局旧回線と戦術演算局の自動分類には通すな」
「よろしいのですか」
「自動分類に通せば、また対象Y、対象Aで処理される。まず中身を見る」
技術官は頷き、隔離環境で記録を開いた。
最初に表示されたのは、監査証拠だった。
オルフェン証言の一部。
監察局越権記録。
観測ログ欠損証明。
レオン隊提出分との照合結果。
リゼルは目を細める。
これは予想していた。
ルクスが届けると言っていた記録だ。
だが、次に表示されたものは、彼の予想とは違っていた。
名前。
アミィ。
ユイ。
イリス。
対象Aでも、対象Yでも、対象Iでもない。
名前が、分類より先に表示されていた。
「……何だ、これは」
リゼルは思わず呟いた。
技術官も戸惑っている。
「本人証言、のようです」
音声が再生される。
『私は、アミィです』
小さな声だった。
だが、記録の中で確かに響いた。
『戻りたくありません』
会議室の資料では、対象Aと書かれていた。
A系列設計目的逸脱。
自己応答保持個体。
L系列との相互補完構造。
だが、その声は分類ではなかった。
『私は、ここにいます』
リゼルは黙った。
次に、ユイの証言が流れる。
『私は、ユイです』
対象Yではない。
命令層切断能力保持個体ではない。
少なくとも、この記録の中では、そう始まっていない。
『私は、命令層を切れます。それは事実です。でも、私は壊すために切ったわけではありません』
リゼルは、画面に表示される証言を見つめた。
その下には、イリスの記録が続く。
『私は、イリスです。この記録は、命令ではありません』
帝国の記録形式とは違う。
命令番号がない。
従属率がない。
再分類値がない。
だが、証拠はある。
照合結果はある。
改竄防止符号もある。
そして何より、本人の声がある。
リゼルは、ようやく理解し始めた。
これは報告ではない。
命令を求める申請でもない。
分類資料でもない。
リゼルの端末に、命令形式ではない記録が届いている。
表示されているのは、分類ではなく、名前だった。
「これは……」
リゼルは低く呟いた。
「報告ではない。証言か」
防衛管制室の中で、誰もすぐには答えなかった。
ネメシア外郭では、まだ戦闘が続いている。
インペリウムは起動準備第二段階に入っている。
中枢派も、戦術演算局も、監察局残党も動いている。
それでも、この瞬間だけは、リゼルの端末に一つの声が残っていた。
私は、アミィです。
その記録は、命令ではなかった。




