第369話 ネメシア外郭突破
ネメシア外郭防衛圏が、完全に起動した。
帝都『ネメシア』を包む防衛殻の外側で、本国防衛砲台群が砲口を開く。
無人艦隊が、沈黙したまま編隊を組む。
中央GD部隊が防衛線を重ねるように展開し、レグナリア残存部隊がその隙間を埋める。
さらに、巨大建造ブロック『カルディア・ベイ』からは、自動防衛機構が起動していた。
補修用の無人艇。
装甲搬出ドローン。
砲台補助制御装置。
戦闘用に作られたものではない機械群までが、外郭防衛の一部として動き始めている。
それは、帝国本国圏そのものが防壁になったような光景だった。
ルクス・ヴァルキュリアは、その正面へ進んでいた。
艦橋には、警告表示が絶え間なく上がっていた。
「本国防衛砲台、照準反応増大。無人艦隊、左舷前方へ展開。中央GD部隊、三層防衛線を形成。カルディア・ベイ自動防衛機構、複数起動しています」
リンの報告が続く。
「レグナリア残存部隊も再編。レオン隊、外郭防衛線の前方から側面へ移動中です」
ジンは指揮席から動かなかった。
だが、その目はいつも以上に鋭い。
ここで一手を誤れば、ネメシア外郭は戦場ではなく災害になる。
首都圏の防衛線。
軍港。
建造ブロック。
民間区画。
退避路。
全てが近すぎる。
「主砲は使わない」
ジンが言った。
艦橋の何人かが息を呑む。
「艦長、外郭防衛圏の厚さを考えると、主砲なしでは突破に時間がかかります」
「分かっている」
ジンは正面を見たまま答えた。
「だが、主砲を撃てば防衛線だけでは済まない。ネメシア外郭の民間区画、軍港残存施設、カルディア・ベイの建造区画を巻き込む」
黒瀬が監査卓から補足する。
「広域攻撃も同様です。現時点では、攻撃対象を限定しない兵装使用は監査承認できません」
「承認を求めるつもりもない」
ジンは短く言った。
「全艦へ通達。主砲使用禁止。広域攻撃禁止。副砲、迎撃、限定支援のみ許可。敵戦力の撃沈ではなく、進路阻害能力の停止を優先する」
「了解」
リンが復唱する。
「主砲封印。広域攻撃禁止。進路阻害能力の停止を優先」
ジンは、正面のネメシアを見た。
敵の首都。
だが、そこには人がいる。
命令を出す者だけではなく、命令の下で働き、暮らし、守られてきた者達がいる。
ここを焼けば、記録を届ける意味が失われる。
「ルクス・ヴァルキュリア、前進」
ジンは静かに命じた。
「中枢へ向かう道を作る。首都を壊すな」
外郭防衛圏の先頭で、アルタイル・ノヴァ・ブレイスが加速した。
カイトの正面には、中央GD部隊が壁のように並んでいる。
その背後には無人艦隊。
さらに奥には、防衛砲台の射線が重なっている。
力任せに突っ込めば、押し潰される。
だが、止まるわけにもいかない。
「ミオ、道は?」
『作ってる。でも、さっきよりずっと厳しい』
ミオの声には緊張があった。
『民間区画への射線が近い。カルディア・ベイの自動防衛機構も混じってる。あれ、戦闘用じゃない機械まで動かされてるから、壊しすぎると建造区画に影響が出る』
「撃つ場所がないってことか」
『撃たない場所が多すぎるってこと』
ミオの周囲で、《ルナ・ドール・リンク》の管制表示が開く。
だが、今回はこれまで以上に制限が多かった。
ネメシア外郭民間区画。
退避中の輸送艇。
レグナリア残存艦の救助経路。
カルディア・ベイの建造中区画。
無人艦隊の暴走時退避線。
中央GD部隊の有人管制機。
撃ってはいけない場所が、戦場を埋め尽くしている。
ミオは唇を噛みながら、それでも手を止めなかった。
「バリスタ、砲台本体じゃなくて外部照準ノードだけ。ファランクス、民間区画側への破片を止めて。リーフガードはルクスの進路と退避艇の間に入って」
GD-06 バリスタが遠距離照準を絞る。
GD-11 ファランクスが防御線を展開する。
GF-07 リーフガードが、細い光の帯を作りながら進路を示す。
「ここは撃たない。ここも残す。ここは守る。ここは通す」
ミオは自分に言い聞かせるように呟いた。
「だから、ここだけ止める」
バリスタの砲撃が走る。
直撃したのは、本国防衛砲台の外部照準ノードだけだった。
砲台本体は沈黙する。
爆発は起きない。
そのわずかな沈黙の間に、カイトが動く。
「行く!」
アルタイルが中央GD部隊の前へ飛び込んだ。
正面のGDが一斉に照準を合わせる。
カイトはブレードを抜く。
だが、胴体は斬らない。
脚部の駆動補助ユニット、外部武装接続部、防壁発生器の端だけを狙う。
一機。
二機。
三機。
GD部隊が撃破ではなく、姿勢制御を失って後退していく。
その隙間を、ルクスの進路が細く伸びる。
ノクス・レクイエムのコクピットで、ユイは起動キーに手を置いていた。
だが、押さない。
正面の表示には、命令層残滓の反応が複雑に絡み合っている。
ネメシア外郭防衛圏。
カルディア・ベイ自動防衛機構。
インペリウム起動準備第二段階。
PT反応照合機能の限定準備起動。
命令層中枢は停止したはずなのに、ここにはまだ命令の残り香が濃く漂っている。
「ユイさん、ノクスの反応が上がっています」
リクトの声が通信に入る。
彼は解析室から、命令層残滓の流れを追っていた。
「分かっています。切れそうな線は見えます」
『ですが、今は危険です』
リクトの声は硬い。
『外郭防衛圏の命令層残滓は、単一の再同期線ではありません。防衛認証、無人艦管制、カルディア・ベイの建造記録、インペリウム準備照合が絡んでいます。ここでノクスを本格使用すると、切断波が逆流する可能性があります』
「逆流したら」
『ユイさん自身に負荷が返るだけではありません。防衛網の別系統が、切断を攻撃と判断して一斉起動する恐れがあります』
ユイは静かに息を吸った。
切れる。
けれど、切っていいとは限らない。
命令層中枢で学んだことだった。
切った後を誰が受け取るのか。
どこへ渡すのか。
今の外郭防衛圏には、その受け取り先が複雑すぎる。
「分かりました。ノクス・レクイエム、本格起動は見送ります」
『ありがとうございます』
「でも、必要な時は限定補助だけ使います。命令層残滓が味方へ直接流れ込む場合だけ、表層を切ります」
『その範囲なら、こちらでも監視できます』
ユイは頷いた。
「カイト」
『聞こえてる』
「ノクスはまだ使いません。正面、お願いします」
『任せろ』
カイトの返事は短かった。
それだけで、ユイは少しだけ安心した。
切らない判断も、戦いの一部だ。
今は、カイト達が開く道を信じる。
帝国本国中枢、防衛管制室。
リゼル・オルブライト実務官は、外郭防衛網の再編を続けていた。
「第三砲台群、外部照準ノード停止。基幹部は無傷」
「無人艦隊第六群、ルクス側の牽制で進路を外れています」
「中央GD部隊、複数機が航行不能。ただし撃破反応なし」
技術官達の報告が続く。
リゼルは戦況図を見つめた。
ルクス側は、やはり首都を壊しに来ていない。
だが、進んでいる。
防衛線の機能だけを削り、中枢へ向かう道を作っている。
厄介だった。
破壊する敵なら、全力で排除すればいい。
だが、破壊しない敵を止めるには、防衛側も壊しすぎない判断を求められる。
「カルディア・ベイ自動防衛機構の状態は」
「一部がインペリウム準備照合に引っ張られています。旧命令層回線への参照要求も再発」
「切り離せ」
「切り離せば、外郭防衛の補修速度が落ちます」
「構わない。旧命令層回線に戻すな」
リゼルは即答した。
「防衛砲台群も、インペリウム準備照合との直接接続を禁止。限定識別だけに留めろ」
「中枢派から、照合精度を上げるため接続拡張の要求が来ています」
「却下」
リゼルは短く言った。
「今、接続を拡張すれば、インペリウム側が防衛網の優先権を取り始める。第二段階は許可されたが、本格接続は未承認だ」
「了解」
技術官が処理を実行する。
その直後、別の警告が上がった。
『監察局旧回線、中央GD部隊への補助命令送信』
『命令内容:PT反応誘導のため、有人管制機を前進配置』
「またか」
リゼルの声が低くなる。
「遮断。中央GD部隊に、通常防衛系統以外の命令を受けるなと通達しろ」
「了解」
リゼルは表示の中で、レオン隊の反応を見る。
彼もまた、似たような接続を切り続けている。
共闘ではない。
ルクスを止める側と、ルクスを進ませる側。
敵同士だ。
それでも、監察局旧回線と中枢派の危険な接続だけは、双方が避けるように動いている。
奇妙な戦場だった。
だが、その奇妙さが、今のネメシアをまだ完全な暴走から守っていた。
レオンはエリシオンを外郭防衛線の側面へ移していた。
カイトとの正面衝突を続けながらも、彼は周囲の通常軍部隊を見ていた。
インペリウム起動準備第二段階。
その影響は、すでに戦場に出始めている。
わずかな照合波。
命令層残滓に似た圧力。
無人艦隊の進路変更。
中央GD部隊の一部が、通常軍の指揮ではなく、別の照合信号に反応しようとしている。
「クラウス」
『はい』
「第三前衛隊を下げろ。そこはインペリウム予備接続の補助線に近い」
『すでに警告を出しています。ですが、中枢側から前進命令が重なっています』
「無視させろ。私の命令だ」
『記録します』
「リュカ」
『聞こえてます』
「ヘルメス隊を無人艦隊の右側面へ回せ。接続に巻き込まれそうな部隊を外へ誘導しろ」
『了解。敵の誘導より味方の誘導の方が忙しいって、どういう戦場ですかね』
「今はそういう戦場だ」
『ですよね』
リュカの軽口は、短く切れた。
ヘルメス隊が素早く動き、危険な照合線に入りかけた通常軍機を退避させる。
同時に、ルクス側のリーフガードが、そこへ流れ弾が行かないよう防御線を張っていた。
レオンはその光景を見た。
ルクス側が、通常軍機を助けようとしているわけではないかもしれない。
ただ、壊さない戦いを選んでいるだけだ。
それでも結果として、通常軍の退避路が守られている。
「……敵に助けられるなど、笑えんな」
レオンは低く呟いた。
クラウスが通信越しに言う。
『記録しますか』
「するな」
『冗談です』
わずかに空気が緩む。
だがすぐに、エリシオンの警告が鳴った。
カイトのアルタイルが、再び正面へ来ている。
『レオン!』
「来たか」
レオンは防壁を張り直す。
アルタイルの一撃を受け止める。
だが、その衝撃でエリシオンは少しだけ横へずれた。
カイトは正面突破ではなく、エリシオンの防壁をずらすために攻撃していた。
「小賢しい」
『壊せないなら、どかすしかないですから』
「どかされるつもりはない」
『でしょうね!』
アルタイルがさらに踏み込む。
エリシオンが押し返す。
その背後で、ルクス・ヴァルキュリアの進路が、少しずつ中枢区画へ向かって伸びていた。
戦場全体が、細い均衡の上にあった。
ルクス側は壊さずに進もうとする。
通常軍は止めようとする。
中枢派はインペリウムの接続を広げようとする。
リゼルはそれを抑える。
監察局旧回線は混入しようとする。
イリスとナユがその痕跡を拾い、黒瀬が記録する。
ユイはノクスを起動できる。
だが、まだ切らない。
切れば早いかもしれない。
けれど、切った先がインペリウム準備照合へ逆流すれば、外郭防衛圏全体が暴走する。
だから、今は仲間を信じる。
カイトが正面を押す。
ミオが撃たない場所を決める。
セラが砲台の制御部だけを止める。
レイとリンが旧回線混入機だけを切る。
ナユが残響で危険な接続を探す。
イリスが記録の改竄を残す。
そしてルクスが進む。
「進路、開きます!」
リンが艦橋で声を上げた。
「外郭防衛線、中央部に一時的な空白。中枢区画方面への進路候補を確認!」
ジンは即座に判断した。
「速度を上げるな。空白を広げすぎるな。通れる幅だけでいい」
「了解」
「ミオ、支援網を維持できるか」
『できます。でも長くは無理です』
「十分だ」
ジンは正面を見る。
ネメシア外郭の防衛線が、一部開いている。
その奥に、中枢区画へ続く光の帯が見えた。
それは勝利の道ではない。
対話の場へ向かうための、危うい進路だった。
レオン隊はまだ敵として残っている。
インペリウムはまだ完全には起動していない。
中枢派も、監察局残党も、諦めていない。
だが、今だけは道がある。
ジンは静かに命じた。
「進路を中枢区画へ」
艦橋の全員が、その声を聞いた。
「ここから先は、帝国そのものとの対話になる」
ルクス・ヴァルキュリアは、ネメシア外郭防衛圏に開いた細い道を進んだ。
首都を壊すためではない。
命令ではない記録と声を、帝国の中心へ届けるために。




