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第368話 中枢派の焦り

 レグナリア防衛線は、まだ崩壊していなかった。

 通常軍艦隊は戦線を維持している。

 レオン・グレイスナーのエリシオンも、ルクス・ヴァルキュリアの進路を塞ぎ続けている。

 だが、防衛線には穴が開いていた。

 破壊された穴ではない。

 撃たない場所を積み重ね、残す場所を選び、必要な制御部だけを止めて作られた通過の穴。

 ルクスは、そこを進んでいる。

 帝国本国中枢にとって、その事実は重かった。

 通常軍は負けていない。

 だが、止めきれていない。

 監察局は失墜した。

 だが、命令層技術の必要性を完全には否定できない。

 ルクス側PT達は命令層から外れた。

 それでも、壊れず、崩れず、むしろ連携を強めている。

 その全てが、帝国中枢派の焦りを煽っていた。


 皇帝府、緊急防衛会議室。

 重い扉の内側で、本国中枢の代表者達が集められていた。

 中枢派官僚。

 防衛管制担当。

 戦術演算局。

 通常軍代表。

 皇帝府の側近達。

 そして、沈黙したまま席に着く皇帝。

 会議室中央には、レグナリア防衛線の戦況図が投影されている。

 ルクス・ヴァルキュリアの進路。

 レオン隊の防衛配置。

 カルディア・ベイの手動承認遅延。

 監察局旧回線の遮断記録。

 そして、封鎖状態にある最終防衛機構の表示。

 GD-NM-00 インペリウム。

 中枢派官僚の一人が声を上げた。

「通常軍だけでは、ルクス・ヴァルキュリアを止められません」

 その言葉に、会議室の視線が戦況図へ集まる。

「レオン・グレイスナーは善戦しています。ですが、敵は通常軍艦隊を壊滅させずに防衛線を抜けようとしている。これは通常防衛戦の想定外です」

 別の官僚が続ける。

「監察局は確かに越権しました。オルフェンの拘束と観測ログ欠損は重大です。しかし、だからといって命令層技術そのものを全て捨てることはできません」

「ルクス側PT達は、命令層外で安定している」

 別の声が重なる。

「対象Yは命令層を切断し、対象Aは自己応答を保持した。対象Mは防衛線の穴を作るほどの広域管制を行い、対象Iは帝国記録形式とは異なる記録を保持している。これは、本国防衛上の重大な危険です」

 会議室の空気が、少しずつ一つの方向へ流れていく。

 通常軍では足りない。

 監察局は信用できない。

 だが、命令層技術は必要だ。

 ネメシア本国中枢を守るには、より強い統合防衛機構が必要だ。

 その名は、誰もが知っていた。

 インペリウム。


 エルマ・ディクセンは、会議卓の側面に立っていた。

 戦術演算局・パルスティア識別管理部門の人格機能評価官として、彼女は資料を提示する。

「ルクス側パルスティア群への対処について、通常防衛網では不十分です」

 投影資料が切り替わる。

 対象Y。

 対象A。

 対象M。

 対象I。

 それぞれの再分類案が並んだ。

「対象Yは命令層切断能力を保持しています。通常防衛網の認証線を選択的に切断できるため、砲台、無人艦、GD防衛線の連携が崩れる危険があります」

 ユイの記録が表示される。

 そこに名前はない。

 能力だけがある。

「対象Aは、A系列設計目的から逸脱した自己応答保持個体です。再同期失敗後も安定し、対象Lとの相互補完により防壁能力を維持しています」

 次に、アミィとレータの共同防壁記録。

「対象Mは、支援個体ではなく広域管制個体として評価すべきです。レグナリア防衛線で確認された通過戦術は、通常軍艦隊を壊滅させずに防衛線の機能だけを削るものでした。通常防衛網では、これを防ぐには遅れがあります」

 ミオの支援網が表示される。

 撃たない領域。

 保護領域。

 進路制限解除。

「対象Iは、帝国記録形式に対する非命令記録保持個体です。監察局式改竄の痕跡を検出し、保護記録として残す能力を示しています。これは、帝国側の記録処理、責任移管、証拠管理に対する妨害要素となります」

 イリスの記録が表示された。

 それを見た中枢派官僚の一人が、低く言った。

「記録汚染か」

「評価語としては、非命令記録保持です」

 エルマは訂正した。

「ただし、防衛上は汚染要素として扱うべきです」

 彼女の声は冷たい。

 憎しみではない。

 嫌悪でもない。

 ただ、人格を機能へ戻す声だった。

「対象Y、対象A、対象M、対象Iへの対処には、通常防衛網では不十分です。個別迎撃ではなく、PT反応照合機能による統合識別と遮断が必要です」

 投影資料の下部に、インペリウムの識別名が表示される。

 GD-NM-00 インペリウム。

「インペリウムのPT反応照合機能を起動すれば、対象群を防衛網干渉要因として識別し、ネメシア本国中枢への接近を遮断できます」

 中枢派の空気が、明確に傾いた。

 それは、感情的な恐怖ではない。

 理屈を得た焦りだった。

 ルクスを止めるため。

 PT達を防衛対象として遮断するため。

 ネメシア本国中枢を守るため。

 インペリウムが必要だという形が、整えられていく。


 リゼル・オルブライト実務官は、その流れに対して正面から反対した。

「本格起動は早すぎます」

 会議室の視線が集まる。

 リゼルは防衛管制室から直通回線で参加していた。

 彼の背後には、カルディア・ベイの認証遅延、レグナリア防衛線、監察局旧回線遮断記録が表示されている。

「インペリウムは単なる防衛兵器ではありません。帝国本国認証網、命令層残滓、中枢防衛システムを統合する最終防衛機構です。本格起動すれば、ネメシア防衛砲台、無人艦管制圏、中央GD防衛線、カルディア・ベイ補助装置、そして通常軍指揮系統にまで影響が及びます」

 中枢派官僚が反論する。

「だからこそ必要なのです。通常軍だけでは止められない」

「通常軍を統合防衛網の部品にするつもりですか」

 リゼルの声が低くなる。

「レオン隊は監察局旧回線とインペリウム予備接続要求を拒否しました。それは、現場が危険を察知しているということです」

「レオン・グレイスナーは外縁方面軍の指揮官に過ぎません。本国防衛全体を判断する立場ではない」

「しかし、今まさに本国防衛線で戦っている指揮官です」

 リゼルは即座に返した。

「その彼が、通常軍を中継器にする命令を拒否した。これは無視できません」

 別の官僚が声を荒げる。

「ルクスが通れば、ネメシア本国中枢そのものが危険にさらされるのです」

「インペリウムが暴走すれば、ネメシア本国中枢だけでなく、本国圏全体が命令層残滓に飲まれます」

 リゼルは譲らなかった。

「カルディア・ベイはすでに旧命令層回線へ再接続を試みました。防衛網は不安定です。この状態で本格起動を行えば、制御できる保証はありません」

 エルマが静かに口を挟む。

「本格起動ではなく、PT反応照合機能の準備起動から始めるべきです」

 リゼルは彼女を見る。

「それも危険です。準備起動であっても、インペリウムの照合系統が防衛網へ接続されます」

「接続しなければ、対象群を識別できません」

「識別だけで済む保証はない」

「保証を求めている間に、ルクスは進みます」

 二人の視線がぶつかる。

 リゼルは帝国本国中枢を守ろうとしている。

 エルマも、彼女なりに防衛の理屈を組み立てている。

 だが、その守り方が違う。

 リゼルは暴走を恐れている。

 エルマは逸脱を恐れている。

 そして中枢派は、突破されることを恐れている。

 会議室の焦りは、少しずつ皇帝の席へ向かって集まっていった。


 通常軍側からも、通信が入った。

 発信元はエリシオン。

 レオン・グレイスナー。

 通信窓に映る彼の顔には、戦闘中の疲労が見えた。

 それでも声は揺れていない。

『通常軍代表として申し上げる』

 会議室が静まる。

『インペリウム本格起動、および通常軍指揮系統の統合管制下移行に反対する』

 中枢派官僚が眉を吊り上げる。

「レオン指揮官。あなたの任務はルクスを止めることです」

『そのために戦っている』

「ならば、より強力な防衛機構の起動に反対する理由はありません」

『ある』

 レオンは即答した。

『通常軍をインペリウムの管制下に置けば、現場判断は失われる。民間区画、退避路、軍港設備、救助経路。それらを残す判断が、統合防衛効率の名で消される可能性がある』

「本国中枢を守るためなら、多少の犠牲は避けられない」

『多少とは誰のことだ』

 レオンの声が低くなった。

『レグナリアの整備士か。退避中の補給艦か。前衛艦の兵か。ヘルメス隊か。それとも、私のエリシオンか』

 会議室の空気が凍る。

『私はルクスを通すつもりはない。だが、帝国軍を部品にする命令にも従わない。インペリウムを起動するなら、通常軍指揮系統を完全に従属させない保証を出せ』

 中枢派は即答できなかった。

 保証など、ないからだ。

 インペリウムは最終防衛機構である。

 起動すれば、効率を優先する。

 認証網を統合し、砲台を動かし、無人艦を束ね、GD防衛線を再配置する。

 その中で、通常軍の個別判断がどこまで残るか。

 誰も断言できない。

 リゼルが低く言った。

「それが、私の反対理由でもあります」

 エルマは黙っていた。

 彼女は反論できなかったのではない。

 おそらく、通常軍の損耗を防衛効率の一部として計算している。

 だが、それをこの場で言えば、レオンの反発を強めるだけだと判断したのだろう。

 会議室の視線が、最後に皇帝へ向けられた。


 皇帝は、長く沈黙していた。

 その沈黙の間にも、戦況表示は変わり続けている。

 ルクス・ヴァルキュリアは進む。

 レオン隊は防ぐ。

 カルディア・ベイは揺らぐ。

 監察局旧回線は、遮断されてもなお別経路を探している。

 戦術演算局は、PT達を防衛対象として識別する理屈を整えている。

 中枢派は、インペリウム本格起動を求めている。

 通常軍は、管制下に置かれることを拒んでいる。

 リゼルは、暴走を恐れている。

 エルマは、逸脱を恐れている。

 どの判断も、帝国を守るという言葉を使っていた。

 だが、その中身は同じではない。

 皇帝は、ようやく口を開いた。

「本格起動は認めない」

 会議室に、小さなざわめきが走る。

 中枢派官僚の表情が強張った。

 リゼルはわずかに息を吐く。

 レオンは通信窓の向こうで沈黙したまま、その言葉を受け止めた。

 だが、皇帝の言葉はそこで終わらなかった。

「だが、起動準備の第二段階を許可する」

 今度は、別の緊張が走った。

 リゼルの表情が険しくなる。

 エルマは静かに目を伏せ、すぐに資料を更新した。

「PT反応照合機能の準備起動も含まれますか」

 戦術演算局の担当者が問う。

 皇帝は答えた。

「本格接続は認めない。だが、防衛識別準備としての限定照合は認める」

「通常軍指揮系統への接続は」

 レオンが問う。

「現時点では認めない」

 皇帝は静かに言った。

「通常軍は通常軍として戦え。ただし、インペリウム起動準備が第二段階へ入る以上、今後の状況次第では再判断する」

 レオンの表情は変わらなかった。

 だが、その目がわずかに鋭くなる。

 リゼルもまた、危機が去っていないことを理解していた。

 本格起動は止まった。

 しかし、封鎖は一段階解除される。

 それは、最後の防壁が眠りから浅く目を開けることを意味していた。


 ネメシア本国中枢の深部。

 封鎖区画の奥で、重い認証扉が一つ開いた。

 幾重にも重なっていた封印表示のうち、一段階が解除される。

『GD-NM-00 インペリウム』

『起動準備第二段階へ移行』

『PT反応照合機能、限定準備起動』

『本国防衛網への本格接続、未承認』

『通常軍指揮系統接続、未承認』

 黒金の巨大機影が、暗い格納空間の奥で沈黙していた。

 まだ動かない。

 まだ完全には起きていない。

 だが、周囲の補助装置に光が灯る。

 カルディア・ベイの一部装置が、その起動準備に合わせて低く唸った。

 防衛網の奥で、細い照合波が走る。

 それはまだ攻撃ではない。

 だが、ルクス側PT達の反応を探すための、最初の視線だった。

 皇帝府の会議室では、誰もすぐには言葉を発しなかった。

 本格起動は認められなかった。

 それでも、インペリウムの封鎖は一段階解除された。

 帝国が命令で秩序を保とうとする最後の形が、ゆっくりと目を開き始めていた。

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