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第367話 レオンの迷い

 レグナリア防衛線の中央で、エリシオンの防壁がアルタイル・ノヴァ・ブレイスを受け止めた。

 衝撃が白い光となって広がる。

 カイトは機体を押し込む。

 だが、レオンの防壁は崩れない。

 正面から叩き割るには硬すぎる。

 かといって、大出力で突破すれば、周囲の通常軍艦隊やレグナリア軍港設備を巻き込む危険がある。

 だから、カイトは踏み込めなかった。

 レオンもまた、押し返すだけで、アルタイルを撃墜するための追撃には移らなかった。

 互いに力を持っている。

 互いに敵として向かい合っている。

 それでも、越えてはいけない線を見ていた。

『まだ進むか、カイト・キリシマ』

 レオンの声が通信に入る。

「進みます」

 カイトは即答した。

「記録を届けるまで、止まれません」

『ならば止める』

 エリシオンの防壁が前へ押し出される。

 アルタイルが後退する。

 その瞬間、ヘルメス隊が側面から進路を削った。

 リュカの機体が、細かい撹乱信号を撒きながらアルタイルの退避先を絞る。

『悪いけど、こっちも仕事なんでね!』

「分かってる!」

 カイトは機体をひねり、撹乱信号の隙間を抜けた。

 ヘルメス隊の動きは鋭い。

 だが、撃墜を狙うものではない。

 進路を狭め、エリシオンの正面へ戻すための動きだった。

 ミオの支援網が、さらに細い道を作る。

 セラが余計な防衛端末だけを撃ち抜き、レイとリンが旧命令層回線の混入機だけを切り落とす。

 レグナリア防衛線は、壊れずに削られていた。

 それを、エリシオンの中でレオンは見ていた。


 エリシオン指揮座。

 レオン・グレイスナーは、戦況表示を見つめていた。

 ルクス側は本当に、通常軍を壊滅させるつもりがない。

 航行不能化はしている。

 防壁発生器の外部ユニットも壊している。

 砲台制御部も止めている。

 だが、撃沈は避けている。

 軍港中枢も、退避路も、民間連絡線も狙っていない。

 それは甘さではない。

 戦場を選んでいる。

 壊さずに進むという、もっと厄介な戦い方だった。

「閣下」

 クラウス・ベルガーが声を上げた。

「本国中枢経由で新たな命令が来ています」

「内容は」

 レオンは視線を外さずに問う。

 クラウスの表情がわずかに硬くなった。

「発信元は複数です。正式な通常軍系統ではありません。中枢派の一部と、監察局旧回線が混在しています」

「読め」

「第一。ルクス側PT反応を誘導するため、通常軍艦隊を囮として配置せよ」

 レオンの目が細くなる。

「第二。レグナリア軍港の一部区画を切り離し、敵機およびルクス側機動部隊ごと封鎖せよ」

 クラウスは続けた。

「第三。カルディア・ベイ管理下の無人艦群を、通常軍承認を経ず強制出撃させよ」

 指揮座の空気が重くなった。

「第四」

 クラウスは一度だけ言葉を切った。

「エリシオンを、インペリウム予備接続の中継器として使用せよ」

 レオンは無言だった。

 だが、その沈黙は承認ではなかった。

 クラウスは、命令文の詳細を表示する。

 エリシオンの防壁系統。

 命令層耐性。

 本国防衛網との接続履歴。

 それらを理由に、エリシオンをインペリウム予備接続へ組み込む案が示されていた。

 接続すれば、レグナリア防衛線の制御速度は上がる。

 インペリウム起動準備にも、エリシオンの認証値を利用できる。

 だが、それはエリシオンを一機の機体としてではなく、防衛網の部品として扱うことだった。

「命令の有効性は」

「通常軍正規系統の承認はありません。ただし、本国防衛緊急権限を主張しています」

「監察局の署名は」

「直接署名はありません。ですが、旧回線由来の認証補助が混じっています」

「つまり、責任を隠した命令か」

 クラウスは短く頷いた。

「はい」

 レオンは、正面表示を見る。

 ルクスは敵だ。

 カイトは進もうとしている。

 ユイ達は、帝国本国中枢へ記録を届けようとしている。

 それを止めるのが、今のレオンの役目だった。

 だが、そのために通常軍を囮にするのか。

 軍港区画を切り離し、兵ごと閉じ込めるのか。

 無人艦を強制出撃させ、カルディア・ベイを再び命令層残滓へ接続させるのか。

 自分のエリシオンを、インペリウムの中継器として差し出すのか。

 それは、帝国を守ることなのか。

 レオンは答えられなかった。

 すぐには。


 リュカ・ヴァレンは、ヘルメス隊を率いてレグナリア防衛線の側面を飛んでいた。

 アルタイルの進路を削り、ルクスの前進速度を落とす。

 その役割は、これまで通りこなしている。

 だが、通信窓に表示された新命令を見て、思わず声が漏れた。

「うわ、最悪」

 部下の一人が反応する。

『隊長?』

「いや、こっちの話。いや、やっぱり全員聞け。今すぐ座標七二から八九の中継位置から離れろ」

『そこ、進路制限の要ですよ』

「要だから危ないんだよ。そこ、インペリウム予備接続の補助線にされかけてる」

 通信が一瞬静まる。

『それ、僕らを中継器にするってことですか』

「正解。嫌な正解だけどな」

 リュカは機体を反転させた。

 ヘルメス隊の数機が、指示通りに散開する。

 さっきまでいた空間に、薄い認証光が走った。

 もし残っていれば、機体の通信系統に強制接続が入っていた可能性がある。

「危ない危ない。俺達、いつから部品になったんだよ」

『隊長、軽口に聞こえません』

「軽口にしてるんだよ。重くしたら飛びにくいだろ」

 リュカはそう言いながら、内心では笑っていなかった。

 監察局のやり方は知っている。

 命令層の名を使い、通常軍を都合よく並べる。

 兵を、艦を、機体を、認証値を。

 必要なら、何でも部品にする。

 外縁防衛線で見たものと同じだった。

 いや、今はもっと悪い。

 ここは本国圏だ。

 帝国の中心だ。

 その中心で、まだ同じことをしようとしている。

「隊長から命令は?」

 副官機が問う。

「まだ。でも、だいたい分かる」

 リュカはエリシオンの方を見る。

「うちの隊長は、ああいうの嫌いだからな」

 その直後、レオンから通信が入った。

『リュカ、ヘルメス隊を中継候補位置から外せ。以後、監察局旧回線を含む指示は全て無効とする』

「了解。もう外してます」

『早いな』

「嫌な匂いがしたんで」

 リュカは軽く返した。

「で、隊長。俺達、まだルクスを止めるんですよね」

『止める』

 レオンの答えはすぐだった。

『だが、部品にはならん』

「了解」

 リュカは小さく笑った。

「それなら、まだ飛べます」


 レオンは、クラウスへ視線を向けた。

「命令拒否の記録を残せ」

「理由は」

「通常軍艦隊を囮にする命令は、兵の生命を防衛資源として扱うもの。レグナリア軍港区画切り離しは、退避未完了区画を巻き込む危険がある。カルディア・ベイ無人艦強制出撃は、旧命令層回線の再接続を助長する。エリシオンのインペリウム予備接続中継化は、通常軍指揮系統を最終防衛機構へ従属させる行為」

 クラウスはその全てを記録していく。

「拒否権限は、外縁方面軍指揮官としての現場判断でよろしいですか」

「それでいい」

「記録します」

 クラウスの指が止まらない。

 この記録は、後でレオン自身を責めるものになるかもしれない。

 命令違反。

 本国防衛命令への不服従。

 中枢派は、そう呼ぶだろう。

 監察局残党は、ルクスへ利する行動だと責任転嫁するかもしれない。

 それでも、残す必要があった。

 記録がなければ、また意味を変えられる。

 レオンは、それをもう知っている。

「閣下」

 クラウスが静かに言った。

「これで、我々は本国中枢の一部と対立することになります」

「監察局の越権を記録した時点で、すでにそうだ」

「今回はさらに、インペリウム関連命令の拒否です」

「分かっている」

 レオンは、エリシオンの防壁を維持したまま、遠くのネメシアを見た。

「だが、ここで受ければ、通常軍は二度と通常軍として戻れなくなる」

 クラウスは黙って頷いた。

 その目に、わずかな安堵があった。


 アルタイル・ノヴァ・ブレイスは、エリシオンの防壁の前で機動を変え続けていた。

 カイトは、レオン隊の動きに違和感を覚える。

 ヘルメス隊が急に散った。

 通常軍艦隊の一部が、危険な中継位置から後退している。

 ルクスを通すためではない。

 むしろ、防衛線は再編され、まだ進路を塞いでいる。

 だが、何かを避けている。

 ミオの通信が入る。

『カイト、レオン隊の動きが変わった。インペリウム関連の予備接続反応が一瞬出たけど、すぐ切られた』

「レオンが?」

『たぶん。ヘルメス隊も中継位置から外れてる』

 カイトは正面のエリシオンを見た。

 防壁はまだある。

 レオンは退かない。

 だが、その背後で、何かを拒んでいる。

 カイトは通信を開いた。

「レオン」

『何だ』

「今、何か命令を切りましたか」

『戦闘中に敵へ説明する義務はない』

「それはそうです」

 カイトは苦笑しかけたが、すぐに表情を引き締めた。

「でも、聞きたいことがあります」

『何だ』

 アルタイルとエリシオンが、再びぶつかる。

 防壁とブレードが火花を散らす。

 その衝撃の中で、カイトは問うた。

「帝国を守るって、誰を守ることなんですか」

 レオンの返答はなかった。

 ほんの一瞬。

 だが、確かに沈黙があった。

 カイトは続ける。

「ネメシアの中枢ですか。皇帝ですか。命令層ですか。監察局ですか。それとも、そこにいる人達ですか」

『……軽々しく言うな』

 レオンの声が低くなる。

『帝国は、お前が外から見て語れるほど単純ではない』

「分かっています」

『分かっていない』

 エリシオンの防壁がアルタイルを押し返す。

『帝国は命令だけでできているわけではない。兵がいる。家族がいる。整備士がいる。軍港で働く者がいる。本国中枢で記録を扱う者もいる。命令に従うことで、守られてきた者もいる』

 レオンの声には怒りがあった。

 だが、それはカイトへの怒りだけではなかった。

『お前達が命令を切れば、救われる者もいるだろう。だが、命令が消えて迷う者もいる。守るべきものを一言で選べるなら、こんな戦場には立っていない』

 カイトは、操縦桿を握りしめた。

 その言葉は、否定できなかった。

 帝国を命令の構造としてだけ見れば、切ればいい。

 けれど、その中には人がいる。

 命令に苦しめられた者もいれば、命令の中でしか立てなかった者もいる。

 それを乱暴に壊せば、別の犠牲が生まれる。

「なら」

 カイトは言った。

「それでも、部品にされそうな人達は守るんですか」

 レオンは、今度もすぐには答えなかった。

 だが、沈黙の質が違った。

 迷いではなく、何かを選び直す沈黙だった。

『……それは、守る』

 レオンは低く答えた。

『帝国軍は、帝国を守るためにいる。命令の部品になるためではない』

 カイトは、その言葉を聞いた。

 完全な答えではない。

 レオン自身も、まだ迷っている。

 帝国を守るとは何か。

 命令を守ることなのか。

 本国を守ることなのか。

 そこにいる人を守ることなのか。

 答えは、まだ一つに定まっていない。

 けれど、向きは見えた。

「なら、俺達はその記録も届けます」

『勝手にしろ』

「します」

 アルタイルが再び加速する。

 エリシオンが防壁を構え直す。

 通信は切れなかった。

 だが、言葉はそこで途切れた。


 エリシオン指揮座。

 クラウスが、最後の確認を行っていた。

「監察局旧回線由来命令、遮断準備完了。中枢派緊急命令の一部も保留扱いにします」

「実行しろ」

「よろしいのですね」

 レオンは正面を見た。

 カイトの問いが、まだ耳に残っている。

 帝国を守るとは、誰を守ることなのか。

 即答できなかった。

 それが、今の自分の弱さだと分かっている。

 だが、答えられないからといって、全てを命令に預けるわけにはいかない。

 少なくとも、違うと分かるものはある。

 通常軍を囮にする命令。

 軍港を味方ごと封鎖する命令。

 無人艦を旧命令層へ戻す命令。

 エリシオンをインペリウムの中継器にする命令。

 それは帝国を守るものではない。

 帝国の形を守るために、帝国の中身を部品にする命令だ。

 レオンは、命令回線の遮断キーに手を置いた。

「帝国を守るために」

 低く言う。

「帝国軍を部品にする命令には従わない」

 遮断キーが押される。

 監察局旧回線。

 中枢派緊急命令の一部。

 インペリウム予備接続要求。

 それらが、エリシオンの指揮系統から切り離された。

 警告表示が連続して上がる。

 命令拒否。

 防衛効率低下。

 指揮系統逸脱。

 クラウスは、その全てを記録した。

 リュカのヘルメス隊は、中継候補位置から完全に離脱した。

 通常軍艦隊は、危険な囮配置から退いた。

 それでも、エリシオンは前にいた。

 ルクスの進路を塞いだまま。

 レオンはまだ退かない。

 敵として立ちはだかる。

 だが、その足元には、もう監察局の命令線は繋がっていなかった。

 カイトはアルタイルを構える。

 レオンはエリシオンの防壁を上げる。

 帝国を守るための戦いは、まだ終わらない。

 けれど、帝国軍を部品にしないための一線は、今、確かに引かれた。

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