第366話 エルマの理屈
帝国本国中枢では、レグナリア防衛線の戦闘とカルディア・ベイの揺らぎが、同時に報告され続けていた。
ルクス・ヴァルキュリアは進んでいる。
通常軍は壊滅していない。
だが、防衛線には穴が開き始めている。
カルディア・ベイは旧命令層回線への再接続を試み、リゼル・オルブライト実務官がそれを遮断した。
監察局残党は証拠隠滅を狙い、ルクス側と帝国中枢側の双方から遮断された。
命令層中枢が停止して以降、帝国本国圏は一つの命令で動けなくなっていた。
その混乱の中で、エルマ・ディクセンは淡々と資料を整えていた。
戦術演算局。
パルスティア識別管理部門。
人格機能評価官。
彼女の役目は、敵を憎むことではない。
異常を分類することだった。
帝国本国中枢、戦術演算会議室。
壁面に投影されたのは、ルクス側PT達の記録だった。
対象Y。
対象A。
対象L。
対象M。
対象I。
対象S。
対象R。
そこに名前はない。
ユイではなく、対象Y。
アミィではなく、対象A。
レータではなく、対象L。
ミオではなく、対象M。
イリスではなく、対象I。
セラでも、レイでもない。
全てが系列と機能で表示されていた。
エルマは会議卓の前に立ち、表情を変えずに告げる。
「命令層中枢停止後のルクス側パルスティア群について、再分類案を提示します」
周囲には中枢官僚、戦術演算局の担当者、防衛管制担当、そして監察局残存部門の一部がいた。
リゼルの姿はない。
彼は防衛管制室でレグナリアとカルディア・ベイの対応を続けている。
だからこそ、この場ではエルマの言葉が通りやすかった。
「まず対象Y」
投影されたユイの戦闘記録が拡大される。
ノクス・レクイエムの起動。
命令層接続線の切断。
再同期波から本人応答を切り離した記録。
ただし、そこに彼女の言葉は表示されない。
表示されるのは、機能と危険度だけだった。
「対象Yは、命令層切断能力を保持する危険個体です。単純な高戦闘能力個体ではありません。命令層、認証網、再同期系統の接続を選択的に切断可能であり、帝国本国圏の防衛構造そのものに干渉できます」
エルマは、次の資料を開く。
アミィの記録。
A系列。
L系列欠損補完。
代替指揮支援個体。
セレスティア支援中核。
その下に、新しい分類が重ねられる。
自己応答保持個体。
「対象Aは、A系列の設計目的から逸脱しています。本来、対象L不在時の補完制御と支援中核を目的とする個体でした。しかし現在は、自己応答を保持し、命令層から外れた状態でも安定しています」
会議室の一部がざわつく。
エルマは気にしない。
「これは救出ではありません。人格機能が命令層外で安定化した状態です。帝国の系列管理から見れば、重大な逸脱です」
次に、レータとアミィの共同防壁記録が投影される。
ヴァルクレイド・セレス。
セレス・バスティオン。
命令層照合波を受け止め、自己応答を守った防壁。
「対象Lと対象Aの相互補完は、さらに危険です。L系列の指揮欠陥をA系列が補助し、A系列の自己応答不安定性をL系列が支えています。これは帝国の系列管理を無効化する構造です」
エルマの声は変わらない。
「単体管理を前提とする従来の再同期、再分類、封鎖処理では不十分です。相互補完構造として識別しなければなりません」
次にミオの資料が開く。
ルナ・ドール・リンク。
GD-06 バリスタ。
GD-11 ファランクス。
GF-07 リーフガード。
撃たない場所を決め、戦場を管制した記録。
「対象Mは、支援個体から広域管制個体へ変質しています。従来の支援適性ではなく、複数機体、複数進路、保護領域、非攻撃領域を同時に管理する能力を示しました。これは防衛網の一部を奪取、または上書きする潜在能力として評価すべきです」
続いて、イリス。
命令ではない記録。
監察局改竄差分の隔離。
PT達の日常記録。
帝国記録とは異なる記録形式。
「対象Iは、命令履歴保持個体ではありません。非命令記録保持へ変質しています。これは帝国記録形式に対する汚染要素です」
会議室が静まった。
汚染。
その言葉だけが、重く残る。
エルマは続ける。
「帝国記録は、命令、照合、責任、管理を前提とします。しかし対象Iの記録は、命令に従わない行動、日常適応、自己応答、感情変化を価値あるものとして保持します。これは記録体系そのものを不安定化させる要素です」
誰かが低く言った。
「つまり、彼女達は成長したのではないと?」
エルマは、その声の方を見た。
「成長という語は、評価に不適切です」
彼女は、はっきりと言った。
「これは、命令層外安定化した人格機能の逸脱です」
投影窓に、再分類案の総括が表示される。
対象Y。
命令層切断能力保持個体。
対象A。
自己応答保持個体。
対象L/A。
相互補完型系列管理逸脱構造。
対象M。
広域管制個体。
対象I。
非命令記録保持個体。
対象S/R。
判断保留型戦闘個体。
そして、最下部に一つの提案が表示された。
GD-NM-00 インペリウム。
PT反応照合機能。
「現在の本国防衛網では、彼女達を旧系列分類でしか識別できません。ですが、インペリウムのPT反応照合機能を使用すれば、彼女達を個別機能ではなく、防衛対象として統合識別できます」
戦術演算局の担当者が問う。
「防衛対象、というのは」
「遮断対象です」
エルマは即答した。
「対象Yの命令層切断、対象Mの広域管制、対象Iの非命令記録、対象L/Aの相互補完。これらを個別に止めるのではなく、インペリウムの統合照合で防衛網から遮断します」
「再同期ではないのか」
「再同期ではありません」
エルマは言った。
「彼女達を命令に戻すことが難しい以上、まず防衛網から切り離すべきです。自己応答を保持したままでも、帝国本国圏への干渉を遮断できれば、防衛上の目的は達成できます」
それは、監察局の言葉とは少し違っていた。
観測する。
再同期する。
命令へ戻す。
そうではない。
識別する。
分類する。
遮断する。
エルマの理屈は、より冷たかった。
「インペリウムの完全起動には、皇帝府および本国中枢防衛承認が必要です。しかし、PT反応照合機能の準備起動であれば、防衛識別強化として申請可能です」
会議室の空気が重くなる。
インペリウム。
帝国本国認証網、命令層残滓、中枢防衛システムを統合する最終防衛機構。
まだ完全起動はされていない。
だが、エルマはその理屈を作り始めていた。
ルクス側PT達は危険である。
彼女達は成長したのではなく、命令層外で安定した逸脱である。
だから、インペリウムを使って識別し、遮断する必要がある。
それは、戦うための感情ではなく、防衛承認を通すための理屈だった。
ルクス・ヴァルキュリア、解析室。
カナデは、帝国側から断片的に流れてきた評価資料を見つめていた。
直接送られてきたものではない。
カルディア・ベイの防衛認証、監察局残党の改竄差分、戦術演算局の識別参照。
それらの痕跡を、イリスが保護記録と照合し、リクトが命令層残滓の接続形式から再構成したものだった。
画面には、エルマの再分類案の一部が表示されている。
対象Y。
対象A。
対象L/A相互補完構造。
対象M広域管制化。
対象I非命令記録汚染。
カナデは、長く息を吐いた。
「……これは、かなり危険な評価です」
リクトが隣で術式層の接続図を開いていた。
「再同期とは違うんですよね」
「違います。でも、だから安全というわけではありません」
カナデは画面を指す。
「監察局は、彼女達を命令に戻そうとしました。オルフェンは観測し、再同期できる条件を探していました。でも、この評価は少し違います」
「分類して、遮断する」
「はい」
カナデの声は硬かった。
「エルマは、彼女達が命令に戻らないことを前提にしています。戻らないなら、危険な人格機能として分類し、防衛網から切り離す。そういう理屈です」
リクトは眉を寄せた。
「名前を知っているのに、名前で呼ばないんですね」
カナデは頷いた。
「そこが一番危険です」
解析室の空気が静まる。
そこには、ユイ、アミィ、ミオ、イリス、レータ達を知る者達がいた。
彼女達が笑うこと。
迷うこと。
失敗すること。
自分で返事をすること。
それを知っているからこそ、画面の文字が冷たく見えた。
「この評価は、彼女達の名前を知らないわけではありません。知らないから対象と呼んでいるのではなく、知った上で、人格を機能に戻しています」
カナデは静かに言った。
「ユイさんを、命令層切断能力にする。アミィさんを、A系列逸脱にする。ミオさんを、広域管制個体にする。イリスさんを、記録汚染にする。レータさんとアミィさんの関係を、相互補完構造にする」
リクトは、少しだけ顔をしかめた。
「それって、見方によっては全部事実の一部ではあるんですよね」
「そうです」
カナデは否定しなかった。
「だから厄介なんです。完全な嘘ではありません。ユイさんは命令層を切れます。アミィさんはA系列として作られました。ミオさんは広域管制に近い支援をしました。イリスさんの記録は帝国記録形式とは違います」
彼女は画面を見つめる。
「でも、それは彼女達の全部ではありません」
リクトは頷いた。
「帝国の評価は、全部を機能の方へ戻している」
「はい。命令層が止まっても、別の言葉で縛ろうとしているんです」
カナデは、資料の下部にある文字を見る。
インペリウム。
PT反応照合機能。
防衛対象識別。
遮断。
「この理屈が通れば、インペリウム起動の理由になります」
「まだ完全起動ではないとしても、準備起動は通る」
「そうです。彼女達を危険な逸脱として扱えば、防衛識別のためにインペリウムを使う名目ができます」
リクトは腕を組んだ。
「止めるには、どうすれば」
「彼女達を機能だけで見ない記録を届けるしかありません」
カナデは言った。
「命令層中枢で守った記録、イリスさんが残してきた日常記録、オルフェン証言、監察局越権証拠。そして、彼女達自身の声」
彼女は少しだけ表情を和らげた。
「分類に対抗できるのは、分類ではありません。名前と、関係と、本人の言葉です」
医療区画の一角で、アミィはカナデの説明を聞いていた。
隣にはユイがいる。
レータは出撃待機中で、通信越しに状況を聞いていた。
画面には、エルマの再分類案の一部が表示されている。
対象A。
A系列設計目的逸脱。
自己応答保持個体。
対象Lとの相互補完による系列管理逸脱構造。
アミィは、その文字をじっと見つめていた。
「……また、A系列なんですね」
小さな声だった。
だが、ユイにははっきり聞こえた。
カナデは、すぐに否定しなかった。
代わりに、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「帝国側の資料では、そう書かれています」
「私は、アミィって言いました」
「はい」
「命令層中枢で、自分で言いました。対象Aじゃないって。私は、アミィですって」
「覚えています」
カナデは静かに頷いた。
「それでも、向こうはまた、A系列って書くんですね」
アミィの声は震えていなかった。
けれど、揺れていた。
怒りではない。
悲しみだけでもない。
自分がやっと言えた名前を、また別の文字で覆われる感覚。
それが、彼女の中に冷たいものを落としていた。
ユイは、アミィの隣に座った。
「アミィ」
名前を呼ぶ。
アミィが、ゆっくりとユイを見る。
「書かれたら、戻るわけじゃないです」
「でも、向こうでは……」
「向こうでは、そう書くかもしれません。でも、ここでは違います」
ユイは自分の胸に手を当てた。
「私も、対象Yって書かれています。命令層切断能力保持個体。危険個体。たぶん、間違ってはいません」
「ユイさん……」
「私は命令層を切れます。それは本当です。でも、それだけじゃありません」
ユイは少しだけ笑った。
「私はユイです。カイトをからかいます。たまに無茶をします。ノクスのことでは怒られます。食堂で変なものを持ち込むと、ジン艦長に止められます」
アミィが、少しだけ目を瞬かせた。
ユイは続ける。
「ミオは広域管制個体じゃありません。みんなが帰れる場所を残そうとする子です。イリスは記録汚染じゃありません。残したいものを、自分で選んで残している子です。レータは指揮欠陥補正対象じゃありません。隣に立って、一緒に守ってくれる人です」
そして、アミィを見る。
「アミィは、A系列だけじゃありません」
アミィは黙っていた。
ユイの言葉が、ゆっくり届いているようだった。
「でも、また書き換えられたら」
「書き換えられたなら、もう一度言えばいいです」
ユイは静かに答えた。
「何度でも」
カナデも頷いた。
「名前は、一度言えば終わりではありません。揺れた時に、また呼んでもらって、また自分で返していいんです」
通信越しに、レータの声が入る。
『アミィ』
アミィが顔を上げた。
『私は、隣にいるよ。資料が何を書いても、私は代わりなんて思ってない』
「……はい」
アミィは小さく返事をした。
画面には、まだ対象Aと表示されている。
その文字は消えていない。
帝国中枢では、きっとまだそう呼ばれている。
だが、ここでは違う。
ユイがいる。
カナデがいる。
レータが通信の向こうにいる。
彼女を名前で呼ぶ声がある。
アミィは、膝の上で握っていた手をゆっくり開いた。
「私は……」
少しだけ間が空く。
それでも、彼女は言った。
「私は、分類ではありません」
ユイは頷いた。
「うん」
そして、ネメシア本国圏の方を見た。
「だから、届けに行く」
アミィは、まだ少しだけ不安そうだった。
けれど、その目は伏せていなかった。
分類ではない。
対象ではない。
その言葉を、もう一度、自分の中に置き直す。
ルクス・ヴァルキュリアは進み続けている。
帝国本国中枢では、エルマの理屈がインペリウム起動の理由を形にし始めていた。
ならば、こちらが届けるものも、はっきりさせなければならない。
機能ではなく、名前を。
分類ではなく、声を。
命令ではなく、返事を。




