第362話 レグナリア防衛線
帝国中央軍港『レグナリア』が、戦場として目を覚ました。
巨大な桁構造の内側で、通常軍艦隊が次々と係留を解除する。
補給艦が後方へ退避し、重装艦が前面に出る。整備ドックの防壁が閉じ、無人支援艇が管制区画から切り離される。
軍港は、巨大な生き物のように姿を変えていった。
ただし、その動きは監察局の強制作戦とは違っていた。
民間連絡線は遮断されている。
建造中の区画には防護壁が降りている。
補給線と退避路は明確に分けられている。
通常軍艦隊は、ルクス・ヴァルキュリアを止めるために出てきていた。
だが、レグナリアそのものを盾にする配置ではなかった。
ルクス艦橋の大型表示に、敵影が次々と重なっていく。
「レグナリア軍港より通常軍艦隊展開。前衛艦八、支援艦十二、後方砲撃艦六。さらに中央GD防衛線の一部が軍港側へ移動しています」
リンの報告に、ジンは頷いた。
「監察局端末は」
「前線には出ていません。いくつかの残存端末が後方にいますが、通常軍系統とは分離されています」
「レオンか」
ジンは低く呟いた。
表示の中央に、一機の巨大な機体反応が浮かぶ。
GD-NM-03 エリシオン。
外縁防衛線でも、中枢戦でも見た機体。
ルクス側にとって、決して味方ではない。
だが、監察局の実験材料として兵を扱う者でもなかった。
「艦長、通信が来ています。発信元、エリシオン。レオン・グレイスナーです」
「開け」
艦橋中央に通信窓が開く。
映ったレオンは、以前と変わらず軍服姿だった。
怒鳴ることも、勝ち誇ることもない。
ただ、帝国軍人としてそこにいた。
『ルクス・ヴァルキュリア。聞こえるか』
「こちらルクス・ヴァルキュリア艦長、ジン。聞こえている」
『ならば告げる。私は帝国軍人だ。ネメシア本国圏への進入は止める』
艦橋の空気がわずかに重くなる。
ジンは表情を変えなかった。
「こちらの目的は、帝国本国中枢の破壊ではない。命令層中枢で保護した記録と、監察局越権の証拠を届けることだ」
『それも理解している』
レオンは即座に答えた。
『だが、お前達は帝国防衛線を越え、命令層中枢を停止させ、今この本国圏へ接近している。目的が何であれ、通常軍が見過ごせる進入ではない』
「話し合いで進路を開けるつもりはない、ということか」
『こちらが開ければ、私は帝国本国を守る責任を放棄したことになる』
レオンの声には迷いがなかった。
『だが、監察局のようなやり方はしない。通常軍艦隊を命令層の中継器にはしない。無人艦を盾にして有人艦を犠牲にする配置も取らない。お前達を観測材料にも使わない』
ジンは、わずかに目を細めた。
「ならば、こちらも民間区画、軍港設備、退避中の艦艇を攻撃対象から外す」
『それでいい』
レオンは短く頷いた。
『互いに譲れない線がある。それだけだ』
通信窓の端で、クラウスが控えているのが見えた。
彼はレオンの言葉を記録していた。
それが、単なる戦闘開始前の会話ではないことを示していた。
通常軍は、監察局とは違う線を引いている。
そしてルクス側も、その線を受け取る必要があった。
「黒瀬」
ジンが呼ぶ。
「記録しています。レオン隊は通常軍指揮系統による迎撃を宣言。監察局端末との分離、民間区画保護、無人艦盾運用の禁止を明言しました」
「こちらの交戦制限も記録しておけ」
「はい。主砲および広域攻撃の使用制限。軍港基幹構造、退避区画、民間連絡線、防護閉鎖中ドックを攻撃対象から除外します」
ジンは頷く。
「全艦へ通達。これよりレグナリア防衛線と接触する。主砲は撃つな。広域制圧も禁止だ。狙うのは進路を塞ぐ戦力のみ。破壊ではなく、排除と無力化を優先する」
リンが復唱する。
「主砲封印。広域攻撃禁止。進路上の戦力のみ無力化。了解しました」
ジンは通信窓のレオンを見た。
「レオン・グレイスナー。こちらも進む」
『ならば止める』
通信が閉じた。
その直後、レグナリア防衛線が動き始めた。
エリシオンの指揮座で、レオンは表示を見据えていた。
ルクス・ヴァルキュリアの巨大な艦影が、ゆっくりと前進してくる。
艦というより、移動する都市に近い。
それが本国圏へ進入しようとしている。
帝国軍人として、見過ごせるはずがなかった。
「クラウス、艦隊配置」
「前衛艦を三層に分けました。第一層は進路制限、第二層は牽制射撃、第三層は軍港防壁の保護。後方砲撃艦は本国防衛砲台群と射線が重ならない位置に配置しています」
「民間区画への流れ弾は」
「射線制御済みです。ただし、ルクス側が大出力兵装を使えば保証できません」
「使わないだろう」
レオンは静かに言った。
クラウスが一瞬だけ彼を見る。
「信用されますか」
「信用ではない。これまでの戦い方だ」
レオンは、過去の記録を思い出していた。
ルクスは突破してきた。
だが、必要以上に壊さなかった。
命令層中枢も完全破壊ではなく停止・隔離した。
監察局ならば、その判断を甘さと呼ぶだろう。
だがレオンには、そうは見えなかった。
壊せるのに壊さない。
それは戦場では、弱さではなく制御だった。
「リュカ隊は」
「ヘルメス隊、右側面へ展開済みです。偵察、撹乱、進路制限を担当。攻撃優先度は低く設定しています」
「よし」
レオンは通信を開く。
「リュカ」
『はい、隊長』
リュカの声が返る。
若さの残る声だったが、外縁防衛線の頃より落ち着いていた。
「ヘルメス隊は前に出すぎるな。ルクスの機体群を誘導しろ。無理に撃破を狙う必要はない」
『進路を絞る、でいいんですね』
「ああ。軍港区画へ流れないようにしろ。カイト機が出るなら、深追いはするな」
『了解です』
少し間があった。
その後、リュカが小さく言った。
『隊長。監察局端末から、こちらの行動情報を要求する通信が来ています』
「拒否しろ」
レオンの返答は即答だった。
「本国防衛司令と通常軍指揮系統以外には渡すな」
『はい』
通信が切れる。
クラウスが記録を更新した。
「監察局残存部門からの情報要求、拒否として記録しました」
「残せ」
「はい」
レオンはエリシオンの出力を上げる。
巨大な機体が、軍港防衛線の前へ進み出た。
エリシオンの装甲が、防壁のように光を帯びる。
その姿は、ルクスを迎え入れるためのものではない。
止めるためのものだった。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスのコクピットで、カイトはレオンとの通信を聞いていた。
相手は敵だ。
それは分かっている。
レオンはルクスを通す気がない。
ネメシア本国圏へ進もうとすれば、必ず立ちはだかる。
それでも、カイトは不思議なほど苛立っていなかった。
監察局と戦う時とは違う。
オルフェンと対峙した時のような、観測され、試され、材料として扱われる感覚がない。
そこにいるのは、帝国を守ろうとしている軍人だった。
だからこそ、厄介だった。
「カイト、聞こえる?」
ミオの声が通信に入る。
「聞こえてる」
「レグナリア周辺、かなり複雑。軍港設備が多いから、雑に撃つとすぐ被害が出るよ」
「分かってる。進路上だけを開く」
「うん。支援線は細くする。広げすぎると、軍港の防御網に触っちゃう」
別の回線からセラの声が入った。
『射撃線、制限が多いです。撃てる点は少ないですが、狙えます』
レイの声も続く。
『近接で抜くなら、前衛艦の隙間を使う。斬る場所は選ぶ』
リンが冷静に付け加える。
『ヘルメス隊が側面に来ています。撹乱目的と思われます。ナユ、残響は?』
『嫌な感じは少ないです。罠はありますけど、監察局の時みたいな再同期端末の匂いじゃありません。進路を狭めるための罠です』
カイトは頷いた。
「分かった。相手は止めに来てる。でも、壊させに来てるわけじゃない」
自分で言って、その違いの重さを感じた。
カイトは操縦桿を握り直す。
正面に、エリシオンの機影が映る。
レオンが前に出ている。
あの機体を避けて進むことは難しい。
いずれぶつかる。
だが、今すぐ全力で叩き潰す必要はない。
「アルタイル、出ます」
カイトは短く告げた。
射出許可が下りる。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが、ルクス・ヴァルキュリアの格納庫から宇宙へ飛び出した。
その後方から、ユイの待機信号が見えた。
ノクス・レクイエムはまだ出ていない。
今は、命令層を切る戦いではない。
通常軍の防衛線を、壊さずに抜ける戦いだった。
戦闘は、砲撃ではなく進路の奪い合いから始まった。
レグナリア前衛艦隊が、ルクスの進路上に壁を作る。
重装艦が防壁を展開し、支援艦が牽制弾を撃つ。
その射線は正確だった。
ルクス本体を撃ち抜くためではない。
進路を狭め、速度を落とし、ネメシア本国圏の奥へ進ませないための射撃だった。
「回避角度、右二度。速度を落とすな」
ジンが命じる。
「了解。右二度」
ルクスの巨体が、ゆっくりと進路を変える。
その先に、ヘルメス隊が入り込んできた。
軽量機群が散開し、通信妨害と幻惑信号をばら撒く。
リュカの隊だ。
機動は速い。
だが、以前のような無理な突撃ではない。
ルクスの進路を読んで、選択肢を削ってくる。
「ヘルメス隊、左舷側へ展開。進路制限を受けています」
「迎撃は最小限。追い払え、落とすな」
ジンの指示が飛ぶ。
ルクス側の副砲が、ヘルメス隊の前方に警告射撃を放つ。
直撃は狙っていない。
だが、進路を変えさせるには十分だった。
リュカ機が素早く回避し、味方機へ指示を出す。
『深追いするな。散れ。ルクスの左側を開けすぎるな』
その動きに、カイトが反応する。
「ヘルメス隊を追いかけるな。誘導される」
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが、前衛艦の防壁へ向かった。
牽制弾が飛ぶ。
カイトは機体を滑らせるように避け、ブレードを抜いた。
だが、艦を斬らない。
防壁発生器の外部補助ユニットだけを狙う。
「そこだ!」
アルタイルの一撃が、重装艦の防壁をわずかに歪ませる。
破壊ではない。
防壁の重なりに隙間を作るための一撃。
セラの狙撃が、その隙間を広げるように補助端末を撃ち抜いた。
『進路、二十秒だけ開きます』
「十分だ!」
ミオの支援網が、その隙間へリーフガードを送り込む。
GF-07 リーフガードが小型防御フィールドを展開し、ルクスの進路を守る。
バリスタとファランクスはまだ控えめだ。
ここで面制圧をすれば、軍港設備を巻き込む。
ミオはそれを分かっていた。
「撃たない場所、多すぎるよ……でも、やる」
彼女は小さく呟きながら、支援線を細く編む。
レグナリア軍港の退避路。
防護閉鎖中のドック。
民間連絡線。
通常軍艦隊の救助経路。
それらを避けて、ルクスが進むための細い道を作る。
それは派手な攻撃ではなかった。
だが、この戦場では最も難しい支援だった。
エリシオンの内部で、レオンはルクス側の動きを見ていた。
「主砲を使わないか」
クラウスが報告する。
「はい。広域攻撃も確認されません。防壁発生器の補助ユニット、牽制用無人機、通信妨害機のみを狙っています。軍港設備への被害は軽微」
「こちらの負傷者は」
「今のところ、軽傷者のみ。艦隊損耗も限定的です」
レオンは目を細めた。
やはり、ルクスは壊しに来ていない。
ならば、こちらも応じる。
「第二層を下げる。第一層の防壁を再編。ルクスの進路を中央へ寄せろ」
「中央へ寄せると、エリシオンの正面に来ます」
「それでいい」
クラウスは一瞬だけ沈黙した。
だが、すぐに頷く。
「了解。艦隊へ通達します」
レオンは操縦系統へ手を伸ばした。
エリシオンの防壁が、さらに厚みを増す。
白い光の壁が、レグナリア防衛線の前面に広がった。
それは命令層の再同期波ではない。
通常軍の防衛機構として調整された壁だった。
誰かを命令に戻すためのものではない。
帝国本国へ向かう進路を止めるための壁だ。
レオンは通信を開いた。
「カイト・キリシマ」
アルタイル側へ、通信が繋がる。
カイトの顔が表示された。
『レオン』
「来るなら止める」
レオンは言った。
「だが、監察局のように、お前達を観測材料にはしない」
カイトは、その言葉を黙って受け止めた。
その目に、敵意だけではないものがある。
だが、迷いではなかった。
『それなら、俺達も壊すためには戦いません』
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが、ブレードを構える。
エリシオンが、防壁を前に押し出す。
レグナリア防衛線の中央で、二つの機体が向かい合った。
帝国を守るために立つ者。
命令ではない記録を届けるために進む者。
互いの線を認めたまま、それでも退けない。
次の瞬間、アルタイルが加速した。
エリシオンの防壁が、それを受け止める。
レグナリア防衛線の本当の接触が、始まった。




