第359話 インペリウム起動準備
ネメシア本国防衛網の再編後、帝都の空は静かだった。
だが、その静けさは安全を意味していない。
帝都ネメシア。
中央軍港レグナリア。
巨大建造ブロック、カルディア・ベイ。
本国防衛砲台群。
無人艦管制網。
中央GD部隊の認証回線。
それらは一時的に安定を取り戻していた。
ただし、それはリゼル・オルブライトが命令層残滓の自動再接続を止め、監察局旧回線を保留し、通常軍防衛網の一部を手動判断へ移したからにすぎない。
つまり、帝国本国圏は完全に安定したわけではない。
応急処置で崩壊を遅らせているだけだった。
中枢防衛認証部門の管制室には、いつもより多くの官僚と技術官が集まっていた。
皇帝府。
中枢派。
戦術演算局。
外宇宙観測局。
通常軍防衛部。
監察局残存部門。
部門ごとの代表が接続し、ひとつの議題を見ている。
『最終防衛機構、封鎖状態確認』
その文字が表示された瞬間、室内の空気が変わった。
リゼルは、端末の前で沈黙した。
彼はその名を知っている。
もちろん、詳細まですべてを知らされていたわけではない。
だが、帝国中枢に関わる者なら、噂や断片的な記録を目にすることはある。
帝国本国中枢の奥に封じられた、最後の防衛機構。
皇帝専用機ではない。
監察局専用機でもない。
通常軍の正規機体でもない。
帝国本国認証網、命令層残滓、中枢防衛システムを統合するための特別機。
帝国が命令で秩序を保とうとする、最後の形。
その名は、インペリウム。
「封鎖状態を表示」
中枢防衛官が命じる。
認証図の奥に、黒い区画が浮かび上がった。
ネメシア中枢の最深部。
皇帝府直下。
レグナリア軍港の防衛艦隊認証。
カルディア・ベイの建造記録。
本国防衛砲台群。
無人艦管制網。
中央GD部隊の強制管制回線。
それらに接続可能な、巨大な封鎖領域。
普段は完全に閉じられている。
だが今、その外縁に黄色い警告が点っている。
『旧命令層残滓との照合不一致』
『再同期基盤隔離により、一部認証鍵失効』
『監察局旧回線、保留中』
『本国防衛網、暫定再編状態』
『封鎖維持:継続』
『起動準備:未承認』
リゼルは最後の一行を見て、わずかに息を吐いた。
未承認。
まだ起動していない。
それだけで、いくらかは救いだった。
中枢派の官僚が口を開く。
「ネメシア本国防衛網が暫定状態である以上、最終防衛機構の起動準備だけは進めるべきです」
通常軍防衛担当が眉を寄せる。
「起動準備とは、どの段階までを指す」
「封鎖区画の再照合、認証鍵の再生成、レグナリアおよびカルディア・ベイとの待機接続、中央GD部隊との管制準備」
「それは、ほぼ起動直前ではないか」
「起動とは違う」
中枢派官僚は、平然と言った。
「本格起動には皇帝府承認が必要です。今は、万一に備えた準備にすぎません」
リゼルは、その言い方に危うさを感じた。
準備にすぎない。
確認にすぎない。
封鎖維持のために必要。
帝国の危険な機構は、いつもそういう言葉で近づいてくる。
皇帝府からの通信窓が開いた。
皇帝本人ではない。
皇帝府連絡官だった。
『皇帝府としては、インペリウム本格起動を現時点では承認しない』
室内の一部が、わずかに緩む。
だが、連絡官の言葉は続いた。
『ただし、封鎖維持および起動準備に必要な再照合は認める。監察局単独処理は禁止。中枢防衛認証部門、通常軍防衛担当、外宇宙観測局、戦術演算局による共同確認とする』
リゼルは目を伏せた。
起動はしない。
だが、準備はする。
予想していた通りの判断だった。
帝国本国圏が不安定な状態で、最後の防衛機構を完全に閉じたままにする勇気は、皇帝府にもない。
しかし、すぐに起動すれば、帝国は命令層中枢停止から何も学ばなかったことになる。
だから、準備だけを認める。
もっとも危険な中間地点だった。
戦術演算局の通信窓に、エルマ・ディクセンが映る。
『インペリウムのPT反応照合機能に、命令層外安定個体群の再分類案を接続する必要があります』
リゼルは即座に反応した。
「再制御案は、防衛網へ直結させないと確認したはずです」
『防衛網ではありません。インペリウムの反応照合機能です』
「同じことです」
『違います』
エルマは淡々と言った。
『インペリウムは、通常の防衛網ではありません。帝国本国認証網、命令層残滓、中枢防衛システムを統合する最終防衛機構です。ルクス側のパルスティア達が本国圏へ接近した場合、通常の敵味方識別では対処できません』
「だから、再分類案を照合資料として使うだけなら理解します」
『それでは不十分です』
「何が不十分ですか」
『ユイは命令層切断能力保持個体です。アミィは自己応答保持個体。レータとアミィは共同防壁を形成し、ミオは広域管制個体へ変質。イリスは非命令記録保持個体です。これらは単なる脅威評価ではなく、命令層再接続波への対抗構造です』
エルマは画面上に再分類案を表示する。
『命令層外安定個体群』
『再制御方針:要審査』
『インペリウム照合候補』
その最後の項目を見て、リゼルは表情を硬くした。
「インペリウムで彼女達を再照合するつもりですか」
『可能なら』
「それは防衛ではありません。再制御です」
『再制御も、防衛の一部になり得ます』
「いいえ」
リゼルの声は、思ったより強かった。
管制室の視線が集まる。
「ネメシア本国防衛の目的は、都市、軍港、住民、行政中枢、艦隊機能を守ることです。パルスティア達の再制御実験ではありません」
『実験ではありません』
「結果が不確定なら同じです」
エルマは沈黙した。
中枢派官僚が割って入る。
「リゼル観測官。インペリウムは最終防衛機構です。敵が命令層へ干渉できる以上、PT反応照合を外すわけにはいきません」
「外せとは言っていません。再制御案を直結させるなと言っています」
「区別に意味がありますか」
「あります」
リゼルは認証図を拡大した。
「照合資料として使うなら、インペリウムはルクス側PTを脅威として識別します。ですが、再制御案を接続すれば、インペリウムは撃退より再同期、捕捉、命令層再接続を優先する可能性がある」
通常軍防衛担当が低く言う。
「戦場で防衛目標がずれる」
「はい」
リゼルは頷いた。
「監察局が外縁で行ったことと同じです。本来の防衛より、観測と回収を優先した。その結果、通常軍を中継器と盾にしようとした」
その言葉で、通常軍側の表情が変わった。
中枢派官僚は不快そうに眉を寄せる。
「では、どうする」
「再分類案は脅威評価として接続。再制御案は封鎖。PT反応照合は防衛識別に限定。命令層再接続波は本格起動承認まで封印」
エルマが静かに言う。
『それでは、インペリウムの機能を制限しすぎます』
「制限しなければ、起動準備の段階でネメシア防衛網が監察局の二の舞になります」
リゼルは譲らなかった。
中枢防衛官が、インペリウムの機能一覧を表示した。
『GD-NM-00 インペリウム』
『分類:帝国本国中枢防衛機構』
『権限:皇帝府封鎖認証下』
『通常軍所属:該当なし』
『監察局所属:該当なし』
『戦術演算局所属:該当なし』
『本国認証網統合権限:限定封鎖中』
続いて、主要機能が並ぶ。
『ネメシア本国認証網統合』
『レグナリア軍港防衛接続』
『カルディア・ベイ建造防衛接続』
『本国防衛砲台群強制管制』
『無人艦管制網接続』
『中央GD部隊強制認証』
『命令層残滓再接続波』
『PT反応照合』
『空間固定防衛フィールド』
『中枢防衛砲撃』
『緊急時、本国防衛権限の一部代行』
表示が進むたび、管制室の空気が重くなる。
これはただの機体ではない。
起動すれば、レグナリアの艦隊、カルディア・ベイの建造系統、ネメシアの防衛砲台、無人艦、GD部隊を、ひとつの命令で繋ぎ直せる。
帝国の防衛力を、一瞬で束ねられる。
だが、それは同時に、命令による強制統制が戻るということでもある。
リゼルは、画面を見ながら思った。
命令層中枢が止まったからこそ、帝国はこの機構に手を伸ばそうとしている。
命令で守れないなら、より大きな命令で守る。
それが、インペリウムなのだ。
皇帝府連絡官が、最終確認を求める。
『起動準備の範囲を確定せよ』
中枢防衛官が読み上げる。
「第一、封鎖区画の再照合」
「第二、認証鍵の再生成」
「第三、レグナリア、カルディア・ベイ、本国防衛砲台群との待機接続」
「第四、無人艦および中央GD部隊との接続経路確認」
「第五、PT反応照合資料として、戦術演算局再分類案を限定参照」
「第六、再制御案の直結禁止」
「第七、命令層再接続波の封印継続」
「第八、本格起動には皇帝府追加承認、通常軍防衛担当、中枢防衛認証部門、外宇宙観測局照合記録が必要」
中枢派官僚が不満げに言う。
「制限が多すぎる」
通常軍防衛担当が返す。
「制限なしで動かす方が危険だ」
エルマは言った。
『再制御案を直結しないことについては、異議を記録します』
リゼルは頷く。
「記録してください」
『ただし、PT反応照合に再分類案を参照することは認めるのですね』
「防衛識別に限り、です」
『了解しました』
皇帝府連絡官が、しばらく沈黙した。
その向こうに、皇帝本人がいるのかは分からない。
だが、次の命令は皇帝府名義で届いた。
『インペリウム本格起動は承認しない』
『封鎖維持および起動準備を承認』
『再制御案の直結は禁止』
『命令層再接続波は封印継続』
『起動判断は追加審査へ送る』
管制室の全員が、その命令を見た。
起動はしない。
だが、準備は始まる。
それは、帝国がまだ踏みとどまっている証拠でもあり、同時に、踏み外す寸前まで来ている証拠でもあった。
ネメシア中枢の地下深く。
普段は開かれることのない封鎖区画で、認証灯がひとつずつ点いていく。
第一封鎖、再照合。
第二封鎖、維持。
第三封鎖、認証鍵更新。
外部接続、待機。
防衛砲台接続、待機。
無人艦管制、待機。
中央GD部隊、待機。
命令層再接続波、封印継続。
PT反応照合、限定参照。
暗い格納区画の奥で、巨大な影がわずかに浮かび上がった。
黒と金。
帝国の中枢を思わせる、冷たい色。
人型でありながら、艦隊指揮装置のようでもあり、要塞の中核のようでもある巨大機影。
その表面には、まだ光はない。
眠っている。
だが、封鎖は再照合を始めている。
眠っているものの周囲で、帝国の認証網だけが先に目を覚まし始めていた。
リゼルは管制室で、その一瞬だけ表示された映像を見た。
すぐに画面は封鎖表示へ戻る。
だが、識別名だけは残った。
『GD-NM-00』
続いて、正式名称が表示される。
『インペリウム』
誰も声を発しなかった。
ネメシアの奥で、帝国が命令で秩序を保とうとする最後の形が、起動準備に入った。




