第357話 ネメシア認証網再編
ネメシア本国認証網は、帝国の神経に等しい。
帝都ネメシア。
帝国中央軍港『レグナリア』。
巨大建造ブロック『カルディア・ベイ』。
本国防衛砲台群。
無人艦管制網。
中央GD部隊の認証回線。
皇帝府、監察局、戦術演算局、中枢防衛認証部門を結ぶ複合回線。
それらは、通常なら一つの大きな命令体系として動く。
上から命令が下り、認証が通り、各区画が自動的に処理を始める。
現場の判断を最小限に抑え、部門ごとの差異を吸収し、帝国本国圏を巨大な一つの防衛機構として機能させる。
それが、ネメシス帝国の強さだった。
だが今、その強さが揺らいでいた。
リゼル・オルブライトは、中枢認証管制室の中央に立ち、巨大な立体認証図を見上げていた。
命令層中枢停止後、ネメシア本国圏には複数の遅延と再照合が発生している。
致命的な崩壊ではない。
だが、無視できる乱れでもない。
「ネメシア中心区、認証遅延二・七秒」
「レグナリア軍港、艦隊発進承認に再照合」
「カルディア・ベイ、建造記録の一部が保留」
「本国防衛砲台群、命令層残滓との照合に失敗」
「無人艦管制網、一部が監察局旧回線を要求」
「中央GD部隊、認証回線に旧命令層タグを検出」
「旧命令層残滓、再同期基盤との接続を要求」
次々に報告が入る。
リゼルは一つずつ確認していった。
どれも、単独なら処理できる異常だ。
だが、同時に起きていることが問題だった。
命令層中枢が止まったことで、これまで当然のように使われていた古い認証経路が、行き場を失っている。
しかも、その一部は監察局の再同期技術と近い。
このまま自動で再接続させれば、ネメシア本国防衛網に、命令層中枢で隔離されたはずの再同期系統が混ざる可能性がある。
リゼルは、端末に手を置いた。
「旧命令層残滓への自動再接続を停止してください」
中枢技術官が顔を上げる。
「全停止ですか」
「いいえ。遮断ではなく、保留です。接続要求は記録。自動承認は停止。再接続は中枢防衛認証部門と通常軍防衛担当の二重承認に切り替えます」
「通常軍を入れるのですか」
技術官の声には、明確な驚きがあった。
リゼルは頷く。
「監察局単独処理は禁止されています。ならば、監察局旧回線に依存する自動承認も見直す必要があります」
「ですが、本国防衛網に通常軍の手動承認を挟めば、反応速度が落ちます」
「落ちます」
リゼルは認めた。
「それでも、今は必要です」
命令だけで速く動く防衛網。
その速さが、今は危険だった。
通常軍防衛担当の通信窓が開く。
映ったのは、レグナリア軍港防衛部の将校だった。
『外宇宙観測局からの照会と聞いていたが、これは中枢防衛認証の話ではないのか』
「両方です」
リゼルは答えた。
「命令層中枢停止の波及により、レグナリア軍港の発進承認に旧命令層タグが混入しています。自動承認を維持すれば、艦隊発進系統に再同期由来の命令が入り込む可能性があります」
『つまり、艦隊を勝手に動かされる危険があると?』
「可能性です」
『可能性だけで、中央認証を手動へ切り替えるのか』
「はい」
将校の表情が険しくなる。
『手動承認へ切り替えれば、緊急発進が遅れる。ルクス・ヴァルキュリアが本国圏へ接近した場合、初動が鈍るぞ』
「承知しています」
『それでもやると?』
「命令層中枢で何が起きたかを考えれば、自動で速く動くことが安全とは限りません」
リゼルは、認証図を拡大する。
レグナリア軍港の艦隊発進系統に、黄色い線が走っていた。
旧命令層残滓。
監察局旧回線。
再同期補助認証。
防衛優先タグ。
それらが、軍港の通常発進認証と重なっている。
「監察局は、命令層照合波を防衛転用しました。通常軍機を中継器として使おうとした記録もあります。今、同じ種類の認証を自動で通せば、レグナリア軍港そのものが中継器になる可能性があります」
通信窓の向こうで、将校が黙った。
『……その記録は、レオン隊からのものか』
「はい」
『監察局は敵性干渉の可能性を主張している』
「その主張も保全されています」
『便利な言い方だな』
「そう思います」
リゼルは否定しなかった。
「ですが、記録がある以上、無視はできません」
将校は数秒沈黙した後、低く言った。
『レグナリア軍港防衛部は、発進承認の一部手動化を受け入れる。ただし条件がある』
「どうぞ」
『中央が混乱した場合、現場防衛司令官に限定的な迎撃判断権を残せ』
中枢技術官達がざわついた。
リゼルも、その条件の意味を理解していた。
命令による自動統制を弱めるだけでなく、現場の判断権を増やす。
それは、帝国の本国防衛思想からすれば危険な変更だった。
だが、今はそれが必要になる。
「条件を記録します。限定迎撃判断権を、中央認証網遮断時に限り発動可能とする。対象は本国防衛、民間区画保護、軍港機能維持に限定。監察局単独命令では上書き不可」
『それでいい』
レグナリア側の将校は、短く答えた。
次は、カルディア・ベイだった。
巨大建造ブロック『カルディア・ベイ』は、艦艇、要塞部材、巨大兵装、特殊機構の建造記録を保持している。
そこには、グラン・ネメシス計画の残存記録もある。
ルクス・ヴァルキュリアに関する特殊艦建造記録も、かつてはそこに接続されていた。
そして、インペリウム関連の封鎖記録にも、間接的に繋がっている。
中枢技術官が報告する。
「カルディア・ベイ側、建造記録の一部が保留状態です。特に大型防衛機構関連、無人艦改修枠、GD中枢制御部材の認証に遅延があります」
「原因は」
「命令層中枢停止に伴う旧認証鍵の失効。ただし、監察局側が再同期補助鍵で代替可能と主張しています」
リゼルの眉が動いた。
「代替を認めません」
「ですが、建造ブロックの一部作業が止まります」
「止めてください」
技術官が、今度こそ明確に驚いた。
「カルディア・ベイの作業を止めるのですか」
「全停止ではありません。旧命令層残滓を要求する建造作業のみ凍結。生活維持、通常補修、通常艦整備、民間区画保全に関わる作業は継続」
「大型防衛機構関連は」
「再照合まで保留です」
その言葉に、管制室の一部が静まり返った。
大型防衛機構。
その中には、インペリウム関連封鎖維持部材も含まれている。
「リゼル観測官」
中枢技術官の一人が言った。
「インペリウム関連封鎖維持に影響が出る可能性があります」
「封鎖維持は止めません。起動準備に繋がる認証だけを保留します」
「それは、誰が判断しますか」
「中枢防衛認証部門、通常軍防衛担当、外宇宙観測局照合、戦術演算局の技術評価。ただし、監察局単独承認は不可」
「監察局の反発を招きます」
「もう反発しています」
リゼルは短く答えた。
その声は冷静だった。
だが、彼の内側にも焦りはある。
彼は軍人ではない。
皇帝でもない。
中央軍の最高指揮官でもない。
外交観測官であり、外宇宙観測局系の中枢実務官にすぎない。
それでも今、彼はネメシア本国認証網の再編に手を入れている。
それがどれほど危ういことか、分かっていた。
戦術演算局から、エルマ・ディクセンが接続してきた。
画面に映った彼女は、いつも通り表情を変えない。
『命令層外安定個体群に関する再分類案は確認されていますか』
「確認しています」
リゼルは答える。
「ですが今は、防衛認証網の再編が優先です」
『その再編にも関わります』
「どういう意味ですか」
『ユイは命令層切断能力保持個体です。ミオは広域管制個体へ変質。イリスは非命令記録保持個体。アミィとレータは共同防壁を形成しました。ルクス側が本国防衛認証網に接近した場合、自動統制だけでは対処できません』
リゼルは少しだけ目を細めた。
「だから、インペリウム起動の論拠にすると?」
『私は、分類結果を提示しているだけです』
「あなたの分類は、いつも起動理由になり得る方向へ進みます」
『起動が必要かどうかは、中枢が判断します』
「中枢とは誰ですか。監察局ですか。戦術演算局ですか。皇帝府ですか。それとも、旧命令層残滓ですか」
エルマは沈黙した。
その沈黙は短かったが、管制室の空気を冷やすには十分だった。
『その問いが出る時点で、本国認証網は不安定です』
「だから再編しています」
『ならば、私の再分類案も考慮してください。ルクス側のPT達は、通常の侵入戦力ではありません。命令層外安定個体群として扱わなければ、防衛網は判断を誤ります』
「同意します」
リゼルは答えた。
意外だったのか、エルマが少しだけ瞬きをした。
「ですが、それは再制御のためではありません。防衛側が、監察局式の再同期に頼らないためです」
『……意味が違います』
「ええ。違います」
リゼルは端末を操作し、エルマの再分類案を別枠へ移した。
『脅威評価』
『再制御案』
『防衛認証参考資料』
そのうち、リゼルは防衛認証参考資料だけを接続対象に残す。
「再制御案は、ネメシア防衛網へ直結させません」
『理由は』
「再制御目的の認証を防衛網に混ぜれば、ルクス側が接近した時、防衛網が敵の撃退よりPTの再同期を優先する可能性があります」
エルマは、感情の読めない顔でリゼルを見た。
『それは問題ですか』
「問題です」
リゼルは即答した。
「ネメシア本国防衛は、都市と住民と軍港機能を守るためのものです。パルスティア再制御実験のための網ではありません」
それは、レオンが監察局に対して示した線に近かった。
帝国を守る。
だが、そのためにすべてを実験材料にはしない。
エルマはしばらく沈黙した後、言った。
『了解しました。防衛認証参考資料としての接続に限定します』
「ありがとうございます」
『ただし、再制御案そのものは撤回しません』
「分かっています」
通信が切れる。
中枢技術官が、小さく息を吐いた。
「今のは、戦術演算局を敵に回したのでは」
「敵にはしていません」
リゼルは答えた。
「直結させなかっただけです」
再編作業は、さらに続いた。
ネメシア中心区。
皇帝府周辺。
中枢行政区画。
民間居住層。
防衛砲台群。
無人艦管制網。
GD部隊の認証回線。
それぞれを、三つに分ける。
第一系統。
通常通り自動認証を維持する区画。
第二系統。
旧命令層残滓との接続を保留し、二重承認に切り替える区画。
第三系統。
完全手動判断へ移し、現場防衛担当者の判断権を増やす区画。
中枢技術官の一人が、不安げに言った。
「第三系統が増えすぎています」
「分かっています」
「命令による自動統制を弱めれば、部隊ごとの差が出ます。判断の遅れ、命令不一致、局所的な独断行動も増える可能性があります」
「それでも、命令層残滓が混ざった自動命令よりは安全です」
「帝国本国防衛が、現場判断に依存することになります」
「一部だけです」
「その一部が広がれば?」
リゼルは、答える前に少しだけ沈黙した。
その危険は分かっている。
命令だけで守れないなら、判断できる者を防衛線に置く。
それは正しいようで、帝国にとっては危険な発想だ。
判断できる者を置くということは、命令に従うだけではない者を認めるということでもある。
それは、パルスティア達が示したものに近い。
命令ではなく、自分で判断する。
帝国が最も恐れているものを、帝国本国防衛のために少しだけ導入しなければならない。
リゼルは、その矛盾を理解していた。
「広がらないように管理します」
彼は言った。
だが、その言葉がどこまで有効かは、自分でも分からなかった。
レグナリア軍港から、承認が返る。
『第一防衛艦隊、手動迎撃判断権を限定受領』
『中央命令途絶時、民間区画防衛を優先』
『監察局単独命令による配置変更は拒否可能』
カルディア・ベイからも応答が届く。
『旧命令層残滓要求を含む建造認証を凍結』
『通常補修・生活維持・封鎖維持作業は継続』
『大型防衛機構起動関連作業は再照合待機』
本国防衛砲台群。
『自動照準系統、一部手動承認へ移行』
『民間区画近接時の自動砲撃禁止』
『無人艦管制網との誤接続を監視』
GD部隊認証回線。
『中央GD部隊、一部隊長判断へ切替』
『旧命令層タグを含む命令は保留』
『再同期由来命令は中枢防衛認証部門照合後に処理』
中枢技術官が、次々に確認を入れる。
防衛網が変わっていく。
速さは落ちる。
統一性も落ちる。
自動統制の美しさも失われる。
だが、代わりに、命令層残滓が勝手に本国防衛網へ流れ込む危険は減っていく。
リゼルは、その変化を見ていた。
これは勝利ではない。
美しい再編でもない。
応急処置だ。
帝国という巨大な身体の中で、傷口から毒が回らないように、血流の一部を手で押さえているだけだ。
作業終了直前、監察局残存部門から抗議が入った。
『監察局旧回線の保留処理は、防衛認証の遅延を招く。即時解除を要求する』
リゼルは、即答しなかった。
代わりに、皇帝府から出された命令文を開く。
『監察局単独処理禁止』
それを抗議文へ添付する。
「監察局旧回線の自動復帰は、共同照合対象です。単独要求では解除できません」
『外交観測局に防衛認証網を制限する権限はない』
「外宇宙認証への波及確認中です」
『建前だ』
「必要な建前です」
リゼルは、前にも言った言葉を繰り返した。
監察局側は、しばらく沈黙した後、通信を切った。
管制室の中で、誰かが小さく息を吐く。
リゼルもまた、深く息を吐いた。
これで監察局はさらに反発する。
戦術演算局も、再制御案を切り離されたことを快くは思わない。
通常軍は手動権限を得たが、それは責任も背負うということだ。
中枢派は、自動統制の低下に不安を持つ。
皇帝府は、この全てを見ている。
ネメシアは守られている。
だが、その守り方は、昨日までの帝国とは違っていた。
リゼルは、再編後の認証図を見上げた。
赤は危険。
黄は保留。
青は通常認証。
白は手動判断系統。
その白い線が、思ったより多い。
命令で自動的に繋がる線ではない。
誰かが判断し、承認し、責任を持つための線だ。
帝国本国防衛網に、そのような線が増えている。
リゼルは、皮肉なものだと思った。
命令層中枢を止めたのは、敵であるルクス・ヴァルキュリアだ。
だが、その結果、帝国は自分達の防衛網に、命令ではない判断を入れざるを得なくなっている。
それを認めたくはなかった。
だが、認めなければ守れない。
リゼルは端末へ最終承認を入れた。
「ネメシア本国認証網、暫定再編を実行」
中枢技術官達が一斉に操作を開始する。
帝都ネメシア。
中央軍港レグナリア。
巨大建造ブロック、カルディア・ベイ。
本国防衛砲台。
無人艦管制網。
GD部隊認証回線。
旧命令層残滓。
それぞれの線が、組み替えられていく。
リゼルは静かに言った。
「命令だけで守れないなら、判断できる者を防衛線に置く」
それは、帝国にとって危険な言葉だった。
だが今、ネメシアを守るためには必要な言葉だった。
ネメシア防衛網の再編が始まった。




