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第339話 ノクス・レクイエム起動

 ノクス・レクイエムの起動準備第三段階が承認された。

 まだ切断実行ではない。

 まだ全開起動でもない。

 だが、その機体は確かに目を覚まし始めていた。

 ルクス・ヴァルキュリアの格納区画奥。

 厳重に封鎖された専用区画の中で、黒灰の外殻が低く震える。

 ネメシス・レクイエムの残骸を再構成した大型外殻。

 その中心に組み込まれた、ノクス・リリスの中核操縦ユニット。

 かつて帝国の闇の中でユイが扱っていた機体。

 そして今は、ユイ自身の意思で使うために組み直された機体。

 その名は、ノクス・レクイエム。

 紅紫の制御光が、黒灰の装甲の隙間を走る。

 続いて、薄紫白の本人意思認証光が重なった。

 艦橋に警告と確認表示が同時に流れる。

「ノクス・レクイエム、起動準備第三段階より本格起動段階へ移行可能」

 三島が読み上げる。

「ただし、全開出力はロック中。中枢崩壊および人格形成記録破壊を避けるため、段階制御を維持」

 黒瀬が確認する。

「命令層逆流は」

 リクトが答えた。

『遮断層、機能しています。ただし、本格起動に入れば中枢側の照合も強まります』

 アルベルトが続ける。

『ノクスは命令層を切れる。だからこそ、中枢側はユイさん自身を切断装置として利用しようとするでしょう』

 レオニスの声が低く重なる。

『切る場所を間違えれば、中枢内部の保護記録まで傷つけます。出力段階制御は絶対に外さないでください』

 ジンは艦長席で短く頷いた。

「黒瀬」

「はい」

「条件は」

 黒瀬は承認画面を見た。

「本人意思確認。切断対象の限定。切断後保持領域の準備。ミオさんの支援網、レータさんとアミィさんの防壁、イリスさんの記録保護、カイトさんの前衛支援。すべてが揃った場合のみ、切断実行を認めます」

 ジンは通信を開いた。

「ユイ。聞こえるか」

『聞こえています』

 ユイの声は静かだった。

 震えはある。

 だが、逃げる震えではない。

 これから何をするのかを知っている者の声だった。

「本格起動を許可する。ただし、全開は禁止だ。中枢を壊すな。記録を消すな。切るのは命令層の接続線だけだ」

『了解』

 黒瀬が最後に言う。

「ユイさん。これは命令ではありません。あなたが起動を選ぶなら、起動してください」

 短い沈黙があった。

 その後、ユイは答えた。

『私が選びます』


 ノクス・レクイエムの操縦中枢で、ユイは深く息を吸った。

 周囲の空間が黒に沈む。

 白い中枢空間とは対照的に、ノクスの内部は夜のように暗い。

 だが、その夜の中に、薄紫白の光が浮かんでいる。

 本人意思認証。

 帝国命令系統遮断。

 術式層安定化。

 アンカー出力制限。

 切断波段階制御。

 それらが一つずつ表示される。

 ユイは、右手を起動キーへ伸ばした。

 前回は触れて、押さなかった。

 切るだけでは駄目だと分かったから。

 今回は違う。

 切った後を渡す場所がある。

 ミオが受け取る準備をしている。

 レータとアミィが守る準備をしている。

 カイトが前で時間を稼いでいる。

 黒瀬達が、止めるべきものを止めるために承認を分けた。

 イリスが、命令ではない記録を残している。

 だから、今度は一人で切らない。

 ユイは静かに目を開けた。

「ノクス・レクイエム」

 起動キーを押す。

「本格起動」

 黒灰の外殻が開いた。


 中枢空間の白い光が、大きく揺れた。

 ルクス・ヴァルキュリアの側面封鎖区画から、ノクス・レクイエムが展開される。

 その姿は、通常の機動兵器というには重すぎた。

 黒灰の装甲。

 深紅に近い紅紫の制御線。

 背部には、ネメシス・レクイエム由来の大出力フレーム。

 胸部中核には、ノクス・リリスの薄紫白の認証光。

 かつて暴走兵器として恐れられた残骸と、ユイの過去機が一つになった機体。

 だが、その出力は全開ではない。

 外殻の一部は閉じたまま。

 主砲系統は封印。

 広域殲滅出力もロックされている。

 起動しているのは、命令層切断に必要な系統だけだった。

 カイトは前衛で、その姿を見た。

 威圧感はある。

 だが、以前に感じたような、すべてを飲み込む危うさだけではない。

 今のノクス・レクイエムは、止められている。

 縛られているのではなく、選ばれて制御されている。

『カイト』

 ユイの声が届く。

 通信はまだ少し重い。

 だが、確かに届いている。

『前をお願い』

「任せろ」

 カイトはアルタイル・ノヴァ・ブレイスを前に出す。

「ユイが見る時間は、俺が作る」


 再同期基盤が反応した。

 中枢全体から照合波が強まり、ノクス・レクイエムへ集中する。

 対象Y。

 切断能力。

 再利用可能。

 命令層制御へ接続せよ。

 その文字が、ユイの視界を埋めようとする。

 だが、本人意思認証光が、それを押し返す。

 ユイは深く息を整えた。

「私は、命令で切らない」

 ノクス・レクイエムのセンサーが、命令層の接続線を可視化する。

 白い中枢空間の奥に、無数の線が現れた。

 アミィへ伸びる線。

 補完せよ。

 代替せよ。

 支援せよ。

 レータへ伸びる線。

 統率せよ。

 対象Aを補正に用いよ。

 ミオへ伸びる線。

 支援網を命令伝達へ転用せよ。

 セラへ伸びる線。

 射撃せよ。

 レイとリンへ伸びる線。

 前進せよ。

 切断せよ。

 イリスへ伸びる線。

 記録せよ。

 命令履歴を保存せよ。

 ナユへ伸びる線。

 索敵せよ。

 反響を返せ。

 それは、それぞれの返事を、帝国の役割へ変換するための経路だった。

 助けたい。

 支えたい。

 守りたい。

 見つけたい。

 記録したい。

 撃つべき時に撃ちたい。

 斬るべき時に斬りたい。

 その返事へ、命令層が別の意味をかぶせていく。

 支えたいを、支援せよへ。

 守りたいを、防衛せよへ。

 見つけたいを、索敵せよへ。

 記録したいを、命令履歴を保持せよへ。

 切りたいを、切断命令受諾へ。

 ユイは、その線を見た。

 今なら分かる。

 壊すべき中枢そのものではない。

 切るべきなのは、その変換経路だ。


 ミオはルナ・スケイル・リフレクトの管制席で、切断後受け取り領域を開いていた。

『支援網、受け取り準備。偽経路は排除済み……いえ、まだ少し混ざっています』

 レガロンの声が入る。

『全部綺麗にしようとするな。受け取る場所を決めろ』

『はい』

 ミオは支援網を絞る。

 広く受け取らない。

 全てを抱え込まない。

 ユイが切った後に生まれる空白を、必要な場所だけ受け取る。

 アミィの退避線。

 カイトとユイの通信線。

 セレス・バスティオン内側。

 ナユの残響線。

 イリスの記録保護線。

 そこにだけ、支援網を張る。

『受け取る場所、限定します』

 バリスタ、ファランクス、リーフガードも、ミオの管制に合わせて再配置された。

 撃つためではない。

 守るため。

 空白に命令が流れ込まないよう、外側を押さえるため。


 ヴァルクレイド・セレスでは、レータとアミィが防壁を維持していた。

 再同期基盤の波は、さきほどより強い。

 セレス・バスティオンの外層にぶつかるたび、機体が低く軋む。

 レータは額に汗を浮かべながら、アミィへ確認する。

「アミィ、今の防壁線、守っていい?」

「はい。ただ、右側が少し薄いです。ミオさんの受け取り領域を守るなら、そこを厚くした方がいいです」

「了解。右、厚くする。左は?」

「左はカイトさんの前衛が動きます。少し開けてください」

「分かった」

 レータは即座に調整する。

 一人で判断しない。

 確認してから動かす。

 それは、戦闘中としては遅い。

 だが、今はそれが強さだった。

 アミィの支援波が、防壁の内側に静かに重なる。

「ユイさんが切った後、空白が来ます」

「怖い?」

「怖いです」

 アミィは正直に答えた。

「でも、今は守る場所が分かります」

 レータが笑った。

「なら、大丈夫。怖いまま守ろう」

「はい」

 セレス・バスティオンが、さらに深く根を張るように展開した。


 カイトは前衛で、ノクス・レクイエムへ向かう照合波の一部を受け止めていた。

 アルタイル・ノヴァ・ブレイスの装甲に、白い光が走る。

 直接的なダメージではない。

 だが、機体制御へ細かいノイズが入る。

 カイトは歯を食いしばった。

「邪魔するな……!」

 敵は機体ではない。

 砲台でもない。

 命令層そのものが、ユイの判断を乱そうとしている。

 なら、自分の役割は一つだ。

 ユイが見る時間を作る。

 ユイが選ぶための間を守る。

 カイトは機体を前へ出し、照合波の発生端末へ牽制を撃つ。

 破壊ではない。

 角度をずらす。

 ユイへ向かう線を少しでも薄くする。

『ユイ、まだ持つ』

 カイトは言った。

『焦るな。見てから切れ』

『うん』

 ユイの声が返る。

『見えてる』


 オルフェンの観測室では、警告と記録が同時に流れていた。

 対象Y、ノクス・レクイエム本格起動。

 出力、段階制御。

 広域破壊系統、封印継続。

 命令層切断系統、起動。

 オルフェンは目を細めた。

「全開ではない。中枢破壊を避けている」

 それは非効率だった。

 ノクス・レクイエムの出力なら、もっと乱暴に中枢を傷つけることもできる。

 人格形成記録や監察局記録ごと破壊すれば、再同期基盤の一部は止まるだろう。

 だが、ルクス側はそれをしない。

 記録を守りながら、接続線だけを切ろうとしている。

「破壊ではなく、分離」

 オルフェンは呟いた。

「対象Yは、自身の切断能力を、命令層と自己応答の分離に用いる」

 観測窓に、ユイの反応が映る。

 揺れている。

 だが、命令には戻っていない。

「興味深い」

 オルフェンは、再同期基盤の出力をわずかに上げた。

「では、その切断がどこまで保つか、観測しましょう」


 白い波がさらに強まる。

 アミィへ、補完せよ。

 レータへ、統率せよ。

 ミオへ、支援せよ。

 セラへ、撃て。

 レイとリンへ、斬れ。

 イリスへ、記録せよ。

 ナユへ、探せ。

 ユイへ、切れ。

 だが、今のユイはその声を聞き分けていた。

 本人の返事と、命令層の変換。

 その境界が見える。

 アミィの支援したいという気持ちへ、補完せよと重ねる線。

 レータの守りたいという判断へ、統率せよと重ねる線。

 ミオの支えたいという意志へ、支援せよと重ねる線。

 セラの撃つべき時を選ぶ判断へ、撃てと重ねる線。

 レイとリンの守るための刃へ、斬れと重ねる線。

 イリスの残したい記録へ、命令履歴を保存せよと重ねる線。

 ナユの聞きたい残響へ、索敵せよと重ねる線。

 それは、本人の声を消すものではない。

 本人の声を利用して、命令に変えるものだった。

 ユイは、ノクス・レクイエムの切断波を収束させる。

 広く撃たない。

 全部を壊さない。

 中枢を焼かない。

 人格記録を傷つけない。

 線だけを見る。

 奪われる返事だけを見る。

「カイト」

『聞こえてる』

「前、少し開けて」

『了解』

 カイトが機体をずらし、ユイの切断線を通す。

「ミオ」

『受け取り領域、開いています』

「レータ、アミィ」

『防壁、維持してるよ』

『空白が来ても、内側へ入れません』

 ユイは頷いた。

 最後に、自分自身へ言う。

「命令で切らない」

 ノクス・レクイエムの刃が、光を帯びた。

 それは物理の剣ではなかった。

 黒灰の機体の腕部から伸びる、紅紫と薄紫白が重なった切断波。

 命令層の線だけを捉える、細い刃。

 ユイはそれを振るった。


 白い中枢空間に、亀裂のような光が走った。

 だが、壁は壊れない。

 床も砕けない。

 端末も爆発しない。

 裂かれたのは、目に見えない命令層の接続線だった。

 アミィへ伸びていた「補完せよ」の線が切れる。

 レータへ重なっていた「対象Aを使用せよ」の線が裂ける。

 ミオの支援網へ絡もうとしていた「命令伝達へ転用せよ」の線が剥がれる。

 セラの射撃判断へ重なっていた「射撃命令受諾」の線が薄れる。

 レイとリンの前進誘導線が断たれる。

 イリスの記録領域へ触れていた命令履歴保持線が切れる。

 ナユの残響へ混ざっていた偽の索敵命令が消える。

 切った。

 だが、空白が生まれる。

 ユイはその空白を見た。

 すぐに中枢側の再同期波が流れ込もうとする。

 しかし、ミオの支援網が受け取った。

『受け取りました!』

 ミオの声が響く。

 セレス・バスティオンが外側を守る。

『防壁、閉じます!』

 アミィの支援波が、空白へ命令が入るのを遮る。

 レータが防壁線を支える。

『通さないよ!』

 カイトが前衛で照合端末を押さえる。

「ユイ、次!」

 ユイは息を整える。

 まだ一度目だ。

 すべてを切ったわけではない。

 だが、今の一撃で分かった。

 これはできる。

 一人で切って、一人で持つのではない。

 切って、渡す。

 渡して、守る。

 守って、返事を返す。

 ノクス・レクイエムの切断波が、もう一度細く輝く。

 ユイは静かに言った。

「これは、壊すためじゃない」

 刃が、命令層を裂く。

「返事を返してもらうための切断だ」

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