第338話 再同期基盤起動
命令層中枢の奥で、白い光が強くなった。
それまでの照合波とは違う。
空間の一部から放たれるものではなく、中枢そのものが呼吸を始めたようだった。
壁面。
床面。
天井。
浮遊する端末。
記録層。
認証層。
それらすべてが、同時に薄く発光する。
カナデが医療・心理監視室で声を上げた。
『全員、警戒してください。照合波が中枢全域から発生しています。これは局所干渉ではありません』
モルドがすぐに続ける。
『PT反応、全体的に上昇。特にアミィ、レータ、ユイの揺れが大きい』
艦橋に警告音が重なる。
三島が端末を確認し、顔を強ばらせた。
「再同期基盤、起動を確認!」
ジンの表情が険しくなる。
「来たか」
黒瀬は承認画面を開いたまま、各反応値を見た。
「全区画、遮断層を強化。PT本人意思確認を最優先。命令層からの応答要求に、勝手に返事をさせないでください」
通信越しに、リクトの声が入る。
『再同期基盤は、個別対象だけを狙うものではありません。命令層中枢全体から、系列反応をまとめて照合しています』
アルベルトが続ける。
『帝国式の古い基盤です。名前ではなく系列、現在の意思ではなく役割反応を拾おうとしている』
レオニスの声は低かった。
『危険です。防壁も支援網も、命令層側から意味を書き換えられる可能性があります』
その瞬間、白い波が中枢空間を走った。
最初に大きく揺れたのは、アミィだった。
ヴァルクレイド・セレスの副座で、アミィは胸元を押さえるように身体をこわばらせた。
声にならない息が漏れる。
視界に文字が浮かぶ。
――A系列。
――補完せよ。
――代替せよ。
――支援せよ。
――対象Lを補え。
――統率反応を接続せよ。
それは、戻れという命令ではなかった。
だからこそ、余計に嫌だった。
戻れと言われれば拒める。
命令に従えと言われれば、違うと返せる。
だが、補えと言われる。
支えろと言われる。
代わりに動けと言われる。
それは一見、役に立てと言っているようにも聞こえた。
誰かを守るために必要だと、囁いてくるようだった。
「……違う」
アミィは小さく呟いた。
けれど、手が震える。
セレス・バスティオンの支援波が乱れ、防壁の一部が歪んだ。
レータが即座に反応する。
「アミィ!」
「はい……聞こえています」
「こっち見て。今、何が来てる?」
レータは、防壁を支えながら聞いた。
決めつけない。
一人で判断しない。
アミィに確認する。
それが、今のヴァルクレイド・セレスの戦い方だった。
アミィは白い表示を睨む。
「補完せよ、代替せよ、支援せよ……そう来ています」
「戻れ、じゃないんだね」
「はい。だから、少し……迷いそうになります」
アミィは唇を噛んだ。
「支援すること自体は、嫌ではないから」
レータは一瞬、何も言わなかった。
そして、静かに言った。
「じゃあ、聞くね。今の支援は、誰のため?」
アミィの手が止まる。
「帝国の命令のため?」
「……違います」
「私の代わりになるため?」
「違います」
「じゃあ?」
アミィは息を吸った。
「みんなが、帰るためです」
その言葉と同時に、支援波の揺れが少しだけ収まった。
だが、再同期基盤の圧力は弱まらない。
次にレータが揺れた。
L系列の照合波が、防壁の外側から重くのしかかる。
――L系列。
――重装・統率型。
――指揮補助反応、接続。
――防衛線維持。
――局地統率を実行せよ。
さらに、赤い記録が重なる。
――突発判断誤差。
――補完個体Aによる補正推奨。
――対象Aを使用せよ。
レータの眉がわずかに動いた。
「……なるほど。そう来るか」
アミィを使え。
そういう意味だった。
アミィを隣に置くのではなく、補正部品として使え。
自分の判断ミスを埋めるために使え。
レータの手に力が入る。
防壁を守るためなら、アミィの支援波をもっと強く引き出せばいい。
出力を上げれば、今の波にも耐えられる。
だが、それは違う。
アミィを使うことになる。
レータは歯を食いしばった。
「アミィ」
「はい」
「今、出力上げたい?」
アミィは驚いたようにレータを見た。
「……上げれば、守れます」
「うん。でも、上げたい?」
その問いに、アミィはすぐには答えられなかった。
守りたい。
役に立ちたい。
支えたい。
でも、命令に押されて上げるのは違う。
アミィは震える手を制御パネルに置いたまま、ゆっくり答えた。
「今は、少し待ちたいです」
「了解」
レータは即答した。
「じゃあ、上げない。今の出力で持たせる」
「でも、レータさんの負荷が」
「大丈夫。ミオ達がいる。カイトも前にいる。黒瀬達も判断してる。私達だけで全部持たない」
レータの声が、少しだけ柔らかくなった。
「だから、アミィを部品みたいには使わない」
防壁の揺れは消えない。
けれど、セレス・バスティオンは崩れなかった。
ユイの反応も急激に上がった。
ノクス・レクイエムの中核部に、命令層の逆流が触れる。
まだ本格起動していない。
それなのに、起動準備の経路を通じて、白い波が入り込もうとしてくる。
ユイの視界に、Y系列の文字が重なった。
――Y系列。
――命令層切断反応、特異。
――切断能力、再利用可能。
――対象群安定化のため、切断を実行せよ。
ユイは息を呑んだ。
命令は、撃てではなかった。
戻れでもなかった。
切れ。
そう来た。
今、切れば皆を助けられる。
再同期波を止められる。
アミィの揺れを抑えられる。
レータの防壁負荷を下げられる。
ミオの支援網も守れる。
その理屈は、半分正しい。
だからこそ危険だった。
『ユイ!』
カイトの声が届く。
だが、前より遅い。
再同期基盤の照合波が、通信の間に割り込もうとしている。
『聞こえるか!』
「聞こえる」
ユイは答えた。
声が少しだけ震えた。
「でも、こっちに来てる。切れって言ってくる」
『切るな。まだだ』
カイトの声は強かった。
命令ではない。
だが、迷いを断つための声だった。
『今切ったら、向こうが空白に入ってくる。前に確認しただろ』
「分かってる」
ユイは目を閉じる。
「分かってるけど、切れば楽になるって、思わされる」
『なら、楽な方を選ぶな』
カイトの声が、遅延の中でも届く。
『ユイが選ぶのは、楽な方じゃなくて、戻れる方だろ』
ユイは息を吸った。
戻れる方。
その言葉が、ノクス・レクイエムの中で小さく響いた。
ユイは起動キーに触れない。
まだ。
今はまだ、切らない。
再同期基盤の照合波は、ほかのPT達にも広がっていた。
ミオのルナ・スケイル・リフレクトでは、《ルナ・ドール・リンク》の管制端末の一つが停止しかける。
GD-06 バリスタの照準がわずかにずれる。
GD-11 ファランクスの防御姿勢が、一瞬だけ帝国式の固定防衛パターンへ戻りかける。
GF-07 リーフガードは帝国式命令層とは別系統の機体だが、それでも通信保護線に圧力がかかる。
『バリスタ、照準補正が勝手に入ります! ファランクスも防御位置を固定されかけてる!』
ミオは管制画面を必死に押さえる。
『違う、そこじゃない。撃つ場所はこっちで決める。守る場所も、こっちで決める……!』
セラの前には、S系列射撃命令受諾の記録が再び薄く浮かぶ。
だが、今度のセラはすぐに引き金へ指を置かなかった。
『見えてる。でも、まだ撃たない』
レイの視界にはR系列突入反応。
リンの前には護衛前進誘導。
ナユの残響には、帝国式記録に似せた偽反響が混ざる。
イリスの記録領域にも、I系列命令履歴保持の照合波が触れていた。
全員が、少しずつ揺れている。
崩れてはいない。
だが、揺れている。
カナデが通信で声を送った。
『全員、今感じているものを、急いで否定しなくていいです。ただし、返事は急がないでください。命令層は、あなた達の早い反応を狙っています』
モルドが続ける。
『身体反応、まだ許容範囲内。ただし長引けば危険だ。艦橋、判断を急げ』
艦橋では、黒瀬、三島、ジンがノクス・レクイエム起動判断に入っていた。
承認画面は、前回のように無秩序には広がっていない。
三島が記録照合を行い、偽装要求を弾く。
「ノクス・レクイエム起動準備第三段階、本物です。送信元、ルクス側。偽装なし」
黒瀬が確認する。
「本人意思認証は」
カナデが答えた。
『ユイさんの意思は揺れています。ただし、命令に従おうとしている揺れではありません。切るべきか、待つべきかを判断している揺れです』
モルドが続く。
『身体負荷は上昇中。だが、短時間の起動準備なら許容範囲だ。本格起動後の長時間戦闘は不可』
リクトが技術判定を入れる。
『命令層逆流あり。ただし、遮断層は機能しています。起動準備を進めれば、逆流経路を可視化できます』
アルベルトが続ける。
『ただし、起動すれば中枢側も対象Yの切断能力をさらに強く照合します』
レオニスが警告する。
『切断そのものは可能。ただし、切断後保持領域が不完全です。起動承認と切断許可は分けてください』
黒瀬は頷いた。
「当然です。起動準備と切断実行は別判断とします」
ジンが艦長席で画面を見る。
「今、起動準備を進める理由は何だ」
リクトが答える。
『再同期基盤の波が広がっています。このままでは受け身になります。ノクスを起動準備段階まで進めれば、命令層の接続線を見える形で固定できます』
黒瀬が続ける。
「つまり、撃つためでも、切るためでもなく、敵の線を見るために起動準備を進める」
「そういうことか」
ジンは短く息を吐いた。
「ユイに確認しろ」
カイトは前衛で機体を支えながら、ユイへ通信を繋いだ。
再同期基盤の波はさらに強まっている。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスの支援リンクにも負荷がかかっていた。
だが、まだ繋がっている。
『ユイ』
「聞こえてる」
『艦橋がノクスの起動準備を進める。切断じゃない。線を見るためだ』
「うん」
『やれるか』
ユイはノクス・レクイエムの中で目を開けた。
切れという声はまだ聞こえる。
再利用可能。
切断を実行せよ。
対象群安定化のため。
その言葉は、まだ視界の端にある。
だが、それとは別に聞こえる声がある。
アミィの声。
一人で切らないでください。
ミオの声。
受け取れるようにします。
レータの声。
アミィを部品みたいには使わない。
カイトの声。
戻れる方を選べ。
ユイは息を整えた。
「やれる」
少し間を置いて、続ける。
「でも、切らない。まだ、切らない」
『分かってる』
カイトは即座に答えた。
『起動しても、一人で切るな』
「うん」
ユイは起動キーに手を伸ばした。
今度は、ためらいではなく確認のために。
艦橋で、黒瀬は承認欄を確認した。
三島が記録を読み上げる。
「本人意思確認、ユイさんより回答あり。起動準備は可能。ただし切断実行は保留」
カナデ。
『心理反応、危険域ではありません。揺れはありますが、自己判断は保たれています』
モルド。
『身体負荷、短時間なら許容』
リクト。
『命令層逆流、遮断層で制御可能』
アルベルト。
『帝国式照合波、記録します』
レオニス。
『危険経路は隔離します』
ジンが言った。
「艦長判断。ノクス・レクイエム、起動準備第三段階を許可。ただし、切断実行は別途承認。ユイ本人の意思確認を最優先とする」
黒瀬は最後の監査欄に手を置いた。
「監査判断。同条件で承認」
承認欄が一つずつ青に変わる。
ノクス・レクイエム。
起動準備第三段階、承認。
ノクス・レクイエムの中核部に、淡い光が走った。
黒灰の外殻の奥で、白銀のフレームが静かに反応する。
紅紫の制御光が灯り、薄紫白の本人意思認証光が重なる。
まだ完全起動ではない。
まだ刃を振るう段階ではない。
だが、命令層の線が、さらに鮮明に見えた。
ユイは息を整える。
白い中枢空間の奥に、再同期基盤の接続線が見える。
そこからアミィへ伸びる線。
レータへ重なる線。
ミオの支援網へ絡もうとする線。
そして、自分へ切れと囁く線。
ユイは、それらを見つめた。
今度は、一人で切らない。
切った後を、空白にしない。
ミオが受け取る。
レータとアミィが守る。
イリスが記録する。
カイトが繋ぐ。
黒瀬達が止めるべきものを止める。
だから、今度は違う。
ユイは静かに呟いた。
「今度は、切った後を渡す」




