第337話 オルフェンの観測室
命令層中枢の最深部に近い区画。
そこは、戦闘管制室というには静かすぎた。
砲撃命令を出す声もない。
兵士達が走り回る足音もない。
あるのは、無数の観測窓だけだった。
白い空間の奥に浮かぶ複数の画面。
そこには、ルクス側の機体配置、支援網の変化、防壁の強度、通信遅延、承認判断の流れ、PT達の反応値が、淡々と表示されている。
オルフェンは、その中心に立っていた。
表情は穏やかだった。
怒りはない。
焦りもない。
命令層中枢へ侵入されたというのに、彼は不快そうですらなかった。
むしろ、興味深い実験結果を前にした研究者のように、静かに画面を見ていた。
「対象Y、命令層切断能力を保持。ただし、切断後の空白を警戒し、実行を保留」
彼の指が、次の観測窓へ移る。
「対象M、支援個体としての役割を超過。無人端末限定管制により、戦場形成を実行」
次の窓。
「対象L、単独判断を抑制。対象Aとの相互確認により、突発判断誤差を補正」
次。
「対象A、代替指揮支援個体としての再同期誘導に抵抗。対象Lの隣接反応により、自己応答を一時保持」
次。
「対象I、命令外生活記録を提示。帝国式人格形成記録の再同期効果を一部低減」
オルフェンは、ゆっくりと息を吐いた。
「興味深い」
そこには称賛に似た響きがあった。
だが、人を見ている声ではなかった。
珍しい構造を観測している声だった。
観測窓には、戦闘中のルクス側が映っている。
カイトが前衛位置を維持している。
ユイはノクス・レクイエムの起動準備を進めつつ、まだ本格起動していない。
ミオは支援網を組み替え、無人端末を使って戦場を整えている。
レータとアミィはセレス・バスティオンを展開し、防壁線を相互確認している。
ナユは残響を拾い、セラは撃つべき時まで撃たない。
レイとリンは、斬るために待つことを覚え始めている。
黒瀬は承認判断を分担し、すべてを一人で抱える形を手放した。
それらの動きは、帝国式の命令系統とは違っていた。
命令が一方向に流れ、対象が従う。
そういう構造ではない。
確認し合い、受け取り、止め、待ち、選ぶ。
非効率だ。
遅い。
数値化しにくい。
だが、崩れない。
オルフェンは、観測記録に新しい分類を作成した。
――自己応答保持構造。
彼はその文字を見つめる。
「再同期できるか」
画面が切り替わる。
アミィへの再同期誘導記録。
失敗。
「自己応答はどこまで保つか」
ユイ、アミィ、レータ、ミオ、イリスの反応値が並ぶ。
大きく揺れながらも、命令へ完全には戻っていない。
「支援構造はどこで壊れるか」
ミオの支援網。
セレス・バスティオン。
イリスの記録。
カナデの心理支援。
黒瀬の監査分担。
カイトとユイの通信線。
それらが、互いに補助し合っている。
「PTはどの条件で命令へ戻るか」
オルフェンは、淡々と仮説を並べる。
孤立。
空白。
記録の上書き。
支援網の切断。
心理反応の過負荷。
承認判断の遅延。
防壁の反転。
照合波の集中。
そして、帰還場所の喪失。
彼は最後の項目を見て、わずかに首を傾げた。
「帰る場所」
それは、帝国式の管理語彙には存在しない言葉だった。
だが、ルクス側の構造を説明するうえで、その言葉を使わざるを得なかった。
食堂。
医療区画。
整備区画。
観測席。
艦橋。
格納庫。
そこへ戻るという認識が、PT達の自己応答を安定させている。
非効率。
非軍事的。
非命令的。
だが、効果がある。
オルフェンは記録を続けた。
「ルクス側の帰還認識は、命令層再同期への抵抗要因として機能している」
彼は画面を閉じる。
「ならば、その耐久性を確認する必要があります」
帝国外縁側。
レオンの部隊にも、命令層中枢からの通信が届いていた。
エリシオンの艦内で、クラウスが受信内容を確認する。
「監察局より中枢防衛協力要請。優先度、極めて高」
レオンは司令席で目を細めた。
「内容は」
クラウスは一瞬だけ表示を読み、表情を曇らせた。
「……命令層照合波の防衛転用。通常軍機を中継点として使用。監察局端末の保護を最優先。ルクス側支援網の切断を補助せよ、とのことです」
「通常軍機を中継点?」
レオンの声が低くなる。
「はい。詳細を見る限り、こちらの機体を照合波の反射板として使う想定です」
「搭乗者への負荷は」
クラウスは答える前に、もう一度内容を確認した。
「記載がありません」
レオンの視線が鋭くなる。
「記載がない?」
「はい。被害想定の項目は空欄です。代わりに、監察局端末の保全率と照合波反射効率が記載されています」
艦内が静かになった。
それは、通常軍への作戦要請ではなかった。
監察局の装置を守るために、通常軍を部品として使う要請だった。
クラウスはさらに読み進める。
「追加項目があります。命令層中枢内部の観測実験を継続するため、外縁部の通常軍は退避路を封鎖。必要に応じて、ルクス側だけでなく、監察局回収ルートを妨害する全対象を排除せよ、と」
レオンは黙っていた。
クラウスは続ける。
「この全対象には、通常軍機も含まれる可能性があります」
レオンは低く言った。
「監察局は、我々を何だと思っている」
クラウスは答えなかった。
答える必要がなかった。
レオンは、正面モニターに映る中枢外縁部を見た。
ルクス側は敵だ。
それは変わらない。
彼らは帝国防衛線を突破し、命令層中枢へ侵入している。
通常軍として、それを見過ごす理由はない。
だが、監察局の命令もまた、見過ごせるものではなかった。
帝国軍は、皇帝と帝国領を守るための軍だ。
監察局の観測実験を成立させるための消耗品ではない。
クラウスが慎重に言う。
「閣下、命令違反と取られる可能性があります」
「監察局の要請をそのまま受ければ、こちらの通常兵が照合波の中継点にされる」
「はい」
「負荷記載もない」
「はい」
「なら、それは作戦命令ではない」
レオンは静かに断じた。
「実験手順だ」
クラウスは目を伏せる。
レオンは、しばらく中枢方向を見ていた。
ルクス側への感情は複雑だった。
彼らは敵だ。
だが、今、命令層中枢の内部で何かを止めようとしている。
一方で監察局は、通常軍すら観測材料にしようとしている。
レオンの指が、肘掛けを軽く叩いた。
「クラウス」
「はっ」
「監察局からの要請は保留。部隊には防御態勢維持を命じろ。ただし、照合波中継には参加しない」
「よろしいのですか」
「責任は私が取る」
レオンは冷たく言った。
「通常軍を、監察局の反射板にはしない」
その通信拒否に近い保留判断は、すぐにオルフェンの観測室へ届いた。
オルフェンは、レオン側の応答を確認する。
通常軍協力要請、保留。
照合波中継、未実施。
エリシオン部隊、防御態勢維持。
オルフェンは特に驚かなかった。
「レオン。通常軍指揮官としての自己判断を優先」
彼は淡々と記録する。
「監察局命令への従属率、低下。通常軍倫理判断、上昇」
まるで、レオンの反発すら観測項目の一つに過ぎないようだった。
だが、その判断によって、外縁部の照合波反射計画は不完全になった。
オルフェンは少しだけ別画面を見る。
不完全。
だが、実行不能ではない。
「通常軍中継が使えないなら、中枢内部の基盤を直接起動します」
彼は記録装置を確認した。
ルクス側の抵抗構造。
PT達の自己応答保持。
支援網の再構築。
防壁の共同制御。
命令外記録。
承認判断の分担。
近接判断の保留。
射撃判断の保留。
全てが記録されている。
オルフェンにとって、勝敗は最初から第一目標ではなかった。
倒すことではない。
壊すことでもない。
どこまで耐えるか。
何を失えば戻るか。
どの条件で、自己応答が命令へ変わるのか。
それを観測すること。
そのために、次の段階へ進む。
彼は、記録装置の状態を確認した。
記録回路、稼働。
再同期補助波、待機。
中枢基盤、接続準備完了。
対象A、対象Y、対象L、対象M、対象I、反応保持。
対象群、自己応答維持。
オルフェンは静かに頷いた。
「よろしい」
そして、白い操作盤に指を置いた。
「では、再同期基盤を起動する」
その言葉は、中枢外縁の通信にも断片的に漏れた。
レオンの艦橋にも、監察局通信の一部として届く。
クラウスが顔を上げる。
「閣下。中枢内部で、再同期基盤起動準備を確認」
レオンの表情が、わずかに険しくなった。
「再同期基盤だと」
「はい。対象は……ルクス側PT群だけではありません。波及範囲が広すぎます」
レオンはモニターを見据えた。
中枢の奥で、白い光が強くなっていく。
監察局は、まだ止まる気がない。
通常軍への影響も、省みる気がない。
レオンは低く呟いた。
「監察局め」
その声に、怒りはあった。
だが、まだ動かない。
彼はまだ、帝国通常軍の指揮官だった。
だが、その目には、先ほどまでとは違う警戒が宿っていた。
オルフェンが再同期基盤を起動する。
その言葉に、レオンの表情がわずかに険しくなった。




