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第336話 監査官の限界

 近接組が罠を見抜き、ナユの残響を支え、進路はさらに奥へ伸びた。

 ミオの支援網は安定している。

 レータとアミィの《セレス・バスティオン》も維持されている。

 カイトの前衛位置も、ユイとの通信線も崩れていない。

 だが、命令層中枢は、まだ止まっていなかった。

 白い空間の奥で、次の干渉が始まる。

 それは、機体を直接狙うものではなかった。

 支援網でも、残響でも、射線でもない。

 判断を狙う攻撃だった。


 艦橋。

 黒瀬の前に、承認画面が開いた。

 最初は一つだった。

 ノクス・レクイエム起動準備、第二段階承認。

 黒瀬は即座に内容を確認しようとする。

 その瞬間、別の画面が重なった。

 《ルナ・ドール・リンク》管制拡張承認。

 さらにもう一つ。

 《セレス・バスティオン》出力上昇承認。

 続いて、記録閲覧権限変更。

 退避路変更。

 捕縛作戦への戦術切替。

 中枢内部データ保護判断。

 偽装承認要求の可能性あり。

 送信元照合待ち。

 判断保留時間、減少。

 三島が端末を見て息を呑んだ。

「承認要求、同時発生。数が多すぎます」

 黒瀬は眉を寄せた。

「一覧化してください。送信元、緊急度、影響範囲、偽装可能性を並べます」

「了解」

 三島がすぐに操作する。

 だが、承認画面はさらに増えた。

 ノクス・レクイエム起動準備の補助項目。

 外部遮断層の強化承認。

 アミィの心理反応監視設定変更。

 支援網内偽端末隔離承認。

 防壁内通信優先度変更。

 カイト前衛位置変更に伴う退避路再設定。

 中枢記録閲覧権限の一時拡張。

 中枢内部の人格形成記録保護判断。

 監察局観測ログ遮断の予備承認。

 画面が、黒瀬の視界を埋める。

 ジンが低く言った。

「黒瀬、これは攻撃か」

「はい」

 黒瀬は画面から目を離さずに答えた。

「承認判断過負荷です。こちらが安全のために承認手順を増やしていることを、逆に利用している」

「承認しなければ動けない。承認しすぎれば罠を通す」

「その通りです」

 黒瀬は一つずつ内容を読もうとした。

 ノクス起動準備。

 ミオの管制拡張。

 セレス・バスティオン出力上昇。

 記録閲覧権限変更。

 退避路変更。

 捕縛作戦への戦術切替。

 中枢内部データ保護判断。

 どれも重要だった。

 どれも軽く扱えない。

 どれも、間違えれば誰かに負荷がかかる。

 黒瀬は、すべてを自分の目で確認しようとした。

 それが、監査官として当然のことだと思った。


 白い中枢空間の奥で、オルフェンは観測画面を見ていた。

 ルクス側の戦闘構造は崩れにくい。

 ミオの支援網。

 レータとアミィの防壁。

 ナユの残響。

 セラの射撃判断。

 リンとレイの待機判断。

 カイトとユイの通信線。

 それぞれが、単独の命令ではなく、互いに確認しながら動いている。

 ならば、そこを直接壊す必要はない。

 確認する仕組みそのものを、詰まらせればいい。

「安全手順が多いほど、承認点は増える」

 オルフェンは静かに言った。

「承認点が増えれば、遅延が生まれる。遅延が生まれれば、判断は分断される」

 観測窓には、黒瀬の承認系統が表示されている。

 監査官。

 承認判断。

 危険手順の停止。

 記録保存。

 外部制限。

 それらは、本来ルクス側を守るためのものだ。

 だが、過負荷をかければ、守るための仕組みが動きを止める鎖になる。

「では、監査構造を観測します」

 オルフェンは追加の承認要求を中枢経由で混入させた。


 黒瀬の画面に、さらに三つの要求が増えた。

 ルクス側規格に似せた偽装承認要求。

 帝国式安全停止に見せかけた危険遮断要求。

 PT反応保護を装った再同期誘導許可。

 三島が声を上げる。

「偽装要求、混ざっています!」

「弾いてください」

「弾いています。ですが、本物の要求と紛れています」

 黒瀬は手元の画面を切り替え続けた。

 偽装を弾く。

 本物を読む。

 危険を止める。

 必要なものを通す。

 すべてを自分で確認する。

 ノクス・レクイエムの起動準備は、ユイ本人の意思確認が必要。

 ルナ・ドール・リンクの管制拡張は、ミオの負荷確認が必要。

 セレス・バスティオン出力上昇は、レータとアミィの身体反応が必要。

 記録閲覧権限変更は、イリスと黒瀬の承認が必要。

 退避路変更は、ジンの判断が必要。

 捕縛作戦への切替は、まだ早い。

 中枢内部データ保護は、リクト達の技術判定が必要。

 分かっている。

 分かっているのに、画面が増える。

 判断が追いつかない。

 黒瀬の指が、一瞬止まった。

 三島がそれを見た。

「黒瀬さん」

「大丈夫です」

 黒瀬は即答した。

「私が読みます」

 その声は、わずかに硬かった。


 前線側にも影響が出始めていた。

 ミオの支援網に、拡張承認待ちの表示が出る。

『管制範囲、これ以上広げられません。承認待ちです』

 セレス・バスティオンの外層出力にも、上昇承認待ちが出ている。

 レータが呻く。

『このままでも持つけど、次の波が来たら少しきついかも』

 アミィが続ける。

『出力上昇できれば、再同期波をもう少し外で受けられます。でも、承認なしでは危険です』

 ユイのノクス・レクイエムにも、起動準備第二段階の確認が保留されている。

 ユイは画面を見た。

 承認待ち。

 それは必要な表示だ。

 ノクスを勝手に起動しないための安全装置。

 だが今は、その安全装置が遅延として狙われている。

 カイトが通信を入れる。

『艦橋、状況は?』

 ジンが答える。

『承認判断過負荷だ。黒瀬が処理している』

 カイトは少しだけ黙った。

『黒瀬さん一人で?』

 ジンは答えなかった。

 艦橋の空気が、少し重くなる。


 三島は、黒瀬の横で増え続ける画面を見ていた。

 黒瀬は速い。

 判断も正確だ。

 偽装要求も見抜いている。

 けれど、数が多すぎる。

 どれだけ優秀でも、一人で読むには限界がある。

 それなのに、黒瀬はまだ自分で背負おうとしていた。

 監査官だから。

 止める責任があるから。

 間違えてはいけないから。

 三島は息を吸った。

「黒瀬さん」

「何ですか」

「分けましょう」

 黒瀬の指が止まる。

「何をですか」

「承認判断です。全部を黒瀬さんが読む必要はありません」

 黒瀬は一瞬、目を細めた。

「最終責任は監査官にあります」

「はい。でも、全部の情報を一人で処理することと、最終責任を持つことは違います」

 三島は、画面を指差した。

「私は記録照合を担当します。送信元、本物か偽装か、過去の承認履歴との整合性。それは私が見ます」

「三島さん」

「ジン艦長は、艦長判断が必要な退避路変更と戦術切替を見てください」

 ジンがすぐに頷く。

「分かった。退避路と戦術切替はこちらで見る」

 三島は続ける。

「カナデ先生にはPT心理反応。モルド先生には身体・負荷反応。リクトさん、アルベルトさん、レオニスさんには帝国技術判定」

 黒瀬は黙っていた。

 三島は少し声を強める。

「黒瀬さんは監査です。全部を読む役ではなく、止めるべきものを止める役です」

 その言葉に、黒瀬の表情がわずかに変わった。


 黒瀬は、画面を見つめた。

 全部を自分で見る。

 全部を自分で止める。

 全部を自分で背負う。

 それが、監査官の仕事だと思っていた。

 ルクス・ヴァルキュリアという巨大な艦。

 PT達という特殊な存在。

 ノクス・レクイエムという危険な機体。

 命令層中枢という、帝国の中でも最も危険な場所。

 誰かが止めなければならない。

 誰かが、通してはいけないものを止めなければならない。

 だから、自分が見る。

 そう思っていた。

 だが、今はそれ自体が狙われている。

 全部を一人で見ようとするほど、判断は詰まる。

 判断が詰まれば、止めるべきものも止められない。

 黒瀬はゆっくり息を吐いた。

「……分かりました」

 彼は承認画面の構成を変える。

「承認系統を分割します」

 三島がすぐに補助画面を開く。

「はい」

 黒瀬は一つずつ割り振った。

「三島さん、記録照合と偽装判定を担当」

「了解」

「ジン艦長、退避路変更と戦術切替判断」

「任せろ」

「カナデさん、PT心理反応。特にアミィさん、ユイさん、レータさんの揺れを確認してください」

『了解しました』

「モルドさん、身体負荷と機体搭乗継続可能性」

『見ている。危険域に入ったら即座に言う』

「リクトさん、アルベルトさん、レオニスさん。帝国式命令層、技術的偽装、データ保護判断をお願いします」

『了解』

『こちらで帝国規格との照合を行います』

『危険データと保護データを分けます』

 黒瀬は最後に、自分の画面を整理した。

 残すのは、監査判断。

 通していいもの。

 止めるべきもの。

 保留すべきもの。

 自分が全部を背負うのではない。

 各専門が見たものを受け、危険なものを止める。

 それが、今の自分の役割だった。


 承認系統が分割されたことで、画面の流れが変わった。

 三島が偽装要求を弾く。

「PT反応保護を装った再同期誘導許可、偽装です」

「却下」

「ルナ・ドール・リンク管制拡張、本物。過去運用条件内。ただし同時管制限界に近づいています」

「ミオさんの負荷確認へ」

 カナデが返す。

『心理反応は安定。焦りはありますが、判断能力に問題なし』

 モルドが続ける。

『身体負荷も許容範囲内。ただし長時間は不可』

 黒瀬は頷く。

「管制拡張、短時間限定で承認」

 ミオの支援網が少し広がる。

『承認、確認しました。支援網を前へ伸ばします』

 次の画面。

「セレス・バスティオン出力上昇、本物です」

 カナデが即座に反応する。

『アミィさんの反応に揺れあり。ただし、レータさんとの相互確認で安定しています』

 モルドが続ける。

『身体負荷は上がる。だが短時間なら許容できる』

 黒瀬が判断する。

「出力上昇、三十秒限定で承認。延長は再判断」

 レータの声が明るく入る。

『三十秒あれば十分。アミィ、いくよ』

『はい』

 防壁が強まり、再同期波が外側で弾かれる。

 次。

「退避路変更要求」

 ジンが見る。

「却下だ。その退避路は誘導されている。カイト、今の位置を維持しろ」

『了解』

 次。

「中枢内部データ保護判断」

 リクトが言う。

『人格形成記録の可能性あり。破壊不可』

 アルベルトが続ける。

『ただし、監察局観測ログと混在しています。切り分けが必要です』

 レオニスが判断する。

『保護領域と隔離領域を分けるべきです』

 黒瀬は頷く。

「データ保護、隔離保存で承認。直接閲覧は不可」

 三島が記録する。

「了解」

 画面の混乱が、少しずつ整理されていく。


 オルフェンは観測室で、承認構造の変化を見ていた。

 監査官単独処理から、分担処理へ。

 記録照合。

 艦長判断。

 心理反応確認。

 身体負荷確認。

 帝国技術判定。

 最終監査判断。

 オルフェンは静かに記録する。

「承認判断過負荷、分担により緩和。監査官、全項目単独確認を放棄」

 彼はそこで、一瞬だけ言葉を止めた。

「放棄、ではないか」

 画面の中で、黒瀬は判断を続けている。

 むしろ、先ほどよりも速い。

 そして危険なものは確実に止めている。

「役割の再定義」

 オルフェンは記録を修正した。

「監査官は、全てを保持するのではなく、停止判断の中核として機能」


 艦橋では、警告音が減り始めていた。

 完全に消えたわけではない。

 だが、承認待ちで詰まっていた前線の動きが戻りつつある。

 ミオの支援網が前へ伸びる。

 セレス・バスティオンが短時間だけ出力を上げる。

 カイトの前衛位置が固定される。

 ユイのノクス・レクイエム起動準備も、第二段階へ進める状態になった。

 ただし、実起動ではない。

 あくまで、準備だ。

 黒瀬は最後の画面を見た。

 ノクス・レクイエム起動準備、第二段階承認。

 本人意思認証、安定。

 心理反応、カナデ確認済み。

 身体負荷、モルド確認済み。

 命令層逆流、リクト確認中。

 艦長判断、保留条件付き許可。

 監査判断、必要。

 黒瀬は、画面を一つずつ分けた。

 本人意思。

 心理反応。

 身体負荷。

 技術判定。

 艦長判断。

 監査判断。

 それぞれの欄が、別々の担当者へ繋がる。

 そして最後に、自分の欄だけが残る。

 黒瀬は静かに言った。

「監査は、全部を一人で背負う仕事じゃない」

 三島が隣で見ている。

 ジンも黙って聞いていた。

 黒瀬は、承認画面に手を置く。

「止めるべきものを、止める仕事だ」

 ノクス・レクイエム起動準備の承認欄が、次の段階へ進んだ。

 まだ起動ではない。

 だが、切るための準備が、初めて正しい形で整い始めた。

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