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第335話 刃を下ろす護衛

 セラの一射によって、監察局の照合波の一部が崩れた。

 中枢空間に張り巡らされていた偽の射撃誘導は沈黙し、白い壁面に残っていたS系列の評価記録も薄れていく。

 それでも、道が完全に開いたわけではない。

 むしろ、奥へ進むほど命令層中枢は複雑になっていた。

 白い空間の奥に、幾つもの細い通路が重なって見える。

 実際に存在する通路。

 投影された偽の通路。

 残響だけを返す空の通路。

 そして、進めば何かが起動する罠。

 ナユはロス・セレネの中で、じっとその音を聞いていた。

 セラが撃たなかったことで見つけられた本命。

 その経験は、ナユの中にも残っている。

 見えているものを、そのまま信じない。

 綺麗に返ってくる音ほど、疑う。

 ナユは小さく息を整えた。

『前方、三つの進路があります』

 通信に声を乗せる。

『でも、本物は一つだけです』

 カイトがアルタイル・ノヴァ・ブレイスを前に出し、進路を確認した。

「ナユ、どれが本物だ」

『まだ分かりません。……でも、真ん中は違います』

 リンが少しだけ前へ出る。

 ヴァイス・リッパー・リビルドの刃が、白い光を反射する。

『真ん中が一番開いて見えますが』

『だから違うと思います』

 ナユは答えた。

『開きすぎています。残響が綺麗すぎる』

 レイがヴァナルガンドの機体を低く構えた。

『なら、左右のどちらかか』

『たぶん。でも、まだ待って』

 ナユの声は静かだった。

 だが、その静かさの奥に緊張があった。


 その時、白い通路の奥から、黒い端末群が現れた。

 大きくはない。

 人型でもない。

 細い支柱と、刃のような突起を持つ監察局の近接妨害端末だった。

 それらは、ナユの索敵線へ向かってまっすぐ進んできた。

 リンの反応が早かった。

『ナユさん、下がってください』

 リン機が前へ出る。

 ナユを守るために、当然の判断だった。

 敵が索敵役へ向かうなら、その前に出る。

 護衛としては正しい。

 だが、ナユの残響が、その進路の奥に別の音を拾った。

『待って、リン』

 ナユの声が少し強くなる。

『そこ、踏まないで』

 リンの機体がぎりぎりで止まった。

 刃を構えたまま、前進だけを止める。

『罠ですか』

『うん。リンがそのまま斬り込むと、床下の端末が起きる』

 レイが目を細める。

『床下?』

『見えてない。でも、音がある。斬った衝撃で起きるように隠されてる』

 白い空間の床面は、見た目には滑らかだった。

 だが、ナユの残響には、そこに薄く埋め込まれた別の層が聞こえていた。

 リンが端末群を斬れば、衝撃と機体移動の反応を拾って、隠された再同期端末が起動する。

 その再同期端末は、おそらくナユの索敵線とミオの支援網を同時に狙う。

 リンは刃を構えたまま、動かなかった。


 別方向から、さらに端末群が現れた。

 今度はレイの前だ。

 数は多くない。

 だが、配置が嫌だった。

 レイが一歩踏み込めば、一気に斬れる。

 むしろ、斬らせるために置かれているような配置だった。

『邪魔だな』

 レイは低く呟く。

 刃を振ればいい。

 ヴァナルガンドの機動力なら、端末群をまとめて切り裂ける。

 突っ込んで、斬って、道を開く。

 帝国の戦闘記録なら、それが正解だっただろう。

 近接戦闘特化。

 迷いの少ない切断判断。

 命令対象への突入適性、高。

 その評価が、レイの視界の端にちらつく。

 レイは舌打ちした。

『……分かりやすく斬らせに来てるな』

 ナユがすぐに答える。

『うん。そこも罠。レイが斬ると、右奥の壁から反響が返る』

『右奥?』

『見えてない端末がある。斬撃反応で起動する』

 リンが通信に入る。

『こちらも同じです。ナユさんを狙っているように見せて、護衛を前へ出させる配置です』

 カイトが低く言った。

「近接組を動かして、隠し端末を起動させるつもりか」

 ミオの声が続く。

『はい。リンさんかレイさんが前へ出ると、支援網の外側に隙間ができます。その瞬間に再同期端末が起動すれば、防壁補助線まで揺れます』

 レータが防壁側から言った。

『こっちにも薄く来てる。斬られた衝撃に合わせる気だね』

 アミィが続ける。

『隠し端末の反応はまだ弱いです。でも、起動すれば、アミィの支援波にも触れてきます』

 リンは刃を握る手に力を入れた。

 ナユを守るために前へ出たい。

 けれど、前へ出れば、ナユの索敵線そのものを危険にさらす。

 守ろうとして、守る対象を追い込む。

 それは、あまりに嫌な罠だった。


 オルフェンは観測室で、近接組の反応を見ていた。

 対象R。

 切断可能。

 対象リン。

 護衛反応、上昇。

 対象ナユ。

 残響索敵により隠し端末を検知。

 オルフェンは記録を進める。

「近接護衛は、守護対象への接近脅威に対し、前進反応を示す。近接特化個体は、明確な障害物に対し切断反応を示す」

 観測窓の中で、リンとレイはまだ動かない。

 刃を構えている。

 だが、振らない。

「反応抑制。外部索敵情報による判断保留」

 オルフェンは淡々と呟いた。

「では、追加圧力をかけましょう」

 命令層中枢の白い空間に、過去記録が再び薄く投影される。

 ――R系列、近接戦闘特化。

 ――突入判断、良好。

 ――切断命令受諾。

 ――護衛対象接近時、即時迎撃。

 リンの視界にも、似た表示が流れ込む。

 護衛。

 迎撃。

 対象保護。

 前進。

 刃を振るうことこそ、守ることだと囁くような記録だった。


 リンは歯を食いしばった。

 ナユの前に立ちたい。

 敵が近づくなら、斬りたい。

 それは自然な判断だった。

 自分の役割は、ナユを守ること。

 なら、ナユへ向かうものを斬る。

 そう思った瞬間、ナユの声が届いた。

『リン』

 短く、静かな声。

『今、前に出ないでくれてるから、私は聞けてる』

 リンは動きを止めたまま、少しだけ視線を落とした。

『私が前に出ないから、ですか』

『うん。リンが止まってくれてるから、音が崩れてない』

 ナユは残響を聞きながら続ける。

『守ってもらってる。でも、前に出て守られてるんじゃない。待ってくれてるから、守られてる』

 リンは一瞬、言葉を失った。

 守るために前へ出る。

 それしか考えていなかった。

 だが、今は違う。

 守るために、前へ出ない。

 刃を振らない。

 待つ。

 それも、護衛なのだとナユが言った。

『……分かりました』

 リンはゆっくりと刃を下げた。

 完全に構えを解くわけではない。

 だが、斬り込む姿勢から、待つ姿勢へ変えた。


 レイもまた、刃を下ろした。

『面倒な戦場だな』

 そう言いながらも、前へ出ない。

 カイトが通信越しに言う。

「レイ、待てるか」

『待ってるだろ』

「珍しいな」

『斬ったら敵の思う壺なんだろ。だったら斬らない』

 レイは不機嫌そうに答えた。

 だが、その声に迷いは少なかった。

『斬るために待つ。そういうのも悪くない』

 ミオが支援網を組み直しながら言う。

『助かります。二人が止まってくれたので、支援線を通せます』

 ナユも続けた。

『残響が澄んできました。本命の位置、もう少しで拾えます』

 セラが狙撃位置を調整する。

『射線も通ります。まだ撃ちません』

 レータが防壁を少しだけずらす。

『こっちも補助線合わせるよ。アミィ、右側少し薄い』

『はい。補強します』

 少しずつ、戦場の形が整っていく。

 もしリンとレイが即座に斬っていたら、この形にはならなかった。

 斬らなかったことで、ミオの支援網が整った。

 ナユの残響が澄んだ。

 セラの射線が通った。

 カイトの前衛位置も合った。

 防壁補助線も崩れなかった。

 待つことが、次の攻撃を作った。


 ナユは、ようやく本命の音を拾った。

 正面の端末群ではない。

 リンの足元でもない。

 レイが斬り込もうとした右側でもない。

 そのさらに奥。

 左右の罠端末が同時に反応した時だけ起動する、中央奥の小さな再同期中核。

 それが、本命だった。

『見つけた』

 ナユの声がはっきりした。

『左右の端末は囮。斬らせて、その反応で中央奥が起きる仕組みです』

 ミオが即座に支援線を走らせる。

『中央奥、確認しました。まだ休眠状態です。起動前なら切り離せます』

 カイトが前に出る。

「俺が囮になる。左右を起動させずに、中央奥への線を開ける」

『カイトさん、前に出すぎないでください』

 ミオが止める。

「分かってる。線を越えない」

 アルタイル・ノヴァ・ブレイスが前進し、敵端末群の注意を引く。

 だが、リンとレイが斬り込む予定だった線には入らない。

 カイトは前衛位置を調整し、敵の反応だけを引き出す。

 その瞬間、中央奥の隠し端末がわずかに光った。

『今です』

 ナユが言った。

『レイ、リン。左右じゃなくて、中央奥に通してください』

 ミオが支援線を開く。

 セラが射線を維持する。

 ファランクスが防御壁を作り、リーフガードが通信線を守る。

 レータとアミィのセレス・バスティオンが再同期波の外層を抑える。

 リンが刃を上げた。

『進路、確認』

 レイも低く構える。

『今度は斬っていいんだな』

 ナユが答えた。

『うん。今なら、斬っていい』


 二機が動いた。

 リンのヴァイス・リッパー・リビルドが、左側の偽端末群の間を抜ける。

 斬らない。

 触れない。

 ただ、隙間を通る。

 レイのヴァナルガンドが、右側の罠端末の前を低く滑る。

 斬らない。

 誘われた線には乗らない。

 二機は、ナユが示した中央奥の一点へ向かって交差する。

 そこで初めて、刃が振られた。

 リンの刃が外殻を開く。

 レイの刃が内側の中核を断つ。

 一瞬遅れて、セラの射撃がその奥の補助節点を撃ち抜いた。

 隠されていた再同期端末が、起動する前に沈黙する。

 左右にあった囮端末群も、連鎖反応を失ってただの障害物になった。

 ミオの支援網が一気に前へ伸びる。

『進路、確保しました!』

 カイトが前へ出る。

「よし、全機前進!」

 レータとアミィの防壁が移動する。

 ユイの待機線も、さらに奥へ進む。

 ナユは、残響が澄んでいくのを聞いていた。

 守られていた。

 けれど、ただ後ろにいたわけではない。

 自分の声が、リンとレイの刃を止めた。

 そして、本当に必要な時に動かした。

 そのことが、少しだけ胸に残った。


 オルフェンの観測室に、端末停止の報告が上がる。

 近接誘導不成立。

 隠し再同期端末、起動前破壊。

 対象リン、護衛前進反応を保留。

 対象R、切断判断を保留。

 対象ナユ、索敵情報により近接組の判断を支援。

 オルフェンは、記録を見つめた。

「斬らないことで、切断機会を精密化した」

 また一つ、命令の記録では説明しきれない反応が増えた。

 彼はそれを記録しようとした。

 だが、イリスの生活記録と、ルクス側の通信記録が重なり、単純な数値に収まらない。

 オルフェンは静かに呟く。

「自己応答保持構造、さらに複雑化」


 中枢空間の通路が開いた。

 先ほどまで罠に見えていた左右の端末群は沈黙し、中央奥に続く進路が確保されている。

 リンは刃を下ろしたまま、ナユへ通信を送った。

『ナユさん』

『うん』

『守るために、斬らない時もあるんですね』

 ナユは少しだけ沈黙した。

 そして、静かに答える。

『うん。さっきは、そうだった』

 リンは小さく息を吐いた。

『覚えておきます』

 レイは刃を構え直す。

 先ほどよりも低く、静かに。

 だが、その目は次の一点を見ていた。

『なら、次は斬るべき時だけ斬る』

 ナユが小さく頷く。

 ミオの支援網が進路を照らし、カイトが前に出る。

 セレス・バスティオンが後方を守り、ユイのノクス・レクイエムはまだ沈黙している。

 だが、ルクス側の進路は、また一つ奥へ伸びた。

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