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第340話 切った後の場所

 ノクス・レクイエムの切断波が、命令層を裂いた。

 白い中枢空間に亀裂のような光が走る。

 だが、壁は砕けない。

 床も崩れない。

 端末も爆発しない。

 ユイが切ったのは、目に見える施設ではなかった。

 PT達の返事を、帝国の命令へ変換する線。

 支えたいという思いを、支援せよへ。

 守りたいという判断を、防衛せよへ。

 記録したいという意思を、命令履歴を保存せよへ。

 撃つべき時を選ぶ判断を、射撃命令受諾へ。

 斬るべき時を待つ判断を、切断命令受諾へ。

 その変換経路が、細く裂かれていく。

 そして、そこに空白が生まれた。

 命令が消えた場所。

 まだ本人の返事が戻りきっていない場所。

 ほんの一瞬の、白く冷たい空白。

 ユイは、それを見た。

 同時に、中枢の奥から再同期波が流れ込もうとする。

 オルフェンは、やはりそこを待っていた。


 観測室で、オルフェンは静かに画面を見ていた。

 対象Y、命令層切断実行。

 変換経路、複数箇所で断裂。

 対象A、補完命令線切断。

 対象L、統率命令線切断。

 対象M、支援転用線切断。

 対象I、命令履歴保持線切断。

 切断後空白、発生。

 オルフェンは、わずかに目を細めた。

「来ましたね」

 彼にとって重要なのは、切断そのものではない。

 切断後だった。

 命令層が切れた直後、対象はどこへ戻るのか。

 自己応答を保持できるのか。

 それとも、空白を埋める新しい命令を受け入れるのか。

 オルフェンは、再同期基盤の出力を空白へ向けた。

「空白は、最も柔らかい」

 淡々と呟く。

「そこへ再同期波を流し込めば、返事は再び命令へ整形できる」

 観測窓に、白い波が走る。

 切断された線の断面へ向かって、再同期波が一斉に流れ込んだ。


 ユイはノクス・レクイエムの中で息を呑んだ。

 切れた。

 確かに切れた。

 だが、その直後に来る。

 白い波。

 命令層の空白へ、別の命令を流し込もうとする波。

 前に見た未来が、そのまま現実になりかけていた。

 切った後を奪われる。

 返事が戻る前に、命令で埋められる。

 ユイの手が、制御パネルの上で強く握られる。

「来る……!」

 通信にノイズが走る。

 カイトの声が届いた。

『ユイ、繋いでる! 切った場所を見失うな!』

「分かってる!」

 しかし、量が多い。

 切断した箇所は一つではない。

 アミィへ伸びていた線。

 レータへ重なっていた線。

 ミオの支援網へ絡んでいた線。

 イリスの記録層へ触れていた線。

 それぞれに空白が生まれ、それぞれへ再同期波が流れ込もうとしている。

 一人で持つには、多すぎる。

 また、と思いかけた。

 また私が切って、私が持つしかない。

 その考えが、ほんの一瞬だけ浮かぶ。

 だが、その瞬間、ミオの声が飛び込んできた。

『ユイさん、渡してください!』


 ルナ・スケイル・リフレクトの周囲で、《ルナ・ドール・リンク》が再展開された。

 GD-06 バリスタが遠距離の再同期補助ビーコンを押さえる。

 GD-11 ファランクスが、空白へ向かう照合波の外側に防御壁を置く。

 GF-07 リーフガードが、通信線と退避線に沿って淡金の保護層を広げる。

 ミオは管制席で、支援網を細く、慎重に伸ばしていた。

 広げすぎれば偽経路が混ざる。

 狭すぎれば受け取れない。

 だから、受け取る場所を決める。

 アミィの退避線。

 カイトとユイの通信線。

 セレス・バスティオン内側。

 イリスの記録保護線。

 ナユの残響線。

 セラの射線。

 レイとリンの突入経路。

 帰るために残す場所。

 その内側だけを、ミオの支援網が包む。

『全部は受け取りません』

 ミオは自分に言い聞かせるように言った。

『命令を通す場所じゃない。帰る場所だけ、受け取ります』

 切断後の空白が、ミオの支援網に触れた。

 重い。

 命令ではない場所は、思った以上に不安定だった。

 何も入っていない場所。

 誰かの返事が戻るまでの一瞬。

 そこへ中枢の再同期波が押し込まれてくる。

 ミオは歯を食いしばった。

『バリスタ、外側ビーコン制圧! ファランクス、支援網の縁を守って! リーフガード、通信線を切らせないで!』

 三機が動く。

 ミオは空白を受け取った。

 だが、それだけでは足りない。

 守る壁が必要だった。


 ヴァルクレイド・セレスが前に出た。

 《セレス・バスティオン》の防壁が、ミオの支援網の外側に重なる。

 レータは機体の揺れを受け止めながら、アミィへ声をかけた。

「アミィ、空白が来るよ」

「はい。見えています」

 アミィの声は震えていた。

 だが、逃げてはいない。

 彼女の視界には、切断されたA系列の命令線が見えている。

 補完せよ。

 代替せよ。

 支援せよ。

 その文字が裂け、その奥に空白がある。

 そこへ、再同期波が流れ込もうとしていた。

 アミィは怖かった。

 空白が怖い。

 何かで埋めなければならないような気がする。

 帝国の命令は、そこへ入り込むのが得意だった。

 だが、今は違う。

 レータが隣にいる。

 ミオが受け取っている。

 ユイが切っている。

 カイトが繋いでいる。

 だから、アミィも守る。

「レータさん」

「うん」

「ここ、守っていい線です」

 レータが少し笑う。

「確認早いね」

「はい。ここは、みんなが帰る場所だから」

「じゃあ、守ろう」

 二人の声が重なった。

『セレス・バスティオン、外層展開』

 暗赤の防壁が厚みを増し、淡い白金の支援波がその内側を満たす。

 再同期波が防壁にぶつかる。

 重い衝撃が機体を揺らす。

 レータの腕に負荷が走り、アミィの支援波が乱れかける。

 だが、防壁は崩れない。

「アミィ、上げすぎないで。命令に押されて出力を上げると危ない」

「はい。自分で上げます。必要な分だけ」

「うん。それでいい」

 アミィは支援波を整える。

 守られるだけではない。

 自分も、空白を守る側にいる。


 イリスは記録領域を開いた。

 命令層が切られた場所に生まれた空白は、ただの無ではない。

 そこには、まだ本人の返事が戻ってくる途中の揺らぎがある。

 だから、命令で埋めてはいけない。

 強い言葉で押し返すだけでも足りない。

 そこに、記録を重ねる。

 命令ではない記録を。

 イリスは、前に提示した生活記録をもう一度呼び出した。

 食堂。

 レータが失敗し、アミィが手を伸ばした記録。

 整備区画。

 ミオが支援網を調整し、レガロンに確認を求めた記録。

 医療区画。

 カナデがアミィに、記録はあなた自身の全部ではないと伝えた記録。

 観測席。

 ナユが残響を聞き、セラが撃たないと決めた記録。

 艦橋。

 黒瀬が承認を分け、止めるべきものを止めると決めた記録。

 前線。

 リンとレイが刃を下ろして待った記録。

 ノクス・レクイエム。

 ユイが切るだけでは駄目だと気づいた記録。

 イリスはそれらを、空白の周囲に重ねる。

『記録を重ねます』

 イリスの声が静かに響いた。

『これは、命令ではありません。戻る場所の記録です』

 白い空間に、日常の断片が淡く浮かぶ。

 それは戦術的には不完全で、帝国式分類には収まらない。

 だが、PT達の反応が少しずつ安定する。

 アミィの呼吸が整う。

 レータの防壁判断が安定する。

 ミオの支援網が空白を持ち直す。

 ユイの視界に、切断後の場所が見えてくる。


 カナデの声が、全員へ届いた。

『皆さん、今ある空白を怖がっても大丈夫です』

 その声は、戦場の中では不思議なほど穏やかだった。

『命令層は、空白をすぐ埋めようとします。役割で、命令で、評価で、過去の記録で』

 アミィが聞いている。

 ユイが聞いている。

 ミオも、レータも、イリスも聞いている。

『でも、空白はすぐ埋めなくていい場所です。自分の返事が戻ってくるまで、仲間と一緒に守っていい場所です』

 ユイは、ノクス・レクイエムの中で目を伏せた。

 空白は、弱さではない。

 命令で埋める穴でもない。

 返事が戻るまで、守る場所。

 その考えが、ユイの中に落ちる。

 カイトの声が続いた。

『ユイ、聞こえるか』

「聞こえる」

『まだ繋いでる。切った場所も、戻る場所も、見失うな』

「うん」

『一人で持つな』

 その言葉に、ユイは小さく頷いた。

「持たない」

 そして、ミオ達へ切断後の空白を渡した。


 再同期波が、空白へ流れ込もうとする。

 だが、ミオの支援網が受け取る。

 そこへ命令を通さない。

 バリスタが再同期補助ビーコンを撃ち抜く。

 ファランクスが外側からの照合波を受け止める。

 リーフガードが通信線を保護する。

 レータとアミィのセレス・バスティオンが、空白の外側に防壁を張る。

 再同期波がぶつかり、弾かれる。

 イリスの記録が、その内側に日常の断片を重ねる。

 カナデの言葉が、PT達の返事を急がせない。

 カイトの通信が、ユイを前線と繋ぎ続ける。

 黒瀬達の承認系統が、余計な命令を通さない。

 それぞれが、少しずつ空白を支えていた。

 空白は、命令で埋まらなかった。

 誰か一人の力で持ちこたえたのではない。

 戻る場所の記録。

 支援網。

 防壁。

 通信。

 言葉。

 判断。

 その全部が重なって、命令が入り込む隙間を塞いでいく。

 ユイは、その光景を見ていた。

 自分が切った場所を、誰かが受け取っている。

 自分が作ってしまった空白を、誰かが守っている。

 その事実に、ユイは一瞬、言葉を失った。

「……弾いた?」

 再同期波が、セレス・バスティオンの外側で砕けた。

 ミオの支援網は崩れていない。

 アミィの反応も、命令へ戻っていない。

 レータの防壁も維持されている。

 イリスの記録も消えていない。

 カイトの通信も繋がっている。

 ユイは、本当に驚いた。

 切った後を、自分が一人で抱えなくても、空白は守れる。

 そのことを、初めて実感した。


 オルフェンの観測室に、警告が表示された。

 再同期波、侵入失敗。

 切断後空白、外部支援構造により保持。

 対象M、支援網受け取り成功。

 対象L・A、防壁保持。

 対象I、命令外記録重畳。

 前衛機、対象Y通信維持。

 心理支援、効果あり。

 オルフェンは、その表示を無言で見つめた。

「空白を、命令で埋めない」

 彼は記録しようとする。

 だが、その構造は単純な命令系統では表せなかった。

 指揮命令ではない。

 役割固定でもない。

 個体単独の自己完結でもない。

 複数の返事が、互いに待ち、支え、守っている。

 オルフェンは小さく呟いた。

「帰る場所……ですか」

 それは彼にとって、まだ分類不能な言葉だった。


 中枢空間の内側で、ミオが息を吐いた。

 管制負荷は重い。

 《ルナ・ドール・リンク》の端末も、支援網も、まだ限界に近い。

 だが、受け取れた。

 ユイが切った後の空白を、確かに受け取れた。

 ミオは通信を開く。

『ユイさん』

「……ミオ?」

 ユイの声には、まだ驚きが残っていた。

 ミオは少しだけ笑った。

 疲れている。

 怖かった。

 でも、言いたかった。

「受け取ったよ」

 ミオの支援網が、切断後の空白を静かに包む。

「だから、一人で持たなくていい」

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