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第320話 壊れたものを直す手

 命令層中枢への突入準備は、少しずつ進んでいた。

 《ルナ・ドール・リンク》の初期管制試験。

 《セレス・バスティオン》の低出力防壁試験。

 ノクス・レクイエムの封印確認。

 研究中枢最深部への突入経路の再計算。

 PT人格形成記録の閲覧制限。

 監察局による連携構造分解への対策。

 艦内のあちこちで作業が進んでいる。

 だが、全員が戦闘準備だけをしているわけではなかった。

 ルクス・ヴァルキュリアは戦艦である。

 同時に、避難場所であり、生活の場所でもある。

 戦闘機材だけでなく、食堂の保温器も壊れる。

 記録端末も調子が悪くなる。

 古い音楽プレイヤーも音飛びする。

 調理補助機も時々止まる。

 小型学習端末も、落とせば画面が割れる。

 命令層中枢へ向かう前。

 整備区画の片隅に、そうした小さな故障品が集められていた。


 整備区画の端。

 カイトは、作業台の前に座っていた。

 目の前には、食堂の保温器、小型端末、記録用端末、調理補助機の部品、古い音楽プレイヤー、壊れた照明パネルが並んでいる。

 その様子を見たコウタが、工具箱を抱えたまま固まった。

「カイトさん」

「ん?」

「パイロットが何してるんですか」

 カイトは、小型端末の裏蓋を外しながら答えた。

「修理」

「いや、それは見れば分かりますけど」

「戦闘準備の合間に、こっちも直しておこうと思って」

 コウタは作業台に並んだ故障品を見た。

「食堂の保温器までありますよ」

「アイナさんが困ってたから」

「古い音楽プレイヤーもあります」

「それはラスト・オーダーの誰かが持ってきた」

「照明パネルは?」

「居住区画の端のやつ。点滅してた」

 コウタは少し呆れたように笑った。

「本当に何でも直すんですね」

 カイトは工具を持ち替えながら言う。

「昔からこういうの好きなんだ。壊れたものを開けて、どこが悪いか見て、動くようにするの」

「パイロットになる前からですか」

「うん。地球にいた頃から」

 カイトは少しだけ懐かしそうに言った。

「壊れた時計とか、古いラジオとか、近所の子のおもちゃとか。直せそうなものは、とりあえず開けてた」

「それ、怒られませんでした?」

「余計な改造をした時は怒られた」

「やっぱり」

 コウタが笑う。

 その時、ユイが静かに整備区画へ入ってきた。

 彼女は作業台に並んだ故障品を見て、少しだけ目を細める。

「カイトらしいです」

 カイトが顔を上げた。

「そうかな」

「はい。最初から、そういう人でした」

 ユイの声は淡々としている。

 だが、少し柔らかい。

「壊れているものを見ると、捨てる前に開ける人です」

 コウタが小声で言う。

「それ、褒めてます?」

 ユイは真面目に答えた。

「褒めています」

 カイトは苦笑した。

「それならいいけど」


 しばらくすると、作業台の周りに人が増え始めた。

 ミオは支援網の調整待ちで、少しだけ様子を見に来た。

 アイナは食堂の保温器の修理状況を確認に来た。

 アミィはカナデに付き添われて、小型学習端末を持ってきた。

 ナユは、自分の記録用端末を両手で抱えている。

 グリッドは、少し離れた場所から腕を組んで見ていた。

「お前ら、整備区画を修理相談所にするな」

 カイトは顔を上げる。

「でも、グリッドさんも止めないですよね」

「止めたら食堂の保温器が直らねえだろ」

 アイナが微笑む。

「それは困ります」

 グリッドはため息をつく。

「ほらな」

 アミィは、割れた小型学習端末をカイトの前に置いた。

「これは、もう使えませんか」

 カイトは端末を手に取り、割れた画面と背面を確認した。

「いや、たぶん直る」

 アミィは少し目を開く。

「直るんですか」

「うん。画面は交換が必要だけど、中の基板は無事そうだし、電源も入ると思う」

 アミィは端末を見る。

「壊れたら、捨てるのではないんですか」

 その言葉に、周囲が少し静かになる。

 カイトは、すぐには笑わなかった。

 小型端末を作業台に置き、アミィの方を見る。

「捨てる時もあるよ」

 アミィは黙って聞く。

「全部が直せるわけじゃない。直すより危ないものもあるし、もう使えないものもある。無理に直すと、もっと壊れるものもある」

「はい」

「でも、直せるなら直す」

 カイトは端末の裏蓋を外しながら言った。

「壊れた理由を見て、使える部品を残して、無理なところは交換する。元通りにならない時もあるけど、また使える形にすることはできる」

 アミィは、端末を見つめた。

「また、使える形」

「うん」

 カイトは少しだけ笑う。

「それに、壊れたからって、すぐ捨てるのはもったいないだろ」

 アミィは、小さく呟いた。

「もったいない……」

 ユイが静かに言った。

「カイトは、そういう人です」

 アミィはユイを見る。

「ユイさんは、知っていたんですね」

「はい。地球にいた時から」

 ユイは、少しだけ懐かしそうに続ける。

「カイトは、壊れたものを見ると、まず直せるか考えます。ときどき余計な機能も付けます」

 カイトが慌てて言う。

「そこは言わなくていい」

 グリッドが低く笑った。

「いや、重要だ。余計な機能は付けるな」

「今回は付けません」

 アイナがすぐに反応する。

「今回は?」

 カイトは少し目を逸らした。

「なるべく」

「なるべくじゃ困るわね」


 最初に直ったのは、ナユの記録用端末だった。

 反応が遅く、時々画面が固まるという不具合だったが、原因は内部メモリの断片化と古い記録データの圧縮不良だった。

 カイトは不要な一時データを整理し、記録フォルダの分類を作り直した。

「これでかなり軽くなると思う」

 ナユは端末を受け取る。

「ありがとうございます」

 リンが横から覗き込む。

「戦闘記録も残っているのか」

「はい。日常記録もあります」

 カイトが少し驚く。

「日常記録?」

 ナユは頷いた。

「食堂の音、整備区画の会話、艦内通路の足音、アイナさんの調理記録、リンさんの睡眠時間」

 リンがすぐに顔を向ける。

「最後のは消せ」

「重要な健康記録です」

「消せ」

 カイトは苦笑した。

「分類は……まあ、本人確認してからにしようか」

 ナユは真面目に頷く。

「はい。本人同意が必要ですね」

 黒瀬がどこからともなく現れて言う。

「その通りです」

 コウタが小声で言う。

「黒瀬さん、こういう時だけ早いですね」

 黒瀬は端末を見ていた。

「記録管理は重要です」

 カイトはナユの端末を見て、少しだけ考えた。

「でも、日常記録を残すのはいいと思う。戦闘記録だけだと、何のために戻るのか分からなくなる時があるから」

 ナユは静かに端末を抱えた。

「はい。私は、残しておきたいです」


 次に、食堂の保温器が直った。

 原因は温度制御センサーの接触不良と、内部熱循環ファンの劣化だった。

 カイトは部品を交換し、制御基板を調整した。

「これで保温機能は戻ったはずです」

 アイナが確認する。

「ありがとう。助かるわ」

「あと、一応、香りが広がりやすいように微風循環モードも付けておきました」

 アイナの笑顔が止まった。

 グリッドが遠くから即座に言う。

「余計な機能を付けるな」

 カイトは慌てて振り返る。

「いや、食欲が出るかなって」

 アイナは保温器の表示を見る。

「この“香り強調モード”って何?」

「温かい料理の香りを、少しだけ周囲に広げる機能です」

「エデン香草でそれをやったら全員黙るわよ」

 ミオが小さく言う。

「確かに、香りが強すぎるかもしれません」

 ユイは真面目に考えた。

「換気制御と連動すれば、使える可能性があります」

 グリッドが言う。

「話を広げるな」

 カイトは小さく頭を下げた。

「すみません。オフにしておきます」

 アイナは少しだけ笑った。

「完全に消さなくてもいいわ。普通のスープの時だけなら、もしかしたら便利かもしれないし」

 カイトが顔を上げる。

「いいんですか」

「ただし、使用は私の許可制」

 黒瀬が即座に言う。

「食堂設備の追加機能使用条件として記録します」

 グリッドが頭を抱える。

「保温器一つで書類を増やすな」

 黒瀬は淡々と答える。

「余計な機能が増えたためです」

 カイトは反論できなかった。


 アミィの小型学習端末は、少し時間がかかった。

 画面の割れだけでなく、内部の接続端子も一部歪んでいた。

 カイトは細い工具で端子を直し、予備の小型ディスプレイを探す。

 コウタが部品箱を持ってきた。

「このサイズなら合いそうです」

「ありがとう」

 カイトは部品を受け取り、慎重に取り付ける。

 アミィは、その作業をじっと見ていた。

「細かいですね」

「うん。無理に押すと割れるから」

「力を入れれば直るわけではないんですね」

「むしろ、壊れる」

 アミィは少し考える。

「命令層も、力を入れれば戻せると思っていたのかもしれません」

 カイトの手が一瞬止まる。

 ユイがアミィを見る。

 アミィは、自分の言葉を探しながら続けた。

「帝国は、返事がずれたら強く戻そうとします。再同期波も、命令層も、セレスティアも。強く繋げば戻ると思っていたのかもしれません」

 カナデが静かに頷く。

「そうね」

 アミィは、カイトの手元を見る。

「でも、強く押すと壊れるものもある」

 カイトは、ゆっくり作業を再開した。

「うん」

「直すには、どこが曲がったのか見るんですね」

「そうだな」

「使えるところは残して、無理なところは交換する」

「うん」

「でも、全部を別のものにするわけではない」

 カイトは端子を固定し、画面を仮接続した。

 小型端末に、薄い光が灯る。

「そう。全部変えたら、それはもう直したとは違うかもしれない」

 アミィは、小さく頷いた。

「直す、というのは難しいです」

「難しいよ」

 カイトは苦笑する。

「俺も失敗するし」

 グリッドがすぐに言う。

「余計な機能を付けるしな」

「それは今関係ないですよね」

「関係ある」

 周囲に小さな笑いが起きる。

 アミィは、その笑いを聞きながら端末を見ていた。

 壊れたものが、捨てられずに戻ってくる。

 元通りではないかもしれない。

 でも、また使える形になる。

 そのことが、アミィの中に静かに残った。


 古い音楽プレイヤーは、ラスト・オーダーの補給品の中から出てきたものだった。

 外装は傷だらけで、再生ボタンも少し沈んでいる。

 だが、中の記録媒体は生きていた。

 リノヴァがそれを見て言う。

「それ、クロウヴェイルの古い居住区から出てきたものです。誰のものかは分かりません」

 カイルが通信越しに軽く言う。

『壊れてるなら捨ててもよかったんだがな』

 ナユが少しだけ反応した。

「捨てるんですか」

『直るなら直してもいい』

 リンが短く言う。

『音が出るなら、居住区で使える』

 カイトはプレイヤーの中を確認した。

「接点が腐食してるだけかもしれない。少し掃除して、電源系を交換すれば……」

 数分後、音楽プレイヤーから小さな音が流れた。

 古い、少しノイズ混じりの旋律だった。

 整備区画の音が、少しだけ静かになる。

 ナユが目を細める。

「知らない曲です」

 リノヴァが静かに言う。

「クロウヴェイルにいた誰かが残したものかもしれません」

 カイルの声も、少しだけ変わった。

『……まだ動いたか』

 カイトはプレイヤーを閉じる。

「完全じゃないです。音飛びは残ってます。でも、聞けます」

 リノヴァはそれを受け取った。

「十分です」

 アミィが小さく言う。

「壊れていても、音が残っている」

 ユイが頷いた。

「記録と似ていますね」

 ナユは音楽プレイヤーを見ていた。

「戦闘記録ではない記録」

 カイトは、その言葉に少しだけ笑った。

「そういうものも、大事だと思う」


 作業は、気づけば数時間続いていた。

 保温器。

 小型学習端末。

 記録用端末。

 音楽プレイヤー。

 照明パネル。

 調理補助機。

 すべてが完全に元通りになったわけではない。

 保温器には使用許可制の香り強調モードが残った。

 アミィの端末は画面が少し違う色味になった。

 ナユの記録端末には本人同意確認機能が追加された。

 音楽プレイヤーは、時々音が揺れる。

 調理補助機は、カイトが追加しかけた自動味見機能をアイナに止められた。

 グリッドは、最後に作業台を見て言った。

「お前、やっぱり余計な機能を付ける癖があるな」

 カイトは工具を片づけながら答える。

「直すついでに、少し便利にしたくなるんですよ」

「それを余計って言うんだ」

 コウタが笑う。

「でも、助かってますよ。整備班だけじゃ、生活用品まで手が回らないので」

 アイナも頷いた。

「食堂も助かったわ。香り強調モードは要注意だけど」

「すみません」

 ミオが、修理された端末類を見ながら言う。

「カイトさんは、戦闘だけではなく、艦の生活も支えているんですね」

 カイトは少し照れたように笑う。

「そんな大げさじゃないよ。俺が直せるのは、小さいものだけだし」

 ユイが静かに言う。

「小さいものから直す人です」

 カイトはユイを見る。

 ユイは続けた。

「大きなものを一度に直すのは難しいです。でも、小さいものを直し続けることで、戻れる場所が残ります」

 アミィが、その言葉を聞いていた。

「戻れる場所……」

 カイトは、少しだけ黙った。

 それから、作業台の上に残った小さなネジを拾い上げる。

「俺は、ユイみたいに命令層を切れない」

 ユイが顔を上げる。

「ミオみたいに支援網を張れないし、レータみたいに防壁も作れない。セラみたいに遠くの一点を撃ち抜けるわけでもない」

 ミオは黙って聞いていた。

「でも、壊れたものを見た時に、すぐ捨てるんじゃなくて、直せるか考えることはできる」

 カイトは、修理した小型端末を見る。

「大きなものは直せないかもしれない。でも、小さいものから直すことはできる」

 アミィは、ゆっくりその言葉を受け取った。

「小さいものから」

「うん」

 カイトは少しだけ笑った。

「たぶん、それが俺にできることなんだと思う」


 その日の夜。

 食堂では、直った保温器が使われていた。

 香り強調モードは、アイナの厳しい管理下で低出力に設定されている。

 エデン香草は使われていない。

 普通のスープの香りが、ほんの少しだけ食堂に広がっていた。

 カイトは、それを見て安心したように息を吐く。

「ちゃんと使えてる」

 ユイが隣に座った。

「余計な機能も、条件付きで使えています」

「そこ、強調しなくていいよ」

「重要です」

 少し離れた席で、アミィは修理された小型学習端末を開いていた。

 画面の色味は以前と少し違う。

 だが、文字は読める。

 音も出る。

 保存していた学習記録も残っている。

 アミィは、画面に指を触れた。

「壊れても、戻ってきました」

 レータが隣で頷く。

「直してもらった」

「はい」

 アミィは、カイトの方を見る。

「カイトさん」

「ん?」

「ありがとうございます」

 カイトは少し驚いたようにして、それから笑った。

「どういたしまして」

 アミィは端末を抱える。

「壊れたら捨てるだけではないと、覚えました」

 カイトは少しだけ真面目な顔になる。

「うん。でも、無理に直さなくていい時もあるからな」

「はい。カナデさんにも聞きます」

「それがいい」

 レータが真顔で言った。

「直す時は、余計な機能に注意」

 カイトは思わず言葉に詰まった。

 ユイが小さく目を細める。

「重要です」

「ユイまで」

 食堂に、控えめな笑いが広がった。


 命令層中枢への突入準備は、まだ続いている。

 その先には、重い記録がある。

 再同期基盤がある。

 帝国が望む返事を作るための仕組みがある。

 そこへ進めば、また誰かが揺れる。

 誰かが怖くなる。

 誰かが、自分は壊れているのではないかと考えてしまうかもしれない。

 けれど、ルクス・ヴァルキュリアには、直す手があった。

 命令層を切る手。

 支援網を繋ぐ手。

 防壁を張る手。

 診察する手。

 記録する手。

 食事を作る手。

 そして、小さな故障品を開いて、もう一度使える形にする手。

 カイトは、作業台に残った工具を片づけながら、ふと整備区画の外を見る。

 自分にできることは、大きくないのかもしれない。

 帝国の命令層を一撃で切れるわけでもない。

 再同期基盤を一人で壊せるわけでもない。

 それでも。

 壊れたものを、すぐには捨てない。

 直せるかどうか、まず見る。

 使える部品を残し、無理なところを交換し、また使える形にする。

 それは、カイトがずっとやってきたことだった。

 そして今、その小さな手つきが、命令では作れない日常を支えている。

 大きなものは、すぐには直せないかもしれない。

 だからこそ、カイトは小さいものから直していく。

 その積み重ねが、いつか誰かの戻る場所になると信じて。

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