第318話 L系列、厨房立入禁止
整備区画に新しい戦い方の線が引かれた後、ルクス・ヴァルキュリアには、久しぶりに作戦以外の時間が与えられた。
完全な休暇ではない。
命令層中枢への突入準備は続いている。
整備班は《ルナ・ドール・リンク》の試験準備を進め、ヴァルクレイド・セレスには《セレス・バスティオン》の低出力装備試験が予定されていた。
ノクス・レクイエムの封印区画では、切断後の受け渡し手順が再確認されている。
それでも、今この瞬間だけは、警報が鳴っていない。
艦内通路には、作業用の搬送機が行き交い、整備班が工具を抱えて歩き、ラスト・オーダーの非戦闘員達が補給品の仕分けをしている。
重い記録を見続けた後の艦内に、少しずつ生活の音が戻り始めていた。
艦内食堂。
アイナは、大型調理端末の前で補給食材の在庫を確認していた。
「乾燥野菜、合成タンパク、地球産調味料、エデン由来の香草……香草はまた増えてる」
彼女の隣で、ラスト・オーダーの補給担当が端末を見て頷く。
「エデンで積み込んだ分ですね。保存状態は良好です」
「ありがたいけど、香りが強いから使い方を間違えると全員が黙るのよね」
アイナは小さく笑った。
そこへ、レータとアミィがやって来た。
レータは真面目な顔で言う。
「手伝います」
アイナの手が止まった。
補給担当も止まった。
少し離れた席で休憩していたコウタが、飲みかけの飲料を持ったまま固まった。
アミィだけが、不思議そうに周囲を見る。
「どうしましたか」
アイナは、ゆっくりとレータを見る。
「レータ、気持ちは嬉しいわ」
「はい」
「でも、厨房には入らないでください」
レータは首を傾げた。
「なぜですか」
コウタが小声で言う。
「聞くんですね……」
アイナは少しだけ困った顔で説明する。
「前に、あなたが在庫整理を手伝ってくれたことがあったでしょう」
「はい。分類は正しかったはずです」
「正しかったわ」
アイナは頷いた。
「ただ、正しすぎて誰も使えなくなったの」
アミィが瞬きをする。
「正しすぎて?」
補給担当が控えめに説明した。
「食材が、栄養素、保存期限、調理温度、香味成分、用途、色、容器形状、搬送経路別に再分類されていました」
アミィは少し考えた。
「すごいです」
アイナは苦笑する。
「すごいの。でも、夕食を作る時に玉ねぎを探すだけで五分かかったの」
レータは真剣に言う。
「検索タグを付ければ改善できます」
アイナは即答した。
「厨房で検索タグを増やさないでください」
コウタがとうとう小さく吹き出した。
レータは少しだけ不服そうだった。
「分類は正しいはずです」
アイナは優しく言った。
「ええ。正しい。でも、厨房では、正しさよりもすぐ取れることが大事な時があるの」
レータは数秒黙ってから、頷いた。
「理解しました。厨房では、分類精度より即応性を優先」
「そう。それでお願い」
アミィは、レータを見上げた。
「レータさんにも、苦手なことがあるんですね」
レータは真顔で答える。
「低頻度です」
アイナとコウタが同時に目を逸らした。
食堂の片隅で、カナデがその様子を見ていた。
彼女は端末に何かを記録していたが、表情は柔らかい。
アミィが隣に座ると、カナデは尋ねた。
「少し楽になった?」
アミィは考えてから頷いた。
「はい。少し」
「どうして?」
「レータさんは、すごい人です。私よりずっと前からいて、L系列のオリジナルで、ヴァルクレイド・セレスも動かせて、私を守ってくれます」
カナデは黙って聞いていた。
「でも、厨房では止められていました」
「そうね」
「少し、安心しました」
アミィは小さく言う。
「完璧な人の隣にいるのは、怖いです。私が失敗したら、隣にいられなくなる気がします」
カナデは優しく頷く。
「でも、レータちゃんも完璧じゃなかった」
「はい」
アミィは食堂の奥でアイナに注意されているレータを見た。
「それでも、みんなはレータさんを嫌っていません」
「もちろん」
「止めるけど、嫌っていない」
「ええ」
カナデは言った。
「それは、とても大事なことよ」
アミィはカナデを見る。
「大事?」
「帝国は、失敗や揺れを記録して、危険として扱った。L系列の低頻度重大誤判断もそうね。でも、ここでは違う」
カナデは食堂を見渡した。
「苦手なことがあるなら、そこには入らないようにする。失敗しそうなら、誰かが止める。できるところで助けてもらう。それだけなの」
アミィは、その言葉をゆっくり受け取った。
「失敗したら、終わりではない」
「終わりではないわ」
カナデは微笑む。
「休むことも同じよ。疲れたら止まる。怖くなったら言う。嫌なら嫌と言う。それは、自己応答を守るために必要なこと」
「休むことも、返事を守ることなんですね」
「そう」
アミィは少しだけ胸に手を当てた。
「では、今日は休んでもいいんですね」
「もちろん」
カナデは柔らかく笑った。
「むしろ、今日は休むことが任務です」
アミィは少しだけ目を丸くした。
「任務」
「そう。休息任務」
アミィは小さく頷く。
「それなら、できます」
同じ頃、整備区画では別の問題が起きていた。
レータは厨房を追い出された後、今度は整備班の手伝いに来ていた。
グリッドは最初から警戒していた。
「レータ、手伝う気持ちはありがたい」
「はい」
「だが、整備区画の工具配置には触るな」
レータは少しだけ眉を動かした。
「なぜですか」
タツヤが苦笑する。
「前に一度、工具棚を再分類しただろ」
「はい。使用頻度、サイズ、材質、電磁干渉、対応機体別に整理しました」
グリッドが即答した。
「正しすぎて誰も戻せなくなった」
レータは真面目に言う。
「整備効率は上がるはずです」
「理論上はな」
コウタが横から言う。
「でも、僕はドライバーを探すのに十分かかりました」
「検索表を作成すれば」
「作業中に検索表を見てる時間がないんです」
レータは黙った。
それから、少しだけ頷く。
「理解しました。整備区画では、現場慣習に従う」
グリッドは深く頷いた。
「そうしてくれ」
だが、その直後、レータは別の棚を見る。
「この棚、危険物と通常部品が近すぎます」
グリッドの顔が固まる。
「どこだ」
「ここです。防壁発生器の補助コンデンサと、通常固定具の箱が同じ列にあります。誤って取る可能性があります」
タツヤが確認し、表情を変えた。
「……これはレータが正しい」
グリッドも中を覗き込む。
「誰だ、これ置いたの」
コウタが手を上げかけて、ゆっくり下げた。
グリッドはそれを見逃さなかった。
「コウタ」
「すみません、仮置きのつもりで……」
「仮置きを通常棚に混ぜるな」
「はい!」
レータは静かに言った。
「分類は重要です」
グリッドは苦い顔で頷いた。
「今のは認める」
レータの表情が少しだけ明るくなる。
「では、整備区画の再分類を」
「全部はするな」
即答だった。
タツヤが笑いをこらえながら言う。
「危険物棚だけなら頼む」
レータは真剣に頷いた。
「限定分類。承認しました」
黒瀬がいつの間にか近くにいて、端末に記録していた。
「レータによる整備補助、危険物棚の限定分類のみ許可。通常工具棚への干渉は禁止」
レータが黒瀬を見る。
「そこまで記録しますか」
「必要な記録です」
グリッドが笑った。
「黒瀬がいて助かったな。俺だけなら口約束で済ませて、後で棚が全部変わってた」
レータは小さく首を傾げる。
「改善です」
「現場では混乱って言うんだ」
倉庫区画。
ユイは、整備班の一部と一緒に修理済みGD/GFの確認をしていた。
ルナ・ドール・リンク用に候補となる機体の外部通信遮断、命令層接続部品の除去、追跡タグの再検査が進んでいる。
ユイは並んだGDを見て、どこか満足そうだった。
ラスト・オーダーの補給員リノヴァが、記録端末を抱えて言う。
「ユイさん、確認済み機体と未確認機体を混ぜないでください」
「混ぜていません」
「今、GD-02の部品箱をGD-06候補棚に置こうとしていました」
「互換性がある可能性があります」
「可能性で置かないでください」
ユイは少しだけ考えた。
「では、暫定互換性確認待ち棚を作ります」
リノヴァはすぐに首を横に振った。
「棚を増やさないでください」
近くで作業していたコウタが小声で言う。
「ユイさんとレータさん、別方向で似てますね」
ユイが振り返る。
「似ていますか」
コウタは慌てる。
「あ、いえ、良い意味で」
リノヴァが淡々と言った。
「保管と分類へのこだわりが強いという意味では似ています」
ユイは少しだけ納得したように頷く。
「重要です」
その時、アイナが倉庫区画へ入ってきた。
「ユイ、食堂の予備容器を倉庫に持ち込んでない?」
ユイは少しだけ目を逸らした。
「一時保管です」
「一時保管は、食堂側の許可を取ってからにして」
「容器の形状がGD小型部品の整理に適していました」
「食堂ではスープ容器として適しています」
リノヴァが端末に追記する。
「食堂備品の無断転用、禁止項目に追加します」
ユイは静かに言った。
「便利だったのですが」
アイナは笑顔で答える。
「返してください」
「はい」
倉庫区画にも、短い笑いが広がった。
その後、食堂には自然と人が集まっていた。
完全な宴会ではない。
ただ、作業の合間に温かい食事が配られ、座れる者が座り、話せる者が少し話している。
カイト、ユイ、ミオ、レイ、セラ、イリス。
レータとアミィ。
ナユ、リン、カイル。
グリッド、タツヤ、コウタ。
アイナ、リノヴァ、ラスト・オーダーの補給担当達。
カナデも少し遅れて席についた。
ナユはスープをゆっくり飲みながら言う。
「温かいもの、久しぶりな気がします」
リンが隣で答える。
「食べられる時に食べろ」
カイルが笑う。
「リン、そればっかりだな」
「正しいからです」
セラは食器を見ながら、少しだけ首を傾げる。
「この容器、さっき倉庫で見たような気がします」
アイナが即座にユイを見る。
ユイは静かにスープを飲んでいた。
「返却済みです」
カイトが笑いをこらえる。
「ユイ、早いね」
「指摘されたので」
レイがレータを見る。
「で、レータは厨房に入れなかったのか」
レータは真顔で答える。
「厨房では、分類精度より即応性が優先されるそうです」
ミオが口元を押さえる。
「それは、そうですね」
アミィが少しだけ笑う。
「レータさんは、厨房では危険です」
レータはアミィを見る。
「危険?」
アミィは少しだけ慌てる。
「えっと、嫌な意味ではなく……」
カナデが助け舟を出す。
「得意な場所と、そうではない場所があるということね」
アミィは頷く。
「はい。それです」
レータは少し考えた。
「厨房立入制限。理解しました」
レイが笑う。
「L系列、厨房立入禁止か」
レータは真面目に言った。
「正式な命令ですか」
黒瀬が食堂の入口から入ってきて、即座に答えた。
「正式な艦内運用制限にはしません。ただし、厨房作業はアイナの許可制とします」
グリッドが小声で言う。
「結局ほぼ禁止だな」
アイナがにこやかに言った。
「見学は歓迎します」
レータは頷いた。
「見学します」
アミィはまた少し笑った。
食後、アミィはカナデと一緒に食堂の端に座っていた。
レータは少し離れた場所で、イリスと在庫分類について話している。
ただし、アイナの目が届く範囲だった。
アミィはぽつりと言った。
「今日、少し楽でした」
カナデは頷く。
「よかった」
「命令層中枢のことを考えると、怖いです。でも、ずっと怖いままではありませんでした」
「うん」
「レータさんが厨房に入れないこととか、ユイさんが容器を倉庫に持っていくこととか、そういうことがあると……」
アミィは言葉を探す。
「ここは、記録の中ではないと思えます」
カナデは静かに微笑んだ。
「とても大事な感覚ね」
「記録の中では、失敗したら終わりでした。応答値が足りなければ、保管。適合しなければ、凍結。役割に合わなければ、再調整」
アミィは食堂を見渡した。
「でも、ここでは、失敗しても怒られて、止められて、笑われて、また別のことをします」
「そうね」
「それが、少し安心します」
カナデは穏やかに言った。
「それが生活よ。生活は、自己応答を守る土台になる」
「生活……」
「食べる。休む。笑う。間違える。止めてもらう。謝る。もう一度やる。そういうものがあるから、自分の返事は消えにくくなるの」
アミィは、その言葉を胸の中で繰り返すように黙った。
「休むことも、生活ですか」
「ええ」
「では、私は今日、少し生活しました」
カナデは優しく頷いた。
「そうね」
夜に近い時間。
整備区画では、最後の確認が続いていた。
《ルナ・ドール・リンク》試験用のGD-06 バリスタ、GD-11 ファランクス、GF-07 リーフガードには、仮管制用の安全装置が取り付けられている。
ミオの支援網から切断された場合、即時停止。
命令層接続部品は撤去済み。
外部通信は遮断。
武装出力は制限。
ヴァルクレイド・セレスには、《セレス・バスティオン》の低出力装備が仮装着されていた。
大型防壁発生器はまだ試験段階。
前線固定アンカーも、実戦使用は許可されていない。
だが、防壁強度は確かに上がっている。
グリッドが端末を確認し、ジンへ報告する。
「ミオの管制端末、初期試験準備完了。ヴァルクレイド・セレスの重装防衛パッケージも低出力試験なら可能だ」
ジンが通信で答える。
『命令層中枢突入までに間に合うか』
「間に合わせる。ただし、最初から全機能は使わせない」
『それでいい』
黒瀬も確認する。
「運用条件の文書化、完了しました。本人同意、監査承認、整備班確認、全て記録済みです」
グリッドが苦笑する。
「本当に書類が増えたな」
「必要な書類です」
「聞き飽きたよ」
格納区画。
レータとアミィは、ヴァルクレイド・セレスの前に立っていた。
昼間の食堂で笑ったせいか、アミィの表情は少し柔らかい。
「レータさん」
「うん」
「厨房には、入らない方がいいと思います」
レータは少しだけ沈黙した。
「アミィもそう思う?」
「はい」
「理由は」
「アイナさんが困ります」
レータは深く頷いた。
「重要」
アミィは少しだけ笑った。
「でも、整備区画では役に立っていました」
「限定分類」
「はい。限定なら、大丈夫です」
レータはヴァルクレイド・セレスを見上げる。
「私も、全部を正しくしようとしない方がいいのかもしれない」
アミィが隣を見る。
「全部?」
「うん。全部を守る。全部を整理する。全部を間違えない。そうしようとすると、たぶん失敗する」
アミィは考えた。
「では、守る場所を決めるんですね」
「うん」
レータは頷く。
「《セレス・バスティオン》も同じ。全部を守る壁ではない。ここを守ると決めた場所を守る壁」
アミィは静かに頷いた。
「わたしも、そこに座ります」
「うん」
「怖くなったら、言います」
「私も、無理をしたら止めてもらう」
「はい」
二人は、しばらく機体を見上げていた。
ルクス・ヴァルキュリアは、命令層中枢への突入準備を進めていた。
だが、その前に、艦内には短い日常があった。
厨房に入れないレータ。
容器を倉庫に持っていこうとするユイ。
工具棚の分類を止められる整備区画。
温かい食事。
少しの笑い。
休むことも任務だと教えるカナデ。
それを受け取るアミィ。
帝国の記録には、そんなものはない。
低頻度重大誤判断。
命令層適合率。
応答形成率。
処理区分。
帝国は、揺れや失敗を危険として記録した。
だが、ルクス・ヴァルキュリアでは違う。
失敗しそうなら止める。
苦手なら制限する。
できる場所で役に立つ。
疲れたら休む。
笑える時には笑う。
その一つ一つが、自分の返事を守るための土台になる。
命令層中枢への突入準備は、少しずつ整っていた。
ミオの支援網には、新しい手が加わる。
レータとアミィの防壁には、新しい重さが加わる。
ユイのノクス・レクイエムは、切った後を渡すために待機する。
次に進めば、再び重い記録と戦場が待っている。
それでも、今だけは艦内に生活の音があった。
その音は小さい。
けれど、命令では作れない音だった。




