第316話 研究中枢の扉
レグナリア外縁から離脱したルクス・ヴァルキュリアは、すぐに次の戦闘へは入らなかった。
艦内には損傷がある。
大破ではない。
致命傷でもない。
だが、支援網、防壁、索敵、射撃、照合波対策。
それぞれに負荷が残っていた。
ミオは支援網を何度も切られかけた。
ナユは偽残響を拾い続けた。
セラは通常軍を避けながら監察局ビーコンだけを撃ち抜いた。
レータとアミィは、旧補給衛星群から放たれた命令層照合波を防壁で受け流した。
ユイは、何度もノクスを使うか迷い、そのたびに別の方法を選んだ。
レグナリア方面から研究中枢外層まで続いた一連の作戦は、終わりに近づいていた。
だが、終わりは休息だけを意味しない。
研究中枢の扉が、ついに開こうとしていた。
ルクス・ヴァルキュリア解析室。
研究中枢外層から取得した記録群の照合が続いていた。
黒瀬、クロエ、エル、リクトが端末を囲み、グリッドとタツヤが技術的な危険コードの確認を行っている。
カナデも同席していた。
中央画面には、研究中枢最深部へ続くアクセス階層が表示されている。
PT人格形成記録。
命令層中枢。
再同期基盤。
オリジナル個体長期反応記録。
A系列再調整記録。
Y系列切断反応管理記録。
L-A相互補助反応観測項目。
黒瀬は画面を見つめ、静かに言った。
「最深部への入口が見つかりました」
室内が静まり返る。
クロエが補足する。
「これまで取得していた索引は、外層記録に過ぎません。ですが、今回の照合で、複数の記録が同じ中枢階層へ繋がっていることが確認できました」
エルが表示を切り替える。
「命令層中枢と、PT人格形成記録は同じ管理系統にあります。つまり、帝国はPTの人格形成と命令層制御を別々に管理していたのではなく、連動するものとして扱っていた可能性が高いです」
リクトが低く続ける。
「人格を育てるのではなく、返事を整える。その思想が、ここで一つの技術体系になっている」
カナデの表情が険しくなる。
「そこに進めば、彼女たちは自分がどう作られたかを、さらに深く見ることになるわね」
黒瀬は頷いた。
「はい。命令層中枢へ接触する作戦は、戦闘だけではありません。記録そのものが、これまで以上に強い負荷になります」
艦橋。
ジンは、解析室から送られてきた報告を確認していた。
「研究中枢最深部、か」
黒瀬が通信で答える。
『はい。外層端末から、最深部入口への認証経路が復元できました。ただし、入口は命令層照合波で覆われています』
「強行突破は」
『危険です。通常の防壁では、PT反応へ直接干渉される可能性があります』
ミオが通信に入る。
『支援網を通すには、かなり細くする必要があります。広域展開は危険です』
レータも言う。
『ヴァルクレイド・セレスの防壁で、一部は受け流せます。でも、全員分を長時間守るのは難しいです』
アミィの声も、少し遅れて入った。
『あの扉の奥……嫌な返事が、あります』
艦橋の空気が重くなる。
ジンが静かに問う。
「感じるのか」
『はい。言葉ではないです。でも……返事を、戻そうとする場所です』
ユイが艦橋で目を伏せた。
「命令層中枢」
黒瀬が続ける。
『研究中枢最深部には、命令層中枢、再同期基盤、PT人格形成記録が存在する可能性が高いです。アミィの反応は、そのいずれかに触れているのかもしれません』
ジンは少しだけ沈黙した。
そして言う。
「すぐには突入しない」
全員が顔を上げる。
「ここまでの作戦で負荷が溜まりすぎている。出撃部隊も、解析班も、PT達も限界に近い。最深部の入口が開いたからといって、そのまま進めば監察局の思うつぼだ」
黒瀬が頷く。
『同意します。研究中枢最深部へ踏み込む前に、戦力整理と休息が必要です』
グリッドの声が割り込んだ。
『それと、整備だ。ミオの支援網も、ヴァルクレイド・セレスの防壁も、今のままじゃ次は保たねえ』
ジンは頷く。
「分かっている。だから、ここで一度止まる」
保護区画。
アミィは、端末に映された研究中枢最深部の入口を見ていた。
黒い扉。
重なった認証層。
命令層照合波。
再同期基盤へ続く記録。
それは映像でしかない。
だが、アミィには胸の奥を掴まれるような感覚があった。
「戻される場所……」
小さく呟く。
レータが隣に座っていた。
「アミィ」
「はい」
「無理に見なくていい」
アミィは少しだけ首を横に振った。
「見ます。でも、怖いです」
レータは頷く。
「うん」
「セレスティアより、奥にある感じがします」
アミィの声は震えている。
「セレスティアは、わたしを戻そうとする機体でした。でも、あの扉の奥は……返事そのものを、決める場所みたいです」
レータの手に力が入った。
カナデが近くで反応値を見ている。
「アミィちゃん、言葉にできているわ。今はそれで十分」
「十分……」
「ええ。怖いと思っていい。嫌だと思っていい。戻りたくないと思っていい」
アミィは自分の手を見つめた。
「戻りたくないです」
その言葉は、前よりもはっきりしていた。
「でも……見る必要があるなら、見たいです」
レータが顔を向ける。
「一緒に見る」
アミィは少しだけ息を吸った。
「はい」
レータは続けた。
「守るだけじゃなく、一緒に行くと決めた」
「はい」
「あの扉の奥へ行く時も、アミィだけに行かせない」
アミィはレータの手を握った。
「わたしも、レータさんだけに行かせません」
その言葉に、レータは少しだけ目を見開いた。
アミィは続けた。
「レータさんが自分を責めたら、止めます」
レータはゆっくり頷く。
「お願い」
封印区画。
ユイは、ノクス・レクイエムの前に立っていた。
研究中枢最深部。
命令層中枢。
再同期基盤。
PT人格形成記録。
その扉を開く時、ノクスの力が必要になる可能性は高い。
命令層を切る。
再同期の流路を断つ。
アミィや他のPT達が、自分の返事を保てるようにする。
だが、切れば終わりではない。
第312話で確認したばかりだった。
切った後を、仲間に渡す。
ミオの支援網へ。
ヴァルクレイド・セレスの防壁へ。
カナデの言葉へ。
黒瀬の手順へ。
カイトの隣にいる位置へ。
カイトが隣に立っている。
「扉、開いたね」
「はい」
「怖い?」
ユイは少し考えてから答えた。
「怖いです」
カイトは頷いた。
「うん」
「でも、逃げたいわけではありません」
「うん」
「私は、命令層を切る力を持っています。帝国は、それを危険として記録しました。実際、危険な力です」
ユイはノクス・レクイエムを見上げる。
「でも、あの扉の奥に、誰かの返事を決める仕組みがあるなら」
彼女は、ゆっくり言葉を続けた。
「私は、それを切りたいです」
カイトは静かに聞いていた。
「ただし、一人では切りません」
「うん」
「切った後を、必ず渡します」
カイトは少しだけ笑った。
「それでいいと思う」
ユイは頷いた。
「はい」
解析室では、命令層中枢へ踏み込むための課題が整理されていた。
黒瀬が画面に項目を並べる。
一つ。
命令層中枢への接触経路確保。
二つ。
再同期基盤の機能把握。
三つ。
PT人格形成記録の閲覧制限。
四つ。
ノクス・レクイエム使用条件の再確認。
五つ。
ミオ支援網強化案、《ルナ・ドール・リンク》の検討。
六つ。
ヴァルクレイド・セレス重装防衛案、《セレス・バスティオン》の検討。
七つ。
監察局による連携構造分解への対策。
グリッドが端末を見ながら言った。
「やることが多すぎる」
タツヤが頷く。
「最深部に入る前に、整備回が必要だな」
黒瀬が淡々と返す。
「整備だけではありません。休息、記録整理、心理負荷軽減、運用条件の再設定も必要です」
グリッドが苦笑する。
「つまり、休めって言いながら書類が増えるわけだ」
「必要な書類です」
「知ってるよ」
そこへ、コウタが端末を覗き込みながら言った。
「《ルナ・ドール・リンク》って、本当に倉庫のGDを動かすんですか?」
ユイが、少しだけ反応する。
「動かせるなら、有効です」
黒瀬がすぐに言う。
「条件付きです」
グリッドが天井を見上げた。
「この会話、もう何回目だ?」
タツヤが答える。
「必要な回数だけだろ」
重い空気の中に、少しだけ日常の気配が戻った。
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、研究中枢最深部の扉が開いたことを確認していた。
「対象艦、最深部入口認証経路を取得」
局員が報告する。
「命令層中枢、再同期基盤、PT人格形成記録への接触が可能になります」
「よろしい」
オルフェンは淡々と言った。
「対象A、強い揺らぎ。ただし、対象Lおよび心理担当により安定。対象Yはノクス運用を再定義済み。対象M、支援網強化案へ移行する兆候。対象L-A機、重装防衛案へ移行する可能性」
「最深部突入前に、彼らは整備と休息を挟むと思われます」
「そうだろう」
オルフェンは画面を切り替える。
最終再同期作戦。
対象A。
対象Y。
対象L-A。
対象M支援網。
対象K安定因子。
黒瀬承認系統。
ジン指揮系統。
局員が問う。
「作戦名を確定しますか」
「仮称でよい」
オルフェンは答える。
「最終再同期作戦。目的は対象Aの回収ではない。対象群全体の自己応答保持構造を分解し、命令層中枢への再接続可能性を測定する」
「対象Aだけではなく、全体ですか」
「そうだ」
オルフェンは、ルクス側の連携図を見た。
「彼らは、個体ではなく構造で抗っている。ならば、こちらも構造を崩す」
画面に、次の作戦項目が並ぶ。
支援網遮断。
保護範囲外干渉。
切断後受け渡し阻害。
承認判断過負荷。
通信遅延。
偽記録提示。
再同期基盤起動。
オルフェンは静かに言った。
「次は、返事を守る構造そのものを試す」
ルクス・ヴァルキュリアは、研究中枢最深部の入口を前にして、一度足を止めた。
レグナリア方面から研究中枢外層まで続いた一連の作戦は、ここで区切られる。
レグナリアへ進み、分類保管記録を得た。
L系列凍結とA系列設計書を見た。
ユイの旧記録を開いた。
カルディア・ベイへ接触し、セレスティア分解記録とノクス関連の手がかりを得た。
未起動個体の記録を見た。
帝国が返事を制御しようとしていたことを知った。
オリジナル六名の記録を読み、それぞれが設計通りではない現在を選んだ。
レータとアミィは、代わりではなく隣にいると決めた。
ユイは、切った後を仲間に渡すと決めた。
レオンは、通常軍を監察局の実験材料にしないという線を引いた。
そして今、研究中枢の扉が開いている。
その奥には、命令層中枢がある。
再同期基盤がある。
PT人格形成記録がある。
帝国が望む返事を作るために積み上げた技術がある。
アミィは怖いと言った。
ユイも怖いと言った。
レータも怖いと認めた。
それでも、戻るとは言わなかった。
命令層中枢へ踏み込む前に、ルクス・ヴァルキュリアは息を整える。
機体を直す。
支援網を組み直す。
防壁を強化する。
記録を整理する。
そして、少しだけ日常を取り戻す。
その先に待つのは、帝国中枢。
命令層との決着。
そして、彼女たちが自分で返事をするための、最後の戦いだった。




