第315話 レオンの判断
レグナリア包囲を抜けた後も、戦場は終わらなかった。
ルクス・ヴァルキュリアは研究中枢外層記録を保持したまま、レグナリア防衛圏の外縁へ後退している。
通常軍はそれを追う。
監察局は、さらに奥から観測網を伸ばしている。
包囲は抜けた。
だが、完全に離脱したわけではない。
レグナリア。
カルディア・ベイ。
研究中枢外層。
その三つを結ぶ宙域は、今や通常軍と監察局の思惑が入り混じる、歪な戦場になっていた。
その中心で、レオンは次の命令を受け取った。
帝国通常軍艦『グラトン』艦橋。
クラウスが、本国統合作戦司令部からの命令文を読み上げていた。
「対象艦ルクス・ヴァルキュリア、研究中枢外層記録を不正取得。通常軍は対象艦の離脱を阻止せよ。外縁封鎖線を即時前進。カルディア・ベイ補助航路およびレグナリア外周航路を閉鎖。対象艦を監察局指定再処置領域へ誘導」
レオンは無言だった。
クラウスは続ける。
「追記。通常軍艦艇は、監察局特殊処置部隊の行動を妨げてはならない。必要な場合、対象艦拘束のため、通常軍防衛線を一時的に処置領域外縁へ後退。通常軍艦艇の損耗は許容範囲内」
艦橋の空気が変わった。
損耗は許容範囲内。
その一文は、あまりにも軽かった。
レオンはゆっくり口を開く。
「許容範囲内、か」
クラウスは端末から目を上げた。
「命令文上の表現です」
「表現で兵は死なん。だが、その表現で死なせる命令は出る」
レオンの声は低かった。
画面には、監察局が提示した新しい作戦図が表示されている。
通常軍艦艇が前進し、ルクス側の後退路を塞ぐ。
その後、通常軍防衛線をあえて一部後退させ、ルクスを監察局指定再処置領域へ押し込む。
処置領域の周囲には、タナトスの隔離場。
モルスの座標固定。
そして、研究中枢から伸びる命令層照合波。
通常軍は壁。
通常軍は蓋。
通常軍は誘導柵。
そして、必要なら損耗してもよい。
レオンは、その作戦図を見つめた。
「これは、防衛ではない」
クラウスが静かに頷く。
「対象艦の拘束と観測を優先した配置です」
「通常軍艦艇が処置領域外縁へ後退すれば、何が起こる」
「監察局特殊処置部隊の照合波、隔離場、座標固定が通常軍艦艇と重なります。対象艦が反撃した場合、通常軍艦艇への被害が出る可能性があります」
「監察局は、それを分かっているな」
「はい」
レオンは短く息を吐いた。
「なら、答えは決まっている」
監察局から直接通信が入った。
画面に映ったのは、監察局連絡官だった。
その背後には、オルフェンの管制区画から送られていると思われる作戦データが流れている。
『レオン司令。通常軍艦艇の再配置が遅れています』
レオンは表情を変えない。
「命令文は受け取った」
『では、速やかに指定配置へ移行してください。対象艦は研究中枢外層記録を保持しています。通常軍の判断遅延により、回収機会を失う恐れがあります』
「通常軍の判断遅延ではない。通常軍としての戦場判断だ」
『指定配置を拒否するということですか』
「通常軍艦艇を、監察局特殊処置の外縁壁として配置する命令は拒否する」
艦橋に緊張が走った。
連絡官の声が硬くなる。
『本国命令です』
「防衛任務から逸脱している」
『対象艦は危険です。命令層切断危険体、A系列不正保持、複数PT反応、研究中枢記録の不正取得。通常軍としても放置できないはずです』
「放置はしない」
レオンは答えた。
「対象艦がレグナリアまたはカルディア・ベイ主要区画へ再接近するなら、通常軍として阻止する。通常軍艦艇を攻撃するなら撃つ。防衛線を突破しようとするなら止める」
そこで、彼の声がさらに冷たくなった。
「だが、自軍を貴様らの処置領域の柵にする気はない」
連絡官が沈黙する。
『命令違反として記録します』
「記録しろ」
レオンは静かに言った。
「こちらも記録する。監察局は、通常軍艦艇を対象艦拘束のための遮蔽物および損耗許容資材として扱った。その結果、通常軍防衛線に不要な損害を発生させる可能性があった」
『それは監察局への抗議ですか』
「通常軍指揮官としての戦況報告だ」
通信は、数秒の沈黙の後に切れた。
クラウスが端末を確認する。
「本国から再照会が来ています。指定配置への移行拒否理由を提出せよ、とのことです」
「理由は先ほど言った」
「防衛任務維持、通常軍艦艇の不要損耗回避、監察局処置領域との重複による友軍被害リスク。この三点でまとめます」
「それでいい」
レオンは前方画面を見た。
ルクス・ヴァルキュリアは後退している。
だが、その後退路にはまだ監察局の網が残っている。
監察局は、通常軍の配置を使えなくなった。
ならば、別の手を使う。
その予想はすぐに当たった。
「監察局ビーコン、増加」
索敵担当が報告する。
「レグナリア外周の旧補給衛星群へ接続。モルス系座標固定反応。タナトス隔離場、通常軍艦艇の外側ではなく、旧補給衛星群を利用して展開中」
クラウスが画面を拡大する。
「旧補給衛星群は、現在通常軍の退避経路にも近い位置です」
レオンの目が細くなる。
「こちらを使えないなら、戦場そのものを罠にする気か」
「はい。対象艦が回避行動を取った場合、通常軍退避経路にも干渉が出る可能性があります」
レオンは短く命じた。
「通常軍艦艇を退避経路からずらせ。旧補給衛星群から距離を取る」
「対象艦への圧力が下がります」
「構わん」
レオンは即答した。
「監察局の罠に味方を重ねるな」
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
黒瀬が新たな動きを報告する。
「通常軍艦艇、退避経路を変更。レオン隊が旧補給衛星群から距離を取り始めています」
ジンが画面を見る。
「なぜだ」
「監察局の座標固定反応が旧補給衛星群に重なっています。通常軍艦艇がそのまま進めば、モルスの砲撃経路と干渉する可能性がありました」
カイトが通信で言う。
『つまり、レオンが自分の艦隊をどかした?』
「はい」
黒瀬は続ける。
「結果的に、こちらの右舷側に細い進路が生じます。ただし、そこには監察局ビーコンとタナトス隔離場が残っています」
ジンは即座に判断した。
「通常軍がいないなら、監察局の装置だけを叩けるか」
「可能性はあります」
ナユが画面を見つめる。
「旧補給衛星群の残響に偽座標が混ざっています。でも、通常軍艦艇の反応が消えた分、前より見えます」
セラが頷く。
『射線が取れます。監察局ビーコン限定で撃てます』
ミオが続ける。
『支援網を細く通せます。リーフガードを中継にすれば、隔離場を避けられるかもしれません』
ジンは頷いた。
「よし。ルクス・ヴァルキュリアは右舷側進路へ。出撃部隊は監察局ビーコンを排除。通常軍へは撃つな」
ユイが静かに言う。
「ノクスは」
黒瀬が答える。
「現時点では非推奨。監察局ビーコンを排除すれば、通常手段で抜けられる可能性があります」
ユイは頷いた。
「了解しました。今回は、切らずに抜けます」
旧補給衛星群周辺。
戦場は、静かに歪んでいた。
古い衛星の残骸。
補給ドックの骨組み。
破損した誘導灯。
そこに監察局のビーコンが入り込み、偽残響と座標固定を重ねている。
ナユのロス・セレネが残響波を絞る。
「通常軍の残響が消えたので、見えます。偽は三つ。本命は……衛星群の奥です」
リンが前に出る。
『ビーコンが接近。落とす』
ヴァイス・リッパー・リビルドが、旧補給衛星の影から出てきた監察局ビーコンを斬り払う。
セラのフェンリオン・リサイトが、ナユの送った座標に照準を合わせた。
『モルス座標固定補助ビーコン、確認。通常軍反応なし。撃ちます』
射撃が走る。
ビーコンの一つが砕け、偽残響が崩れる。
ミオが支援網を細く伸ばした。
『リーフガード経由で進路を維持します。タナトス隔離場、左から来ます』
カイトが前へ出る。
『隔離場は俺が抑える!』
ユイのヴェルディアが後方の防護層を調整する。
「右舷側支援線、維持します。ミオさん、今なら繋げます」
『ありがとうございます!』
支援網が繋がる。
ルクス・ヴァルキュリアの進路が、一瞬だけ開いた。
だが、監察局はさらに別の手を出してきた。
旧補給衛星の一つが、急に再起動反応を示した。
エルが叫ぶ。
『衛星内部に監察局の遅延起動装置! 自爆ではありません。強制照合波です!』
黒瀬が即座に判断する。
「命令層照合波、拡散します。PT反応に影響の可能性」
レータが通信で言う。
『ヴァルクレイド・セレス、防壁展開可能です』
アミィの声も続く。
『支援波、出せます』
ジンが一瞬だけ判断する。
「展開許可。ただし低出力。全体を覆うな。ユイ、切断は待機」
「了解」
ヴァルクレイド・セレスの防壁が、ルクス側のPT反応に沿って薄く広がる。
命令層照合波を完全に遮るほどではない。
だが、直撃を弱めるには十分だった。
アミィの声が震える。
『戻される、波ではありません。でも、嫌です』
レータが隣で言う。
『一緒に受け流す』
『はい』
防壁が安定する。
カナデが艦内から通信を入れた。
『アミィちゃん、言葉を出せているわ。そのまま、嫌だと言っていい』
『嫌です。これは、嫌です』
アミィはそう言った。
その返事が、防壁の中で消えずに残った。
グラトン艦橋。
レオンは、旧補給衛星群から強制照合波が出たことを確認していた。
「監察局が、旧補給衛星群に遅延起動装置を仕込んでいました」
クラウスが報告する。
「通常軍艦艇が予定通り通過していれば、我々も照合波の範囲内でした」
艦橋に沈黙が落ちる。
レオンは、しばらく画面を見つめた。
「つまり、通常軍を巻き込むことも計算済みだった」
「その可能性が高いです」
「監察局へ通信」
「内容は」
「旧補給衛星群への無断遅延起動装置設置について、通常軍防衛圏への干渉として抗議する」
クラウスは頷く。
「同時に、本国へも報告します」
「そうしろ」
レオンは前方を見る。
ルクス側は、照合波を受けながらも進路を維持している。
ヴァルクレイド・セレスらしき防壁反応が広がり、PT反応を守っている。
監察局は、それすら記録しているのだろう。
レオンは低く言った。
「通常軍を巻き込んでまで、何を見たい」
誰も答えなかった。
監察局管制区画。
局員が報告する。
「旧補給衛星群の遅延起動装置、作動。対象群に命令層照合波を照射。ヴァルクレイド・セレスが低出力防壁を展開。対象A、嫌悪を言語化しつつ自己応答保持」
オルフェンは画面を見ていた。
「レオン隊は」
「照合波範囲から離脱済み。通常軍艦艇への影響なし」
「やはり退いたか」
「レオン司令から抗議通信が来ています。旧補給衛星群への装置設置について、通常軍防衛圏への干渉と」
「記録しておけ」
局員は少しだけ戸惑う。
「返信は」
「不要」
オルフェンは淡々と言った。
「今回の目的は、ルクス側の防壁反応測定だ。通常軍が巻き込まれなかったなら、それでよい」
「対象艦は進路を開きつつあります」
「構わない」
オルフェンは、ヴァルクレイド・セレスの防壁データを拡大した。
「対象Aは、嫌だと言いながら防壁を維持した。対象Lは、それを支えた。防壁は対象Aだけでなく、周辺PT反応にも薄く広がった」
局員が入力する。
「保護範囲、対象A限定ではない」
「そうだ」
オルフェンの声はわずかに低くなる。
「次は、その広がった防壁の外側を狙う」
ルクス側は、旧補給衛星群の隙間を抜けた。
監察局ビーコンは複数破壊。
タナトスの隔離場は接続を維持できず、後退。
モルスの座標固定も、セラとナユの連携で基準点を失った。
通常軍は追ってこない。
正確には、防衛線を維持する位置へ戻っている。
ジンは前方画面を見た。
「進路、開いたな」
黒瀬が頷く。
「はい。レオン隊が旧補給衛星群から離れたことで、通常軍反応の干渉が消えました。その結果、監察局ビーコンを識別しやすくなりました」
カイトが通信で言う。
『これ、レオンがいなかったら通常軍ごと巻き込まれてましたよね』
「はい」
黒瀬は答える。
「監察局は、通常軍艦艇が照合波範囲に入る可能性を許容していたと見ていいです」
ユイが静かに言う。
「レオン司令は、それを避けた」
ジンは頷く。
「ルクスを助けたわけじゃない。自軍を監察局の実験に巻き込ませなかった。その結果、こちらの道が開いた」
カイルの通信が入る。
『それを助かったって言うんだよ、艦長』
「助かったことと、助けられたことは違う」
『はいはい』
黒瀬が記録する。
レオン隊。
本国命令および監察局誘導配置を拒否。
自軍損耗回避を優先。
旧補給衛星群から通常軍艦艇を退避。
結果として、ルクス側が監察局ビーコンを識別し、離脱路を確保。
一時的利害一致の可能性、さらに上昇。
グラトン艦橋。
ルクス・ヴァルキュリアが進路を開いたことは、レオンにも確認できていた。
クラウスが報告する。
「対象艦、旧補給衛星群を突破。監察局ビーコン複数破壊。通常軍への被害なし」
「追撃は」
「可能ですが、旧補給衛星群周辺には監察局の残留照合波があります。追撃すれば、こちらも影響を受ける可能性があります」
「追わない」
レオンは言った。
「通常軍艦艇の安全を優先する。防衛線を再構築しろ」
「了解」
クラウスは端末を操作する。
「本国からは、対象艦追撃命令が来る可能性があります」
「来るだろう」
「その場合は」
「照合波残留域に通常軍艦艇を突入させるのは不合理だ。そう報告する」
クラウスは頷いた。
「了解しました」
レオンは、遠ざかるルクス・ヴァルキュリアの反応を見ていた。
敵だ。
次に重要防衛線へ接近すれば、また止める。
だが、今追えば、監察局の残した罠に自軍を入れることになる。
それはしない。
「ルクスを助けたつもりはない」
レオンは小さく言った。
クラウスは静かに答える。
「はい」
「だが、監察局の作戦を通すつもりもない」
「はい」
レオンは前方を見た。
「それだけだ」
ルクス・ヴァルキュリア格納区画。
出撃部隊が帰投した。
ミオは支援網負荷で疲弊している。
ナユは偽残響の処理で頭痛が残っている。
セラは高精度射撃の連続で集中疲労が出ていた。
レータとアミィも、照合波防壁の展開で負荷を受けている。
それでも、大きな損傷はなかった。
カナデがアミィの状態を確認する。
「アミィちゃん、大丈夫?」
アミィは少し考えてから答える。
「大丈夫、ではないです」
カナデは頷く。
「うん」
「でも、嫌だって言えました」
「ええ。ちゃんと言えていたわ」
レータが隣で言う。
「私も聞こえた」
アミィは小さく頷いた。
「怖かったです。でも、戻りたいとは思いませんでした」
レータは静かに答える。
「それでいい」
少し離れたところで、ミオが整備ベッドに座りながら息を吐いた。
「支援網、そろそろ限界ですね」
グリッドが端末を見ながら言う。
「だろうな。次の段階に入る前に、強化案を本気で詰めるぞ」
ミオは顔を上げる。
「《ルナ・ドール・リンク》ですか」
「ああ。修理済みGD/GFを支援網の端末にする。攻撃というより、面制圧と中継点確保だ」
黒瀬が即座に言う。
「条件付きです」
グリッドはため息をついた。
「分かってるよ」
タツヤが続ける。
「ヴァルクレイド・セレスの重装防衛案も必要だな。今回の防壁は薄く広げたが、次はもっと強い照合波が来る」
レータが頷く。
「《セレス・バスティオン》」
アミィが小さく繰り返す。
「バスティオン……守る、壁」
「うん」
レータは言った。
「でも、ただ隠れる壁じゃない。一緒に進むための壁」
アミィは少しだけ表情を緩めた。
「はい」
ルクス・ヴァルキュリアは、レグナリア外縁からさらに距離を取った。
研究中枢外層の記録は保持している。
レグナリア包囲も抜けた。
旧補給衛星群の罠も突破した。
だが、その代償として、支援網、防壁、索敵、射撃、判断のすべてに負荷がかかっている。
第三段階へ進む前に、整える必要があった。
ミオの支援網を、守りながら押し返す形へ。
レータとアミィの防壁を、重装防衛線として使える形へ。
ユイのノクス・レクイエムを、切った後を渡せる機体として。
そして、重い記録を読み続けた彼女たちが、少しでも自分の言葉を保てるように。
レオンの判断によって、ルクス側の進路は開いた。
だが、それは友情でも同盟でもない。
通常軍の指揮官が、自軍を監察局の実験材料にしないと決めた結果だった。
その線は細い。
いつ切れてもおかしくない。
けれど、その細い線が、いつか一時的な共闘へ繋がるかもしれない。
ルクス・ヴァルキュリアは、次の戦いへ向けて、一度息を整える必要があった。




