第302話 ユイの旧記録
A系列設計書の断片は、アミィとレータに重く残った。
L系列欠損補完。
役割固定。
セレスティア接続。
自己応答補助と、命令層接続への後期改修。
その記録は、アミィが何のために作られたのかを示す入口だった。
同時に、帝国がPTをどう扱ってきたのかを改めて突きつけるものでもあった。
そして、帝国の記録はアミィだけを残していたわけではない。
ユイの記録も、そこにあった。
ルクス・ヴァルキュリア解析室。
黒瀬は、レグナリアで取得した索引を再分類していた。
クロエが輸送経路を追い、エルが古い認証形式を復元している。
今回は、Y系列に関する記録を開く準備が進められていた。
「Y系列関連、概要層の復元が完了しました」
クロエが報告する。
「ただし、こちらも全文ではありません。レグナリアに残っていたのは輸送・保管索引と、任務登録時の簡易評価です」
エルが別の画面を開く。
「ノクス・リリス関連も断片があります。機体本体の設計記録ではなく、封印処置と再登録停止に関する記録です」
黒瀬は少しだけ視線を細めた。
「封印処置ですか」
「はい。記録の一部に、Y系列個体との過剰同期、命令層切断反応の暴走懸念、単独運用禁止という文言があります」
室内の空気が重くなる。
黒瀬は端末を閉じずに、通信を繋いだ。
「ユイ。Y系列記録の一部が復元されました。閲覧するかどうかは、あなたが決めてください」
少し間があった。
やがて、ユイの声が返る。
『見ます』
迷いはある。
だが、逃げる声ではなかった。
黒瀬は頷く。
「カナデさん、同席をお願いします。カイトにも声をかけます」
『俺も?』
通信の向こうで、カイトの声がした。
黒瀬は淡々と答える。
「本人が望むなら、です」
ユイは短く言った。
『カイトさんにも、いてほしいです』
カイトはすぐに答えた。
『分かった』
解析室の一角に、閲覧用の端末が用意された。
大きな画面ではない。
艦橋全体で見るものでもない。
今回は、ユイ本人と、立ち会いのカイト、カナデ、黒瀬だけが見る形になった。
カナデは椅子に座るユイの横に立ち、反応値を確認している。
カイトは少し離れた隣に座っていた。
ユイは端末を見つめる。
「自分の記録を見るのは、不思議ですね」
カイトが静かに言う。
「見なくてもいいんだよ」
「はい。でも、見ます」
ユイは画面から目を逸らさない。
「私は、帝国にどう見られていたのかを知っておきたいです。ノクスのことも、私のことも」
黒瀬が確認する。
「危険と判断した場合、こちらで中断します。表示するのは概要層のみ。詳細な命令層記録や、精神負荷が高いと思われる項目は開きません」
「はい」
ユイは頷いた。
黒瀬が表示を開始する。
画面に、冷たい文字列が浮かぶ。
Y系列。
高適応型。
現地環境同化適性、高。
潜伏任務適性、高。
長期観察下における人格変動、要監視。
命令層切断反応、特異。
外部命令干渉耐性、変動。
対象世界への過剰適応傾向あり。
ユイは、黙ってその文字を読んだ。
現地環境同化適性。
潜伏任務適性。
人格変動。
過剰適応。
それは、地球で生きていた時間を、機能として評価する言葉だった。
「竜奈としていた時間も、こう見られていたんですね」
ユイが静かに言った。
カイトはすぐには返せなかった。
ユイは続ける。
「どれだけ馴染めるか。どれだけ潜伏できるか。どれだけ命令を保ったまま、現地に溶け込めるか」
彼女はわずかに目を伏せた。
「私がそこで見たものも、話したことも、迷ったことも……帝国には、適応値だった」
カナデが静かに言う。
「帝国の記録では、そうね。でも、それは帝国の見方よ」
「分かっています」
ユイは頷いた。
「分かっています。でも、嫌ですね」
その声に、はっきりとした感情があった。
怒りではない。
悲しみだけでもない。
自分が大事にしていた時間を、数値と機能で切り分けられることへの嫌悪だった。
記録は続く。
Y系列個体。
命令層切断反応、確認。
通常命令層との干渉時、遮断または逸脱反応を発生。
運用上、制御困難。
高価値対象。
同時に高危険対象。
再同期時、通常手順不適。
専用機構との組み合わせによる管理を推奨。
ユイの手が、膝の上で少し強く握られた。
「命令層切断」
彼女は小さく呟く。
「私は、そのための個体としても見られていた」
黒瀬が説明する。
「記録上、Y系列の中でも特にあなたの反応は異常扱いです。命令層を受ける側でありながら、命令層を遮断する反応を持つ。帝国にとっては、利用価値と危険性が同時に高かったのでしょう」
「利用価値と危険性」
ユイは、その言葉を繰り返す。
カイトが静かに言った。
「ユイは、ただの切断機構じゃない」
ユイはカイトを見る。
「はい」
「分かってても、言っておきたい」
カイトは少しだけ視線を落とし、それからもう一度ユイを見た。
「ユイが切る力を持ってるのは事実だけど、それをどう使うかは、今のユイが決めてる。帝国の記録がどう書いていても、そこは違う」
ユイはしばらく黙った。
そして、小さく頷く。
「ありがとうございます」
その返事は短かったが、少しだけ呼吸が楽になったように聞こえた。
黒瀬は次の項目へ移る前に、ユイへ確認した。
「ノクス・リリス関連の断片があります。開きますか」
ユイの目がわずかに揺れる。
ノクス・リリス。
ユイの過去機。
倉庫の奥に秘匿されていた機体。
現在のノクス・レクイエムの中核として組み込まれた、彼女にとって特別な機体。
カイトは何も言わなかった。
急かさない。
止めもしない。
ユイは少しだけ息を吸った。
「見ます」
黒瀬が頷く。
画面が切り替わる。
ノクス・リリス。
Y系列適応機。
命令層切断補助機構搭載。
高同期個体、Y系列オリジナル。
単独運用時、命令層遮断範囲の拡大を確認。
外部命令接続の不安定化。
周辺指揮系統への干渉リスクあり。
再登録停止。
封印保管。
所在情報、制限管理。
ユイの表情が、わずかに強張った。
「封印保管……」
黒瀬が言う。
「詳細はまだ不明ですが、ノクス・リリスは単なる旧式機として封印されたわけではないようです。Y系列個体との同期時、命令層切断反応が広がる危険があったと記録されています」
カイトが問う。
「それって、ユイが暴走したってことですか」
「断定はできません」
黒瀬はすぐに答えた。
「記録は帝国側のものです。帝国が制御できない反応を、暴走と記録した可能性もあります」
ユイは画面を見続けていた。
「命令層を切る力は、帝国にとって危険だった。だから封印した」
彼女は静かに言う。
「でも、必要になればまた使うつもりだった。だから、完全に廃棄せず、所在情報を制限して保管した」
黒瀬は頷いた。
「その可能性は高いです」
「……私と同じですね」
カイトが顔を上げる。
「同じ?」
「危険だから遠ざける。でも、使えるから捨てない」
ユイは端末から目を離さない。
「帝国は、私もノクス・リリスも、そう扱っていた」
その言葉に、解析室は静かになった。
カナデが、ユイの反応値を確認する。
「ユイちゃん、ここで一度止めてもいいわ」
ユイは首を横に振りかけた。
だが、途中で止まった。
以前なら、最後まで見ると言ったかもしれない。
自分に関わる記録なら、見なければいけないと抱え込んだかもしれない。
今は、少し違った。
「……一度、止めます」
カナデは頷いた。
「それでいいわ」
黒瀬も端末を閉じる。
「Y系列詳細記録、ノクス・リリス封印記録は、次回以降に段階的に確認します。現時点での取得情報は、作戦上必要な範囲に絞って共有します」
ユイは静かに頷いた。
「お願いします」
カイトが少し安心したように息を吐く。
ユイはそれに気づき、少しだけ苦笑した。
「心配をかけましたか」
「かけたというより、心配するのが俺の役目みたいになってる」
「そうですか」
「うん」
ユイは少し考えてから言った。
「では、お願いします」
カイトは一瞬だけ驚き、それから頷いた。
「うん。任せて」
格納区画。
ノクス・レクイエムは、封印区画で静かに待機していた。
ユイは、カイトと一緒にその前へ来ていた。
黒い装甲。
ネメシス・レクイエムの外殻。
その奥に組み込まれたノクス・リリスの中核。
過去の機体。
封印された機体。
そして今は、ノクス・レクイエムとして再定義された機体。
「ノクス・リリスは、危険だったんでしょうか」
ユイが言った。
カイトは少し考えてから答える。
「危険な力はあったんだと思う」
ユイが彼を見る。
「でも、危険だったから悪い、とは違うと思う。帝国は制御できないものを危険って呼んだ。ユイは今、それをどう使うかをみんなと決めてる」
ユイはノクスを見上げた。
「ノクス・リリスは、私と一緒に封印されたようなものだったのかもしれません」
「今は?」
「今は……」
ユイは少しだけ考えた。
「まだ、完全には分かりません。でも、ノクス・レクイエムは、ただ封印を解いた機体ではありません。命令を切るためだけでもありません」
彼女はゆっくりと言葉を続ける。
「切った後を、みんなに渡すための機体にしたいです」
カイトは頷いた。
「うん」
その短い返事に、ユイは少しだけ表情を緩めた。
解析室。
黒瀬は、Y系列記録の要約を整理していた。
クロエが言う。
「Y系列は、潜伏・適応・命令層切断の三つで評価されていますね」
「はい」
黒瀬は頷く。
「特にユイは、現地環境への過剰適応と、命令層切断反応の両方で高く評価されています。帝国にとっては、使いやすく、同時に危険な個体だったのでしょう」
エルがノクス・リリスの断片を見ながら言う。
「ノクス・リリスの封印理由は、カルディア・ベイ側の改修記録か、研究中枢側の管理記録を見ないと分かりません。ただ、命令層切断補助機構とY系列の同期が問題視されたのは確かです」
「カルディア・ベイに、ノクス関連の記録もある可能性が高いですね」
「はい」
黒瀬は端末に追記する。
カルディア・ベイ接触時、取得対象。
A系列設計書。
セレスティア改修記録。
ノクス・リリス封印関連記録。
命令層切断補助機構の搬送履歴。
彼は少しだけ目を伏せた。
記録を得れば、前へ進める。
だが、記録を得るたびに、誰かが傷つく。
それでも、見ないわけにはいかない。
帝国の記録を、帝国の言葉のままにしておくわけにはいかない。
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、Y系列記録の閲覧反応を確認していた。
「対象Y、強い感情反応」
局員が報告する。
「ただし、閲覧途中で中断。心理担当および対象K、カイトと思われる個体の同席により安定化」
「対象Yは、自分を命令層切断機構として見られることに嫌悪を示している」
オルフェンは淡々と言った。
「はい。ノクス・リリス封印記録にも反応」
「詳細はまだ見せていない」
「レグナリア側には概要のみです。詳細はカルディア・ベイまたは研究中枢側になります」
「それでよい」
オルフェンは画面を切り替える。
ノクス・リリス。
命令層切断補助機構。
Y系列過剰同期。
封印保管。
再登録停止。
「対象Yは、自分の力が利用されることを嫌う。だが、必要なら使う」
「はい」
「ならば、次はノクス・リリスがなぜ封印されたかを見せる」
局員が問う。
「切断力への恐怖を増幅させますか」
「恐怖だけではない」
オルフェンは答えた。
「対象Yが、自分で使うと決めた力の根に、帝国の管理記録が残っていることを見せる」
画面には、カルディア・ベイの記録群が並んでいる。
「彼らは進む。A系列、セレスティア、ノクス・リリス。すべての記録が、次の建造ブロックに集まっている」
保護区画では、アミィとレータが静かに話していた。
ユイの記録が開かれたことは、二人にも伝わっている。
「ユイさんも、機能で書かれていたんですね」
アミィが言った。
レータは頷く。
「うん」
「Y系列。命令層切断。高適応」
「帝国は、そういう言葉で見る」
アミィは少しだけ考える。
「でも、ユイさんはユイさんです」
「うん」
「レータさんも、レータさんです」
レータはアミィを見る。
「アミィも、アミィだよ」
アミィは小さく頷いた。
「はい」
その返事は、以前より少しだけ確かなものだった。
ルクス・ヴァルキュリアは、レグナリア外周を離れ、カルディア・ベイ方面へ進路を探っていた。
レグナリアで得たものは、詳細な答えではない。
冷たい索引と、断片的な評価だけだ。
L系列凍結。
A系列設計。
セレスティア改修。
Y系列旧記録。
ノクス・リリス封印。
それらはすべて、カルディア・ベイへ繋がっている。
ユイは、自分の過去を機能評価として読まされた。
現地潜伏。
高適応。
命令層切断。
危険個体。
そして、ノクス・リリスの封印。
だが、彼女は最後まで一人で読み切ろうとはしなかった。
途中で止めた。
カイトの隣にいることを選んだ。
黒瀬に記録管理を任せた。
カナデの中断判断を受け入れた。
それもまた、帝国の記録にはなかった変化だった。
ノクス・リリスは封印されていた。
ユイの力も、危険として記録されていた。
けれど今、その力はノクス・レクイエムとして、別の意味を持ち始めている。
切るためだけではない。
切った後を、仲間へ渡すために。
その答えを確かめるためにも、ルクス・ヴァルキュリアは次へ進む。
カルディア・ベイ。
そこには、ノクス・リリスが封印された理由と、セレスティアが変えられた理由。
そして、PT達が機能として扱われた記録の、さらに深い部分が眠っていた。




