第299話 分類保管記録
レグナリア外周補給ドック。
そこは、帝国中央軍港の中では目立たない区画だった。
巨大艦の主ドックでもない。
艦隊が並ぶ停泊帯でもない。
特殊兵装が搬入される監察局専用区画でもない。
古い補給アーム。
交換部品用の貨物固定レール。
通常軍の整備用端末。
そして、その奥に埋もれるように残された保守回線。
かつて特殊輸送記録の中継に使われていた端末。
ルクス側の狙いは、そこだった。
小型作業艇が、レグナリア外周の影に滑り込む。
正面からの接近ではない。
補給艦の残骸反応と、通常軍の外周航路の隙間を利用した短時間接触。
ミオの支援網は極限まで絞られ、イリスが認証網の揺らぎを補正している。
ナユの残響索敵は最小範囲。
リンが外周のビーコンを見張り、カイトは護衛位置で待機していた。
作業艇内では、コウタが保守端末接続用の機材を抱えている。
その隣で、エルが端末の認証手順を確認していた。
「接続時間は最大四十秒。できれば十五秒以内」
エルが言う。
「分かってます。昨日から三回聞きました」
コウタは緊張した顔で答えた。
「なら四回目です。逆探知兆候が出たら即切断。欲張って中身まで見ようとしないでください」
「索引だけ、ですよね」
「はい。中身を読むのは後です」
通信越しに、黒瀬の声が入る。
『目的を再確認します。今回取得するのは、PT関連輸送・保管記録の索引です。詳細記録の閲覧は行いません。逆探知兆候が出た場合、即時切断』
「了解」
カイトが周囲を見ながら答えた。
『通常軍哨戒は?』
リンが短く返す。
『距離あり。こちらに気づいてはいない』
ナユも続ける。
『監察局ビーコンの反応は薄いです。でも、完全にないわけではありません』
カイルの声が割り込む。
『時間をかけるな。記録をつかんだら戻れ』
作業艇が補給ドックの外壁に接触する。
固定具が静かに噛み合った。
コウタが保守端末へ接続機材を差し込む。
「接続します」
エルが認証補助を起動した。
「旧式回線、反応あり。通常補給ログを迂回。特殊輸送記録の索引層へ入ります」
コウタの指が止まりかける。
「……本当に残ってるんですね」
「帝国は記録を消しません。分類し直すだけです」
エルの声は低かった。
「だから、残っています」
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
中央画面に、レグナリアから取得される索引データが流れ始めた。
完全な文章ではない。
断片。
古い形式の識別コード。
輸送日時。
搬入元。
搬出先。
保管区画。
系列名。
機能評価。
応答値。
黒瀬が即座に不要な軍需記録を弾き、PT関連らしき項目だけを抽出する。
「PT系列関連索引、取得開始」
艦橋に緊張が走る。
ユイ、ミオ、レイ、セラ、イリスは、それぞれ艦橋または通信越しに記録を見ていた。
レータとアミィは保護区画で、カナデとエルマの立ち会いのもと、表示を制限した状態で確認している。
画面に、最初の断片が浮かんだ。
Y系列。
適応型。
潜伏・現地環境同化適性、高。
命令層干渉耐性、変動。
高危険個体。
搬出先、教育院系統施設。
後日、別任務用に再登録。
ユイは静かにそれを見つめた。
そこに、ユイという名前はない。
あるのは、Y系列。
適応型。
命令層干渉耐性。
高危険個体。
カイトが隣で小さく息を呑む。
「ユイ……」
「大丈夫です」
ユイはそう答えた。
だが、その声は少しだけ硬かった。
続いて、別の断片が表示される。
M系列。
広域支援型。
支援波安定性、高。
集団制御補助適性、良。
外部支援網形成時、命令層接続補助に利用可能。
ミオの顔から、わずかに血の気が引いた。
「支援……補助……」
レイが通信越しに低く言う。
『ミオを、命令層接続の補助に使うつもりだったってことか』
黒瀬はすぐに答えた。
「記録上は、その可能性があります。ただし、これは初期評価です。現在のミオとは異なります」
ミオは少しだけ俯いた。
「分かっています。でも……嫌ですね」
「当然です」
黒瀬は淡々と言った。
「嫌だと思っていい記録です」
ミオは一瞬だけ黒瀬を見て、それから小さく頷いた。
次に表示されたのは、R系列とS系列だった。
R系列。
近接戦闘型。
反応速度、高。
単独戦闘適性、良。
命令層応答値、中。
過剰干渉時、反発傾向あり。
レイが短く笑った。
『反発傾向あり、か。そこは当たってるな』
だが、その笑いは明るいものではなかった。
セラの記録も続く。
S系列。
射撃・照準補助型。
精密命令伝達適性、高。
照準補助AIとの同期良好。
遠隔制御下での射撃安定性、良。
セラはフェンリオン・リサイトの中で、静かに目を伏せた。
「遠隔制御下での射撃……」
その言葉に、カナデが通信で優しく言う。
『セラちゃん。今のあなたは、自分の意思で撃っているわ』
「はい」
セラは小さく頷く。
「分かっています。フェンリオン・リサイトも、そのために調整しました」
それでも、記録の言葉は冷たかった。
自分で撃つために再調整した機体。
その前に、自分は「遠隔制御下で安定して撃つ個体」として見られていた。
それを知ることは、想像以上に重かった。
イリスの記録も表示される。
I系列。
探索・識別型。
広域探索補助、良。
異常反応識別能力、高。
探索地域拡大用系列として一定数生産。
命令層応答値、安定。
イリスは静かに画面を見ていた。
「一定数生産……」
黒瀬が言う。
「I系列は、他系列より運用記録が多いようです。探索用途のため、一定数が生産された可能性が高い」
イリスはしばらく黙り、それから言った。
「私と同じような子が、他にもいたんですね」
誰もすぐには返せなかった。
保護区画。
レータは、表示制限された端末を見ていた。
カナデが隣に座り、エルマが反応値を監視している。
アミィも近くにいるが、彼女に表示される情報はさらに制限されていた。
黒瀬から通信が入る。
『L系列の記録が出ます。表示量を制限します』
レータは静かに頷いた。
「見ます」
端末に、L系列の記録断片が浮かぶ。
L系列。
重装・統率型。
防衛戦指揮適性、高。
局地統率能力、良。
集団防衛時の命令伝達能力、高。
ただし、突発状況下における判断逸脱あり。
重大誤判断発生率、低頻度ながら無視不可。
指揮型としての継続運用、要再評価。
レータの指が止まった。
重大誤判断。
低頻度ながら無視不可。
指揮型としての継続運用、要再評価。
彼女はその文字から目を離せなかった。
「……これが、私の記録」
カナデが静かに言う。
「初期評価の一部よ。全部ではないわ」
「でも、帝国はそう見た」
レータの声は低かった。
「重装。統率。防衛戦指揮。便利な機能。でも、時々、大きな判断ミスをする。だから危険」
アミィが不安そうにレータを見る。
「レータさん……」
レータはさらに画面を見る。
その下に、別の断片があった。
L系列オリジナル個体、所在不明。
系列継続、凍結。
統率型空白への代替系列設計を検討。
レータの表情が、はっきりと揺れた。
「……私が、いなくなったから」
カナデがすぐに声をかける。
「レータちゃん」
「私が逃げたから、L系列が凍結されて」
レータの視線が、アミィへ向かう。
「その代わりに……」
黒瀬の声が通信に入った。
『まだ結論を出さないでください。A系列の記録は断片です。今ここで読み切るべきではありません』
レータは唇を噛んだ。
だが、画面にはすでに一部の記録が浮かんでいた。
A系列。
補助統率型。
L系列欠損補完。
指揮支援空白対応。
自己応答形成前の役割固定、推奨。
セレスティア接続による安定化を前提。
アミィの顔から、血の気が引いた。
「L系列……欠損、補完……?」
その言葉は、彼女にとって意味が大きすぎた。
レータの手が震える。
「やっぱり……」
「違います」
アミィが小さく言った。
だが、その声はまだ弱かった。
「わたしは……」
言葉が続かない。
レータはその沈黙を、自分への責めとして受け取ってしまいそうだった。
カナデがすぐに割って入る。
「ここで止めましょう」
「でも」
「止めます」
カナデの声は優しかったが、はっきりしていた。
「今は、記録の全文を読む状態ではありません。レータちゃんも、アミィちゃんも、反応が上がっています」
エルマも端末を見る。
「レータさん、心拍上昇。アミィさん、命令層反応も微増しています。これ以上は危険です」
レータは、画面を見つめたまま動かなかった。
カナデが静かに言う。
「レータちゃん。これは帝国が作った分類記録です。あなたがアミィちゃんを作ったわけではありません」
「でも、私がいなければ……」
「それは帝国の論理です」
カナデは、はっきりと言った。
「欠けたから補う。逃げたから作り直す。そうやって人を機能として扱う論理です。あなたがその言葉を、自分の責任として受け取る必要はありません」
レータは目を閉じた。
手はまだ震えている。
アミィは、その手に自分の手を重ねた。
「レータさん」
レータが目を開ける。
「わたし……うまく言えません。でも……」
アミィは必死に言葉を探した。
「わたしは、レータさんのせいでいるんじゃ、ないと思います」
レータの瞳が揺れる。
「アミィ」
「まだ、分かりません。でも、レータさんの代わりだけ、では嫌です」
その言葉に、レータは何も返せなかった。
カナデは端末の表示を落とす。
「今日はここまでにしましょう」
黒瀬の通信が静かに入った。
『同意します。A系列詳細記録は、取得優先順位を下げます。今は索引の保存だけを行います』
レグナリア外周の作業艇では、接続時間が限界に近づいていた。
「逆探知兆候!」
エルが叫ぶ。
「監察局照合端末がこちらに気づきました。切断まで五秒!」
コウタが端末を見ながら叫ぶ。
「索引、まだ残ってます!」
『欲張るな』
黒瀬の声が飛ぶ。
『主要索引だけでいい。切断してください』
「了解!」
コウタが接続を切る。
作業艇の固定具が外れ、補給ドックから離脱する。
その直後、保守端末に監察局の照合反応が走った。
数秒遅ければ、逆探知されていた。
カイトが護衛位置から言う。
『離脱する!』
リンが周囲を確認する。
『通常軍哨戒がこちらへ向き始めた。まだ警告段階』
カイルが指示を出す。
『追われる前に戻れ。戦うな』
作業艇は、レグナリア外周から離れていく。
背後では、巨大軍港が静かに光っていた。
まるで、何も起きていないかのように。
ルクス・ヴァルキュリア解析室。
取得された索引は、すぐに複数の階層へ分けられた。
黒瀬、クロエ、エルが中心となり、PT関連記録の優先順位を整理する。
「取得できたのは、詳細記録ではなく索引です」
黒瀬が会議室で説明する。
「ただし、かなり重要なものが含まれています」
画面に分類が表示される。
第一群。
オリジナル系列記録。
Y、M、R、S、L、I。
第二群。
A系列設計関連。
L系列欠損補完、指揮支援空白対応、セレスティア接続前提。
第三群。
未起動個体・保管記録。
詳細閲覧は研究中枢側端末が必要。
第四群。
カルディア・ベイ搬送記録。
機体制御核、命令層接続補助装置、特殊GD関連部材。
ジンが問う。
「優先順位は」
黒瀬は即答した。
「第一に、現在の脅威へ直結するA系列設計関連。ただし、レータとアミィの心理負荷が高いため、閲覧は段階的に制限します」
レータは黙って聞いていた。
「第二に、オリジナル系列記録。ユイ達全員に関わるため、個別閲覧の許可を取ります。強制開示はしません」
ユイが顔を上げる。
「強制開示しない、ですか」
「はい」
黒瀬は頷いた。
「これは帝国の記録です。本人が見るかどうかを決めるべきです。ただし、作戦上必要な危険情報は、私が要約して共有します」
ミオが小さく息を吐く。
「少し、助かります」
「第三に、カルディア・ベイ搬送記録。これは次の進路決定に必要です」
ジンが頷く。
「研究中枢へ行くには、カルディア・ベイを経由する可能性が高いな」
「はい」
黒瀬は画面を見た。
「レグナリアの記録だけでは、詳細は見えません。ですが、道筋は見えました」
会議後、レータは保護区画へ戻った。
アミィは隣を歩いている。
少しだけ不安そうだが、レータの手を離そうとはしなかった。
「アミィ」
レータが声をかける。
「はい」
「さっきの記録……」
言いかけて、レータは止まった。
謝るべきなのか。
説明するべきなのか。
自分が悪いと言うべきなのか。
分からなかった。
アミィは少し考えてから言った。
「わたしも、まだ分かりません」
「うん」
「でも、L系列欠損補完って書いてあっても……それだけでは、嫌です」
レータはアミィを見る。
「うん」
「わたしは、レータさんの代わりだけじゃ、ないです」
言葉はたどたどしい。
だが、確かだった。
レータの表情が少し崩れる。
「そうだね」
アミィは続けた。
「でも、レータさんの隣にいるのは、嫌じゃないです」
レータは息を止めた。
それから、ゆっくり頷いた。
「私も、アミィの隣にいる」
ヴァルクレイド・セレスの反応が、遠くで静かに安定した。
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、レグナリア保守端末への接触記録を見ていた。
「対象艦、PT関連輸送索引の一部を取得」
局員が報告する。
「逆探知は失敗。詳細記録までは取得されていません」
「十分だ」
オルフェンは淡々と言った。
「索引を得れば、彼らは次を探す」
「A系列記録の一部を閲覧したようです」
「反応は」
「対象L、強い動揺。対象A、自己応答揺らぎ。ただし、カナデと思われる心理担当と監査担当により閲覧中断」
オルフェンは、少しだけ目を細めた。
「止めたか」
「はい。詳細閲覧は行われていません」
「なら、次に見せればよい」
画面に、カルディア・ベイと研究中枢関連施設が表示される。
「L系列欠損補完。A系列設計。セレスティア接続前提。これらは、対象Lと対象Aを揺らすには十分だ」
局員が問う。
「記録を改竄しますか」
「不要だ」
オルフェンは答えた。
「帝国の記録は、そのままで十分に冷たい」
彼は、取得された索引を見つめた。
「彼らは、名前を取り戻そうとしている。ならば、こちらは分類を見せる」
ルクス・ヴァルキュリアは、レグナリア外周から離脱した。
正面突破はしていない。
軍港を制圧したわけでもない。
得られたのは、詳細記録ではなく索引だけ。
それでも、その索引は重かった。
Y系列。
M系列。
R系列。
S系列。
L系列。
I系列。
A系列。
名前ではなく、系列。
人格ではなく、機能。
思い出ではなく、応答値。
帝国は、彼女たちをそう記録していた。
だが、その記録を読んでいる今の彼女たちは、もう記録の中の個体ではない。
ユイはユイであり。
ミオはミオであり。
レイはレイであり。
セラはセラであり。
イリスはイリスであり。
レータはレータであり。
アミィはアミィだった。
それでも、記録は続いている。
カルディア・ベイ。
研究中枢。
未起動個体。
A系列設計書。
L系列凍結記録。
次に向かうべき場所が、また一つ明確になった。
レグナリアで手に入れたのは、答えではない。
彼女たちが、なぜ分類され、なぜ運ばれ、なぜ作られたのか。
その問いへ続く、冷たい索引だった。




