第298話 帝国中央軍港『レグナリア』
帝国中央軍港『レグナリア』。
その名が艦橋の前方画面に表示された時、ルクス・ヴァルキュリアの中に、わずかな沈黙が落ちた。
第一防衛圏の向こうに広がっていたのは、ただの軍港ではなかった。
宇宙空間に浮かぶ巨大な構造体。
複数の環状ドックが重なり合い、その内側を大型艦が出入りしている。
外周には補給アームと整備ブロック。
中層には艦隊集結用の停泊帯。
さらに奥には、巨大な輸送ゲートと、カルディア・ベイ方面へ続く重輸送航路が伸びていた。
レグナリアは、帝国本国の軍事物流を支える心臓の一つだった。
艦艇を受け入れ、修理し、補給し、再出撃させる。
GDを運び、部品を保管し、特殊装備を別施設へ送る。
戦場へ兵器を送り出すだけでなく、戦場から戻ってきたものを分類し直す場所でもあった。
「……大きいですね」
ミオが小さく呟いた。
画面の中のレグナリアは、ルクス・ヴァルキュリアと比べてもなお、ひとつの都市のように見えた。
艦ではない。
基地でもない。
宇宙そのものに根を張った軍港だった。
ジンは艦長席で前方を見据える。
「軍港というより、艦隊の街だな」
黒瀬が端末を確認しながら答える。
「帝国中央軍港『レグナリア』。本国圏の通常軍艦隊、特殊輸送艦、監察局関連輸送便が集中しています。艦艇数は外縁防衛線とは比較になりません」
索敵担当が続ける。
「通常軍艦艇、多数。ドレッドノート級反応、複数。高速巡航母艦反応もあります。監察局系ビーコンも、軍港内部に混在」
「混在、か」
ジンが低く言った。
黒瀬は頷く。
「はい。レグナリアは通常軍の管轄ですが、一部区画に監察局権限が入り込んでいます。特に特殊輸送記録、PT系列関連保管ログ、命令層接続装置に関する区画は、通常軍の管理記録と監察局の照合権限が重なっています」
グリッドの通信が入る。
『軍港に監察局の手が混じってるってことか。嫌な組み合わせだな』
「その通りです」
黒瀬は淡々と答えた。
「通常軍は防衛する。監察局は分類する。ここでは、その二つが同じ空間にあります」
ユイは画面のレグナリアを見つめていた。
あの巨大な軍港のどこかに、自分達の記録がある。
輸送された記録。
保管された記録。
系列として扱われた記録。
ユイだけではない。
ミオ、レイ、セラ、レータ、イリス。
そして、アミィ。
そこにあるのは、思い出ではない。
帝国が残した管理記録だ。
それでも、見なければならなかった。
索敵画面に、新たな反応が表示された。
「前方通常軍艦隊、展開。ドレッドノート級一隻、識別照合」
索敵担当が声を上げる。
「外縁方面軍旗艦。『グラトン』です」
艦橋の空気が変わった。
レオンの艦。
外縁防衛線で立ちはだかった敵。
アミィ救出後も、監察局とは違う判断で動いていた通常軍指揮官。
その艦が、レグナリア外周にいた。
「レオン隊か」
カイトが呟く。
ジンは画面を見たまま言った。
「位置は」
「レグナリア外周防衛線。こちらの進路正面ではありません。やや側面に展開しています」
黒瀬が補足する。
「監察局指定の照合区域へ誘導する配置ではありません。通常軍防衛線として、外周航路を押さえています」
「つまり、監察局の網へ追い込む配置ではない」
「現状では、そのように見えます」
ジンは少しだけ目を細めた。
レオンは敵だ。
だが、監察局の手足ではない。
第一防衛圏で見せた違和感は、ここでも続いているらしい。
「油断はするな」
ジンは言った。
「通常軍として止めに来るなら、それはそれで厄介だ」
「了解」
帝国艦『グラトン』艦橋。
レオンは、レグナリアへ接近するルクス・ヴァルキュリアの反応を見ていた。
「対象艦、レグナリア外周へ接近中」
クラウスが報告する。
「監察局から再度、誘導支援要請。対象艦を照合区域へ誘導せよとのことです」
「断れ」
レオンは即答した。
「通常軍防衛線を維持する。監察局の指定区域へ追い込むための配置にはつかない」
「了解しました」
クラウスは淡々と応じる。
だが、少しだけ間を置いてから続けた。
「本国側は、ルクス・ヴァルキュリアを命令層切断危険体搭載艦として再分類しています。ノクス・レクイエムの限定起動も記録済みです」
「だろうな」
レオンは画面を見た。
ルクス・ヴァルキュリアは危険だ。
それは間違いない。
防衛線を突破し、ノクスを使い、アミィを守り、監察局の再同期を退けた。
帝国本国にとって、放置できる存在ではない。
だが、だからといって監察局の実験台にしていい理由にはならない。
「クラウス」
「はい」
「通常軍に通達。対象艦を敵性未登録艦として警戒。ただし、監察局からの直接指揮は受けるな。照合区域誘導命令が来ても、通常軍防衛任務を優先する」
「本国命令との衝突が予想されます」
「防衛任務は放棄していない」
レオンは静かに言った。
「監察局の処置に兵を差し出さないだけだ」
クラウスは一礼した。
「了解しました」
レオンは再び画面を見る。
「来るなら止める。だが、あいつらを番号に戻す手伝いはしない」
ルクス・ヴァルキュリア艦橋では、レグナリア攻略方針の検討が始まっていた。
「正面突破は不可能です」
黒瀬が最初に結論を出した。
「レグナリア外周には通常軍防衛線。内側には監察局権限区画。さらに、軍港内部の認証網は第一防衛圏より密度が低い代わりに、区画ごとの権限が複雑です」
ジンが問う。
「力で抜けるなら」
「通常軍と監察局の両方を敵に回します。さらに、PT関連記録が消去または移送される可能性が高い」
グリッドが通信越しに言う。
『つまり、派手に殴ったら、欲しい記録が逃げるってことか』
「はい」
黒瀬は頷いた。
「今回の目的は、軍港制圧ではありません。PT関連の輸送・保管記録への接触です」
中央画面に、レグナリアの構造図が表示される。
完全な地図ではない。
前回クロエとエルが拾った古い輸送記録と、現在の索敵情報を重ねた推定図だった。
クロエ・テスアの通信が解析室から入る。
『レグナリア内の輸送記録は、いくつかの端末群に分散しています。通常軍の軍需管理端末、監察局の特殊照合端末、それからカルディア・ベイへ送る前の中継保管端末です』
エルも続ける。
『PT系列コードが残っている可能性が高いのは、中継保管端末です。軍港外周から直接アクセスはできませんが、補給ドックに接続している古い保守回線があります』
黒瀬が画面を拡大する。
「ここです」
示されたのは、レグナリア外周の補給ドックの一角だった。
大型艦が停泊する主ドックではない。
古い保守用の接続端末。
現在は通常軍の補給ラインに組み込まれているが、過去には特殊輸送記録の中継に使われていたらしい。
「ここへ接触できれば、PT関連輸送記録の一部を抜き出せる可能性があります」
ジンは腕を組む。
「接近方法は」
「正面からは無理です。補給ドック周辺は通常軍の監視下にあります。ただし、監察局の照合区域ではありません。通常軍に見つかれば警告されるでしょうが、即座に再同期波を撃たれる可能性は低い」
「なら、監察局区画よりはマシか」
「はい」
カイルの通信が入る。
『外周から小型機を回せば、接触できる可能性はある。ただし、通常軍の哨戒と監察局ビーコンの両方を避ける必要がある』
リンが続ける。
『ナユの残響索敵は使えますが、長時間は無理です』
ミオが言う。
『支援網を広げすぎると、また認証網に触れます。今回は狭く、短く繋ぐ必要があります』
黒瀬はそれらを記録する。
「作戦目的は、記録端末への短時間接触。戦闘は回避。接触後、即時離脱」
ジンは頷いた。
「正面突破ではなく、記録を取る。今回はそれでいく」
格納区画では、次の作戦に向けた準備が始まった。
コウタは補給ドック接触用の小型端末を抱え、エルから説明を受けていた。
「この端末で保守回線に噛ませます。接続時間は長くても四十秒。できれば二十秒以内」
「二十秒で、PT関連記録を拾うんですか?」
「全部は無理です。入口だけ拾います。どの記録がカルディア・ベイへ送られたか、その索引が取れれば十分です」
コウタは端末を見下ろす。
「これ、現地で壊れたら?」
「壊れたら終わりです」
「ですよね」
タツヤが横から言った。
「だから壊すな。固定具は二重にしておけ」
「了解です」
グリッドは少し離れた場所で、ヴェルディアとリーフガードの状態を確認している。
「ユイ、今回はノクスを出すなよ」
近くにいたユイが頷く。
「分かっています。記録端末接触が目的なら、ノクスは目立ちすぎます」
「そういうことだ」
グリッドは工具を回しながら言う。
「必要なのは、切る力じゃなくて、静かに近づいて、繋いで、逃げる力だ」
ユイは少しだけ目を伏せた。
「静かに近づくのは、苦手ではありません」
カイトが苦笑する。
「潜伏してた時の経験?」
「はい」
「じゃあ、今回はそっちの経験を使おう」
ユイは小さく頷いた。
保護区画では、アミィがレグナリアの映像を見ていた。
巨大な軍港。
無数の艦艇。
輸送ゲート。
そして、記録の中に残るA系列の識別。
「わたしも、あそこを通ったんでしょうか」
アミィが小さく言った。
レータは隣に座っている。
「可能性はある」
「覚えていません」
「覚えていなくても、記録は残っているかもしれない」
アミィは画面を見つめた。
「記録に、わたしのことが書いてあるなら……怖いです」
「うん」
レータは否定しなかった。
「私も怖い」
アミィがレータを見る。
「レータさんも?」
「うん。L系列の記録があるなら、私も見ることになる」
レータは少しだけ目を伏せた。
「でも、見ないままでは進めない」
アミィはゆっくり頷いた。
「怖いです。でも、見たいです」
レータはその言葉を聞いて、静かに頷いた。
「なら、一緒に見る」
解析室では、クロエとエルがレグナリアの端末位置を絞り込んでいた。
「保守回線は三つあります」
クロエが言う。
「一つ目は通常軍補給管理。二つ目は艦艇部品管理。三つ目が、古い特殊輸送記録の中継に使われていた回線です」
エルが別の画面を重ねる。
「ただし、三つ目は現在も監察局の照合ログが混じっています。完全な旧式回線ではありません」
黒瀬が端末を見る。
「監察局に気づかれますか」
「接続すれば、いずれは気づかれます」
クロエは答えた。
「問題は、気づかれる前に索引を抜けるかです」
「何秒」
「理想は十五秒。最大で四十秒。それ以上は、監察局の照合端末がこちらを逆探知します」
黒瀬は記録する。
「接続時間、最大四十秒。十五秒以内に主要索引取得。逆探知兆候が出た場合、即時切断」
エルが少しだけ顔を上げた。
「それと、取得できるのは記録そのものではなく、記録の場所です。中身を見るには、カルディア・ベイか研究中枢側の端末が必要になると思います」
「十分です」
黒瀬は頷いた。
「今は入口を探す段階です」
艦橋に、作戦案がまとめられた。
ジンは中央画面を見ている。
「作戦目的。レグナリア外周補給ドックの保守端末へ接触。PT関連輸送・保管記録の索引を取得。戦闘は回避。正面突破は禁止」
黒瀬が続ける。
「出撃候補は小型・低反応機を中心にします。ユイ、ミオ、イリスは支援。カイトは護衛。ナユは短時間の残響索敵。リンは外周警戒。セラは待機。ノクス・レクイエム、ヴァルクレイド・セレス、ホライゾン・サイトは使用しません」
カイトが確認する。
「かなり抑えた編成ですね」
「目立たないことが目的です」
黒瀬は答えた。
「今回は、戦うほど不利になります」
ジンが頷く。
「記録を取る。戦場を広げない。それが最優先だ」
その時、索敵担当が報告した。
「レオン隊、進路を変更。こちらの正面ではなく、通常軍防衛線側へ移動しています」
ジンは画面を見る。
『グラトン』は、こちらを追い込む位置にはいない。
だが、見逃しているわけでもない。
防衛線として、レグナリア外周にいる。
「レオンは監察局の網には乗らないか」
黒瀬が言う。
「現時点では、そのように見えます」
ジンは短く息を吐いた。
「敵であることに変わりはない。だが、監察局とは違う」
「はい」
黒瀬は端末を閉じる。
「だからこそ、読み間違えないようにする必要があります」
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、ルクス・ヴァルキュリアの動きを見ていた。
「対象艦、レグナリア外周で正面突破を選択せず」
局員が報告する。
「推定目的、PT関連輸送記録への接触」
「当然だ」
オルフェンは淡々と言った。
「第一防衛圏で輸送記録の断片を拾わせた。彼らは次を探す」
局員はわずかに沈黙した。
「拾わせた、ですか」
「完全な記録ではない。だが、進路を選ばせるには十分だ」
オルフェンの画面には、レグナリアの特殊輸送記録群が表示されている。
Y、M、R、S、L、I、A。
系列コード。
搬入先。
保管先。
再分類履歴。
「保守端末への接触を許可しますか」
「許可はしない。止めもしない」
オルフェンは答えた。
「索引までは取らせる。中身は次で見せる」
「カルディア・ベイですか」
「または研究中枢照合網だ」
オルフェンは静かに言った。
「記録は武器になる。彼らが自分達の記録を探すなら、その記録で揺らがせればよい」
レグナリアは、静かにルクス・ヴァルキュリアを見下ろしていた。
巨大な軍港。
通常軍の艦艇が並び、監察局の照合権限が内側に染み込んだ場所。
そこには、かつてPT系列が物資のように運ばれ、保管され、別の施設へ送られた記録が残っている。
ルクス側は、正面から突破しない。
軍港を制圧しない。
砲撃で道を開けない。
狙うのは、一つの古い保守端末。
そこに残る、彼女たちの過去へ続く索引だった。
ルクス・ヴァルキュリアは、レグナリア外周で速度を落とす。
戦うためではなく、記録へ手を伸ばすために。
帝国中央軍港『レグナリア』。
その巨大な影の下で、第二段階の最初の作戦が始まろうとしていた。




