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第295話 監察官の戦場

 モルスの砲撃は止まっていなかった。

 一時的に沈黙しただけだ。

 第一防衛圏の奥で、GD-NM-04 モルスは射撃位置を変え、次の座標固定を準備している。

 タナトスも消えたわけではない。

 監察局の観測ビーコンも、誘導端末も、認証網の中にまだ残っている。

 ルクス・ヴァルキュリアは進んでいる。

 だが、進むほど、判断すべきことが増えていった。

 ノクス・レクイエムを使うのか。

 使うなら、どの線を切るのか。

 ヴァルクレイド・セレスの防壁をどこへ動かすのか。

 ミオの支援網をどこまで広げるのか。

 ロス・セレネの残響索敵を続けるのか。

 《ホライゾン・サイト》を再使用するのか。

 GF系列を支援防護に出すのか。

 そして、それらすべてに、誰が許可を出すのか。

 戦闘は、機体同士の撃ち合いだけではなくなっていた。

 判断そのものが、戦場になっていた。


 艦橋に、複数の警告が重なった。

「監察局ビーコン、再配置!」

「モルス砲撃座標固定反応、複数発生。ただし、偽反応を含む可能性があります」

「タナトス反応、右舷外周に再出現。隔離場はまだ展開していませんが、支援経路に近づいています」

「第一防衛圏認証網から、再照合要求。対象艦の危険度分類が更新されています」

 報告が一斉に流れる。

 ジンは艦長席で、それを聞きながら前方画面を見ていた。

 通常なら、優先順位を決める。

 敵の砲撃を避ける。

 接近する機体を止める。

 支援網を維持する。

 だが、今回の監察局は、それらを同時に重ねてきた。

「黒瀬」

「はい」

 黒瀬はすでに端末を開いていた。

「状況整理。現在、同時に三つの判断が必要です」

 彼の声は落ち着いていた。

 艦橋の警告音とは対照的に、淡々としている。

「一つ目。モルスの砲撃予兆に対し、ロス・セレネの残響索敵と《ホライゾン・サイト》を再使用するか」

 画面に、ナユとセラの反応が表示される。

「二つ目。タナトスの隔離場再展開に備え、ノクス・レクイエムの限定起動準備を行うか」

 ノクス封印区画の表示が出る。

「三つ目。GF-03 ヴェルディア、GF-07 リーフガードを支援防護に出すか。リーフガードは正式登録済みですが、実戦使用はまだ限定的です」

 グリッドの通信が即座に入った。

『待て待て待て。リーフガードまで出すのか? ヴェルディアは使ったが、リーフガードはまだ調整途中だぞ』

「だから判断が必要です」

 黒瀬は冷静に答えた。

『言い方が冷静すぎる!』

 ジンは短く言った。

「続けろ」

 黒瀬は頷く。

「監察局は、こちらの判断を分散させに来ています。砲撃、隔離、認証干渉を同時に出し、こちらが何を優先するかを観測するつもりです」

「つまり、今この会議そのものも見られている可能性がある」

「はい」

 黒瀬は否定しなかった。

「だからこそ、判断基準を明確にします」


 外周索敵位置では、ナユがロス・セレネの中で息を整えていた。

 前回の《セレネ・リップル》使用で、頭痛はまだ残っている。

 それでも、モルスの砲撃を拾えるのは彼女しかいない。

『ナユ、無理はするな』

 カイルの声が入る。

「はい。でも、見ないと撃たれます」

『見ろとは言ってる。ただし、広げすぎるな。拾う範囲を決めろ』

 リンのヴァイス・リッパー・リビルドは、ナユの前方で護衛位置を取っていた。

『ビーコンが増えている。前より嫌な配置だ』

 リンが言う。

『ナユを狙うというより、ナユに見せるものを増やしている』

「偽物ですか」

『たぶんね』

 ナユは頷いた。

 監察局はすぐに学習する。

 前回、ナユが砲撃前の座標固定残響を拾った。

 なら、次は偽の残響を混ぜてくる。

 見えればいいわけではない。

 何を見るかを選ばなければならない。


 機動甲板では、セラがフェンリオン・リサイトの調整を受けていた。

 《ホライゾン・サイト》は再接続中。

 急造の長距離狙撃支援ユニットは、一射ごとに調整が必要で、連続運用には向いていない。

 それでも、モルスの誘導節点を撃てる唯一の手段だった。

「グリッドさん、再使用できますか」

『できるかできないかで言えば、できる』

 グリッドの声は渋かった。

『ただし、二射目以降は精度が落ちる。エデン系流路もフォージ系制御も、元々こんな使い方を想定してない。無理に使えば、フェンリオン側の照準補助AIにも負荷がかかる』

「それでも、必要なら撃ちます」

『だから、その必要かどうかを決めるのが先だ』

 グリッドの声に、黒瀬の通信が重なる。

『《ホライゾン・サイト》再使用には、使用目的、対象、射撃回数、終了条件を明確にします』

「終了条件?」

 セラが聞き返す。

『誘導節点の破壊に成功、または砲撃座標の逸脱を確認した時点で使用終了。モルス本体狙撃への転用は禁止』

 セラは少しだけ息を呑んだ。

 確かに、狙えるなら本体を撃ちたくなる。

 だが、届かないものを無理に狙えば、射線を読まれる。

 急造ユニットを壊すだけでは済まない。

「了解しました。撃つのは誘導節点だけです」

『記録します』


 ノクス・レクイエム封印区画。

 ユイは、封印管理端末の前で待機していた。

 前回の限定切断の負荷は、まだ完全には抜けていない。

 それでも、タナトスが再び隔離場を展開すれば、ノクスが必要になる可能性は高い。

 だが、ユイは端末に手を伸ばさなかった。

「起動準備、待機します」

 彼女は通信へ言った。

「自己判断での起動はしません」

 黒瀬の声が返る。

『確認しました。ノクス・レクイエム限定起動は、前回条件に準拠。対象はタナトス隔離場または再同期波の重複部。認証網本体への切断は禁止。使用には二名以上の承認が必要です』

「はい」

 ユイは静かに頷いた。

 以前の自分なら、どうしていただろう。

 アミィが危ない。

 レータが分断される。

 支援線が切られる。

 そう判断した瞬間に、ノクスを起動しようとしたかもしれない。

 だが、今は違う。

 使える力ほど、艦全体で管理する。

 危険な力ほど、使うための条件を決める。

 それは、自分を縛るためだけの規定ではない。

 自分が一人で抱え込まないための線でもあった。

 カイトから通信が入る。

『ユイ、大丈夫?』

「はい。待機しています」

『うん。必要なら一緒に出る。でも、今は勝手に背負わなくていい』

「分かっています」

 ユイは小さく息を吐いた。

「承認を待ちます」

 その言葉は、命令に従うだけの返事ではなかった。

 自分で選んで、待つという判断だった。


 艦橋では、黒瀬が各系統の使用条件を整理していた。

「まず、モルス対策」

 画面に、ナユ、リン、セラ、ミオ、イリスの連携図が表示される。

「ロス・セレネの残響索敵は、砲撃予兆検知に限定。広域索敵への拡大は禁止。ナユの負荷が上限に達した場合、即時中断」

 カイルの通信が入る。

『そこは俺が見る。ナユが無理しそうなら止める』

「お願いします」

 黒瀬は続ける。

「リン機はナユ機護衛と近距離誘導端末排除に限定。深追いは禁止。監察局ビーコンを追って索敵位置を離れないこと」

『了解』

 リンが答える。

「セラ機は《ホライゾン・サイト》で誘導節点を狙撃。ただし一射ごとに承認。モルス本体への転用は禁止」

「了解しました」

 セラが応じる。

「ミオ、イリスは座標伝達と位相補正。支援網は狭域運用。認証網への広域接触は禁止」

『了解です』

『了解しました』

 ミオとイリスの声が重なる。

 黒瀬は次に、ノクス関連の画面を開いた。

「タナトス対策。ノクス・レクイエム限定起動は、現時点では準備待機のみ。隔離場と再同期波が重複し、ヴァルクレイド・セレス防壁だけでは保持困難と判断された場合に限り、使用承認を検討します」

 ジンが頷く。

「最終判断は俺がする」

「はい。なお、ユイ本人の負荷が前回値を超える場合、起動承認は出しません」

 ユイの通信が静かに入る。

『了解しました』

 グリッドがぼやく。

『こういう時、黒瀬がいると面倒だが助かるな』

「褒め言葉として受け取ります」

『半分は文句だ』

「半分は受け取りません」

 艦橋にわずかな笑いが漏れた。

 だが、それはすぐに警告音にかき消される。

「モルス砲撃座標固定反応、複数!」

 索敵担当が叫ぶ。

「偽反応を含みます。通常センサーでは判別不能!」

 ジンは即座に命じた。

「ナユへ回せ」


 ロス・セレネの周囲に、セレネ・リップルが広がった。

 ナユの視界に、いくつもの沈み込みが浮かぶ。

 浅いもの。

 深いもの。

 急に消えるもの。

 わざとらしく強いもの。

 偽の残響が混じっている。

「……多い」

 ナユの声が震える。

 頭痛が強くなる。

 過去の記憶の欠片のようなノイズが、沈み込みの中に混ざる。

 けれど、リンの声がすぐに届いた。

『ナユ、全部見るな』

「全部見ない……」

『深いものだけじゃない。前回と違う沈み方を探せ』

 カイルも続ける。

『モルスはこっちの防御座標を読みに来てる。偽反応は、見せたい場所に作るはずだ。本命は、見せたくない場所に沈む』

 ナユは息を整えた。

「見せたくない場所……」

 波紋を絞る。

 広く見るのではなく、沈み込みの質を見る。

 偽の残響は強い。

 だが、浅い。

 本命は弱い。

 けれど、空間の奥まで沈んでいる。

「ありました」

 ナユが言う。

「防壁補助座標ではありません。ノクス補助線でもありません。支援網と航路補正点の中間……そこを撃つと、艦が避ける時に支援網が遅れます」

 艦橋に緊張が走る。

 黒瀬が即座に整理する。

「狙いは、回避運動と支援網の同期ずれです。艦を動かせば支援が遅れる。支援を優先すれば砲撃が当たる。そういう二択を迫っています」

 ジンは迷わなかった。

「支援網を分割。艦の回避運動を優先する。ミオ、支援を二層に分けろ」

『了解です。外層を捨てて、内層を維持します』

「黒瀬、《ホライゾン・サイト》は」

「使用条件を満たします。対象は誘導節点。射撃回数一。承認は艦長と監査担当で成立」

「承認する」

「監査担当として承認します」

 黒瀬は端末を操作した。

「セラ、撃ってください」


 セラの照準画面に、ナユの拾った本命残響が送られる。

 ミオが情報を絞る。

 イリスが位相誤差を補正する。

 《ホライゾン・サイト》が射線を伸ばす。

 だが、今回は前回より難しい。

 偽の節点が複数あり、本命の座標は弱い。

 間違えれば、砲撃は逸れない。

「焦るな」

 グリッドの声が入る。

『一射だけだ。外したら再調整に時間がかかる』

「分かっています」

 セラは呼吸を整える。

 フェンリオン・リサイトの照準補助AIが、本命節点を強調する。

 だが、周囲の偽反応がノイズのように揺れている。

 その時、リンの通信が入った。

『セラ、ナユの波が乱される。十秒以内』

「十秒で十分です」

 セラは静かに答えた。

 リンはナユへ迫る誘導端末を切り払う。

 ナユは残響を保つ。

 ミオは支援網を二層に分ける。

 イリスは最後の誤差を合わせる。

 セラは、一本の細い線を見た。

「撃ちます」

 フェンリオン・リサイトが射撃する。

 細い光が、認証網に紛れた誘導節点を貫いた。

 直後、モルスの砲撃が放たれる。

 だが、誘導節点を失った砲撃は、支援網と航路補正点の中間を外れ、ルクス・ヴァルキュリアの右舷遠方を抉った。

「直撃回避!」

「支援網内層、維持!」

「外層は一時消失。再構築可能!」

 報告が続く。

 ジンは短く頷いた。

「よし」

 黒瀬はすぐに次の判断へ移る。

「外層支援網の再構築には、エデン由来流路ユニットの追加使用が必要です」

 グリッドが反応した。

『追加って言うな。予備は少ないぞ』

「使用目的は支援網外層の再構築。期間は短時間。命令層干渉には使用しません」

『……条件は通ってるな』

「艦長」

 黒瀬がジンを見る。

 ジンは頷く。

「承認する。グリッド、やれ」

『了解。こういう時だけ手続きが早いな!』

「早くするために手続きを作っています」

 黒瀬は淡々と返した。


 その直後、タナトスが動いた。

「タナトス隔離場、展開開始!」

 索敵担当が叫ぶ。

「対象は、支援網再構築中の外層と、保護区画防壁線!」

 ジンの目が鋭くなる。

「ノクスは」

 黒瀬が即座に条件を確認する。

「隔離場と再同期波の重複はまだありません。現時点ではノクス使用条件を満たしません」

 カイトの通信が入る。

『俺が前に出ます。隔離場の展開を遅らせます』

「許可する。ただし深追いするな」

『了解!』

 カイトのアルタイル・ノヴァ・ブレイスが前に出る。

 タナトスの隔離場が、再構築中の支援網を分けようと伸びてくる。

 ユイはノクス封印区画で、その反応を見ていた。

「ノクスを使えば……」

 言いかけて、止まる。

 まだ条件を満たしていない。

 隔離場は出ている。

 だが、再同期波は重なっていない。

 今切れば、必要以上の切断になる。

 黒瀬の声が通信に入る。

『ユイ、待機を継続』

「了解しました」

 ユイは即答した。

 その返事に、迷いはあった。

 だが、勝手に動くことはなかった。

「カイトさん、無理をしないでください」

『うん。時間を稼ぐだけだ』

 アルタイルがブレイスユニットを展開し、隔離場の展開軸を押し返す。

 レイが側面からタナトスを牽制する。

 ミオの支援網外層が再構築されるまでの、わずかな時間を稼ぐ。

 黒瀬は端末を見続けていた。

「再同期波、未確認。ノクス使用条件、未成立。GF支援防護は……」

 次の警告が鳴る。

「監察局ビーコン、左舷下方から支援網外層へ接近!」

 グリッドが叫ぶ。

『リーフガードを出すなら今だ! ただし調整途中だぞ!』

 黒瀬は即座に確認する。

「GF-07 リーフガード。正式登録済み。実戦使用は限定。用途は支援網外層防護とビーコン遮断。戦闘機動は禁止」

 ジンは判断した。

「出せ。操縦は自動支援でいいのか」

『半自動だ。ミオの支援網に連動させる。ただし、細かい判断はできない』

「用途を限定する。黒瀬」

「承認条件を記録。GF-07 リーフガード、支援網外層防護に限定して投入。攻撃行動は禁止。ビーコン接触時の遮断のみ許可」

「承認する」

 黒瀬も頷く。

「監査担当として承認します」

 グリッドが通信でぼやいた。

『くそ、手続きがあると文句を言う暇が減る』

「文句を言いながら作業してください」

『もうやってる!』


 機動甲板から、GF-07 リーフガードが射出された。

 ヴェルデ由来のGF系列。

 その中でもリーフガードは、前線戦闘ではなく、局地防護と支援線保護を目的とした機体だった。

 装甲は厚くない。

 武装も強くない。

 だが、支援網の外縁に沿うように展開し、葉脈のような防護フィールドを張ることができる。

 ミオの支援網外層に、リーフガードの防護層が重なる。

『外層、再構築します』

 ミオが報告する。

『リーフガード、防護層展開。ビーコン接触を遮断』

 監察局ビーコンが、防護層に触れて弾かれる。

 リンがナユ周辺を守り、リーフガードが支援網外層を守る。

 役割が分かれたことで、ナユへの負荷も少し下がった。

 だが、タナトスはまだ動いている。

 カイトが前線で叫ぶ。

『隔離場、まだ来る!』

 黒瀬が確認する。

「再同期波、発生兆候」

 艦橋が凍りつく。

「対象は」

「保護区画。アミィです」

 ユイの通信が入る。

『ノクス使用条件は』

 黒瀬は一瞬で判断した。

「隔離場と再同期波が重複。ヴァルクレイド・セレス防壁負荷、上昇。条件成立」

 ジンが言う。

「ノクス限定起動を承認する」

 黒瀬も続ける。

「監査担当として承認。対象は隔離場と再同期波の重複部。認証網本体への切断は禁止」

『了解しました』

 ユイの声が静かに返る。

『ノクス・レクイエム、限定起動します』


 ノクス・レクイエムが、短く起動した。

 今回は、前回よりさらに短い。

 ミオ、イリス、セラの補助線は、すでにモルス対策で一部使われている。

 支援網も完全ではない。

 それでも、黒瀬が整理した条件があった。

 切る対象。

 使う時間。

 止める条件。

 守る役割。

 それがあるから、ユイは刃を広げずに済んだ。

「切るのは、ここだけ」

 ユイは呟いた。

 隔離場と再同期波が重なった細い一点。

 そこへ、ノクスの切断光が走る。

 赤と灰の線が切れる。

 ヴァルクレイド・セレスの防壁がすぐにその空白を埋める。

 レータがアミィの反応を抱え直す。

『アミィ、聞こえる?』

『聞こえます』

 アミィの声が返る。

『戻りません』

 その一言で、保護区画の反応が安定した。

「切断成功。再同期波、遮断。隔離場、一部崩壊」

 黒瀬が報告する。

「ノクス出力、すぐに落とせ」

 ジンが命じる。

『了解』

 ユイは即座にノクスの出力を落とした。

 勝手に広げない。

 必要な線だけを切る。

 そして、切った後を守る仲間に渡す。

 その流れが、今回は前より早く、確実だった。


 数分後、監察局の干渉は一時的に薄れた。

 モルスの砲撃は逸らされた。

 タナトスの隔離場は崩された。

 再同期波も遮断された。

 GF-07 リーフガードは支援網外層を守り、ナユの残響索敵は継続可能な範囲に抑えられた。

 完全勝利ではない。

 モルスもタナトスも健在だ。

 監察局はまたデータを得た。

 それでも、ルクス側は崩れなかった。

 艦橋に、ようやく一瞬の静けさが戻る。

 グリッドが通信で大きく息を吐いた。

『ああ、面倒くせえ。砲撃を避けて、狙撃を承認して、GF出して、ノクス使って、支援網直して……一回の戦闘でやることじゃねえぞ』

「同感です」

 黒瀬は淡々と答えた。

『お前、よく全部裁いたな』

「裁いたのではありません。条件を整理しただけです」

 ジンが静かに言った。

「それが必要だった」

 黒瀬は少しだけ目を伏せた。

「監査官の仕事は、危険を止めることだけではありません。使ってはいけないものを止める。使うべきものは、使える条件を整える。その線引きを記録することです」

 艦橋の誰も、すぐには口を挟まなかった。

 この戦場では、力があるだけでは足りない。

 使う判断が必要だった。

 使わない判断も必要だった。

 そして、その判断を一人に背負わせないための線が必要だった。

 先日作られた倉庫管理規定。

 その時は、ユイの保管癖を抑えるためのものに見えた。

 だが今、それは本国戦で危険な力を扱うための基準になっていた。

「黒瀬」

 ジンが言う。

「引き続き、使用条件の整理を任せる」

「了解しました」

 黒瀬は端末を閉じずに答えた。

「次からは、さらに判断が重なります。今回の記録を元に、承認手順を短縮します。ただし、省略はしません」

 グリッドが苦笑する。

『いいねえ。面倒だが、今はその面倒で助かってる』

「褒め言葉として受け取ります」

『だから半分は文句だっての』

 短いやり取りに、艦橋の空気がわずかに緩む。

 だが、黒瀬はすぐに前方画面へ視線を戻した。

「監察局は、こちらの判断手順も観測しています。次は、承認が間に合わない状況を作ってくる可能性があります」

 ジンは頷いた。

「だろうな」

「ですが、今回で分かりました」

 黒瀬は静かに言う。

「手順は遅さではありません。迷いを減らすための道です」

 ジンは短く笑った。

「監察官らしい言い方だ」

「監察局とは違います」

 黒瀬の声は淡々としていた。

 だが、その一言には、はっきりとした意思があった。

 帝国の監察局は、対象を分類し、回収し、再同期させる。

 ルクスの監査官は、危険な力を人の手で扱えるよう、線を引く。

 同じように記録し、同じように判断する立場でも、その意味はまるで違う。

 黒瀬は端末に、新しい項目を追加した。

 危険兵装・未知技術運用時。

 目的、対象、範囲、終了条件を必ず明示。

 使用者単独判断を禁止。

 ただし、承認手順は戦闘状況に応じて短縮可能。

 最終判断は艦長。

 監査担当は、停止だけでなく、使用条件の整理を担う。

 それは、小さな追記だった。

 だが、第一防衛圏の中で、ルクス・ヴァルキュリアが自分たちの力を使い続けるための、新しい線だった。


 監察局管制区画。

 オルフェン・グラードは、今回の戦闘記録を見ていた。

「対象艦、複数干渉下で崩壊せず」

 局員が報告する。

「モルス砲撃、誘導節点を破壊され逸脱。タナトス隔離場、ノクス限定切断により一部崩壊。再同期波、遮断。GF-07による支援網外層防護を確認」

「ノクス使用条件は」

「前回より短時間。対象Yは承認後に限定起動。単独判断ではありません」

「承認後か」

 オルフェンは画面を見つめる。

「対象艦内部に、使用判断の中枢がある」

「艦長ではありませんか」

「艦長だけではない」

 画面に、黒瀬の管理記録に相当する反応が表示される。

 通信量。

 承認順序。

 出撃判断。

 使用範囲の制限。

 停止条件の記録。

「監査担当と思われる個体が、危険兵装と未知技術の使用条件を整理している」

「妨害対象に追加しますか」

「追加しろ」

 オルフェンは淡々と言った。

「対象艦は、力そのものではなく、力を使う判断で崩れにくくなっている。ならば、次は判断を遅らせる」

「承認系統への干渉ですか」

「直接はまだ早い」

 オルフェンは答えた。

「まず、同時選択肢を増やす。守る対象、切る対象、撃つ対象、捨てる対象を重ねる。どれを優先するかを見る」

 局員が記録する。

 オルフェンは、画面に並ぶ対象群を見た。

 対象Y。

 対象A。

 対象L。

 対象M。

 対象Y型個体。

 対象S。

 対象R型個体。

 GF-07。

 仮設長距離狙撃支援ユニット。

 そして、監査担当。

 守る線が増えた。

 使う力も増えた。

 判断する者も増えた。

 それは、ルクス側にとって強みだった。

 だが、監察局にとっては、次に揺さぶるべき箇所が増えたということでもあった。

「次の境界で、突破口を作らせろ」

 オルフェンは言った。

「ただし、代償を選ばせる」

 第一防衛圏の奥で、認証網がまた形を変える。

 ルクス・ヴァルキュリアは、危険な力を管理するための線を手に入れた。

 だが、その線の上に、監察局は次の選択を重ねようとしていた。

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