第288話 再同期波
第一防衛圏の空域に、監察局の観測線が張り巡らされていく。
それは、包囲というより処置の準備だった。
砲撃のための照準ではない。
艦を沈めるための火線でもない。
対象を測り、分け、必要なものだけを取り出すための線。
ルクス・ヴァルキュリアは、その中心を進んでいた。
「外部観測線、さらに増加」
艦橋で、索敵担当が報告する。
「前方の拘束線が濃くなっています。通常兵装反応は低いままです。ただし、命令層反応が局所的に集束しています」
ジンの表情が険しくなる。
「局所的?」
「はい。艦全体ではありません。保護区画方向に向かっています」
黒瀬が即座に端末を確認した。
「アミィか」
その言葉が、艦橋の空気を変えた。
次の瞬間、保護区画から警告が入る。
『アミィの命令層反応、急上昇! 外部からの再同期波です!』
カナデの声には、抑えきれない緊張があった。
「全艦、対干渉警戒」
ジンが命じる。
「ヴァルクレイド・セレスの防壁を優先。ミオ、支援網を保護区画へ集中。黒瀬、外部干渉の経路を特定しろ」
「了解」
艦橋の画面に、赤い線が表示される。
第一防衛圏の認証網の中から、さらに細く、強い波が伸びていた。
それは航路を曲げるものではない。
艦を分類するものでもない。
ひとつの反応だけを呼び戻すための波。
対象A。
A系列。
アミィ。
保護区画では、アミィが胸元を押さえていた。
「……来る」
彼女の声は小さかった。
だが、震えていた。
レータはすぐにアミィの前へ出る。
「アミィ、こっちを見て」
「レータ、さん……」
「大丈夫。返事をしなくていい」
そう言った直後、室内の警告音が強くなった。
命令層反応が、壁をすり抜けるように押し寄せる。
通常の通信ではない。
音声でもない。
だが、アミィにはそれが言葉のように聞こえていた。
『対象A。再同期手順開始』
『基本応答確認』
『所属照合』
『命令層復帰』
アミィの瞳が揺れる。
「……対象、A……」
「違う」
レータが即座に言った。
「あなたはアミィ」
「……基本、応答……」
「返事をしなくていい」
「返事……しない……」
アミィはそう言おうとした。
だが、声が途切れた。
唇が動く。
言葉が出ない。
外から押し込まれる命令層反応が、彼女の返事の形を奪おうとしていた。
「……戻……」
アミィの喉が震えた。
「戻、ら……」
言葉が詰まる。
戻りたくない。
そう言いたいはずだった。
だが、その言葉の途中に、別の応答が割り込む。
「……はい」
レータの目が鋭くなった。
「アミィ!」
その瞬間、ヴァルクレイド・セレスが起動した。
格納区画に置かれた機体の内部で、重装フレームが低く唸る。
セレスティア由来の支援波制御が、レータの反応と同期する。
命令を通すために作られた古い回路が、今度は命令を止めるために組み替えられていく。
保護区画を包むように、淡い防壁が展開された。
だが、再同期波は昨日までの認証波とは違った。
ただ触れてくるのではない。
押し込んでくる。
防壁の外側で波が砕け、さらに形を変え、隙間を探す。
「防壁出力、上昇!」
エルマが叫ぶ。
「外部再同期波、防壁を圧迫しています。昨日の認証波より強い!」
レータは歯を食いしばった。
「通さない」
ヴァルクレイド・セレスの反応がさらに強まる。
だが、その分、レータの身体にも負荷が返ってきた。
肩が震える。
呼吸が浅くなる。
それでも、彼女はアミィの前から動かなかった。
「アミィ。私の声を聞いて」
「……レータ、さん」
「返事は、自分で決める」
レータは、ゆっくり言葉を置く。
「向こうが呼んでも、返事をしなくていい。戻れと言われても、戻らなくていい」
アミィの目から、涙が滲んだ。
「戻……り……たく……」
言葉がまた詰まる。
その詰まりに、再同期波が入り込もうとする。
『応答未完了』
『基本応答再取得』
『対象A、復帰』
「違う!」
レータの声が保護区画に響いた。
「この子は、もう対象Aじゃない!」
防壁の光が一瞬、大きく揺れた。
機動甲板では、カイト達が保護区画の反応を見ていた。
「アミィが危ない」
カイトはアルタイル・ノヴァ・ブレイスの前で拳を握る。
「出るべきですか」
ユイが聞いた。
その視線は、ノクス・レクイエムの封印区画へ向いている。
ノクスなら切れるかもしれない。
再同期波を、命令層ごと断ち切れるかもしれない。
だが、ここは第一防衛圏の内側だ。
ノクスを使えば、認証網全体が反応する。
グリッドの通信が飛ぶ。
『ノクスを出せば、切れる可能性は高い。だが負荷も大きい。ユイ本人への負担もそうだが、第一防衛圏側がノクスの切断範囲を記録する』
黒瀬も続ける。
『現時点でノクス使用は推奨しない。再同期波の経路は細い。ヴァルクレイド・セレスとミオの支援網で防げる可能性がある』
「可能性がある、ですか」
ユイの声が少し揺れた。
カイトはユイを見る。
「ユイ。焦ってノクスを出すのは、たぶん向こうの狙いだ」
「……はい」
「アミィを助けたいのは分かる。でも、今ノクスを使えば、オルフェンはそれを見る。次はもっと切りにくい形で来るかもしれない」
ユイは拳を握る。
「分かっています」
分かっている。
だからこそ、苦しかった。
切れる力がある。
目の前で誰かが苦しんでいる。
それでも、切ればいいとは限らない。
ユイは深く息を吸った。
「ノクスは出しません。今は、レータとアミィを支えます」
カイトは頷く。
「俺も行く。前に出るんじゃなくて、支援線を守る」
ミオから通信が入る。
『保護区画への支援網を集中します。ただし、広げすぎると認証網に読まれます。カイトさん、外部観測ビーコンが支援経路に触れようとしています』
「分かった。アルタイルで出る」
ジンの許可が下りる。
『カイト、限定出撃を許可する。目的は敵撃破ではない。支援経路の保護だ』
「了解!」
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが発進準備に入る。
ユイはノクスではなく、GF-03 ヴェルディアの待機区画へ向かった。
「ユイ?」
カイトが振り返る。
「ノクスは出しません。でも、ヴェルディアなら支援防護に回せます」
グリッドがすぐに応じた。
『ヴェルディア出撃、承認済み機体だ。無断じゃないな』
「はい」
『よし。GF-03、限定出撃を許可する。防護と観測線遮断に用途を限定。余計なことはするな』
「了解しました」
黒瀬が短く付け加える。
『記録は全て残す』
「はい」
ユイはヴェルディアに乗り込んだ。
ノクスで切るのではない。
今は、切らずに守るために出る。
ルクス・ヴァルキュリアの機動甲板から、アルタイル・ノヴァ・ブレイスとGF-03 ヴェルディアが発進した。
外には、監察局の観測ビーコンが散開している。
それらは小型で、動きも速くない。
だが、支援網の外縁に触れるように配置されていた。
「これ、敵機というより端末だな」
カイトが言う。
『はい。破壊しても主目的は止まりません。ただ、支援経路への接触を減らせます』
ミオの声が通信に響く。
『カイトさんは左側の観測線を。ユイさんは右側の反応をお願いします』
「了解!」
「了解しました」
アルタイルが前に出る。
ブレイスの支援装甲が展開し、監察局ビーコンから伸びる照合線を遮る。
ヴェルディアはその反対側に回り込み、植物の蔓のような防護フィールドを広げた。
ヴェルデ由来のGF系列。
その中でもヴェルディアは、前線での直接攻撃よりも、空間制御と防護に向いている。
ユイはその特性を活かし、支援経路の周囲に薄い防護層を作る。
「支援網外縁、安定します」
ミオが報告する。
「でも、再同期波そのものはまだ来ています。レータさん、防壁を維持してください!」
保護区画では、防壁が限界近くまで揺れていた。
レータの額に汗が浮かぶ。
アミィはその前で、必死に言葉を探していた。
「戻……」
再同期波が押し込む。
『復帰』
『応答』
『対象A』
『戻れ』
「違う……」
アミィの声は震えていた。
「戻り……たく……」
また、言葉が詰まる。
レータはアミィの手を握る。
「急がなくていい」
「でも……言わないと……」
「言えなくても、私が聞いてる」
アミィが目を見開く。
レータは苦しそうに呼吸しながら、それでも微笑もうとした。
「言葉にならなくても、分かる」
「レータ、さん……」
「戻りたくないんだよね」
アミィの瞳から涙がこぼれた。
彼女は小さく、小さく頷いた。
その瞬間、ヴァルクレイド・セレスの防壁が形を変えた。
押し返す防壁ではない。
アミィの周囲に、ひとつの場所を作るような光。
外から来る命令を弾くのではなく、アミィの内側にある弱い返事を守るための層。
ミオの支援網が、その外側を支える。
カナデとエルマが反応を調整する。
カイトとユイが外部観測線を遮る。
全員が、切るのではなく、守るために動いていた。
「アミィ」
レータは言った。
「今は、言葉にできなくてもいい。でも、返事は向こうに渡さない」
アミィは、震えながら口を開いた。
「……もど……ら……」
今度は、途中で止まらなかった。
「戻りたく……ない……」
防壁の光が強くなる。
再同期波が、一瞬だけ弾かれた。
エルマが叫ぶ。
「対象A、自己応答回復! 再同期波、接続失敗!」
カナデも続ける。
「アミィちゃんの反応、戻っています!」
レータは大きく息を吐いた。
膝が崩れかける。
だが、アミィがその手を握り返した。
「レータさん……」
「うん」
「戻りたく、ないです」
「うん」
レータは、もう一度頷いた。
「聞こえた」
外部空域では、監察局ビーコンの一部が機能を停止していた。
アルタイルが照合線を遮断し、ヴェルディアが支援網の外縁を保護したことで、再同期波の補助経路が崩れたのだ。
「再同期波、減衰!」
ミオの声が明るくなる。
「保護区画への直接接続、切れました。ノクスなしで防げました!」
カイトは息を吐いた。
「よし……!」
ユイもヴェルディアの中で目を閉じる。
「アミィ……」
切らなかった。
それでも守れた。
その事実は、ユイにとって小さくない意味を持っていた。
ノクス・レクイエムは必要な力だ。
命令層を断ち切るために、いつか使わなければならない。
だが、すべてを切ることでしか救えないわけではない。
守る力がある。
支える力がある。
返事を取り戻すまで待つ力がある。
ヴァルクレイド・セレスは、そのための機体だった。
艦橋では、状況確認が続いていた。
「再同期波、停止。監察局ビーコンの一部後退」
黒瀬が報告する。
「アミィの自己応答は保持。レータに負荷あり。医療班を向かわせます」
「すぐに対応しろ」
ジンが命じる。
「カイトとユイは帰投。追撃は禁止。観測ビーコンを深追いするな」
『了解』
カイトとユイの声が重なる。
ジンは前方画面を見た。
第一防衛圏は静かだった。
だが、いま確かに攻撃はあった。
砲撃ではなく、再同期という形で。
「黒瀬」
「はい」
「今のは、監察局による明確な干渉と記録していいな」
「はい。認証網の通常処理ではありません。対象Aへの再同期波照射。監察局権限による直接干渉です」
「なら、こちらも扱いを変える」
ジンの声が低くなる。
「以後、監察局直轄部隊を敵性干渉主体と認定する。ただし、目的は撃破ではない。アミィの保護と進路確保を優先する」
「了解しました」
艦橋の全員が応じる。
監察局管制区画。
オルフェン・グラードは、再同期波の失敗記録を見ていた。
「対象A、再同期波への応答を拒否。自己応答を保持」
局員が報告する。
「対象Lとヴァルクレイド・セレスの防壁により、接続は遮断されました。対象Mの支援網、対象艦外部機動兵器二機による観測線遮断も確認」
「ノクス・レクイエムは」
「未使用です」
オルフェンは、わずかに目を細めた。
「使わずに防いだか」
「再同期は失敗です」
局員が言う。
だが、オルフェンは首を横に振った。
「失敗ではない」
画面に、ヴァルクレイド・セレスの防壁波形が表示される。
その内側で、対象Aの自己応答が一時的に落ち込み、再び持ち直した記録が残っていた。
「対象Aは、命令層再同期に対して拒否反応を示した。対象Lは、防壁の形を変えて自己応答を保護した。対象Mは外部干渉を減衰。対象Yはノクスを使用しなかった」
オルフェンは淡々と並べる。
「すべて観測できた」
局員は無言で記録を更新する。
「次はどうしますか」
「再同期波単独では不十分だ」
オルフェンは、別の画面を開いた。
黒い識別枠。
GD-NM-02 タナトス。
隔離場展開準備完了。
「対象Aを戻すには、まず対象Lから離す必要がある」
画面に、アミィとレータの反応が重ねて表示される。
その二つの反応は、防壁を通して互いを支えていた。
「防壁ごと押すのではなく、支える相手を分ける」
局員が確認する。
「タナトスを投入しますか」
「次の境界で投入する」
オルフェンは静かに言った。
「再同期の前に、隔離だ」
監察局の画面上で、タナトスの起動表示が赤く灯る。
再同期波は防がれた。
アミィは戻らなかった。
レータは守り切った。
ノクスは使われなかった。
だが、オルフェンにとって、それは敗北ではなかった。
次に分けるべきものが、はっきりしただけだった。




