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第287話 監察局再配置

 ルクス・ヴァルキュリアは、第一防衛圏の内側へ進み続けていた。

 速くはない。

 強引でもない。

 認証網が示す誘導航路には乗らず、かといって全力で突破するわけでもない。

 艦は見えない壁の継ぎ目を探すように、慎重に航路を選んでいた。

 だが、その慎重さは、帝国側にとって従順を意味しなかった。

「観測ビーコン、増加」

 艦橋で、索敵担当が声を上げた。

「前方、左右外周、下方宙域に新規反応。通常GDではありません。艦艇反応でもありません」

「監察局か」

 ジンが低く言う。

 黒瀬が端末を確認する。

「識別形式が通常軍と異なります。外縁防衛線で確認された監察局系ビーコンと同系列。ただし、今回は数が多い」

 前方画面に、点が増えていく。

 それは敵機というには小さすぎた。

 艦というには反応が薄すぎた。

 だが、無視できるものではない。

 点と点が結ばれ、細い線が空域に浮かび上がる。

 認証網とは別に、監察局独自の観測網が展開されていく。

「囲まれているのか」

 カイルの通信が外周哨戒から入る。

『撃ってはこない。だが、進路上に観測機が増えてる。普通の包囲じゃないな』

「どう見える」

『戦うための配置じゃねえ。採寸してるみたいだ』

 その言葉に、艦橋の空気が重くなった。

 採寸。

 撃破でも、制圧でもない。

 相手の大きさを測り、構造を調べ、どこを切ればいいかを決めるための配置。

 黒瀬が画面を見たまま言う。

「監察局直轄部隊、第一防衛圏内に再配置。目的は迎撃ではなく、観測、拘束、回収と見ていいでしょう」

「通常軍とは違うな」

 ジンは前方を見据えた。

「レオン隊なら、こちらの戦力と進路を見て防衛線を組む。監察局は、最初からこちらを戦闘単位として見ていない」

「はい」

 黒瀬は短く頷いた。

「対象群として見ています」


 監察局管制区画。

 オルフェン・グラードの前には、ルクス・ヴァルキュリアの反応図が表示されていた。

 艦の外形ではない。

 搭載機。

 生体反応。

 PT系列反応。

 命令層接続履歴。

 支援波の種類。

 封印区画の位置。

 それらが分類図として並べられている。

「対象艦、制御拒否分類を維持。指定航路への復帰なし」

 局員が報告する。

「監察局直轄観測機、第一から第六配置へ移行完了。外周拘束線、形成可能です」

「拘束はまだ行わない」

 オルフェンは淡々と答えた。

「まず、対象群の個別タグ付けを完了しろ」

「了解」

 画面に、複数の反応が抽出される。

 Y系列反応。

 M系列反応。

 R系列反応。

 S系列反応。

 L系列反応。

 A系列反応。

 そこに名前はなかった。

 ユイではない。

 ミオではない。

 レイではない。

 セラではない。

 レータではない。

 アミィではない。

 ただ、系列と機能と危険度だけが並んでいる。

「対象Y。命令層切断反応保持。ノクス・レクイエム封印区画と接続履歴あり」

 局員が読み上げる。

「危険度、上位。接触時は直接拘束不可。切断範囲観測を優先」

「継続」

 オルフェンが言う。

「対象M。支援網形成能力。異文明由来補助流路を使用。外部展開範囲は制限中」

「支援経路を開いた場合、逆探知可能か」

「現在は困難です。緩衝流路により波形が逃がされています」

「ならば、支援網に負荷をかける。限界を記録しろ」

「了解」

 画面が切り替わる。

「対象R。近接戦闘反応。対象S。照準補助および射撃管制反応。両名とも命令層反応は感知しているが、応答兆候は低い」

「戦闘時の役割確認でよい。優先度は中」

「対象L。ヴァルクレイド・セレスと高同期。旧セレスティア反応を保護方向へ転用。対象Aの防壁形成に関与」

 オルフェンの視線が、その表示で止まった。

「対象Lとヴァルクレイド・セレスの波形を拡大」

 画面に、二重の反応が表示される。

 重装・統率型のL系列反応。

 そこに、かつてA系列補助のために作られたセレスティア由来の支援波が重なっている。

 だが、その波形は帝国側の設計通りではない。

 命令を通すための構造が、命令を遮るために使われている。

 対象を従わせるための機能が、対象の自己応答を守るために回されている。

「面白い」

 オルフェンが呟いた。

 局員が一瞬だけ手を止める。

「対象Aより、対象L側を優先しますか」

「違う」

 オルフェンは表情を変えずに答えた。

「対象Aは再同期対象。対象Lとヴァルクレイド・セレスは、再同期を阻害する構造体だ。阻害構造を知らずに、対象Aを戻すことはできない」

「では、ヴァルクレイド・セレスも回収対象に」

「回収候補に追加。破壊は後回しだ」

 その言葉には、迷いがなかった。

 機体を破壊するかどうかではない。

 使える反応を、どの順番で回収し、記録し、再利用するか。

 監察局の思考は、そこから動いていなかった。


 艦橋に、警告が走った。

「外部観測線、増加。PT系列反応に個別照合が入っています」

 ミオからの通信が重なる。

『艦内支援網に、細い針みたいな反応が来ています。攻撃ではありません。でも、誰がどこにいるかを探っています』

 黒瀬が端末を操作する。

「個別タグ付けだ。ユイ、ミオ、レイ、セラ、レータ、アミィ。全員が系列ごとに照合されています」

 カイトが息を詰めた。

「名前じゃなくて?」

「系列名です」

 黒瀬は淡々と答えた。

「Y、M、R、S、L、A。おそらく、能力分類と危険度も付いている」

 艦橋後方で、ユイの表情がわずかに沈む。

「本国では、そういう扱いです」

 その声は静かだった。

 だが、感情がないわけではなかった。

「名前より先に、系列を見ます。何ができるか。どこまで命令が通るか。どの程度、危険か」

「ユイさん」

 カイトが声をかける。

 ユイは小さく首を振った。

「大丈夫です。分かっていたことです」

 だが、分かっていることと、平気でいられることは違う。

 レイの通信が入った。

『こっちにも来てる。反応そのものを撫でられてるみたいで気持ち悪い』

 セラも続ける。

『照準補助系に照合が入りました。私の機体だけじゃなくて、私自身の反応も見ています』

 ミオの声は、いつもより硬い。

『支援網に触れて、私の広げられる範囲を測っています。抵抗すると、逆に支援経路を読まれそうです』

 保護区画から、カナデの報告が入る。

『アミィちゃんの反応にも照合が来ています。ただ、ヴァルクレイド・セレスの防壁で直接接続は防げています』

「レータは」

『防壁維持中です。負荷は上がっていますが、まだ保てます』

 ジンは短く頷いた。

「全員、照合線には反応するな。押し返すな。まず遮断できる範囲を維持しろ」

 アシュが通信に入る。

『向こうは撃ってこないのか』

「まだだ」

 黒瀬が答える。

「今の目的は、戦闘ではなく分類だ。反撃すれば、戦闘対象として分類を進める口実になる」

『殴られる前に検査されるのも腹が立つがな』

「同感だ」

 ジンは前方を見た。

「だが、ここで挑発に乗るな。相手は通常軍ではない」


 第一防衛圏外周。

 通常軍の監視艦隊が、遠距離からルクス・ヴァルキュリアの進行を観測していた。

 その中には、レオンの部隊も含まれていた。

 ドレッドノート級殲滅艦『グラトン』。

 外縁防衛線でルクス側と交戦したその艦は、今は直接介入せず、監察局の動きを見ていた。

「監察局直轄部隊、再配置を完了。対象艦を観測網に包囲しています」

 クラウスが報告する。

 レオンは腕を組んだまま、画面を見ていた。

「砲撃配置ではないな」

「はい。拘束線、観測ビーコン、反応照合機が中心です。通常軍の防衛展開とは別系統です」

「撃破するつもりがないのか」

「少なくとも、最初の目的は撃破ではありません」

 クラウスの声がわずかに重くなる。

「対象の分類、分離、回収。監察局の手順です」

 レオンは目を細めた。

 彼はルクス・ヴァルキュリアを敵として見ている。

 帝国本国へ向かう未登録艦。

 外縁防衛線を突破し、アミィを奪った艦。

 防衛上、止めるべき相手であることに変わりはない。

 だが、監察局のやり方は違った。

 敵として戦うのではない。

 兵として相手を見るのでもない。

 そこにいる者を、艦ごと、機体ごと、反応ごとに分け、回収可能な資産として扱っている。

「……相変わらずだな」

 レオンが低く言った。

 クラウスは答えなかった。

 画面には、監察局の観測機が無数に表示されている。

 それらは、通常軍の機体よりも小さく、薄く、無機質だった。

 戦うための形ではない。

 捕まえるため、測るため、記録するための形。

「オルフェンは何を狙っている」

「現時点では、アミィの再同期だけではないようです」

「他に何を見ている」

「ヴァルクレイド・セレス。ノクス・レクイエム。ミオの支援網。PT系列反応全体です」

 レオンは沈黙した。

 オルフェンは、外縁で得た情報だけでは満足していない。

 第一防衛圏の認証網を使い、ルクス側が持つ全ての反応を改めて測り直している。

「前線兵の消耗は考えていないな」

 レオンが言う。

「監察局直轄部隊は、通常軍の指揮系統とは別です。損耗許容も異なります」

「損耗ではない。使い潰す前提だ」

 レオンの声は、いつもより低かった。

 クラウスはわずかに視線を落とす。

「監察局は、戦場を研究室の延長として扱います」

「だから嫌いだ」

 レオンは短く言った。

 それは、ルクス側への同情ではない。

 帝国軍人として、戦場を知る者の嫌悪だった。

 戦うなら戦う。

 止めるなら止める。

 だが、監察局は、敵も味方も、兵もPTも、同じように観測対象として扱う。

 その違いが、第一防衛圏の中で少しずつ表に出始めていた。


 機動甲板では、各パイロットが照合反応に耐えていた。

 レイはヴァナルガンドの近くで、拳を握る。

「戦闘なら出る。けど、これは本当に気持ち悪い」

 セラがフェンリオン・リサイトの調整席から答える。

「照準補助AIが、何度も外部照合を弾いています。まるで、どこを撃つかじゃなくて、私が何に反応するかを見ているみたいです」

 イリスが静かに補助端末を見る。

「I系列反応にも薄く照合が来ています。ただ、優先度は低いようです」

 ミオは限定支援網の中心で、細かく呼吸を整えていた。

「全員の反応を、支援網の内側でまとめます。でも、広げすぎると読まれます」

「無理はしないで」

 カイトが言う。

 ミオは頷いた。

「はい。今は守るだけです」

 ユイは、ノクス・レクイエムの封印区画を一度だけ見た。

 出せば、切れるかもしれない。

 だが、出せば確実に見られる。

 そして、見られた切断は、オルフェンに記録される。

「……切るために出すのではなく、切らせるために呼ばれている」

 ユイが呟いた。

 カイトが顔を向ける。

「どういうこと?」

「監察局は、ノクスを恐れているだけではありません。見たがっています。どこまで切れるのか。何を切れるのか。切った後、私がどうなるのか」

 ユイの声は静かだった。

「だから、今は出せません」

 カイトは少しだけ拳を握り、それから頷く。

「うん。出さない判断も、戦いだと思う」

 ユイはその言葉に、わずかに目を伏せた。

「ありがとうございます」


 保護区画では、アミィの周囲に防壁が張られていた。

 ヴァルクレイド・セレスの反応は、格納区画から細い支援線として伸びている。

 レータはその制御に意識を向けながら、アミィのそばにいた。

「また、番号で呼ばれてる気がします」

 アミィが言った。

「A、って」

 レータは静かに頷く。

「うん」

「アミィじゃなくて」

「うん」

 アミィは膝の上で手を握った。

「少し、嫌です」

 その言葉に、レータの表情が変わった。

 嫌だ。

 それは、小さな言葉だった。

 だが、アミィが自分の感情として口にした言葉だった。

「それでいい」

 レータは言った。

「嫌なら、嫌でいい」

「嫌って、言っていいんですか」

「いい」

 レータは迷わず答えた。

「番号で呼ばれるのが嫌なら、そう思っていい」

 アミィは小さく頷いた。

「……アミィがいいです」

「うん」

 レータはアミィの手を握る。

「あなたはアミィ」

 その瞬間、防壁の波形がわずかに安定した。

 命令層反応が弱まったわけではない。

 認証網の照合が消えたわけでもない。

 だが、アミィの内側にある小さな自己応答が、少しだけ強くなった。


 監察局管制区画では、その変化も記録されていた。

「対象A、A系列照合に対し自己名反応を維持」

 局員が報告する。

「防壁波形、安定。対象Lとの接触により、自己応答が補強された可能性があります」

 オルフェンは画面を見た。

「対象Lは、やはり鍵になる」

「対象Aの再同期を阻害しているためですか」

「それだけではない」

 オルフェンは、ヴァルクレイド・セレスの反応を見ながら言った。

「セレスティア由来の構造は、元々A系列を補助し、命令層へ接続するためのものだった。それが今は、対象Aの自己応答を守っている」

「設計外運用です」

「設計外ではなく、再定義だ」

 オルフェンの声は淡々としていた。

「再定義された機能は、再び分類できる。分類できるなら、利用できる」

 局員は無表情に頷く。

「ヴァルクレイド・セレス、回収候補から優先回収候補へ変更しますか」

「変更しろ」

 画面の表示が更新される。

 対象L。

 ヴァルクレイド・セレス。

 旧セレスティア反応保持。

 A系列自己応答防壁形成。

 優先回収候補。

 その下に、別の表示が浮かぶ。

 GD-NM-02 タナトス。

 監察局直轄処分機。

 隔離場展開準備中。

 さらに別の影が、暗い枠の中に表示されていた。

 GD-NM-?? モルス。

 記録沈黙機能、待機。

 局員が確認する。

「タナトスの隔離場は、対象Aと対象Lを分離する設定でよろしいですか」

「まずは分離条件の試験だ。完全拘束は不要」

「対象艦への損害許容は」

「艦体損害は中程度まで許容。PT系列反応の喪失は不可。機体損壊は、回収可能範囲なら許容」

 その報告に、誰も疑問を挟まなかった。

 監察局にとって、そこにあるのは命ではない。

 兵でもない。

 仲間でも、敵でもない。

 壊してよいもの。

 壊してはいけないもの。

 回収すべきもの。

 再同期すべきもの。

 分類できるもの。

 ただ、それだけだった。

 オルフェンは最後に、ルクス・ヴァルキュリアの進路を見た。

「再配置を完了しろ。対象艦が次の認証境界を越えた時点で、第一拘束手順へ移行する」

「了解」

 管制区画の画面上で、監察局直轄部隊の配置が変わっていく。

 観測機が外周を固める。

 拘束線が航路の先に薄く張られる。

 回収機が後方で待機する。

 そして、黒い識別枠の機体が、静かに起動準備へ入った。

 第一防衛圏は、まだ砲火を開いていない。

 だが、監察局は動き始めた。

 戦場に出てきたのは兵士ではない。

 研究施設の手だった。

 測り、分け、縛り、持ち帰るための手。

 その手が、ルクス・ヴァルキュリアへ向かって伸び始めていた。

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