第284話 増える倉庫
帝国本国第一防衛圏への接近まで、わずかな猶予があった。
長い休息ではない。
安全圏に入ったわけでもない。
監察局の追跡反応は、距離を置きながらも残っている。
それでも、今すぐ戦闘が始まるわけではなかった。
だからこそ、ルクス・ヴァルキュリア艦内では、戦闘前の短い整備時間が与えられていた。
損傷した機体の補修。
支援網の再調整。
弾薬と補給品の確認。
乗員の休息。
そして、各種未整理項目の処理。
その中で、最も緊急度が高いのか低いのか判断に困る案件が一つあった。
ユイの倉庫である。
ルクス・ヴァルキュリア内、第三予備倉庫区画。
そこには、ヴェルデ由来のGF系列が正式登録のために並べられていた。
GF-01 シルヴァン。
GF-02 エルヴァイン。
GF-03 ヴェルディア。
GF-07 リーフガード。
そして、厳重に封鎖されたGF-X セフィロート関連部品。
どれも、今回の戦闘で初めて存在が表に出たものだった。
グリッドは端末を片手に、深いため息を吐いた。
「アーク・ノアの頃は、ここまで問題にならなかった理由が分かった」
ユイは少しだけ首を傾げる。
「理由ですか?」
「ああ」
グリッドは倉庫を見渡す。
「単純に、置く場所がなかったんだ」
ユイは少し考えた後、素直に頷いた。
「はい。あの時は置けませんでした」
「否定しろよ」
「置けたら、いくつか保管していたと思います」
「正直に言うな!」
カイトが横で苦笑する。
「でも、今回のヴェルディアは役に立ったよね」
黒瀬が即座に言った。
「有用性と無断保管は別問題だ」
「はい……」
カイトはすぐに姿勢を正した。
アシュは壁際で腕を組み、短く言う。
「隠すな」
「隠してはいません。保管です」
「同じだ」
「……はい」
ユイは少しだけ視線を落とした。
しかし、完全に納得しているかと言われれば、怪しい顔だった。
グリッドはその顔を見て、さらに眉を寄せる。
「今、まだ何か言いたそうな顔をしたな」
「いえ」
「した」
「……適切に管理すれば、有用です」
「だから、そういうところだ!」
黒瀬は端末を操作し、正式文書を表示した。
「ルクス・ヴァルキュリア艦内倉庫管理追加規定」
ユイがわずかに瞬きをする。
「規定ですか」
「規定だ」
黒瀬は淡々と読み上げる。
「第一項。ユイ単独判断による新規機体、兵装、未知部品、術式核、AI中核、異文明由来技術サンプルの搬入を禁止する」
「名指しですか」
「名指しだ」
「……はい」
「第二項。“保管”“念のため”“後で使える”“比較用”“予備”は、報告免除理由にならない」
グリッドが腕を組んで頷く。
「ここ重要だぞ」
「分かっています」
「本当に分かってるか?」
「はい。今後は、“後で使える可能性があります”と先に報告します」
「そこじゃねえ!」
黒瀬は続ける。
「第三項。未登録機体の実戦投入は禁止。緊急時であっても、艦長、監査担当、整備班長、外部停止役のうち二名以上の承認を必要とする」
アシュが短く言う。
「俺も入っているのか」
「ノクス関連、帝国系、未知機体の危険判断に必要だ」
「分かった」
「第四項。倉庫区画に新規物品が増えていた場合、まずユイに確認する」
カイトが小さく呟いた。
「まずユイなんだ……」
グリッドが疲れた声で答える。
「経験上、だいたいそうだからな」
ユイは少し不満そうに言う。
「私以外が保管する可能性もあります」
全員の視線がユイに集まった。
ユイは黙った。
黒瀬は表情を変えずに続ける。
「第五項。ユイが“少しだけ”と言った場合、箱単位または機体単位である可能性を考慮する」
「それは誤解です」
グリッドが即座に言う。
「帝国パーツ箱三つ」
「……少しです」
「箱で三つは少しじゃない!」
ミオとレータも、確認のため倉庫区画に来ていた。
アミィは保護区画で休んでいる。
ナユも頭痛が残っているため、医療区画で休息中だった。
リンはナユの護衛も兼ねて、そちらに残っている。
ミオはGF群を見ながら、少し困ったように言った。
「でも、ヴェルディアがあったことで、ユイさんがノクス以外で前線に出られたのは大きかったです」
「そうだな」
ジンが頷く。
「そこは認める」
ユイがわずかに顔を上げる。
だが、ジンはすぐに続けた。
「だが、認めるのは有用性だけだ。無断保管を認めるわけじゃない」
「はい」
「お前の“保管”で助かった場面はある。だが、これから向かうのは帝国本国だ。判断を一つ間違えれば、艦ごと沈む。使えるものほど、共有しろ」
ユイは今度は、はっきりと頷いた。
「はい。次からは、先に出します」
「全部だ」
グリッドが即座に言った。
「はい。全部です」
アシュがGF-X セフィロート関連部品を見た。
「これは特に勝手に触るな」
「触っていません」
「信用が減っている」
「……今は触っていません」
「今は、を付けるな」
ユイは少しだけ目を逸らした。
グリッドが頭を抱える。
「やっぱり倉庫に一人で入れるな。増える」
レータが小さく呟いた。
「増える倉庫」
ミオが苦笑する。
「何かの物語の名前みたいですね」
カイトも思わず笑った。
戦闘の後に続いていた重い空気が、少しだけ緩んだ。
だが、話はそこで終わらなかった。
黒瀬が端末を閉じずに、ユイへ視線を向ける。
「念のため確認する。ヴェルデ由来GF以外に、他文明由来の未登録装備はあるか」
ユイはすぐには答えなかった。
その沈黙に、グリッドがゆっくりと顔を上げる。
「……あるのか」
「未登録ではありません」
黒瀬が即座に言う。
「あるんだな」
「エデン由来の術式流路ユニットと、ハーモニア式儀装フレームの一部が」
グリッドが天井を仰いだ。
「まだあるのかよ……」
「ノクスのベント安定化に必要です」
「だったらノクス班に出せ!」
「記録にはあります」
「どこにだ!」
「エデン技術提供品、術式補助部材の欄に」
「名前がざっくりしすぎだ!」
黒瀬は深く息を吐いた。
「それも正式分類し直す。術式流路ユニット、ハーモニア式儀装フレーム部品、外部流路補助素材。すべてノクス関連技術管理区画へ移動」
「はい」
「他には」
ユイは少し考えた。
全員が身構える。
「フォージ由来の大型作業フレーム設計案があります」
グリッドの動きが止まった。
「……設計案?」
「はい。現物はありません」
「本当に現物はないな?」
「大型機としての現物はありません」
「大型機としての?」
「部品として使える設計データと、いくつかの工廠制御サンプルはあります」
「それも出せ!」
アシュが低く言う。
「隠していたな」
「設計保存です」
「同じだ」
「……はい」
ジンは片手で額を押さえた。
「黒瀬。規定に追加しろ」
「何をですか」
「設計案も報告対象だ」
黒瀬は即座に入力した。
「第六項。実体の有無に関わらず、新規機体、兵装、大型作業フレーム、支援装備、未知技術の設計案は報告対象とする」
「妥当ですね」
ユイは頷いた。
グリッドが叫ぶ。
「最初からそうしろ!」
一通りの開示が終わる頃には、倉庫区画には大量の仮登録タグが並んでいた。
GF系列。
エデン由来術式流路ユニット。
ハーモニア式儀装フレーム部品。
フォージ由来工廠制御サンプル。
帝国製部品箱。
その他、ユイが「分類待ち」として置いていた小型パーツ類。
グリッドは椅子に座り込み、疲れた顔で端末を見ていた。
「今から本国戦なんだぞ……」
ユイは申し訳なさそうに言う。
「すみません」
「謝るなら、次から先に言え」
「はい」
「いや、次からじゃない。今後ずっとだ」
「はい」
カイトが少し笑いながら言った。
「でも、これで全部出たなら安心ですね」
その場が静まり返った。
カイトはすぐに表情を引きつらせる。
「……全部だよね?」
ユイは少し考えた。
グリッドが立ち上がりかける。
「考えるな!」
「大丈夫です。現時点で、私が把握している分は全部です」
「言い方が怖い!」
ミオがそっとフォローする。
「少なくとも、今後は規定がありますから」
黒瀬が頷いた。
「規定違反があれば、監査記録に残す」
ユイは少しだけ背筋を伸ばした。
「分かりました。今後は、保管前に報告します」
アシュが短く言う。
「保管する前提で話すな」
「……はい」
今度こそ、倉庫区画に笑いが漏れた。
それは小さなものだった。
だが、外縁突破以降ずっと張り詰めていた空気を、少しだけ和らげるには十分だった。
その後、会議室で第一防衛圏突入前の最終確認が行われた。
ジンは、整理された機体リストと倉庫管理規定を確認し、全員へ向けて言った。
「短い休息はここまでだ」
艦橋側の映像が会議室に表示される。
前方には、帝国本国第一防衛圏が近づいている。
認証網の密度はさらに上がり、命令層反応も強くなっていた。
「これから向かう先では、使えるものを隠しておく余裕はない。逆に、危険なものを把握せずに抱えている余裕もない」
ユイは静かに頷いた。
「はい」
「お前の保管癖は、確かに役に立つことがある」
ジンは続ける。
「だが、使える力ほど、艦全体で管理する。これは命令だ」
「了解しました」
今度のユイの返事には、迷いはなかった。
黒瀬が端末を閉じる。
「倉庫管理追加規定、正式運用開始。未登録物品はすべて仮登録済み。危険度分類は継続します」
グリッドが疲れた声で言う。
「俺はしばらく倉庫を見るたび胃が痛くなりそうだ」
カイルの通信が外周哨戒から入った。
『倉庫が増えるより敵が増える方がマシか?』
グリッドは即答した。
「どっちも嫌だ」
『そりゃそうだ』
短い笑いが会議室に広がる。
ジンはその空気を少しだけ見守り、それから前方の映像へ視線を戻した。
「第一防衛圏接近まで、まもなくだ。各員、配置へ戻れ」
全員が頷き、それぞれの持ち場へ向かう。
ユイも立ち上がる。
その横を、アシュが通り過ぎる時、短く言った。
「次は先に言え」
「はい」
「全部だ」
「全部です」
アシュはそれ以上何も言わなかった。
ユイは、倉庫区画の方を一度だけ振り返る。
隠すためではない。
今度は、共有するために。
彼女は静かに前を向いた。
ルクス・ヴァルキュリアは、帝国本国第一防衛圏へ近づいていく。
艦内では、短い小休止が終わった。
倉庫は整理された。
規定もできた。
ユイの保管癖にも、ようやく正式な枠が作られた。
だが、その先に待つものは軽くない。
帝都ネメシア。
レグナリア。
カルディア・ベイ。
監察局中枢。
命令層認証網。
外縁よりも濃い帝国の影が、前方に広がっていた。
ジンは艦橋で前方を見据える。
「全艦、第一防衛圏接近態勢」
航法士が応じる。
「了解。帝国本国第一防衛圏、接近まで間もなく」
小さな笑いの時間は終わる。
次に待つのは、帝国本国の戦場だった。




