第282話 帝国本国への航路
外縁防衛線は、後方へ遠ざかっていた。
ルクス・ヴァルキュリアは、帝国本国方面への航路に入った。
外縁の壁は越えた。
だが、それは勝利ではない。
防衛線の一角を抜けただけ。
レオン隊は健在。
ヘルメス隊も撤退したわけではない。
監察局直轄部隊は追跡を継続している。
そして、ルクス側も無傷ではなかった。
艦橋の大型モニターには、各機体の損傷状況と乗員負荷が並べられている。
アルタイル・ノヴァ・ブレイス。
ヴァナルガンド。
フェンリオン・リサイト。
ルナ・スケイル・リフレクト。
ヴァルクレイド・セレス。
ロス・セレネ。
ヴァイス・リッパー・リビルド。
レイヴン・ハウル。
GF-03 ヴェルディア。
そして、限定起動を終えたノクス・レクイエム。
ジンは画面を見つめたまま、低く言った。
「外縁は抜けた。だが、代償は小さくない」
グリッドが整備班からの報告を読み上げる。
『アルタイルは関節部と支援リンクに負荷。ヴァナルガンドは左脚部スラスターに熱が残ってる。フェンリオンは弾薬消費大。ルナ・スケイルは支援網の再調整が必要。ヴァルクレイド・セレスは支援核フレームに熱歪みあり。ロス・セレネは機体よりナユ本人の負荷が大きい』
ナユは会議室の椅子に座り、こめかみを押さえていた。
「……見すぎました」
リンが隣に立っている。
「次は止める」
「うん。お願い」
「無理するな」
短いやり取りだった。
だが、ナユは少しだけ表情を緩めた。
グリッドは続ける。
『レイヴン・ハウルはいつも通りあちこち壊れてる。というか、どこから戦闘前の損傷でどこから今回の損傷なのか分かりにくい』
通信越しにカイルが笑った。
『動いてるなら問題ねえだろ』
『問題しかねえよ』
ジンは軽く息を吐いた。
「後でまとめて見せろ。逃げるな」
『へいへい』
そして、グリッドの声が一段低くなる。
『で、問題はもう一機だ』
全員の視線が、ユイへ向いた。
ユイは静かに目を逸らした。
会議室の空気が、少しだけ変わった。
重い戦闘後の報告会だったはずが、別の意味で緊張が走る。
黒瀬が端末を開いた。
「ユイ。確認する。GF-03 ヴェルディアは、いつからルクス艦内にあった」
「アース・ヴェルデを出た時からです」
「なぜ実戦投入可能機として正式登録されていない」
「研究・交流用の現地機体サンプルとして記録してあります」
グリッドが頭を抱えた。
『それは実戦投入可能機って意味じゃねえ!』
「でも、最低限の整備はしていました」
『誰がだ』
「私が」
『そこが一番駄目なんだよ!』
ユイは少しだけ肩を縮めた。
「隠していたわけではありません。保管です」
壁際に立っていたアシュが、短く言った。
「隠していたな」
「保管です」
「同じだ」
カイトは何か言いかけたが、黒瀬の視線を受けて口を閉じた。
ジンも腕を組んでいる。
「ユイ。お前の判断で助かった場面はある。ヴェルディアがなければ、回収部隊の妨害はもっと難しかった」
「はい」
「だが、艦は一人で動かしているわけじゃない。使えるものほど、先に出せ」
「……はい」
黒瀬が続ける。
「未登録機体の無断実戦投入。しかも異文明由来機。通常なら重大な監査案件だ」
「はい」
「ただし、今回の戦術的有効性は認める。だからこそ、今すべて開示しろ」
ユイは少しだけ沈黙した。
その沈黙に、グリッドが嫌な顔をした。
『おい。まさか、ヴェルディアだけじゃねえのか』
ユイは視線をさらに逸らした。
「……いくつかあります」
『いくつか!?』
「数機です」
『数機!?』
アシュが低く言う。
「全部出せ」
「はい」
ルクス・ヴァルキュリアの倉庫区画。
そこは通常の整備格納庫ではなく、異文明技術サンプル、予備パーツ、回収品、未分類の装備類が保管されている区画だった。
その一角が開放される。
並んでいたのは、アース・ヴェルデ製GF系列だった。
若葉色と樹皮色を持つ基本型、GF-01 シルヴァン。
深緑と白緑装甲の護衛型、GF-02 エルヴァイン。
今回ユイが使用した白緑と銀緑の高性能汎用機、GF-03 ヴェルディア。
深緑と葉脈状の淡金ラインを持つ防衛支援型、GF-07 リーフガード。
そして、奥には未完成フレームと部品群が封鎖保管されていた。
GF-X セフィロート関連部品。
グリッドはその光景を見て、しばらく黙った。
それから、深く息を吸う。
『ユイ』
「はい」
『これは“いくつか”じゃねえ。“倉庫一角”だ』
「すべて稼働できるわけではありません」
『そういう問題じゃねえ!』
黒瀬は端末に記録を入力していた。
「GF-01 シルヴァン、GF-02 エルヴァイン、GF-03 ヴェルディア、GF-07 リーフガード、GF-X セフィロート関連部品。全て正式登録する」
三島も補助記録を取る。
「用途区分はどうしますか」
グリッドが答える。
『シルヴァンは訓練・軽作業・予備。エルヴァインは護衛と撤退支援。ヴェルディアはユイの一時前線機。ただし勝手に出すのは禁止。リーフガードは救助・後方防衛。セフィロート関連は研究保管、実戦投入不可だ』
「了解しました」
ユイは小さく頷いた。
「次からは、使える可能性があるものは先に出します」
『可能性じゃなくて全部だ!』
「……はい。全部出します」
アシュがGF-Xの封鎖フレームを見て言った。
「これは特に勝手に触るな」
「触っていません」
「信用が減っている」
「……反省しています」
カイトが少しだけ苦笑した。
「でも、ヴェルディアがあって助かったのは本当だよ」
黒瀬が即座に言う。
「助かったことと、無断投入が問題ないことは別だ」
「はい」
カイトも姿勢を正した。
ジンは倉庫内のGF群を見渡す。
「これから帝国本国方面へ向かう。救助、撤退支援、後方防衛に使える機体は重要だ。だが、未登録のまま出すな。全て整備班と艦橋の管理下に入れる」
「はい」
ユイは素直に頭を下げた。
「すみませんでした」
グリッドはまだ納得しきっていない顔だったが、端末を操作し始めた。
『説教は後でもできる。今は全部リスト化だ。ユイ、覚えてる限りの保管経緯と状態を全部言え。省略すんなよ』
「はい」
「あと、個人的に拾った帝国パーツもあるなら出せ」
アシュの言葉に、ユイは一瞬だけ止まった。
グリッドがゆっくりと振り向く。
『……あるのか』
「少しだけ」
『少しってどれくらいだ!』
「箱で三つほど」
『箱で!?』
重かった空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
外縁を越えた先で待つものは重い。
だが、ルクスの中には、まだこうして息をつける時間が残っていた。
その後、正式な戦闘後整理会議が再開された。
まず、ヴァルクレイド・セレス。
リクトが報告する。
「局地通信保護は有効でした。タナトスの反応停止波、監察局の命令層拘束波に対し、完全防御はできませんでしたが、味方機の判断遅延を局所的に抑えることには成功しています」
ミオが続ける。
「私の広域支援と組み合わせることで、全体の支援網を広げすぎずに戦線を維持できました。ミオ側が全体を見て、レータさんが危険な場所を守る形は有効です」
レータは静かに頷いた。
「でも、広げすぎると危ない」
「はい」
ミオは答えた。
「次からも、ヴァルクレイド・セレスは広域支援ではなく局地防壁として使った方がいいです」
黒瀬が記録する。
「ヴァルクレイド・セレス、レータ単独での実戦運用を確認。アミィ非搭乗方針は継続」
アミィは会議室の端に座っていた。
今回は短時間だけ参加している。
レータの隣で、静かに話を聞いていた。
カナデが説明する。
「アミィさんは不安定ですが、短時間の会話は可能です。帝国本国方面という言葉に強い恐怖反応があります。ただし、自己応答は保たれています」
アミィは小さく息を吸った。
「帝国、こわい」
全員の視線が、自然と彼女へ向く。
アミィはレータの袖を軽く握った。
「でも、戻らない」
その言葉に、会議室が静かになった。
戻りたくない、ではない。
戻らない。
それは、アミィの中で一つ進んだ言葉だった。
レータが頷く。
「戻さない」
ナユが少しだけ顔を上げる。
「見失わないようにします。消えた反応も、拾います」
リンが短く言った。
「近づくものは切る」
ユイは静かに続けた。
「引っ張る命令があれば、条件を満たした時だけ切ります。怖くても、切る場所を間違えないように」
レータはアミィの手に、自分の手を重ねた。
「戻すためじゃない。終わらせるために行く」
アミィは、何度もその言葉を確かめるように頷いた。
「戻らない。終わらせる」
カナデは、その反応を記録した。
アミィはまだ不安定だ。
恐怖も残っている。
命令層の残滓も、完全に消えたわけではない。
それでも、会話はできる。
自分の言葉で、戻らないと言える。
それは、外縁突破と同じくらい大きな変化だった。
次に、ノクス・レクイエム限定起動の報告が行われた。
リクトが解析結果を表示する。
「ノクス・レクイエムは、制御層限定起動に成功しました。主砲、外殻出力、武装系統、レクイエム・アンカー、レクイエム・ベントは封印維持。使用したのは命令層拘束波切断補助のみです」
リゼルが続ける。
「切断範囲は非常に狭く、アミィさん本人反応とヴァルクレイド・セレス支援核への直接損傷はありませんでした。成功です。ただし、ユイさんの負荷は大きいです」
ユイは静かに頷いた。
「怖かったです。切る場所を少しでも間違えたら、アミィまで傷つけると思いました」
アシュが言った。
「次も同じように成功するとは限らない」
「はい」
「使えると分かった分、危険も増えた」
「分かっています」
黒瀬が正式記録をまとめる。
「ノクス・レクイエムは、限定起動成功。ただし、連続使用不可。使用条件は維持。使用後は必ずユイの精神負荷確認を行う。外部停止役、解析班、支援網との連携なしでは使用不可」
ジンが頷いた。
「ノクスは便利な切り札ではない。それは変わらない」
「はい」
ユイは答えた。
「使えたからこそ、簡単には使いません」
その言葉を聞いて、カイトは少しだけ安心したように息を吐いた。
ユイはもう、ノクスの力を否定していない。
だが、頼り切るつもりもない。
怖いまま、必要な時だけ使う。
それが、今のユイの答えだった。
艦橋。
外縁突破後の進路確認が進められていた。
帝国本国方面航路。
そこには、これまでよりも密度の高い監視網、防衛拠点、補給基地が存在すると予想される。
黒瀬が言う。
「外縁突破により、こちらは帝国本国圏へ向かう敵性艦として正式に扱われる可能性が高いです」
「すでに扱われているだろう」
ジンが返す。
「だが、これからは段階が違う。外縁方面軍だけではなく、本国直属の戦力が出てくる」
三島が航路図を確認する。
「監察局直轄部隊は追跡を継続しています。距離はありますが、完全には振り切れていません」
「レオン隊は」
「防衛線再編を優先しているようです。即時追撃はありません。ただし、再配置後に再接触する可能性は高いです」
「ヘルメス隊は」
「深追いはしていません。損傷機の回収と再編を優先しているようです」
ジンは腕を組んだ。
「なら、今のうちに整える。機体、乗員、補給、全部だ。次は外縁の戦いではない。帝国本国へ向かう戦いになる」
艦橋の全員が頷いた。
外縁突破は終わりではない。
むしろ、ここからが本番だった。
帝国本国方面。
監察局観測艦『ヴァル・ゼリア』では、オルフェン・グラードがルクス・ヴァルキュリアの航路予測を見ていた。
ルクスは外縁を越えた。
帝国本国方面へ進んでいる。
それは本来なら、重大な失態として扱われる。
だが、オルフェンの表情に焦りはなかった。
むしろ、口元には薄い笑みが浮かんでいる。
「よく来た」
彼は小さく呟いた。
画面には、外縁戦で得られた膨大な観測データが並んでいた。
ノクス・レクイエムの制御層限定起動。
命令層拘束波の切断。
アミィの自己応答。
ヴァルクレイド・セレスの支援核防壁。
GF-03 ヴェルディアの非帝国系制御。
ロス・セレネの残響索敵。
ルナ・スケイルとヴァルクレイド・セレスの支援分担。
どれも貴重なデータだった。
オルフェンにとって、ルクスが近づくことは危険であると同時に、観測機会でもあった。
「外縁では、まだ浅い。帝国本国圏へ近づけば、命令層も、認証網も、防衛機構も濃くなる。そこで彼らがどう反応するか」
監察局士官が報告する。
「本国中枢より通信。ルクス・ヴァルキュリアの外縁突破について、レオン・グレイスナー司令の判断責任を問う声が上がっています」
「だろうな」
オルフェンは淡々と答えた。
「彼は追える状況で追わなかった。監察局の作戦を妨害した。外縁防衛線を維持したとも言えるが、本国がどう見るかは別だ」
「処分検討に入る可能性があります」
「入るだろう」
オルフェンの笑みが深くなる。
「レオンは優秀だ。だからこそ邪魔になる」
「監察局としては」
「記録を提出する。彼が監察局回収作戦を制限した事実を、正確に」
「意図的に不利な形で?」
「正確に、と言った」
オルフェンは画面から目を離さなかった。
正確な記録ほど、切り取り方で刃になる。
レオンが兵を守るために選んだ判断は、本国から見れば命令違反にも見える。
外縁防衛線を越えさせた。
監察局部隊の行動を制限した。
追撃を見送った。
それらは全て事実だった。
そして、事実だけで十分に人を追い込める。
帝国本国中枢。
複数の通信投影が並ぶ会議室で、外縁突破の報告が確認されていた。
空気は重い。
ルクス・ヴァルキュリアが、外縁防衛線を越えた。
PT-A01アミィは奪還できず、セレスティア残留反応は再利用され、ノクス・レクイエムは限定的とはいえ命令層拘束波を切断した。
それだけでも重大だった。
だが、議題はもう一つあった。
レオン・グレイスナーの判断。
『外縁方面軍は、なぜ即時追撃を行わなかった』
『監察局直轄部隊の作戦を制限した記録がある』
『エリシオンがタナトスの波を遮ったとの報告もある』
『防衛線維持のためとはいえ、結果としてルクスに突破の隙を与えた』
言葉が重なっていく。
誰も、レオンが裏切ったとは言っていない。
だが、疑念は形になり始めていた。
『現時点で更迭は早い』
『だが、監察対象には加えるべきだ』
『本国方面へ近づく敵艦を前に、前線指揮官の独断を放置できない』
『レオン・グレイスナーに対する処分、または指揮権制限を検討する』
その言葉が、会議室に落ちた。
帝国本国は、ルクスの接近に反応している。
同時に、外縁で兵を守ろうとしたレオンの判断もまた、帝国の中枢にとっては不穏なものとして記録され始めていた。
ルクス・ヴァルキュリアは、帝国本国方面への航路を進む。
艦内では整備が続き、乗員はわずかな休息を取る。
GF群は正式登録され、ノクスは再封印された。
アミィはまだ怖がりながらも、戻らないと言った。
外では、監察局が追跡を続けている。
帝国本国は動き始めている。
レオンへの疑念も、静かに積み上がっている。
外縁突破によって、ルクスは一つの壁を越えた。
だが、その先には、より大きな壁が待っている。
帝国本国。
命令の中心。
そして、アミィが「戻りたくない」と言った場所へ続く航路。
ルクス・ヴァルキュリアは、その道を進んでいた。




