第281話 外縁突破
ノクス・レクイエムの限定起動によって、監察局の命令層拘束波は切断された。
アミィの保護支援層へ絡みついていた黒い波は剥がれ、ヴァルクレイド・セレスの白い盾は再び安定を取り戻している。
だが、それで戦闘が終わったわけではなかった。
タナトスはまだ戦場にいる。
監察局直轄部隊も撤退していない。
レオンのエリシオンは、防衛線維持のために動きながらも、ルクス・ヴァルキュリアを完全に見逃すつもりなどなかった。
それでも、今だけは道があった。
監察局の命令層拘束波は切られた。
タナトスの反応停止波は、エリシオンの防衛領域によって一部を遮られている。
ヘルメス隊は、味方ごと巻き込まれた停止波の影響で一時的に深追いできない。
外縁防衛線の一角に、薄い隙間が生まれていた。
ジンは艦橋で、その隙間を見逃さなかった。
「今しかない」
彼は短く言った。
「全機、突破路を維持。ルクス・ヴァルキュリアは外縁防衛線の一角を抜ける」
黒瀬が確認する。
「監察局部隊はまだ追跡可能です」
「承知している」
「レオン隊も、立て直せば追撃に入れます」
「それまでに抜ける」
ジンの声は冷静だった。
勝っているわけではない。
敵を倒したわけでもない。
防衛線そのものを崩したわけでもない。
ただ、複数の敵の目的がずれ、その混乱の中にできた隙を突く。
それが、今のルクス側に許された突破だった。
前線では、カイトのアルタイル・ノヴァ・ブレイスが突破路の先端にいた。
敵機を撃破するのではなく、押し退ける。
進路をこじ開け、ルクス本体が通れるだけの空間を作る。
『右、グラディウス・ブレイク!』
レイの声が飛ぶ。
ヴァナルガンドが側面から入り、敵カスタムGDの進路をずらす。
その反対側では、リンのヴァイス・リッパー・リビルドが回収端末の拘束ワイヤーを切り落としていた。
『ナユ、次は』
『左下。消えた跡があります。二機、たぶん回収端末です』
『分かった』
リンは短く答え、機体を滑り込ませる。
何もないように見える空間から、細い拘束具が伸びた。
だが、それが味方機へ届く前に、リンの刃が火花を散らして断ち切る。
『ナユは見つけろ。こっちは切る』
『うん』
ナユのロス・セレネは、《セレネ・リップル》を低出力のまま維持していた。
広くは見ない。
拾いすぎない。
消えた反応、欠けた場所、そこに残るわずかな残響だけを読む。
ナユの拾った欠落座標は、ミオの支援網へ重ねられていく。
ルナ・スケイル・リフレクトは、広げすぎない支援網で味方の位置をつなぎ、ヴァルクレイド・セレスがその中で局地通信保護を維持していた。
『レータさん、前方の干渉が薄くなっています。今なら通せます』
「分かった。カイトの前だけ守る」
ヴァルクレイド・セレスの白い盾が、アルタイルの進路前方へ重なる。
カイトはその白い光の中で、機体をさらに前へ押し出した。
「ここを抜ける!」
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが、敵防衛線の薄くなった一角を切り開く。
セラのフェンリオン・リサイトが後方から回収端末の固定フレームを撃ち抜き、ユイのGF-03 ヴェルディアがワイヤーアンカーで漂う残骸を引き寄せ、敵の進路を塞ぐ。
派手な撃破ではない。
道を作るための戦いだった。
外周では、カイルのレイヴン・ハウルがヘルメス隊と交差していた。
リュカのヘルメスは、まだ動ける。
だが、深追いには入ってこない。
ヘルメス隊の数機は、タナトスの停止波を受けて機動を乱していた。
リュカ自身も、部隊の再編を優先せざるを得ない。
『追ってこねえのか?』
カイルが通信を飛ばす。
リュカは、少し不機嫌そうに答えた。
『挑発には乗りません。こちらは部隊を立て直します』
『へえ。優等生だな』
『味方ごと沈める趣味はありませんので』
その言葉に、カイルは口元を緩めた。
『そいつは結構』
『勘違いしないでください。あなた方を通したいわけではありません』
『分かってるよ。敵だもんな』
『ええ。次に追いつけば、止めます』
『その前に抜ける』
レイヴン・ハウルは、ヘルメス隊の前をかすめるように抜けた。
リュカはそれを追える位置にいた。
だが、動かなかった。
いや、動けなかった。
監察局の停止波によって乱れた味方機を放置してまで、ルクスを追うわけにはいかない。
ヘルメス隊は敵である。
だが、監察局の回収実験に加担するために味方を切り捨てる部隊ではなかった。
カイルはそれ以上何も言わず、外周へ戻った。
ヘルメス隊の深追いはない。
その短い隙が、突破路をさらに広げていた。
グラトン艦橋。
レオン・グレイスナーは、ルクス・ヴァルキュリアが防衛線の一角を抜けつつあることを確認していた。
クラウスが報告する。
「ルクス側、右翼外縁の薄い箇所を通過。監察局直轄部隊は追跡準備中ですが、タナトスの波形再調整に遅れています。ヘルメス隊も一部再編中」
「こちらの追撃可能戦力は」
「中央防衛線から回せば追撃可能です。ただし、今動かせば中枢側の防衛線が一時的に薄くなります」
レオンは戦況図を見つめた。
今なら追える。
エリシオンを前に出し、中央防衛線の一部を動かせば、ルクス側の後方へ圧力をかけられる。
だが、そのためには、先ほど乱された右翼防衛線を放置することになる。
監察局直轄部隊が再び勝手に波を広げれば、防衛線はさらに歪む。
ルクスを追うべきか。
防衛線を立て直すべきか。
レオンは短く目を閉じた。
「追撃は行わない」
クラウスがわずかに息を呑む。
「よろしいのですか」
「今の状態で追えば、防衛線が崩れる。監察局の混乱を抱えたまま外へ出るべきではない」
「本国からは、外縁防衛線を越えさせるなとの命令が出ています」
「越えさせた責任は私が取る」
レオンの声は硬かった。
「だが、ここで防衛線全体を崩せば、責任では済まない」
クラウスは深く頭を下げた。
「了解しました。中央防衛線を維持。右翼防衛線の再編を優先します」
「監察局には通達しろ。こちらの防衛線を乱す行動をこれ以上行うなら、次は正式に抗議する」
「監察局が従うとは思えませんが」
「従わせるのではない。記録に残す」
レオンは、遠ざかるルクスの反応を見た。
逃がすつもりはなかった。
だが、追えば味方の防衛線が崩れる。
監察局の暴走を放置すれば、帝国側の兵がさらに危険に晒される。
レオンの線は、ここでも変わらない。
ルクスは敵として止める。
だが、兵を実験材料にはしない。
その選択の結果、ルクスは外縁防衛線の一角を抜けた。
監察局観測艦『ヴァル・ゼリア』。
オルフェン・グラードは、ルクス側の突破を見ても、焦った様子を見せなかった。
画面上には、複数のデータが並んでいる。
ノクス・レクイエム制御層限定起動。
命令層拘束波切断。
ヴァルクレイド・セレスの防壁反応。
アミィの保護区画反応。
GF-03 ヴェルディアの非帝国系制御反応。
ロス・セレネの残響索敵反応。
回収には失敗した。
だが、観測データは得た。
オルフェンにとって、それは完全な敗北ではない。
「ルクス・ヴァルキュリア、防衛線外縁部を通過」
監察局士官が報告する。
「追跡部隊を出しますか」
「出す」
オルフェンは即答した。
「タナトスは再調整。回収部隊は再編。モルスはまだ出すな。今は追跡でいい」
「レオン司令が追撃を見送っています」
「だろうな」
オルフェンは薄く笑う。
「彼は防衛線を守る。兵を守る。だから、今は追えない」
「では、監察局単独で追跡を」
「そうだ」
画面にルクス・ヴァルキュリアの進路予測が表示される。
帝国本国方面へ続く航路。
「彼らは外縁を抜けた。だが、帝国本国へ近づくほど、逃げ場は減る」
オルフェンは、ノクス制御層限定起動のログを再生した。
紫白の細い線が、命令層拘束波だけを切る。
「次は、もっと深く試す」
その声は静かだった。
「ノクスがどこまで切れるか。ユイがどこまで怖がりながら止まれるか。アミィの自己応答がどこまで保つか」
監察局直轄部隊は、まだ諦めていない。
ルクスの背後に、黒い観測の目が残り続けていた。
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
艦内に、外縁防衛線突破を示す確認音が鳴った。
「外縁防衛線、右翼外縁部を通過」
航法士が報告する。
「帝国本国方面航路へ移行可能です」
艦橋に、短い沈黙が落ちた。
歓声は上がらなかった。
突破は成功した。
だが、勝ったわけではない。
敵は残っている。
追跡も来る。
レオン隊も、監察局も、ヘルメス隊も、いずれ体勢を立て直す。
それでも、外縁防衛線は抜けた。
ジンは前方の航路を見つめた。
「進路を帝国本国方面へ固定」
「了解。帝国本国方面航路へ入ります」
巨大艦が、ゆっくりと進路を変える。
外縁防衛線の光が後方へ流れていく。
前方には、より深い帝国領域が広がっていた。
ジンは艦橋全体へ告げる。
「ここからは戻れない」
その言葉に、全員が顔を上げた。
「外縁防衛線を越えた以上、帝国本国は本格的にこちらを敵として扱う。今まで以上の戦力が来る。監察局も、レオン隊も、これまでのような探り合いでは済まない」
黒瀬が静かに頷く。
「記録上も、段階が変わりますね」
「ああ」
ジンは続ける。
「ここから先は、帝国の中心へ向かう航路だ。休める時に休め。壊れた機体はすぐ直せ。負荷が残っている者は無理をするな」
その言葉は、命令であり、警告でもあった。
艦内保護区画。
アミィは、航路表示を見ていた。
帝国本国方面。
その言葉を聞いた瞬間、アミィの反応が乱れた。
体が小さく震える。
呼吸が浅くなる。
カナデがすぐにそばへ寄った。
「アミィさん。今はルクスの中です。ここは安全です」
アミィは首を横に振った。
「……近い」
「帝国本国方面ですか」
「うん」
アミィは胸元を押さえる。
「戻る、場所。命令、強い場所。声、消える場所」
その言葉を聞いて、隣にいたレータが静かに膝をついた。
アミィと視線を合わせる。
「アミィ」
「……レータ」
「戻すためじゃない」
レータは、ゆっくりと言った。
「終わらせるために行く」
アミィは、少しだけ目を見開いた。
「終わらせる?」
「うん」
レータは頷く。
「命令に戻るためじゃない。もう一度閉じ込められるためじゃない。アミィを連れて行くんじゃない。アミィを戻させないために、終わらせに行く」
アミィは、まだ震えていた。
恐怖は消えない。
帝国本国方面という言葉だけで、命令の残滓が揺れる。
戻されるかもしれないという感覚が、胸の奥を締めつける。
それでも、レータの声は届いていた。
「レータ、行く?」
「行く」
「帰る?」
「帰る」
「アミィは?」
「待つ。ここで待っていていい」
アミィは長い時間をかけて頷いた。
「……待つ」
「うん」
「戻らない?」
レータは迷わず答えた。
「戻らない」
アミィは、その言葉を何度も確かめるように小さく呟いた。
「戻らない。終わらせる」
「うん」
「戻すためじゃない」
「そう」
レータはアミィの肩にそっと手を置いた。
「終わらせるため」
アミィは、まだ怖がっていた。
だが、その恐怖の中で、自分の言葉を一つ増やした。
「……終わらせる」
カナデは、その反応を静かに記録した。
ルクス・ヴァルキュリアは、帝国本国方面への航路に入った。
外縁防衛線は後方へ遠ざかっていく。
だが、追跡の反応は消えていない。
監察局直轄部隊は、距離を置きながらもこちらを追っている。
レオン隊も、いずれ防衛線を立て直し、再び前に立つだろう。
ヘルメス隊も、このまま終わる部隊ではない。
それでも、ルクスは進んでいた。
外縁を越えた。
帝国本国へ続く道へ入った。
戻れない場所へ、足を踏み入れた。
ジンは艦橋で前方を見つめる。
カイトはアルタイルの操縦席で、静かに拳を握っていた。
ユイはノクス限定起動の負荷を残したまま、封印状態の機体記録を見つめている。
ミオは支援網の修復に入り、レータはアミィのそばにいる。
ナユは頭痛を押さえながら、ロス・セレネの残響記録を閉じた。
リンは黙って、切断した拘束ワイヤーの映像を確認していた。
カイルは外周警戒を続け、セラはフェンリオンの弾薬残量を確認している。
それぞれが、傷と負荷を抱えたまま進む。
外縁防衛線突破は、終わりではない。
帝国本国戦の始まりだった。




