第278話 ヘルメス隊、再び
外縁防衛線突破作戦は、動き始めた。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが突破路を作る。
ヴァナルガンドが側面を抑える。
フェンリオン・リサイトが回収端末の装備を狙い、ヴァルクレイド・セレスが局地防壁を展開する。
ルナ・スケイル・リフレクトは広域支援を絞り、ヴェルディアは後方から監察局の回収機を妨害していた。
ルクス側の動きは、正面突破ではない。
監察局直轄部隊を引き出し、レオン隊の主防衛軸から切り離す。
そのうえで、薄くなった外周を抜ける。
だが、帝国側にも、その隙間を埋める部隊がいた。
ヘルメス隊。
高速巡航母艦『メルクリウス』を中心に展開する撹乱部隊が、再び戦場の外周へ広がっていた。
彼らは、レオン隊のように正面から受け止めない。
監察局のように対象を回収しようともしない。
ただ、戦場を乱す。
進路をずらし、支援網を揺らし、判断を遅らせる。
薄くなった突破路へ、別のノイズを流し込む。
ミオの支援網に、細かな揺れが走った。
『ヘルメス隊、外周から来ます。支援網の端を切るつもりです』
ジンが即座に指示を出す。
「カイル、レイ。外周を抑えろ。突破路を潰させるな」
『了解』
レイが短く答える。
『へいへい。やっと面白くなってきたな』
カイルの軽い声が続いた。
レイのヴァナルガンドが側面へ滑り込む。
カイルのレイヴン・ハウルは、すでに外周を走っていた。
ヘルメス隊の機動は速い。
通常GDカスタムのヴェス・シュトルムを随伴させ、複数の撹乱機が弧を描くように展開する。
目的は、ルクス側前衛を撃破することではない。
カイトの進路を曲げる。
ミオの支援網を一瞬だけ薄くする。
レータの局地防壁を、本来守るべき位置からずらす。
ユイのヴェルディアを孤立させる。
それだけで、監察局直轄部隊には十分だった。
回収機が入り込む余地が生まれる。
だからこそ、カイルはヘルメス隊を放っておかなかった。
『よお、また会ったな。足の速い連中』
レイヴン・ハウルが、ヘルメス隊の進路へ斜めに割り込む。
黒紫の機体が、撹乱機の編隊を切り裂くように走った。
通信が開く。
『そちらも相変わらず勝手に動いているようですね、レイヴン』
返ってきたのは、リュカ・ヴァレンの声だった。
カイルは笑う。
『命令待ってたら間に合わねえんでな』
『命令を守る気がないだけでは?』
『似たようなもんだ』
ヘルメスが高速で進路を変える。
カイルは深追いしない。
だが、逃がしもしない。
外周の一点を抜かせないよう、あえて相手の進路を限定する。
リュカは、その動きを見て小さく息を吐いた。
『厄介ですね。あなたは防衛線を抜く側のはずなのに、外周を守っているように見える』
『守ってんだよ。うちの連中が捕まらねえようにな』
『こちらとしては、ルクス・ヴァルキュリアを止めるのが任務です』
『なら止めに来い。回収屋の手伝いじゃなくてな』
その言葉に、リュカは一瞬だけ返答を遅らせた。
高速巡航母艦『メルクリウス』。
リュカ・ヴァレンは、ヘルメスの操縦席で戦域図を確認していた。
監察局直轄部隊は、すでに前へ出ている。
タナトスの反応停止波が戦場を沈め、回収機がヴァルクレイド・セレスやユイ機を狙っている。
命令上、ヘルメス隊はその誘導路を作ることになっていた。
ルクス側の支援網を乱し、監察局隊が対象を回収しやすくする。
文面はそうなっている。
だが、リュカはそれが気に入らなかった。
ルクスは敵だ。
外縁防衛線を抜けようとするなら、止めなければならない。
それはヘルメス隊の任務でもある。
しかし、アミィの回収実験に加担することとは違う。
PT-A01アミィ。
セレスティア残留反応。
ノクス・レクイエム。
レータ。
ユイ。
監察局は、それらを兵器や観測対象として見ている。
そして今、戦場そのものを実験場にしていた。
「隊長、監察局から再指示です」
部下の声が入る。
「読み上げろ」
『ヘルメス隊はルクス側支援網をさらに分断。特にヴァルクレイド・セレスの局地防壁とルナ・スケイルの広域支援の接続部を撹乱せよ。回収機の進路確保を最優先』
リュカは眉を寄せた。
「防衛線維持ではなく、回収機優先か」
「はい」
「レオン司令からの命令は?」
「外周撹乱を継続。ただし、味方防衛線への過剰干渉は避けるように、とのことです」
命令が食い違っている。
レオンは防衛線を守ろうとしている。
監察局は対象を回収しようとしている。
ヘルメス隊は、その間で使われていた。
リュカは静かに言った。
「ヘルメス隊は、外周撹乱を継続する。ただし、監察局回収機の直援には入らない」
「よろしいのですか」
「敵の支援網を乱すのが我々の仕事です。実験対象の回収補助ではありません」
部下は一瞬黙り、それから答えた。
「了解しました」
リュカは前方を見た。
黒紫のレイヴン・ハウルが、また視界の端を横切る。
「本当に、厄介な相手ですね」
そう呟きながら、リュカはヘルメスを加速させた。
外周では、レイもヘルメス隊と交戦していた。
ヴァナルガンドが、ヴェス・シュトルムの高速機動を受け止める。
速い。
だが、ヘルメス隊の機体は、ただ速いだけではない。
こちらを倒すために突っ込んでくるのではなく、進路をずらし、支援線を切り、こちらの向きを変えようとしてくる。
レイは歯を食いしばった。
『嫌な動き……!』
ヴァナルガンドが機体をひねり、ヴェス・シュトルムの進路を塞ぐ。
敵は即座に離脱し、別方向から支援網の端を狙う。
そこへ、月白の機体が後方から支援を入れた。
『レイさん、右外周にもう一機います。見えにくいですが、さっき消えた跡が残っています』
ナユのロス・セレネだった。
その肩部ユニットが開き、淡い波紋が戦場へ広がる。
広域残響波装置。
それは敵を焼く光ではない。
装甲を砕く衝撃でもない。
薄い音のような、月光の波紋のような振動が、外周空域へ広がっていく。
何もないように見えた空間が、わずかに震えた。
『いました。ヘルメス隊の撹乱機です。迷彩ではなく、支援網の死角を使っています』
「助かる!」
レイは即座に軌道を変えた。
ヴァナルガンドが、見えにくかった敵機の進路へ飛び込む。
敵機は一瞬反応が遅れた。
完全に見つかるとは思っていなかったのだろう。
レイの一撃が、敵機の進路を外側へ弾いた。
『撃破はしない。外へ出す!』
レイの声に、ナユが応じる。
『次、左後方にも反応の欠けがあります。完全には見えません。でも、そこに何かいます』
ジンが艦橋でその報告を拾う。
「ロス・セレネの情報を支援網へ反映しろ。ミオ、使えるか」
『はい。ナユさんの残響座標を支援網に重ねます』
ミオの支援網に、ナユが拾った欠落反応が淡く表示される。
見える敵ではない。
だが、いるはずの空白が浮かび上がる。
これで、ヘルメス隊の撹乱は完全ではなくなった。
カイルは、その変化を見逃さなかった。
『お、見えるじゃねえか。ナユ、いい仕事するな』
『見えているわけではありません。消えた跡を拾っているだけです』
『十分だ。消えた跡が分かりゃ、逃げ道も分かる』
レイヴン・ハウルが加速する。
リュカのヘルメスがその進路を横切った。
『こちらの撹乱を読まれるのは困りますね』
『じゃあもっと上手く消えろ』
『簡単に言ってくれる』
『俺ならそうする』
『あなたと一緒にしないでいただきたい』
軽口を交わしながらも、二機の機動は鋭かった。
ヘルメスは戦場を横に裂く。
レイヴン・ハウルは、その裂け目を縫うように追う。
互いに撃墜を狙っているわけではない。
だが、一歩間違えば致命的な速度域だった。
カイルは通信越しに言った。
『なあ、リュカ』
『何です』
『お前ら、本当にあの黒いのの手伝いしたいのか?』
リュカはすぐには答えなかった。
タナトスの黒い波が、戦場中央へ広がっている。
その後ろでは、監察局回収機が拘束装備を構えて前進していた。
『こちらは帝国軍です』
リュカは答えた。
『ルクス・ヴァルキュリアを止めるのが任務です』
『答えになってねえな』
『……アミィを回収実験に使う気はありません』
短い言葉だった。
だが、カイルは笑みを浮かべた。
『なら、ちっとは話が分かるじゃねえか』
『勘違いしないでください。あなた方を通すつもりもありません』
『分かってるよ。敵だもんな』
『ええ。敵です』
『なら、敵らしくやろうぜ。実験屋の犬じゃなくてな』
リュカは、ほんのわずかに目を細めた。
『……あなたは本当に口が悪い』
『褒め言葉だな』
『褒めていません』
二機が交差する。
火花が散った。
だが、その交差は先ほどまでと少し違っていた。
互いに潰し合うのではなく、監察局の回収機から距離を取るように戦場をずらしている。
ヘルメス隊は敵だ。
だが、監察局と同じではない。
その違いが、外周の戦場に小さな空白を作り始めていた。
監察局観測艦『ヴァル・ゼリア』。
オルフェン・グラードは、外周の戦況を見ていた。
ヘルメス隊の動きが、わずかに変わっている。
ルクス側の支援網を乱してはいる。
防衛線突破を助けているわけではない。
だが、監察局回収機の進路を開ける動きではなくなっていた。
リュカ・ヴァレン。
ヘルメス隊。
レオンほど明確に反発しているわけではない。
だが、監察局の目的に完全には従っていない。
「なるほど」
オルフェンは静かに呟いた。
「前線部隊は、どいつもこいつも情が邪魔をする」
監察局士官が報告する。
「ヘルメス隊の撹乱密度が、回収機進路上から逸れています」
「なら、補正しろ」
「命令再送ですか」
「不要だ。戦場で補正する」
オルフェンは、別の端末を開いた。
タナトスの反応停止波の範囲設定。
その端に、ヘルメス隊の現在位置が重なっている。
士官が一瞬だけ沈黙した。
「ヘルメス隊も範囲に入ります」
「構わない」
オルフェンの声は冷たい。
「タナトスの波は、敵味方を選別する必要がない。対象の応答を鈍らせ、回収機の進路を確保できればいい」
「レオン司令から抗議が入る可能性があります」
「記録しておけ。前線指揮官の情動反応として」
オルフェンは笑みを浮かべた。
「ヘルメス隊ごと、沈めろ」
外周戦域。
ナユが最初に異常に気づいた。
『……波が変わります』
ロス・セレネのセンサーに、黒い残響が広がっていく。
それは、先ほどまでタナトスが前線へ向けていた反応停止波とは違う。
範囲が広い。
方向が雑だ。
そして、その中にはヘルメス隊も入っている。
『待ってください。これ、ヘルメス隊も巻き込みます!』
ミオが支援網を確認する。
『本当です。タナトスの停止波が外周へ拡大。敵味方識別が甘いです!』
カイルが舌打ちした。
『あの野郎、味方ごとかよ!』
リュカの通信にも警告が入っていた。
『タナトスの波がこちらへ……? 監察局、何をしている!』
返答はない。
次の瞬間、黒い波が外周へ広がった。
ヘルメス隊の一機が動きを鈍らせる。
ヴェス・シュトルムの軌道が乱れる。
レイのヴァナルガンドにも遅れが入り、カイルのレイヴン・ハウルの反応が一拍沈む。
ナユのロス・セレネも、膨大な残響を浴びた。
『っ……多い……!』
ナユの声が揺れる。
消えた反応。
沈んだ反応。
止まりかけた反応。
それらが一斉に流れ込む。
ジンが叫ぶ。
「ナユ、セレネ・リップルを切れ! 情報を拾いすぎるな!」
『でも、見ないと……!』
「位置だけでいい。全部見るな!」
ナユは震える手で出力を絞った。
ロス・セレネの波紋が狭まる。
それでも、彼女は外周の一点を示した。
『ヘルメス隊の一機が止まります。そこに回収機が……来ます』
監察局回収機が、停止波で鈍ったヘルメス隊の機体ごと進路を塞ぐように前進していた。
カイルの表情が変わる。
『リュカ! お前の部下、捕まるぞ!』
『分かっています!』
リュカのヘルメスが急旋回する。
だが、反応停止波の影響で機体が重い。
カイルは舌打ちし、レイヴン・ハウルを加速させた。
『ったく、敵の救助までやらせんなよ!』
レイもヴァナルガンドを動かす。
『カイル、一人で突っ込まない!』
『じゃあ手伝え!』
『言われなくても!』
外周の戦場が、さらに混乱する。
監察局は、ヘルメス隊すら駒として扱い始めた。
ルクス、ヘルメス隊、レオン隊。
それぞれの立場の違いが、タナトスの黒い波によって、さらに鋭く浮かび上がろうとしていた。




