第276話 監察局の刃
タナトスが戦場へ出た瞬間、外縁防衛線の空気が変わった。
それは、レオン隊の圧力とは違っていた。
エリシオンの防衛圧は、重い。
ヘルメス隊の撹乱は、速く、読みにくい。
カスタムGDの防衛線は、厄介ではあるが、あくまで軍隊の動きだった。
だが、監察局直轄部隊は違う。
彼らの動きには、戦場を守る意思がない。
敵を撃破する熱もない。
前線の兵を守るための慎重さもない。
目的は、ただ一つ。
対象を止めること。
アミィ。
セレスティア残留反応。
ノクス・レクイエム。
そして、PT系列個体。
それらを壊さず、逃がさず、回収する。
そのためなら、味方の戦場すら実験場にする。
監察局直轄部隊の動きは、そういう冷たさを持っていた。
黒い機体、GD-NM-02 タナトスが前へ出る。
砲を構えるわけではない。
剣を抜くわけでもない。
ただ、機体中央の中核が低く脈打つ。
次の瞬間、黒い波が戦場へ広がった。
『反応停止波、来ます!』
リクトの警告が通信に飛んだ。
『通常の通信妨害ではありません。操縦者の判断反応と機体応答の間へ割り込むタイプです!』
ミオの支援網が大きく揺れる。
『広域支援、削られます……! レータさん、防壁を!』
「分かった」
ヴァルクレイド・セレスが白い防壁を展開する。
だが、タナトスの波は、先ほどの命令系干渉よりも深かった。
通信を乱すだけではない。
機体制御を奪うわけでもない。
操縦者が判断する前の、ほんのわずかな迷い。
判断を機体へ渡す途中の空白。
そこへ黒い波が入り込む。
アルタイル・ノヴァ・ブレイスの動きが、一拍遅れた。
「っ……!」
カイトは敵の接近を見ていた。
避ける方向も分かる。
反撃のタイミングも読める。
だが、手が遅れる。
機体が悪いのではない。
自分の判断が、どこかで沈められている。
『カイト、右から来る!』
レイの声が飛んだ。
ヴァナルガンドが側面から飛び込み、アルタイルへ迫っていたヴェス・シュトルムを受け止める。
鋭い接触音が走った。
「レイ!」
『ぼんやりしてる暇はないよ。こっちも重いけど、まだ動ける』
レイの声にも、わずかな遅れがある。
それでも、彼女は踏み込んだ。
ヴァナルガンドの近接牽制が、敵の側面機動を押し返す。
後方では、セラのフェンリオン・リサイトが射線を取り直していた。
『照準補助が鈍っています。でも、撃てます』
セラは呼吸を整え、引き金を引いた。
弾丸がカスタムGDの進路をかすめ、突撃角度を乱す。
撃墜ではない。
止めるための射撃。
その判断ができている間は、まだ戦線は崩れていない。
だが、タナトスの黒い波は、確実に味方の動きを削っていた。
ヴァルクレイド・セレスの操縦席で、レータは歯を食いしばっていた。
白い防壁が、黒い波を受け止める。
弾く。
受ける。
逸らす。
だが、完全には止められない。
タナトスの反応停止波は、命令系干渉とは違う。
命令を押し付けるのではなく、判断を沈める。
押し返す盾ではなく、沈み込む沼のようなものだった。
「……重い」
レータが呟く。
支援核フレームが、静かに震えている。
セレスティア由来の白い光は、味方機の通信と判断反応を守ろうとしている。
だが、タナトスの波はその隙間へ入り込む。
レータは出力を上げようとした。
『レータさん、上げすぎないでください!』
ミオの声が飛ぶ。
『防壁を広げすぎると、タナトスに支援核の位置を掴まれます!』
「でも、守らないと」
『広げるんじゃなくて、絞ってください。カイトさんとレイさんの周辺だけ。セラさんには私の支援網を回します』
レータは一瞬、迷った。
広く守りたい。
全部を守りたい。
だが、今のヴァルクレイド・セレスは万能ではない。
アミィの席を空けたまま、レータ一人で動かしている。
支援核も仮組み込みだ。
全部を守ろうとすれば、全部を失う。
「……分かった」
レータは防壁を絞った。
白い光が縮む。
戦場全体ではなく、アルタイルとヴァナルガンド周辺へ集中する。
ミオのルナ・スケイル・リフレクトが、その外側を薄く繋ぐ。
広く見るミオ。
狭く守るレータ。
役割を分けることで、黒い波への抵抗が少しだけ安定した。
『判断遅延、低下しています!』
リクトの声が入る。
『ただし、タナトスはまだ出力を上げていません。これは様子見です』
「様子見でこれかよ……!」
カイトが息を吐く。
アルタイルが再び動きを取り戻す。
だが、その前方で、タナトスはただ静かに立っていた。
敵意ではない。
怒りでもない。
観測するように、こちらを見ている。
ルクス・ヴァルキュリア艦橋。
ジンは戦況図を睨んでいた。
監察局直轄部隊の動きは、レオン隊と明らかに違う。
カスタムGDが防衛線を形成し、ヘルメス隊が撹乱する。
その隙間から、タナトスが反応停止波を流し込む。
そして後方には、回収用の小型機が複数待機している。
「撃破ではなく、拘束が目的か」
黒瀬が言った。
「間違いありません。敵の後方機に回収用拘束装備の反応があります。ワイヤー、固定フレーム、反応低下中の機体を牽引するための装備です」
三島が続ける。
「対象はアルタイルではなく、ヴァルクレイド・セレスとPT関連機体に集中しています。特にレータ機への観測密度が高いです」
グリッドが舌打ちする。
「セレスティア残留反応を見つけたな」
リクトも端末を操作しながら言う。
「タナトスの停止波は、ヴァルクレイド・セレスの支援核反応に合わせて調整されています。セレスティア由来の防壁に、反応停止波を当てた場合の挙動を見ています」
「実験か」
ジンの声が低くなる。
「前線で、こちらもあちらも兵がいる状態で」
黒瀬は表情を変えなかったが、声は冷たかった。
「監察局らしい動きです」
ジンは前方画面を睨む。
「レオン隊の動きは」
「エリシオンは待機。グラトン側は防衛線深部への侵入阻止を維持しています。ただし、タナトスへの直接支援は限定的です」
「レオンが抑えているか」
「その可能性はあります」
ジンは短く息を吐いた。
レオンは敵だ。
外縁防衛線を越えようとすれば、必ず止めに来る。
だが、少なくとも監察局のように、兵を実験材料にする動きはしていない。
その違いが、戦場で見えていた。
ノクス制御監視席。
ユイは、封印状態のノクス・レクイエムの反応を見つめていた。
タナトスの黒い波が戦場へ広がるたび、端末には命令層に似た干渉波形が浮かぶ。
切れるかもしれない。
ユイには、そう感じられた。
タナトスの反応停止波は、命令層そのものではない。
だが、操縦者と機体の間に割り込み、判断を沈める。
ノクスの切断術式なら、その繋がりを断てる可能性がある。
ノクスを出せば、タナトスの停止波を切れるかもしれない。
レータを助けられるかもしれない。
カイトの遅れを消せるかもしれない。
ユイの手が、端末の上で止まる。
隣にはリクトとリゼルがいる。
少し離れて、アシュが外部停止役として待機していた。
カナデも、ユイの反応を見ている。
「ユイさん」
カナデが静かに声をかけた。
「使いたいと思っていますね」
「……はい」
ユイは否定しなかった。
「ノクスなら、切れるかもしれません。あの黒い波を、止められるかもしれません」
アシュが短く言う。
「条件は揃っていない」
「分かっています」
ユイは答えた。
本人反応が確認できない。
タナトスの停止波が、誰の何を削っているのか完全には見えていない。
外部停止役はいる。解析班もいる。だが、前線側の安全距離が足りない。
主砲級火力とは連動していないが、切断範囲も確定していない。
使えない。
いや、使ってはいけない。
ユイは拳を握った。
「……ノクスは出しません」
カナデが頷く。
「それも判断です」
「でも、何もしないのは嫌です」
ユイは画面を見た。
前線では、カイトたちがタナトスの停止波に抗っている。
レータが白い盾で守っている。
ミオが支援網を縮めて支えている。
レイとセラが戦線を崩さないよう踏みとどまっている。
ノクスは使えない。
だからといって、自分が何もできないわけではない。
ユイは立ち上がった。
「ユイさん?」
リクトが顔を上げる。
「ノクスは使いません。でも、別の方法で出ます」
グリッドの声が通信に割り込んだ。
『別の方法って何だ。おい、嫌な予感しかしねえぞ』
ユイは少しだけ視線を逸らした。
「倉庫に、ヴェルデで譲ってもらった機体があります」
『倉庫? 譲ってもらった機体? なんで今初めて聞くんだ』
「初めてではありません。記録にはあります」
『整備班に実戦投入機として上がってねえんだよ!』
「予備でしたので」
アシュが短く言った。
「隠していたな」
「保管です」
「同じだ」
ユイは一瞬だけ黙った。
「……今は使えます」
空気がわずかに緩んだ。
だが、それは逃避ではなかった。
ユイはノクスを使わない。
代わりに、切らないための機体で前線へ出ようとしている。
リゼルが静かに言った。
「ヴェルデのグローブ・フレームですね」
「はい」
ユイは頷いた。
「GF-03 ヴェルディア。火力はありません。でも、観測と救助ならできます」
アシュはユイを見た。
「前に出すぎるな」
「はい」
「ノクスを使う口実にするな」
「しません」
「なら、行け」
ユイは深く頷いた。
艦内保護区画。
アミィは、戦場の反応を見て震えていた。
タナトスの黒い波が広がるたび、胸の奥が重くなる。
命令ではない。
けれど、似ている。
動けなくなる感覚。
自分の声が遠くなる感覚。
誰かに戻されるような感覚。
カナデの補助端末越しに、アミィの反応が乱れる。
「アミィさん、大丈夫です。ここはルクス艦内です。あなたは戦場に出ていません」
カナデの声が通信越しに届く。
アミィは両手を握りしめた。
「……黒い」
彼女は小さく言った。
「止まる。声、遠くなる」
レータのヴァルクレイド・セレスが白い盾を出している。
でも、その白い光の向こうから、黒い波が押してくる。
アミィの呼吸が浅くなる。
その時、戦場の通信に監察局の冷たい音声が混じった。
『PT-A01反応、艦内にて確認。再同期候補として記録』
アミィの目が見開かれた。
戻される。
また、あの場所へ。
命令の中へ。
自分の声が届かない場所へ。
アミィは震えながら、しかしはっきりと言った。
「戻りたくない」
保護区画の空気が止まる。
今までのような、断片的な反応ではなかった。
怖いから逃げるだけの声でもない。
アミィ自身の意思だった。
「戻りたくない。命令、いや。声、消えるの、いや」
その言葉は、艦内通信にも拾われた。
前線で、カイトが聞いた。
「アミィ……」
アルタイルの操縦席で、カイトは拳を握る。
タナトスの黒い波が、また判断を鈍らせようとする。
だが、今度はその中で、カイトの意識がはっきりした。
「戻させない」
カイトは低く言った。
「絶対に、戻させない!」
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが前へ出る。
タナトスへ一直線に突っ込むのではない。
回収部隊の進路を塞ぐ位置へ入る。
敵の目的が回収なら、そこを潰す。
『カイト、前に出すぎ!』
レイが叫ぶ。
「分かってる! でも、あいつらをアミィに近づけない!」
『なら、横は押さえる!』
ヴァナルガンドが側面へ回り込む。
セラのフェンリオンが回収装備を持つ直轄機へ射撃を浴びせた。
『拘束装備を狙います。撃破ではなく、腕部と牽引装置を止めます』
ミオが支援網を絞る。
『カイトさんとレイさん周辺へ支援集中。レータさん、局地防壁を前へ』
「分かった」
ヴァルクレイド・セレスの白い盾が、アルタイルの前方へ重なる。
アミィを戻させない。
その意思が、前線の動きを変えた。
ルクス・ヴァルキュリアの倉庫区画。
そこは、通常の格納庫ではなかった。
交換用部品、予備外装、異文明技術サンプル、回収した帝国製パーツ。
そして、ユイが「いつか使えるかもしれない」と判断して保管していたものが並ぶ区画。
その一角で、緑がかった装甲の機体が起動準備に入っていた。
GF-03 ヴェルディア。
アース・ヴェルデ製グローブ・フレーム。
植物性繊維装甲と軽量機械骨格を組み合わせた環境適応型機体。
火力は控えめだが、自己修復、観測、救助、非殺傷牽制に向く。
そして何より、帝国式命令層とは無関係な機体だった。
グリッドが通信越しに怒鳴る。
『ユイ! ぶっつけ本番で出す機体じゃねえぞ、それは!』
「最低限の整備はしています」
『誰がだ!』
「……私が」
『だから問題なんだよ!』
ユイは操縦席に座り、システムを確認する。
ノクス・レクイエムとはまるで違う。
重くない。
鋭くない。
何かを切るための感覚もない。
反応は柔らかく、少し遅い。
だが、拒まない。
ユイは小さく息を吐いた。
「ノクスは使わない」
自分に言い聞かせるように言う。
「でも、私は行きます」
アシュの声が通信に入った。
『前線に出ても、ノクスの条件は変わらない』
「はい」
『危ないと思えば戻れ』
「分かっています」
『分かっているだけでは足りない。守れ』
ユイは静かに頷いた。
「守ります」
GF-03 ヴェルディアのセンサーが淡い緑に灯る。
倉庫区画の簡易発進路が開く。
正式な出撃ではない。
急造の投入だ。
それでも、ユイは前へ向かう。
切るためではなく。
撃つためでもなく。
戻させないために。
監察局観測艦『ヴァル・ゼリア』。
オルフェン・グラードは、戦場に新たな反応が現れたことに気づいた。
「新規機体反応?」
監察局士官が報告する。
「ルクス艦内倉庫区画より小型機が出撃準備。帝国GDではありません。地球側LFとも完全には一致しません」
「ノクス・レクイエムではないのか」
「違います。出力も反応も低い。植物性繊維に近い外装反応。アース・ヴェルデ系の可能性があります」
オルフェンは、少しだけ目を細めた。
「ノクスを出さないか」
予想外だった。
タナトスの反応停止波を受ければ、ユイはノクスを使いたくなるはずだった。
命令層に似た干渉を切れるかもしれないと考えるはずだった。
だが、ルクス側はノクスを出していない。
代わりに、別系統の機体を出す。
「面白い」
オルフェンは笑みを浮かべた。
「切る力を封じたまま、別の手を出してきたか」
士官が問う。
「対象に加えますか」
「当然だ。ただし、破壊するな。ユイが搭乗している可能性が高い。タナトスは回収部隊の支援を継続。追加機は拘束対象に加える」
「了解」
オルフェンは戦場図を見た。
アルタイルが回収部隊を押さえ、ヴァナルガンドが側面を抑え、フェンリオンが拘束装備を狙う。
ルナ・スケイルとヴァルクレイド・セレスが支援を維持し、そこへユイの新たな機体が向かう。
外縁防衛線の突破作戦は、もはや探り合いではなくなりつつあった。
「では、始めよう」
オルフェンは静かに言った。
「監察局直轄部隊、本格介入。対象を回収せよ」
外縁防衛線右翼。
タナトスの黒い波が強まる。
回収用拘束機が前へ出る。
カスタムGDがその進路を守り、ヘルメス隊の撹乱が支援網の端を揺らす。
それに対し、ルクス側も動きを変えた。
アルタイルは回収部隊の進路を塞ぐ。
ヴァナルガンドは側面機動を潰す。
フェンリオンは拘束装備を狙う。
ルナ・スケイルは広域支援を絞り、ヴァルクレイド・セレスは局地防壁を前方へ押し出す。
そして、ルクス・ヴァルキュリアから、淡い緑の機体が発進した。
GF-03 ヴェルディア。
ユイは操縦席で、前方の戦場を見据える。
ノクスではない。
レクイエムではない。
敵を断ち切る力はない。
けれど、今の自分にはこれでいい。
「ユイ、GF-03 ヴェルディア、出ます」
その声が、前線に届いた。
カイトが驚いたように通信を返す。
『ユイ!?』
「ノクスは使いません。でも、回収部隊を止める手伝いはできます」
『無茶するなよ!』
「カイトもです」
『……分かった!』
短いやり取りの後、二人は前を向いた。
監察局直轄部隊が本格的に動き出す。
外縁防衛線の薄い箇所を探る段階は終わった。
ここからは、突破するか、捕まるか。
ルクス・ヴァルキュリアの外縁防衛線再突破作戦は、いよいよ本格化した。




