第273話 ルクス再出発
エデンでの滞在は、長いようで短かった。
ルクス・ヴァルキュリアは、損傷した艦体を整え、各機体の再調整を終えた。
アミィの保護状態も、完全ではないが安定し始めている。
ヴァルクレイド・セレスは仮完成し、ノクス・レクイエムには使用条件が定められた。
それは、休息というにはあまりにも重い時間だった。
だが、必要な時間でもあった。
壊れたものを直すのではなく、これ以上壊れないように整える。
絡まったものを無理にほどくのではなく、ほどけないよう支える。
エデンでの調整は、そのためにあった。
そして、その時間も終わろうとしていた。
ルクス・ヴァルキュリアの接続区画には、リゼルをはじめとしたエデン側の関係者が集まっていた。
艦内の空気は静かだった。
戦闘前の緊張とは違う。
誰もが、これから先に待つものを理解している沈黙だった。
ジンは、リゼルへ向かって深く頭を下げた。
「世話になった。艦の修復、術式層の安定化、アミィの保護、ノクスとヴァルクレイドの調整。どれも、エデンの協力がなければここまで進まなかった」
リゼルは穏やかに首を横に振った。
「私たちは、整える手伝いをしただけです。進むかどうかを決めたのは、あなた方です」
「それでも助かった」
黒瀬も一歩前へ出る。
「エデン側の支援内容は、ルクス・ヴァルキュリア正式記録に残す。軍事転用可能な情報は制限するが、救助・保護・術式安定化に関する協力は、正確に記録する」
「ありがとうございます」
リゼルは静かに頷いた。
その横で、ユイとミオも頭を下げる。
「ありがとうございました」
「本当に、助かりました」
レータは少し迷った後、短く言った。
「……ありがとう」
その隣で、アミィはリゼルを見上げていた。
まだ、長く話すのは難しい。
だが、以前よりも視線がはっきりしている。
リゼルは、アミィの前に膝をついた。
「アミィさん」
「……うん」
「怖いままでも、進めます」
アミィは瞬きをした。
その言葉を、ゆっくり受け止めているようだった。
「怖いものがなくならなくても、全部が分からなくても、進むことはできます。止まってもいい。戻ってもいい。誰かの手を借りてもいい。それでも、あなたが答えられる言葉は、少しずつ増えていきます」
アミィは胸元に手を置いた。
しばらくして、小さく口を開く。
「怖い」
リゼルは頷いた。
「はい」
「でも、話せる」
その短い言葉に、レータの表情が少しだけ動いた。
ユイも、静かに息を呑む。
アミィは続けた。
「怖い。でも、話せる。見る。聞く。答える」
「それで十分です」
リゼルは微笑んだ。
「今は、それで十分です」
レータがアミィの肩にそっと手を置く。
アミィは逃げなかった。
そのまま、少しだけレータの方へ寄った。
出発前の最終確認は、艦内作戦会議室で行われた。
大型モニターには、各機体の状態が一覧表示されている。
アルタイル・ノヴァ・ブレイス。
フェンリオン・リサイト。
ルナ・スケイル・リフレクト。
ヴァルクレイド・セレス。
ノクス・レクイエム。
そして、その他の出撃可能機体。
ジンは指揮卓の前に立ち、各班の報告を聞いていた。
「まず、アルタイル」
グリッドが端末を操作する。
「アルタイル・ノヴァ・ブレイスは出撃可能です。支援リンク系は前回の戦闘後に再調整済み。ただし、長時間の高負荷運用はまだ避けた方がいい。カイトの反応遅延も完全には抜けていません」
カイトは頷いた。
「分かっています。無理に前へ出すぎないようにします」
「言葉だけなら毎回そう言うんだよな」
グリッドがぼやく。
カイトは少し困った顔をした。
「今回は本当に気をつけます」
ユイが横から静かに見つめると、カイトはさらに姿勢を正した。
「……本当に気をつけます」
ジンは軽く咳払いをして、次へ進める。
「フェンリオン」
セラが答えた。
「フェンリオン・リサイト、出撃可能です。照準補助AIの再調整も問題ありません。ただし、弾薬消費は前回戦闘で多かったため、継戦能力は少し落ちます」
グリッドが補足する。
「補給はしたが、特殊弾はまだ十分じゃない。セラには精密射撃と牽制を優先してもらう。無駄撃ちはなしだ」
「分かっています」
セラは真面目に頷いた。
「撃つ時は、自分で選びます」
その言葉に、ユイが少しだけ微笑んだ。
フェンリオン・リサイトもまた、命令で撃つ機体ではなくなった。
セラ自身の意思で撃つための機体になった。
「ルナ・スケイル」
ミオが端末を確認しながら答える。
「ルナ・スケイル・リフレクトは出撃可能です。広域支援網は安定しています。ただ、次の戦場では監察局系の干渉が予想されます。支援網を広げすぎると、逆に狙われる可能性があります」
リクトが頷く。
「外縁防衛線には、監察局直轄部隊が投入される可能性があります。通信撹乱、反応停止、命令層再同期系の兵器が出ると想定した方がいいです」
「なら、今回は広げすぎない方がいいですね」
ミオは静かに言った。
「ルナ・スケイルは全体支援をしつつ、危険な干渉が来た場合はすぐ縮小します。ヴァルクレイド・セレスとの連携を優先します」
ジンがレータを見る。
「ヴァルクレイド・セレスは」
レータは、短く答えた。
「出られる」
グリッドが詳細を補足する。
「RVN-PT-LA01 ヴァルクレイド・セレスは、レータ単独搭乗で出撃可能です。局地通信保護、命令系干渉遮断、防衛支援は動作確認済み。ただし、支援核フレームはまだ仮組み込み。高出力運用は避けるべきです」
黒瀬が確認する。
「アミィ搭乗は」
「行いません」
カナデが即答した。
「アミィさんは戦闘参加しません。艦内保護区画で待機。必要に応じて心理反応の観測は行いますが、戦闘判断には組み込みません」
アミィは会議室の端に座っていた。
話を聞いている。
完全に理解しているわけではないかもしれない。
だが、自分のことだとは分かっているようだった。
レータがアミィを見る。
「アミィは、乗らない」
「乗らない」
アミィは繰り返した。
「見る。待つ」
「うん」
「レータ、行く?」
「行く」
「帰る?」
レータは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
だが、すぐに頷く。
「帰る」
アミィは、その言葉を聞いて小さく頷いた。
「待つ」
会議室の空気が、少しだけ柔らかくなる。
だが、それはすぐに緊張へ戻った。
次は、ノクス・レクイエムの確認だったからだ。
モニターに、黒と紫紺の機体が映る。
LF-GD-YR01 ノクス・レクイエム。
ユイは、静かにその表示を見つめていた。
リクトが報告する。
「ノクス・レクイエムは再封印状態を維持します。主機関、外殻出力、武装系統、主砲級火力連動はすべて封鎖。制御層のみ、緊急時の命令層干渉に備えて最低限の待機状態に置きます」
リゼルも続ける。
「使用条件は前回決定した通りです。本人反応を確認できない対象には使用しない。命令層切断以外の目的では使用しない。外部停止役を必ず置く。主砲級火力とは連動させない」
黒瀬が記録を確認する。
「ユイ、確認する。ノクスは原則待機でいいな」
「はい」
ユイは答えた。
「外縁防衛線再突破作戦では、ノクス・レクイエムを戦力として数えないでください」
カイトがユイを見た。
ユイは続ける。
「ノクスは、突破用の切り札ではありません。命令層に縛られている相手を救う必要があり、条件を満たした時だけ使います。それ以外では待機します」
アシュは壁際で腕を組んでいた。
彼は短く言う。
「使い方を間違えれば止める」
「はい」
ユイは頷いた。
「お願いします」
「なら、今回の再突破作戦における主軸は別に置く」
ジンは二人のやり取りを確認し、作戦図を切り替えた。
「レイのヴァナルガンドは側面遊撃。カイトの突破進路を塞ぐ敵機を牽制する。ナユのロス・セレネは後方索敵とルクス本体周辺の迎撃。リンのヴァイス・リッパー・リビルドは前衛護衛、特にアルタイルの側面を補う」
ジンはそこで、アシュを見た。
「ネヴァは即応待機だ。ただし、アシュにはノクス使用時の外部停止役を優先してもらう」
アシュは短く頷いた。
「分かった。必要なら出る。だが、ノクスを止める役は空けない」
外縁防衛線の立体図が表示される。
帝国側の防衛艦隊。
『グラトン』の想定位置。
ヘルメス隊の撹乱可能範囲。
そして、新たに到着した可能性のある監察局直轄部隊。
「目的は外縁防衛線の突破。ただし、正面から押し潰すのではなく、突破口を作って通過する。ルクス・ヴァルキュリア本体は過度に前へ出さない」
黒瀬が問う。
「監察局直轄部隊がいる場合は」
「警戒しながら回避する。だが、向こうがノクスやPT対象を狙ってくるなら迎撃する」
ジンは画面に出撃予定機を表示した。
「アルタイル・ノヴァ・ブレイスは前衛。フェンリオン・リサイトは中距離牽制。ルナ・スケイル・リフレクトは支援網を縮小運用。ヴァルクレイド・セレスは局地通信保護と命令系干渉遮断。ノクス・レクイエムは待機。アミィは非戦闘待機」
「了解しました」
カイト、セラ、ミオ、レータ、ユイがそれぞれ頷いた。
ジンは続ける。
「監察局が出てくる以上、単純な砲撃戦にはならない。敵は機体を壊すより、止めることを狙ってくる可能性がある。通信、反応、認識、命令層。どこを狙われてもおかしくない」
リクトが補足する。
「特に注意すべきは、反応停止系です。こちらの機体を破壊せず、一時的に応答を鈍らせる兵器が出る可能性があります」
「タナトス、ですね」
ユイが呟く。
まだ詳細は分からない。
だが、監察局が投入する特殊機であることは想定されている。
ジンは頷いた。
「可能性は高い。各機、単独で深追いするな。支援網から外れるな。通信が切れた場合は、事前設定した後退ポイントへ戻れ」
「了解」
カイトが答える。
セラも頷く。
「了解です」
ミオは静かに言った。
「支援網の範囲を、無理に広げないようにします。守れる範囲を守ります」
レータは短く言う。
「前に出すぎる機体を止める」
カイトが一瞬だけ自分を指差した。
「それ、俺のこと?」
「多分」
「気をつけます」
少しだけ空気が和らいだ。
だが、笑いは長く続かなかった。
外縁防衛線へ戻るということは、再び帝国と正面から向き合うということだ。
レオン。
オルフェン。
監察局直轄部隊。
そして、まだ見ぬ特殊機。
エデンで整えた力が、次の戦場で試される。
出発準備が整うと、ルクス・ヴァルキュリアはエデン外縁の航路へ移動した。
艦体各部の補修区画が閉じられ、術式層安定化用の外部支援接続が解除されていく。
エデン側の通信が入った。
『ルクス・ヴァルキュリア、航路接続解除を確認しました』
ジンが艦橋で応答する。
「了解。これより本艦は、外縁防衛線方面へ向かう」
『ご武運を』
「感謝する」
通信が切れる直前、リゼルの声が入った。
『ユイさん、アミィさん、レータさん』
ユイが通信へ向き直る。
「はい」
『整えたものは、すぐには強くなりません。揺れます。迷います。けれど、壊れないように支え続ければ、いつか自分の形になります』
レータは黙って聞いていた。
アミィも、保護区画から通信を聞いている。
リゼルは続けた。
『どうか、急がないでください』
アミィが小さく呟いた。
「急がない」
通信越しに、リゼルが微笑んだ気配がした。
『はい。それでいいのです』
通信が終了する。
艦橋に、出発前の静けさが戻った。
ジンは前方の航路表示を見る。
外縁防衛線方面。
帝国本国へ続く道。
そこには、すでに新たな敵が待っている。
「ルクス・ヴァルキュリア、進路固定」
航法士が報告する。
「外縁防衛線方面へ航路設定完了」
ジンは頷いた。
「発進」
巨大艦が、ゆっくりと動き出す。
エデンの穏やかな光が、艦体後方へ流れていく。
代わりに前方へ広がるのは、帝国の外縁宙域。
休養と整備の時間は終わった。
アミィは保護区画で、静かに手を握っていた。
レータはヴァルクレイド・セレスの出撃準備へ向かう。
ユイは封印されたノクス・レクイエムの記録を閉じる。
カイトはアルタイルの格納庫へ歩き出す。
それぞれが、整えたものを抱えたまま、次の戦場へ向かう。
ルクス・ヴァルキュリアは、外縁防衛線方面へ再び進み始めた。




