第271話 監察局の焦り
帝国本国方面。
巨大観測艦『ヴァル・ゼリア』の監察区画には、重い沈黙が落ちていた。
中央に投影されているのは、外縁防衛線で発生した一連の戦闘記録。
ルクス・ヴァルキュリアの接近。
外縁方面軍旗艦『グラトン』による防衛展開。
ヘルメス隊の撹乱。
セレスティア反応の発現。
そして、PT-A01アミィの喪失。
記録上、その結果は明白だった。
アミィはルクス側に奪われた。
セレスティアは制御下を離れた。
命令層の再同期にも失敗した。
通常なら、監察局の作戦失敗として扱われる内容だった。
だが、オルフェンは、投影された戦闘ログを前にしても表情を変えなかった。
「以上が、外縁防衛線における観測結果です」
彼の声は淡々としていた。
会議卓の向こう側には、帝国本国の監察局上層部が通信投影で並んでいる。
いずれも顔色は険しい。
その一人が低く言った。
『観測結果、か』
声には明確な不快感が滲んでいた。
『こちらの報告では、PT-A01は敵艦に回収された。セレスティア支援核も喪失。命令層再同期は不成立。これを観測結果と呼ぶのか、オルフェン』
「はい」
オルフェンは迷わず答えた。
「失敗ではありません。極めて貴重な観測結果です」
その言葉に、通信投影の一部がざわついた。
『詭弁だな』
別の上層官が吐き捨てるように言った。
『結果として、帝国資産は奪取された。被検体は敵性勢力の保護下に入り、セレスティアも再利用される可能性がある。これを失敗と呼ばずに何と呼ぶ』
「被検体としては失われました」
オルフェンは認めた。
「ですが、アミィがルクス側に接触したことで、こちらは重要な情報を得ています。PT-A01の自己応答が命令層を上回る可能性。レータ型との反応共鳴。ノクス・レクイエムに対する命令層切断リスク。そして、ルクス側がPT個体を破壊対象ではなく保護対象として扱う傾向」
彼は画面を切り替えた。
アミィ救出時の通信ログ。
命令層の揺らぎ。
レータの名乗りに反応したアミィの波形。
ユイおよびノクス・レクイエム周辺の異常な切断反応。
それらが、次々と投影される。
「これらは、通常の拘束試験では得られないデータです」
『その代償が、PT-A01の喪失か』
「喪失ではなく、外部環境下での長期観測対象化です」
『言い換えるな』
鋭い声が飛ぶ。
それでも、オルフェンは笑みを消さなかった。
「帝国の管理下に置いたままでは、アミィの自己応答はここまで顕在化しなかったでしょう。ルクス側がどう保護し、どう再定義し、どう戦力化するか。それを観測することで、我々はPT系列の未確認反応をさらに抽出できます」
『敵に育てさせると言うのか』
「必要なら、そう表現しても構いません」
沈黙が落ちた。
オルフェンの言葉は、あまりにも危うい。
だが、監察局という組織において、完全に否定できるものでもなかった。
彼らは兵士ではない。
守ることを第一に考える組織でもない。
異常を観測し、利用価値を測り、帝国にとって必要な形へ分類する。
その意味では、オルフェンの言葉は監察局の思想そのものでもあった。
だからこそ、上層部の苛立ちは深かった。
『問題はアミィだけではない』
通信投影の中央にいる人物が言った。
他の上層官よりも声が重い。
この会議の裁定権を持つ者だった。
『ルクス・ヴァルキュリアの行動そのものが危険だ。外縁防衛線へ接触し、PT-A01を奪取し、セレスティアを分解した可能性がある。さらに、ノクス・レクイエムを保有している』
画面にノクス・レクイエムの不完全な観測映像が映る。
黒と紫紺の機体。
まだ完全なデータはない。
だが、命令層に干渉する力を持つ可能性が高い。
『あの機体は、帝国式命令層そのものを脅かす。もしPT系列の拘束を解除できるなら、問題はアミィ一体では済まない』
「同意します」
オルフェンはあっさり頷いた。
「だからこそ、再接近時にさらなる観測が必要です」
『違う』
中央の上層官が即座に否定した。
『必要なのは観測ではない。阻止だ』
会議室の空気が変わる。
『ルクス・ヴァルキュリアを、帝国本国圏へ近づけてはならない。外縁防衛線を越えさせれば、帝国中枢に対する直接的な脅威となる』
「レオンは、防衛線維持を優先しました」
オルフェンが言う。
「アミィ救出後、ルクス側を深追いしなかったのも、外縁防衛線の維持という観点では妥当です」
『妥当かどうかは、こちらが判断する』
別の上層官が言った。
『レオン・グレイスナーは、敵艦を殲滅可能な状況で見逃したのではないか』
「殲滅可能と断定するには、戦況が不足しています」
『だが追撃しなかった』
「追撃すれば、防衛線に穴が空いた可能性があります。加えて、ルクス側にはノクス・レクイエム、ルナ・スケイル、複数のPT機、そして未知の支援能力がありました。消耗した外縁部隊で深追いするのは危険です」
『随分とレオンを庇う』
その言葉に、オルフェンの笑みが少しだけ深くなる。
「庇っているのではありません。彼の判断を、今後の介入材料として分類しているだけです」
通信投影の向こうで、何人かが沈黙した。
レオンの判断は、戦術的には理解できる。
だが、監察局から見れば、それは疑念の種でもある。
敵を完全に潰せる機会を逃したのか。
防衛線維持を口実に、ルクス側の撤退を許したのか。
あるいは、前線指揮官として、監察局の命令より自分の判断を優先したのか。
いずれにせよ、監察対象になりうる。
オルフェンはそれを分かっていた。
そして、それを利用するつもりでもあった。
『結論を出す』
中央の上層官が告げた。
『外縁防衛線に、監察局直轄部隊を投入する』
その言葉に、会議卓の空気がわずかに揺れた。
監察局直轄部隊。
それは通常の外縁方面軍とは指揮系統が異なる。
防衛線維持よりも、対象の拘束、観測、回収、再同期を優先する部隊だ。
前線指揮官であるレオンにとっては、歓迎しにくい存在だろう。
だが、本国側はすでに、外縁方面軍だけに任せるつもりを失っていた。
『部隊指揮は監察局権限で行う。レオンには防衛線維持を継続させるが、PT関連対象およびノクス・レクイエムに関する判断権は、監察局が上位に立つ』
「了解しました」
オルフェンは静かに頭を下げた。
『投入機体は、準備状況を確認中だ。GD-NM-02 タナトスを優先候補とする』
画面に、一つの機体データが表示される。
GD-NM-02 タナトス。
未投入の特殊機。
正面突破や防衛ではなく、対象反応の停止、拘束、再同期を目的とした機体。
機体概要の一部は黒く伏せられている。
だが、表示された項目だけでも、その危険性は十分だった。
反応停止波。
擬似命令層固定。
機体制御遅延。
対象パイロットの応答低下。
それは、ルクス側がエデンで整えた力に対して、あまりにも悪質な相性を持つ機体だった。
オルフェンは画面を見つめる。
「タナトスですか。対象を壊すには向かないが、止めるには適している」
『破壊が目的ではない』
中央の上層官が言った。
『ノクス・レクイエムは可能なら鹵獲。ユイは拘束。レータおよびアミィは再分類。ヴァルクレイド・セレスは回収または無力化。ルクス・ヴァルキュリアについては、必要なら艦機能を停止させる』
「随分と欲張りな命令ですね」
『監察局の任務だ』
「失礼しました」
オルフェンは口元に笑みを浮かべたまま、頭を下げる。
その笑みが消えることはなかった。
『加えて、モルスの起動準備も進める』
別の機体データが、暗い表示で開かれる。
GD-NM-?? モルス。
詳細はまだ開示されていない。
タナトスよりもさらに情報が伏せられている。
名称以外に分かるのは、監察局の深部保管機であること。
そして、通常戦闘用ではないということだけだった。
オルフェンは、その表示を見て目を細める。
「モルスまで動かすと?」
『タナトスで不足した場合に備える。ルクス・ヴァルキュリアの能力は、従来の外縁勢力とは違う。過小評価はしない』
「賢明です」
オルフェンは答えた。
だが、その声にはどこか楽しげな響きがあった。
タナトス。
モルス。
監察局直轄部隊。
外縁防衛線は、単なる壁ではなくなる。
観測と拘束と再同期の場へ変わる。
そして、そこへルクス・ヴァルキュリアは戻ってくる。
整えた力を抱えたまま。
会議が終わった後も、オルフェンは投影画面を消さなかった。
アミィ救出時のログが、何度も再生されている。
命令層が揺らぎ、本人反応が浮上する瞬間。
レータの声に反応したアミィの波形。
ユイの存在によって、セレスティアの支援層が乱れる瞬間。
そして、ノクス・レクイエムに関する不完全な観測値。
「失敗、か」
オルフェンは小さく呟いた。
確かに、監察局の管理下から見れば失敗だ。
アミィは奪われた。
セレスティアは分解された。
レータもユイも、帝国の命令系統から遠ざかっている。
だが、だからこそ面白い。
命令から離れたPTが、どこまで自己を形成するのか。
救出された個体が、再び戦場でどう反応するのか。
ノクス・レクイエムが、帝国式命令層にどこまで届くのか。
観測する価値は、失われていない。
むしろ、増えている。
背後に控えていた士官が、静かに告げる。
「監察局直轄部隊、準備命令を発令します」
「発令しろ。タナトスの起動調整を優先。モルスは深部起動準備に留める。まだ全てを見せる段階ではない」
「はっ」
「レオンへの通知は?」
「防衛線維持命令と合わせて送信予定です。ただし、監察局部隊の詳細は制限付き開示となります」
「それでいい」
オルフェンは画面の中の外縁防衛線を見た。
レオンは不快に思うだろう。
自分の戦場に、監察局がさらに深く介入するのだから当然だ。
だが、それもまた観測対象だ。
レオンが従うのか。
反発するのか。
それとも、前線指揮官として監察局の介入すら利用するのか。
すべて、価値がある。
オルフェンは、ゆっくりと椅子に背を預けた。
「ルクス・ヴァルキュリア。戻ってこい」
薄い笑みが浮かぶ。
「今度は、こちらも条件を変える」
帝国本国中枢から、正式命令が発令された。
外縁方面軍旗艦『グラトン』。
監察局観測艦『ヴァル・ゼリア』。
高速巡航母艦『メルクリウス』。
そして、監察局直轄部隊。
すべての部隊に、同一の命令が通達される。
『ルクス・ヴァルキュリアの再接近を確認次第、外縁防衛線にて阻止せよ』
『PT関連対象の保護、奪還、再同期を最優先事項とする』
『ノクス・レクイエムの完全起動を許可してはならない』
『外縁防衛線を越えさせるな』
その命令は、帝国本国から外縁へ向けて流れていった。
エデンで整えた力を抱えたルクス・ヴァルキュリア。
それを待つ帝国は、もはや観測だけで済ませるつもりはなかった。




