第270話 整った力
エデンでの調整作業は、終わりに近づいていた。
アミィの保護。
セレスティアの分解と再定義。
ヴァルクレイド・セレスの仮完成。
ノクス・レクイエムの制御層試験と使用条件の策定。
そのどれもが、完全な解決とは言えない。
アミィの中には、まだ命令層の残滓がある。
ヴァルクレイド・セレスも、仮組み込み段階であり、高出力運用は未確認だ。
ノクス・レクイエムに至っては、条件付きで使用方針を定めたものの、再び封印状態へ戻されることになっている。
それでも、ルクス・ヴァルキュリアは進める状態になった。
止まったままではいない。
背負ったものを、壊さないように整えた。
その確認のため、艦内の会議室には主要メンバーが集められていた。
黒瀬、三島、ジン、グリッド、カナデ、リクト、リゼル。
そしてユイ、カイト、ミオ、レータ、アミィ。
アミィはレータの隣に座っている。
表情はまだ乏しい。
だが、以前のように反応が遠くに沈んでいるわけではなかった。
カナデが、端末にまとめた評価を表示する。
「まず、アミィさんの状態から確認します」
全員の視線が、自然とアミィへ向いた。
アミィは少しだけ肩を揺らしたが、逃げることはなかった。
レータが隣で静かに頷くと、アミィも小さく頷き返した。
「短時間であれば、通常会話が可能です。質問への応答も、自分の意思で選ぶ反応が増えています」
カナデは慎重に言葉を選んでいた。
「ただし、長時間の会話や、命令、搭乗、帰還、帝国といった単語に近い内容では、反応が乱れます。命令層残滓はまだ残っています」
リクトが補足する。
「命令層そのものは、主要部分を剥離済みです。ただ、完全に消えたわけではありません。本人反応の周囲に、薄い膜のように残っている部分があります」
リゼルが続けた。
「それを今すぐ無理に剥がすべきではありません。残滓は危険ですが、深部に近いものもあります。急いで断てば、本人反応まで傷つける可能性があります」
アミィは、説明の半分ほどを理解しているようだった。
自分のことだと分かっている。
けれど、すべてを言葉にできるほど整理されてはいない。
それでも、アミィは口を開いた。
「……わたし、いる」
会議室の空気が、わずかに変わった。
アミィは自分の胸元に手を置く。
「命令、まだ、ある。でも……わたしも、いる」
カナデが静かに頷いた。
「はい。アミィさんの自己応答は、以前より強くなっています」
レータは隣で、ほんの少しだけ表情を緩めた。
アミィはまだ完全ではない。
けれど、自分がそこにいると答えられる。
それは、大きな変化だった。
次に映されたのは、ヴァルクレイド・セレスの試験結果だった。
暗赤と黒鉄の重装機。
その中に組み込まれた白い支援核フレーム。
グリッドが腕を組みながら言う。
「支援核フレームの仮組み込みは安定している。レータ単独搭乗での起動、局地通信保護、命令系干渉遮断、防衛支援は全部確認済みだ」
リクトが数値を示す。
「通信保護範囲はまだ広くありません。ただ、局地防衛としては十分です。特に命令系干渉の遮断性能は高い。帝国式の模擬命令波に対して、かなり強い防壁を作れます」
ミオが頷いた。
「私の広域支援とも連携できます。ルナ・スケイルが広く支えて、ヴァルクレイド・セレスが守る場所を絞って遮断する形なら、支援網の濁りも少ないです」
「つまり、広域支援と局地防衛の組み合わせか」
ジンが確認する。
「はい」
ミオは答えた。
「ルナ・スケイルは広く繋ぐことが得意です。でも、強い干渉を一点で受け止めるのは負荷が大きい。ヴァルクレイド・セレスが前線で通信保護と命令遮断を担当してくれれば、全体の支援網がかなり安定します」
黒瀬がレータを見る。
「レータ、単独運用に問題は?」
レータは少し考えてから答えた。
「重い。でも動かせる」
「支援核の反応は?」
「嫌な感じはしない。勝手に命令してこない。外から支えてくる感じ」
その言葉に、カナデが小さく頷いた。
レータにとって、それは重要な感覚だった。
セレスティア由来の支援核が、搭乗者を上書きしない。
命令しない。
ただ支える。
それが確認できたことは、技術的にも心理的にも大きかった。
アミィは画面の中のヴァルクレイド・セレスを見ていた。
「白い盾」
小さな声だった。
レータがアミィを見る。
アミィは続ける。
「レータの、盾」
「うん」
レータは頷いた。
「今は、私が使う」
「アミィは?」
「見る」
アミィは自分で答えた。
「今は、見る」
黒瀬はそのやり取りを記録に加えた。
「ヴァルクレイド・セレスは、レータ単独運用を基本とする。アミィは非搭乗。二人乗り機能は保持するが、搭乗は本人希望、心理評価、技術判断、艦橋承認が揃った場合のみ」
ジンが短く頷く。
「それでいい。急がせる理由はない」
レータも、アミィも、何も言わなかった。
だが、その沈黙は拒絶ではなかった。
待つための沈黙だった。
最後に表示されたのは、ノクス・レクイエムだった。
会議室の空気が、自然と引き締まる。
ユイは画面を見つめた。
黒と紫紺の機体。
ノクス・リリスを中核とし、ネメシス・レクイエムの残骸を外殻と出力系に組み込んだ危険な機体。
命令層を断てるかもしれない力。
だが、本人反応まで傷つけるかもしれない刃。
リクトが報告する。
「ノクス・レクイエムは、限定使用条件付きで再封印します。制御層試験では、模擬命令層の表層剥離に成功しました。ただし、高出力切断術式は未使用。主機関、外殻出力、武装系統は封印維持です」
リゼルが続けた。
「現段階で許可できるのは、命令層への限定干渉のみです。それも、本人反応が確認でき、外部停止役が配置され、支援網と解析班が揃っている場合に限ります」
黒瀬が端末の記録を読み上げる。
「使用条件は四項目。本人反応を確認できない対象には使用しない。命令層切断以外の目的では使用しない。外部停止役を必ず置く。主砲級火力とは連動させない」
カイトはユイの横顔を見た。
ユイは静かに頷いた。
「はい。それでお願いします」
ジンが問いかける。
「ユイ、本当にそれでいいんだな。条件が厳しければ、戦場で使えない場面も出る」
「分かっています」
「ノクスを出せば突破できる状況でも、条件を満たさなければ使わない。それでいいんだな」
「はい」
ユイは迷わなかった。
「ノクスは、突破のための力にはしません。命令に縛られている人を助けるためにだけ使います」
アシュは会議室の壁際に立っていた。
腕を組み、目を閉じている。
だが、聞いていないわけではない。
ユイが視線を向けると、アシュは短く言った。
「甘い判断なら止める」
「はい」
ユイは頷いた。
「止めてください」
「言われなくても止める」
そのやり取りに、カイトは小さく息を吐いた。
アシュの言葉は厳しい。
だが、それは今のユイに必要なものだった。
止める者がいる。
止められる条件がある。
それがあるから、ユイはノクスと向き合える。
リゼルが、三つの報告をまとめるように言った。
「アミィさんも、ヴァルクレイド・セレスも、ノクス・レクイエムも、完全に癒えたわけではありません」
全員がリゼルを見る。
彼女は穏やかな声で続けた。
「傷は残っています。残滓もあります。危険性も消えていません。ただ、絡まったものがこれ以上ほどけたり、逆にきつく締まったりしないように、今の形に整えました」
「治したのではなく、整えた……ですか」
カナデが呟く。
リゼルは頷いた。
「はい。完全に癒えたのではなく、ほどけないよう整えた。それが今の状態です」
その言葉は、エデンでの調整をよく表していた。
すべてが解決したわけではない。
すべてが安全になったわけでもない。
だが、進めるようにはなった。
壊れないように。
傷つけないように。
背負ったままでも動けるように。
そのために整えた。
会議の終盤、ジンは艦橋から送られてきた戦域情報を確認した。
帝国本国方面の防衛線。
外縁で一度退いたルクス・ヴァルキュリアが、再び接近することになる戦場。
アミィ救出によって、帝国側は確実にこちらを警戒している。
外縁防衛線の指揮官レオンも、次は簡単には通さないだろう。
そして何より、監察局のオルフェンが動く可能性が高い。
「調整はここまでだ」
ジンが言った。
会議室の全員が顔を上げる。
「アミィの保護、ヴァルクレイド・セレスの仮完成、ノクス・レクイエムの限定使用条件。必要な確認は終わった。次は帝国本国戦の準備に移る」
その言葉に、空気が変わった。
エデンでの調整は、静かな時間だった。
危険はあっても、そこには整理するための余白があった。
だが、次は戦場だ。
こちらが整えた力を、帝国は放っておかない。
黒瀬が確認する。
「ルクス・ヴァルキュリアは、帝国本国方面へ再接近。目的は?」
ジンは答えた。
「帝国中枢への接近。アミィ救出後の防衛線再評価。可能なら、レオンとの再接触。だが、監察局が前面に出るなら戦闘は避けられない」
カイトが拳を握る。
ユイも、静かに息を整えた。
ミオは支援網の調整項目を確認し、レータはアミィの肩にそっと手を置いた。
アミィは、不安げにレータを見る。
「行く?」
「うん」
レータは答えた。
「でも、アミィは守る」
アミィは少し考え、それから小さく頷いた。
「見る」
「うん。今は見ていて」
ジンが全員を見渡す。
「休める者は休め。整備班は機体調整を継続。各班、帝国本国戦準備へ移行する」
会議はそこで終わった。
エデンで整えた力は、これから戦場へ戻る。
完全ではない。
それでも、進むための形にはなった。
ルクス・ヴァルキュリアは、静かに次の航路を定め始めていた。
帝国領外縁。
巨大観測艦『ヴァル・ゼリア』の内部では、膨大な戦域情報が集められていた。
その中央区画で、オルフェンは複数の投影画面を見ていた。
外縁防衛線の損耗率。
『グラトン』の再配置状況。
ヘルメス隊の活動記録。
アミィ救出時の通信断絶ログ。
そして、ルクス・ヴァルキュリアの航路予測。
オルフェンは、口元に薄い笑みを浮かべる。
「……やはり、戻ってくるか」
画面上には、複数の航路候補が表示されている。
その中で、最も確率が高い進路は、帝国本国方面へ向かうものだった。
アミィを奪還した後、彼らは逃げ切ることもできた。
外縁を避け、別航路へ向かうこともできた。
だが、そうはしない。
あの艦は、戻ってくる。
助けた者を抱えたまま。
整えた力を持ったまま。
帝国の中心へ近づこうとする。
「アミィは失われた。セレスティアも再定義された可能性が高い。ノクス・レクイエムは……完全起動には至っていないか」
オルフェンは指先で画面を操作する。
ノクス・レクイエムに関する観測記録は少ない。
だが、あの機体が持つ切断能力は、帝国の命令層にとって危険すぎる。
放置はできない。
「レオンは防衛線を維持するだろう。だが、それだけでは足りない」
オルフェンは別の画面を開いた。
そこには、未投入の特殊機体に関する情報が並んでいる。
GD-NM-02 タナトス。
GD-NM系統追加候補。
命令層再同期装置。
そして、監察局直属の介入部隊。
オルフェンの笑みが深くなる。
「彼らは整えたつもりでいる。ならば、次は揺さぶればいい」
整えたものは、壊せる。
ほどけないように結んだものほど、どこを引けば崩れるかを探せばいい。
アミィ。
レータ。
ユイ。
ノクス。
ヴァルクレイド・セレス。
どれも、完全ではない。
だからこそ、観測価値がある。
オルフェンは背後の士官へ命じた。
「ルクス・ヴァルキュリアの再接近を前提に、迎撃計画を更新しろ。レオンには防衛線維持を継続させる。だが、監察局の介入権限を拡大する」
「はっ」
「次は、ただ止めるだけではない」
オルフェンは投影画面の中の航路を見た。
ルクス・ヴァルキュリアが向かう先。
帝国本国へ続く道。
「整えた力が、どこまで耐えるか。見せてもらおう」
その声は、静かに響いた。
エデンで整えられた力は、まだ脆い。
そして帝国は、その脆さを見逃すほど甘くはなかった。




