第263話 隣の席を見る
ナユとリンとの短時間接触の後、アミィの会話可能時間はわずかに伸びていた。
長く話せるわけではない。
疲れればすぐに保護状態へ戻る。
知らない言葉や強い刺激には、まだ反応が揺れる。
それでも、アミィは自分から問いを出せるようになっていた。
怖い。
でも見る。
分からない。
でもここにいていい。
命令がなくても、動くことがある。
命令がなくても、休んでいい。
その積み重ねは、アミィの世界を少しずつ広げていた。
カナデはその日の接触記録を確認しながら、レータ達へ告げた。
「今日は、ヴァルクレイド・セレスについて、アミィ本人に少しだけ説明します」
レータの表情が硬くなる。
「もう?」
「はい。ただし、実物を見せるわけではありません」
カナデは端末に簡略表示を出す。
「最初は、この簡略図と小型模型。それから、支援核フレームの外観画像だけです。実物の白金色反応は見せません。強い術式反応も遮断します」
リクトが補足する。
「アミィ本人とは接続しない。支援核フレームは、まだ外部隔離状態だ。今日見せるのは、あくまで形だけ」
ユイも頷く。
「見るだけ、知るだけの段階ですね」
「そうです」
カナデはレータを見る。
「レータさん。説明は短く。『戦わせるためではない』『乗らなくてもいい』『見るだけでいい』。この三点を繰り返してください」
レータは息を吐く。
「分かってる。……でも、緊張するわね」
「当然です」
「アミィが怖がったら?」
「怖がっていい、と返してください」
レータは少しだけ笑った。
「結局、いつもの言葉ね」
「はい。今のアミィには、必要な言葉です」
イリスがアミィ本人反応を確認する。
「本人反応、安定しています。ナユさん、リンさんとの接触後も大きな乱れはありません」
リクトが端末を閉じた。
「では、始めよう」
小会話室の照明は柔らかく調整されていた。
机の上には、ヴァルクレイドの簡略模型が置かれている。
その横に、追加予定の支援核フレームと複座化用コックピット部材を示す、小さな外観模型。
さらに、端末には白金色の反応を除いた支援核フレームの外装図だけが表示されている。
アミィの保護カプセルは、いつもより少し距離を取った位置に固定された。
近すぎない。
見たくなければ、すぐに画面を閉じられる角度だ。
同席するのは、レータ、ユイ、カナデ、イリス、リクト。
ナユとリンは今回はいない。
接触対象を増やしすぎないためだった。
レータは、保護カプセルの前で静かに呼びかけた。
「アミィ」
淡い反応が揺れる。
『レータ……ここにいる?』
「いるわよ」
『ユイも?』
ユイが答える。
「はい。ここにいます」
『ここ……命令じゃない』
「命令じゃない」
レータは頷いた。
それから、ゆっくりと模型の方へ視線を向ける。
「今日は、少しだけ見せたいものがあるの」
アミィの反応が小さく揺れた。
『見せたい……命令?』
「違う」
レータはすぐに答えた。
「見てもいい。見なくてもいい」
ユイが補足する。
「これは命令ではありません。見るだけでもいいです。見たくなければ、閉じてもいいです」
『見るだけ……いい……』
「うん」
カナデが小さく頷いた。
レータは、机の上のヴァルクレイド模型を指した。
「これは、私の機体。ヴァルクレイド」
『レータの……』
「そう。私の機体」
アミィの反応が模型へ向く。
『強い……?』
「強いわね。重くて、前に出て、守る機体」
『守る……』
「うん」
レータは少しだけ言葉を止めた。
ここからが本題だった。
「それでね。私達は、この機体に、あなたが隣に座れる場所を作ろうとしてる」
アミィの反応がはっきり揺れた。
『レータの隣……?』
「うん。私の隣」
レータはすぐに続ける。
「でも、これはあなたを戦わせるためじゃない」
アミィは沈黙した。
「乗りたい時だけでいい。乗らなくてもいい。見るだけでもいい」
『乗らなくても……いい……?』
「いい」
『レータの隣……でも……乗らない……いい?』
「いい」
レータは即答した。
「それでも、隣はなくならない」
アミィの反応が、少しだけ揺れた。
『なくならない……』
「うん」
ユイが静かに言った。
「アミィ。これは命令ではありません。席を作る話です。そこへ行くかどうかは、アミィが選べます」
『選ぶ……』
「はい」
リクトが、支援核フレームの外観図を表示した。
白金色の反応は映さない。
ただ、機械的な外装と三重遮断構造だけが、簡略化されて表示される。
「これは、支援核フレームだ」
リクトが説明する。
「セレスティアの保護支援系を、外側で受け止めるための器だ。今はまだ、アミィとはつながっていない」
アミィの反応が、ぴたりと止まった。
わずかに、恐怖反応が上がる。
イリスが小さく報告する。
「本人反応、揺れ。命令層残滓は上昇していませんが、恐怖反応があります」
アミィが小さく言った。
『白い……』
レータはすぐに答える。
「うん」
『こわい……』
「怖くていい」
アミィの反応が震える。
『セレスティア……こわい』
室内が静かになった。
アミィが、自分の言葉でセレスティアへの恐怖を言った。
それは初めてだった。
カナデは記録しながらも、口を挟まない。
今は、アミィ自身の言葉を止めない方がいい。
アミィは続けた。
『セレスティア……閉じる。こわい』
レータは拳を握る。
けれど、声は抑えた。
「うん」
『でも……ひとりじゃなかった』
レータは息を呑んだ。
『こわい。でも……暗いところで、何か……あった』
ユイが静かに聞く。
「守っていたものですか」
アミィの反応が揺れる。
『分からない。でも……全部こわいじゃない』
カナデが小さく息を吐いた。
「セレスティアに対する本人感情が出ています」
イリスも頷く。
「恐怖と、保護された感覚が混在しています」
リクトが慎重に言う。
「だから、分ける必要がある。怖い部分と、守っていた部分を」
アミィの反応がリクトの声に向く。
『つながる……?』
リクトはすぐに首を横に振った。
「つながらない」
強く言いすぎないよう、声を落とす。
「今はつながっていない。これは外側の器だ。アミィ本人にはつながっていない」
ユイも補足する。
「見るだけです。命令ではありません」
『見るだけ……』
「はい」
レータはカプセルのそばで、静かに言った。
「アミィ。怖いなら、見なくてもいい」
アミィは、しばらく黙った。
その反応は支援核フレームの外観図へ向いている。
『今は……乗らない』
レータは、即座に答えた。
「それでいい」
アミィの反応が揺れる。
『いい……?』
「いい。乗らなくていい」
レータは強く、でも優しく言った。
「今は乗らない。それでいい」
アミィは少し沈黙した。
そして、続けた。
『でも……見る』
レータの胸が熱くなる。
「うん。見るだけ」
『怖い。でも……見る』
「怖くていい」
アミィの反応は、少しずつ落ち着いていった。
説明はそこで止められた。
カナデが判断した。
「今日はここまでです」
レータは頷く。
「アミィ。休んでもいい」
『休む……』
「うん」
『隣……怖い』
「うん」
『でも……レータの隣……』
「隣はある。急がなくていい」
アミィの反応が、少しだけ柔らかくなる。
『急がない……』
ユイが続けた。
「はい。急がなくていいです」
『隣……まだ怖い』
レータは静かに待った。
アミィは、言葉を探すように沈黙した。
『でも……知りたい』
その言葉に、室内の全員が静かに息を呑んだ。
レータは、目元が少し熱くなるのを感じながら答えた。
「うん。知りたいだけでいい」
『乗らない……でも……知る』
「それでいい」
ユイが穏やかに言う。
「それは、アミィの返事です」
『アミィの……返事……』
「はい」
アミィの反応は、穏やかに保護状態へ戻っていく。
最後に、小さく呟いた。
『隣……まだ怖い。でも……知りたい』
それは、搭乗の承諾ではなかった。
戦う意思でもなかった。
けれど、拒絶だけでもなかった。
怖い。
でも知りたい。
アミィは、ヴァルクレイド・セレスを初めて、自分の選択肢として見た。
接触終了後、カナデは記録をまとめた。
「アミィ、ヴァルクレイド・セレス構想への初回説明を受ける。支援核フレーム外観に恐怖反応あり。ただし命令層残滓の上昇なし。本人意思として『今は乗らない』『でも見る』『知りたい』を確認」
イリスも続ける。
「セレスティアに対する本人感情を確認しました。『こわい』『閉じる』『でもひとりじゃなかった』。恐怖と保護感覚が混在しています」
リクトは頷いた。
「やはり、セレスティアを単純に破壊すればいいわけじゃない。拘束系は破棄、保護支援系は再定義。この方針は正しい」
レータは支援核フレームの外観図を見ていた。
「アミィ、乗らないって言った」
カナデが頷く。
「はい」
「それでいいのよね」
「もちろんです」
レータは少しだけ笑った。
「ちゃんと即答できた」
「できていました」
ユイも頷く。
「アミィにとって、重要だったと思います。乗らないと言っても受け止められることが」
レータは目を閉じる。
乗らなくてもいい。
それでも隣はなくならない。
その約束を、これからも守らなければならない。
リクトが静かに言った。
「次は、ヴァルクレイドへの支援核フレーム外部接続試験だ。アミィは乗せない。本人とは直接接続しない。レータだけで初期起動を確認する」
レータは頷いた。
「分かった」
少し間を置き、支援核フレームの外観を見つめる。
「檻じゃなくて、盾にする。そのための試験ね」
「ああ」
アミィは、まだ乗らない。
でも、見る。
知りたいと言った。
それだけで、十分な一歩だった。




