第249話 ノルン・ベイ離脱戦
帝国追撃部隊は、ノルン・ベイへ向けて距離を詰めていた。
遠方センサーに映る反応は、まだ小さい。
だが、その数は多い。
通常GD部隊。
複数のカスタム機反応。
高速接近する小型支援艇。
そして、監察局系統と思われる識別不明の通信波。
レオンの外縁部隊本隊ではない。
少なくとも、グラトンやエリシオンの反応はない。
ヘルメス隊のような統制された外周圧迫でもない。
もっと荒い。
だが、目的は明確だった。
ルクス側をノルン・ベイに釘付けにし、アミィかセレスティア残留反応、あるいはその両方を回収すること。
管制室で、三島が声を上げる。
「帝国追撃部隊、接近。交戦圏到達まで十八分」
ジンは正面表示を睨む。
「転移準備は」
リクトが別表示を確認する。
「ルクス本隊、接舷解除手順六十二パーセント。アミィ静穏区画の転移保護、調整中。セレスティア保護支援系試験は安全停止済み」
グリッドの声が格納庫側から飛ぶ。
『クロウヴェイル・ノアへの積み込み、まだ終わってねえ! アルタイルの補修材、フェンリオン用弾薬、支援核フレーム設計データ、全部積んでる最中だ!』
ジンが聞く。
「必要時間は」
『最低十二分。安全にやるなら十五分』
「敵到達まで十八分だ」
『知ってるから急いでる!』
黒瀬が冷静に言う。
「急ぎすぎて積み忘れが出れば、フォージ行きの意味が薄れます。最低限のリストを優先してください」
グリッドが唸る。
『了解。優先順位、アルタイル補修材、フェンリオン弾薬規格データ、ヴァルクレイド・セレス用部材設計、整備班工具。余計なものは置いていく』
その瞬間、別の通信が小さく入った。
『旧帝国未開封資材コンテナは――』
黒瀬が即座に遮る。
「ユイさん。今は申請の時間ではありません」
『……はい』
グリッドが苦笑する。
『惜しそうな声出すな。必要分は積む』
『必要分は、ですか』
「ユイさん」
『はい』
管制室に、わずかな笑いが生まれた。
だが、すぐに警戒表示が赤く点滅する。
「追撃部隊、加速しました」
三島の声で、空気が再び張り詰める。
ジンは全艦通信を開いた。
「時間を稼ぐ。敵を倒し切る必要はない。転移準備とクロウヴェイル・ノア出航まで、ノルン・ベイ周辺を守れ」
出撃デッキでは、カイトがアルタイル・ノヴァ・ブレイスの操縦席に乗り込んでいた。
補修は途中だ。
左肩フレームは仮補強。
盾も応急修理。
完全な状態には程遠い。
だが、動ける。
それだけで十分だった。
グリッドの声が入る。
『カイト、前に出すぎるな。お前はフォージ行きだ。ここで壊れたら、向こうへ運ぶ意味がなくなる』
「分かっています」
『本当にか』
「今回は、本当に」
『ならいい。艦から離れすぎるな。敵の足止めだけでいい』
「了解」
隣の射出レーンでは、レイのヴァナルガンドが待機している。
『カイト、時間稼ぎだ。倒すことにこだわるな』
「はい」
『向こうはこっちを焦らせに来る。釣られるな』
「分かっています」
カイルのレイヴン・ハウルも出撃準備を終えていた。
『外周は俺が見る。クロウヴェイル・ノアの出航路は空けといてやる』
セラも静かに言う。
『フェンリオン・リサイト、牽制狙撃に入ります。高精度弾は温存します』
ミオは管制側に残っていた。
支援網を広げすぎれば、前回と同じ負荷が出る。
今は、艦と転移準備を守るための限定支援に徹する必要がある。
『支援網はルクス本体、クロウヴェイル・ノア、前衛三機に限定します。ノルン・ベイ全域は支えられません』
ジンが頷く。
「それでいい。施設全体を守る必要はない。守るのは、離脱するために必要な場所だ」
射出灯が点灯する。
「全機、出撃」
アルタイル・ノヴァ・ブレイス。
ヴァナルガンド。
レイヴン・ハウル。
フェンリオン・リサイト。
四機が、ノルン・ベイ外周へ飛び出した。
追撃部隊は、ノルン・ベイの外縁へ迫っていた。
先頭に出てきたのは、通常GDの小隊。
その後ろに、通信妨害型のカスタム機が二機。
さらに、遮蔽フィールドを展開する支援機がいる。
オルフェンの直轄部隊かどうかは分からない。
だが、戦い方は監察局寄りだった。
撃破よりも接近。
接近よりも回収。
ルクス側の撤退準備を乱し、アミィやセレスティア関連の情報を引き出そうとしている。
レイが最初に動いた。
『正面は止める』
ヴァナルガンドが、通常GDの先頭へ切り込む。
斬撃は深く入れない。
敵機を撃墜するのではなく、隊列を崩すための攻撃だった。
通常GDが散開する。
そこへ、セラの牽制射撃が入る。
『進路妨害を行います』
弾丸が、敵部隊の進行方向へ正確に置かれる。
敵機は回避する。
その分、接近速度が落ちる。
カイトは艦側へ近づこうとする機体を迎え撃った。
「アルタイル・ノヴァ・ブレイス、艦防衛に入ります!」
敵機が一機、ノルン・ベイの接舷リング側へ向かう。
補給アームの切離し中に攻撃されれば、ルクスの外殻にもステーションにも負荷が出る。
カイトはそこへ割り込んだ。
盾を構える。
敵の攻撃を受ける。
反撃で押し返す。
倒す必要はない。
接近させなければいい。
仮補修された左肩が軋む。
「っ……まだ大丈夫!」
ミオの支援が細く入る。
『カイトさん、左肩への負荷をこちらで補助します。無理に受けすぎないでください』
「助かります!」
カイルは外周で、支援艇の回り込みを防いでいた。
『こっちは地味に数が多いな。クロウヴェイル・ノアを見てる奴がいる』
レイヴン・ハウルが高速で回り込み、支援艇の進路を遮る。
敵は直接戦闘を避け、隙間からノルン・ベイ内側へ入ろうとしていた。
カイルは舌打ちする。
『回収屋か、こいつら』
ジンの通信が入る。
『カイル、クロウヴェイル・ノアの出航路を守れ』
『了解。こっちの仕事だな』
クロウヴェイル・ノアの格納区画では、整備班が走り回っていた。
アルタイル用補修材。
フェンリオン用弾薬データ。
旧帝国規格の加工資材。
ヴァルクレイド・セレス用の設計データ。
支援核フレームの試作素材。
整備工具と測定器。
グリッドが怒鳴る。
「優先リスト以外は置いていけ! フォージで作れるものまで持つな!」
整備員が叫ぶ。
「旧帝国装甲材、二箱ですか!」
「一箱でいい!」
ユイの声が別回線から入る。
『二箱あると予備が――』
黒瀬が即座に言う。
「一箱です」
『……はい』
グリッドが笑う余裕もなく、次の指示を飛ばす。
「支援核フレームデータは二重保存しろ! アミィ本人反応の実データは入れるな! 抽象化データだけだ!」
イリスの通信が入る。
『持ち出しデータ確認済みです。アミィ本人反応へ直接結びつくものは除外しています』
「よし!」
クロウヴェイル・ノアの艦内にも警戒灯が回る。
だが、出航準備は進んでいた。
カイルの通信が外から入る。
『グリッド、まだか!』
『まだだ!』
『その返事、聞き飽きたぞ!』
『なら時間を稼げ!』
『稼いでる!』
静穏区画では、レータがアミィのそばにいた。
出撃準備の通知は来ていた。
ヴァルクレイドは出られる。
レータが前に出れば、時間稼ぎの助けになる。
だが、アミィの本人反応は、戦闘警戒の影響で少し揺れていた。
大きな乱れではない。
けれど、前よりも外部刺激に敏感になっている。
レータは扉の前で迷っていた。
「私も出た方が……」
カナデが静かに首を横に振った。
「今は、アミィの安定が最優先です」
「でも、外は戦ってる」
「はい」
「私が出れば、少しは楽になる」
「そうかもしれません」
カナデは否定しなかった。
「でも、今のアミィにとって、レータさんの声は安定要素です。ここでレータさんがいなくなり、さらに戦闘振動が強まれば、本人反応が乱れる可能性があります」
レータは拳を握った。
「また、待つのね」
「はい」
「きついわね」
「分かっています」
カナデは静かに言った。
「ですが、戦うことだけが守ることではありません」
レータは目を閉じた。
前に出たい。
ヴァルクレイドで押し返したい。
アミィを守るために、敵を止めたい。
でも、今アミィが必要としているのは、それではない。
レータはポッドの前に戻った。
白金色の淡い光が揺れている。
『……レー……タ……?』
かすかな声。
レータは、すぐに答えた。
「ここにいる」
アミィの反応が、少しだけ落ち着く。
『ここ……』
「うん。ここにいる」
『こわ……』
「怖くていい」
レータは、ゆっくり言った。
「外は少し騒がしい。でも、ここにいる。休んでも大丈夫」
『やすむ……』
「うん」
『レータ……いく……?』
その言葉に、レータの胸が詰まった。
行かない、とはすぐに言えなかった。
いつかは行くかもしれない。
戦わなければならない時もある。
でも、今は。
「今は、ここにいる」
アミィの反応が、柔らかく揺れた。
『ここ……いる……』
「うん」
カナデが小さく頷いた。
イリスが報告する。
「アミィ本人反応、安定方向。命令層残滓の上昇なし」
レータは、その場を離れなかった。
ノルン・ベイ外周では、戦闘が激しさを増していた。
追撃部隊は、ルクスを倒すためというより、離脱準備を乱すために動いている。
補給アームの切離し部。
クロウヴェイル・ノアの出航口。
ノルン・ベイ管制中枢への旧端末反応。
狙いが細かい。
黒瀬が管制室で解析する。
「敵の目的は撃破ではありません。接舷解除妨害、データ回収、セレスティア関連反応の奪還です」
ジンが命じる。
「なら、守る場所を絞る。施設全体は捨てていい。接舷部、静穏区画、クロウヴェイル・ノア出航路、転移準備中枢を守れ」
「了解」
ミオが支援網をさらに絞る。
『支援範囲を四点に限定します。外周戦闘支援は薄くなります』
レイが答える。
『十分だ。こっちは自分でやる』
カイトも続ける。
「艦側は任せてください」
セラが遠方の支援機を狙う。
『通信妨害型を牽制します。高精度弾、一発だけ使用』
黒瀬が確認する。
「許可します」
『撃ちます』
フェンリオン・リサイトの射撃が走り、妨害型カスタム機の外部アンテナを撃ち抜いた。
敵機は撃墜されない。
だが、妨害波が一瞬乱れる。
その隙に、ルクス側の接舷解除が進む。
三島が叫ぶ。
「補給アーム一番、切離し完了。四番、七番、解除中」
グリッドが通信で続ける。
『クロウヴェイル・ノア、積み込み九十二パーセント! あと少しだ!』
カイルが外周で敵支援艇を蹴散らす。
『その少しを早くしろ!』
『整備は気合いで短縮できねえ!』
『戦闘もだ!』
カイルの軽口に、整備班の緊張がわずかにほぐれる。
だが、敵はさらに近づいていた。
ノルン・ベイの旧管制中枢に残っていた白金色端末反応が、一瞬だけ強まった。
ユイが気づく。
「白金色端末反応、上昇」
リクトがすぐに確認する。
「セレスティア残留反応との干渉か?」
「直接ではありません。追撃部隊の通信波に反応している可能性があります」
黒瀬が厳しく言う。
「今は解析しません。隔離してください」
「はい」
ユイは端末反応を隔離フィールドへ押し込める。
だが、その反応は古い補給ログとは思えないほど、白金色に近かった。
ユイは一瞬だけ気になった。
調べたい。
何が残っているのか確認したい。
だが、今は違う。
「隔離完了。記録だけ保存します」
黒瀬が少しだけ頷いた。
「良い判断です」
ユイは静かに答えた。
「今は、持ち帰ることより、帰ることが優先です」
グリッドが別回線で言う。
『成長したな』
「私は元から状況判断しています」
『はいはい』
ついに、クロウヴェイル・ノアの出航準備が完了した。
グリッドの声が管制室に響く。
『クロウヴェイル・ノア、積み込み完了! 出航できる!』
カイルが外周で笑う。
『待ってたぜ』
ジンが命じる。
「クロウヴェイル・ノア、フォージ方面への転移準備。ルクス本隊とは別座標だ。タイミングは合わせろ」
クロウヴェイル・ノアの艦橋から応答が入る。
『了解。フォージ方面転移座標、入力開始』
同時に、ルクス側の接舷解除も最終段階へ入る。
三島が報告する。
「補給アーム四番、切離し完了。七番、解除。接舷クランプ、順次解除中」
リクトが続ける。
「アミィ静穏区画、転移保護完了。セレスティア保護支援系、安定。ノルン・ベイ側との全接続、切離し準備完了」
ミオが支援網を閉じていく。
『支援網を艦内保護へ戻します。外周支援、縮小』
前線の四機へ、ジンの声が届く。
「全機、撤退。転移範囲へ戻れ」
レイが通常GDを押し返しながら応答する。
『了解。下がるぞ』
カイトも敵機を弾き、艦側へ戻る。
「了解!」
セラが最後の牽制弾を撃ち込む。
『敵進路、三秒遅延。後退します』
カイルが外周から戻る。
『クロウヴェイル・ノアの尻は守った。後は飛ぶだけだ』
各機が転移範囲へ戻る。
追撃部隊はなお接近している。
だが、もう遅い。
静穏区画で、レータはアミィのそばにいた。
転移準備の低い振動が、わずかに区画へ伝わる。
アミィの反応が少し揺れる。
『こわ……』
レータはすぐに言う。
「怖くていい」
『レータ……』
「ここにいる」
『どこ……いく……?』
「ヴェルデ」
レータは少し迷い、言葉を選ぶ。
「静かな場所。休む場所」
『やすむ……』
「うん。命令じゃない。休んでも大丈夫」
ユイも静かに続ける。
「アミィ。転移します。揺れるかもしれません。でも、ここにいます」
『ここ……いる……』
カナデが確認する。
「本人反応、安定。転移可能です」
ジンの声が全艦へ響く。
『ルクス・ヴァルキュリア、ヴェルデ方面へ転移開始』
続いて、クロウヴェイル・ノアから通信が入る。
『クロウヴェイル・ノア、フォージ方面へ転移準備完了』
ジンが頷く。
「全艦、転移」
ノルン・ベイの外側で、追撃部隊が最後の加速をかけた。
だが、その眼前で、ルクス・ヴァルキュリアの周囲に転移フィールドが展開する。
巨大な艦体を包む光が、ノルン・ベイの古い接舷リングを照らした。
少し離れた位置で、クロウヴェイル・ノアにも別の転移光が灯る。
帝国側の通信妨害波が伸びる。
通常GDが射撃姿勢に入る。
支援艇が接近する。
しかし、もう届かない。
ルクス・ヴァルキュリアの艦影が、光の中で揺らぐ。
同時に、クロウヴェイル・ノアも別座標へ向けて転移を開始する。
ノルン・ベイに残されたのは、半壊した補給ステーションと、切り離された接舷リングの残響だけだった。
追撃部隊の先頭機が到着した時、そこにルクスの姿はなかった。
転移光が消える直前、静穏区画でアミィが小さく呟いた。
『レータ……』
「ここにいる」
『やすむ……ばしょ……』
「うん。休む場所に行く」
アミィの反応が、静かに落ち着いていく。
レータはポッドのそばで、転移の光を受けながら目を閉じた。
戦うためではなく。
逃げるためだけでもなく。
休ませるために、離脱する。
ルクス・ヴァルキュリアはヴェルデへ。
クロウヴェイル・ノアはフォージへ。
二つの艦影は、ノルン・ベイから別々の未来へ飛び去った。




