第246話 静かな区画
ノルン・ベイの旧医療・保護区画は、長い眠りから起こされようとしていた。
白灰色の壁。
厚い防振材。
柔らかい照明。
古い医療ポッド。
非常時用の保護ベッド。
帝国旧式の施設だった。
だが、戦闘用の格納庫や補給区画とは違い、この場所は最初から音と振動を抑えるように作られている。
補給ステーションで事故が起きた時、負傷者を一時的に隔離し、安定させるための区画。
完全な医療施設ではない。
それでも、今のアミィを休ませるには、艦内保護区画より向いている可能性があった。
リクトは、壁面端末から旧式の医療・保護設備を確認していた。
「電源系は生きている。環境制御も最低限は使える。防振機能も反応あり」
カナデが室内を見回す。
「照明をもう少し落とせますか」
「ああ」
リクトが設定を変えると、室内の光が柔らかくなる。
「警報音は」
「この区画内では視覚表示に切り替えられる。音は完全停止可能だ」
「外部通信は」
「遮断済み。あとで物理遮断も入れる」
カナデは頷いた。
「命令系統につながる機能は」
その言葉で、区画内の空気が少し硬くなった。
リクトは端末を操作し、旧式補助AIの接続図を表示する。
「ここが問題だ。医療区画の補助AIは、昔の帝国管理系統へ接続できる構造を持っている。ただし、現在は外部線が死んでいる」
アシュの通信が入る。
『死んでるだけじゃ足りない。切れ』
「分かっている」
リクトは端末を叩く。
「管理系統への経路は全遮断。自動記録機能も停止。外部への医療データ送信も無効化する」
イリスが解析画面を見ながら言う。
「命令層に似た入力反応はありません。少なくとも、アミィ本人反応に直接干渉する信号は検出されません」
ミオも支援網の薄膜を広げて確認する。
「セレスティア残留反応に近い波形も、この区画にはありません。静穏環境として使えそうです」
黒瀬が端末に記録する。
「ノルン・ベイ旧医療・保護区画。命令系統遮断、自動記録停止、外部通信遮断、警報音停止、防振機能確認。暫定使用を条件付きで認めます」
三島が記録を続ける。
「アミィ移送は短時間試験からですね」
カナデが頷いた。
「はい。まずは短時間だけです。本人反応、命令層残滓、セレスティア残留反応の変化を見ます」
レータは区画の入口で黙って聞いていた。
この部屋は帝国の施設だ。
アミィを閉じ込めていた帝国のもの。
命令と管理の匂いが、まだ壁の奥に残っているように思える。
だが、照明は柔らかい。
音は少ない。
艦内より静かだ。
もし、ここがアミィにとって休める場所になるなら。
「……使えるのね」
レータが言うと、カナデは振り返った。
「使える可能性があります」
「アミィは怖がらない?」
「それは、移してみなければ分かりません」
カナデは正直に答えた。
「だから、最初は短時間だけ。怖がるようなら、すぐ艦内保護区画へ戻します」
レータは頷いた。
「私も付き添う」
カナデは少しだけ考えた。
「短時間なら許可します」
「本当?」
「はい。ただし、声をかける回数は少なくしてください。アミィが混乱したら、すぐ下がってもらいます」
「分かってる」
「レータさんの気持ちより、アミィが受け止められる量を優先する」
レータは少しだけ苦笑した。
「もう覚えたわよ」
「では、大丈夫です」
アミィの移送は、艦内保護区画からノルン・ベイ旧医療・保護区画まで、最小限の人数で行われた。
移送ポッドは、薄い防振フィールドに包まれている。
外部音は遮断され、照明も柔らかく調整されていた。
移送経路の警報表示は全て抑制。
強い通信も切断。
アミィ本人反応に不要な刺激が入らないよう、艦内とステーション側の両方で制御されている。
レータは、ポッドの少し後ろを歩いていた。
すぐ隣ではない。
でも、見える位置にいる。
ユイも同行している。
彼女は旧帝国施設の壁を見ながら、少しだけ複雑な表情をしていた。
レータが気づいて、小声で聞く。
「ユイ、大丈夫?」
「はい」
「その顔、大丈夫って顔じゃないけど」
ユイは少しだけ目を伏せた。
「帝国の施設は、やはり少し思い出します」
「嫌なこと?」
「はい。でも、それだけではありません」
ユイは通路の先にある旧医療区画を見た。
「ここは、帝国の施設です。でも今は、アミィを命令するためではなく、休ませるために使おうとしています」
「うん」
「同じ場所でも、使い方を変えれば意味が変わるのかもしれません」
レータは少しだけ笑った。
「ユイらしい言い方ね」
「そうでしょうか」
「うん。ちょっと真面目すぎる」
「それは否定できません」
二人の短いやり取りの間にも、移送ポッドは静かに進んでいく。
やがて、旧医療・保護区画の扉が開いた。
中は、艦内保護区画よりもさらに静かだった。
機械音も少ない。
照明も淡く、警告表示は壁面の小さな光だけに抑えられている。
カナデが確認する。
「移送ポッド、中央へ」
イリスが波形を見る。
「アミィ本人反応、安定しています。命令層残滓の上昇なし」
ミオも続ける。
「セレスティア残留反応、保護側で安定。拘束系の反応は抑制されています」
リクトが旧設備の反応を確認する。
「区画内の補助AIは遮断済み。環境制御だけ生かしている」
アシュの通信が短く入る。
『監視してる』
「分かっています」
移送ポッドが固定された。
カナデはレータに目で合図する。
「近づくのは、そこまでです」
レータは指定された線の手前で止まった。
ポッドの中で、アミィ本人反応がわずかに浮上する。
イリスが小さく言った。
「覚醒に近い反応です」
室内が静かになる。
レータは息を整えた。
焦らない。
言葉を増やさない。
アミィが受け取れる分だけ。
白金色の光が薄く揺れた。
『……ここ……?』
かすかな声だった。
レータは、ゆっくり答える。
「静かな場所」
アミィの反応が揺れる。
『しずか……』
「うん。静かな場所」
『レー……タ……?』
「ここにいる」
レータは、前と同じ言葉を返した。
「ここにいる。休んでも大丈夫」
アミィの本人反応が、少しだけ柔らかくなった。
『やすむ……』
「うん」
『めいれい……?』
「命令じゃない」
レータは、強くならないように気をつけた。
「休んでも大丈夫っていう返事」
ユイが静かに続ける。
「アミィ。命令ではありません。返事でいいです」
『ユイ……』
「はい」
『へんじ……』
「はい。返事です」
アミィの反応が、ゆっくり落ち着いていく。
イリスが画面を見つめながら言った。
「本人反応、安定方向です」
ミオも頷く。
「セレスティア残留反応も落ち着いています。保護支援系が、区画の静穏環境に合わせて薄くなっています」
カナデは小さく息を吐いた。
「良い反応です」
レータはポッドを見つめていた。
ここは帝国の施設だ。
でも今、アミィは少し落ち着いている。
それが不思議だった。
アミィがまた小さく言う。
『こわ……』
レータはすぐに返した。
「怖くていい」
アミィの反応が止まる。
「今は、ここにいるだけでいい」
『ここ……いる……』
「うん」
『やすむ……だいじょうぶ……』
「そう。休んでも大丈夫」
白金色の光が、穏やかに揺れた。
アミィの声は、それ以上続かなかった。
眠るように本人反応が下がっていく。
イリスが報告する。
「本人反応、安定したまま保護状態へ移行」
ミオも続ける。
「セレスティア残留反応、保護側で安定。拘束系の上昇なし」
カナデはレータへ頷いた。
「成功です。短時間移送としては、とても良い結果です」
レータはその場で、ゆっくり息を吐いた。
「よかった」
小さな声だった。
ユイが隣に立つ。
「この場所は、今は休む場所になりましたね」
レータは区画の壁を見る。
「帝国の施設なのにね」
「はい」
「でも、アミィが少し落ち着いたなら……それでいいのかも」
ユイは頷いた。
「使い方を変えられます」
レータは少しだけ笑った。
「命令の場所じゃなくて、休む場所にする」
「はい」
アミィの短時間移送試験は成功と判断された。
ただし、完全移送はまだ行わない。
まずは、旧医療・保護区画の安全性をさらに確認し、命令系統の遮断を物理的にも固定する必要がある。
会議室で、黒瀬が記録をまとめていた。
「PT-A01アミィ、ノルン・ベイ旧医療・保護区画への短時間移送試験。本人反応安定。命令層残滓の上昇なし。セレスティア残留反応、保護側で安定」
三島が続ける。
「暫定的に、同区画をアミィ保護候補区画として記録」
「はい。ただし、完全移送には追加条件を設けます」
黒瀬は項目を表示する。
「第一、外部通信の物理遮断。第二、自動記録機能の完全停止。第三、旧補助AIの命令系統分離。第四、保護区画外周の警戒。第五、アミィ本人反応の連続安定確認」
カナデが頷く。
「その条件で問題ありません」
リクトは、別の画面を開いていた。
セレスティア残留反応の分離データ。
その中の保護支援系が、ノルン・ベイ静穏区画内でどう変化したかを示している。
「面白い結果が出た」
全員の視線がリクトへ向く。
「静穏区画内では、セレスティア保護支援系の負荷が下がっている。外部刺激が少ないから、本人反応を押さえ込む必要がないんだろう」
ミオが補足する。
「つまり、保護支援系だけを取り出して、外部刺激を和らげる方向に調整する試験がしやすくなった、ということですね」
「ああ」
リクトは頷く。
「この区画なら、保護支援系の再定義試験が可能かもしれない。アミィ本人反応に直接繋がず、外部隔離環境で反応を見ることができる」
アシュの通信が入る。
『直接繋ぐな』
「繋がない」
『命令層が少しでも混じったら破棄しろ』
「それも分かっている」
黒瀬が記録する。
「セレスティア保護支援系、ノルン・ベイ静穏区画にて外部隔離試験可能と判断。直接接続は禁止。拘束系および命令層残滓混入時は試験中止」
三島が記録を終える。
レータは、画面に映る保護支援系の波形を見ていた。
檻ではなく、盾。
命令の場所ではなく、休む場所。
今日、ノルン・ベイの旧医療区画はその一歩になった。
ユイは、静かな声で言った。
「古い帝国施設でも、変えられるのですね」
カナデが頷く。
「場所そのものが人を決めるわけではありません。そこで何をするかが大切です」
レータは小さく笑った。
「それなら、この場所ではアミィを休ませる。セレスティアは、檻じゃなくて盾にする」
リクトは画面を閉じる。
「そのための試験を始める」
ノルン・ベイの静かな区画で、アミィは眠っている。
命令ではなく、返事を覚えながら。
戦場ではなく、休む場所を少しずつ知りながら。
そして、白金色の残留反応は、再定義の準備へ進み始めていた。




