第242話 レオンとルクスの境界線
ルクス・ヴァルキュリアは、外縁防衛線から一段外へ抜けた。
だが、完全な安全圏ではない。
背後には、帝国追撃部隊の反応が増え始めている。
通常GD部隊。
カスタム機の反応。
外周には、まだヘルメス隊の気配も残っている。
正面防衛線からは離れた。
しかし、帝国の戦域から抜け切ったわけではなかった。
管制室では、緊張が続いている。
「後方追撃反応、増加。距離はまだあります」
三島が報告する。
「エリシオンは防衛線側に残留。こちらへ大きく追撃する動きはありません」
黒瀬が表示を確認する。
「レオン指揮下の主力は、防衛線維持に留まっています。ただし、別動追撃部隊は動き始めています」
ジンは腕を組んだ。
「レオンが止めているのは、あくまで自分の前線部隊か」
「そう見えます」
「本国か、監察局か」
「断定はできません。ただ、オルフェン監察官がアミィ奪還を要求していたことを考えると、監察局系統の影響は疑えます」
ジンは前方表示から、背後の反応へ視線を移した。
「厄介だな。レオンは追ってこない。だが、帝国そのものが止まったわけではない」
その時、通信士が声を上げた。
「エリシオンより通信要求。宛先はルクス・ヴァルキュリア艦橋。公開回線ではありません」
管制室の空気が張り詰める。
黒瀬が即座に言う。
「通信記録を取ります」
「当然だ」
ジンは頷いた。
「繋げ」
画面に、レオンの姿が映る。
表情は硬い。
疲労も見える。
だが、その目はまだ揺れていなかった。
『ルクス・ヴァルキュリア』
「こちらジンだ」
『お前達はPT-A01を奪取した』
レオンは、回りくどい言い方をしなかった。
『帝国防衛線に組み込まれていた戦力を、戦場から持ち去った。それは敵対行動だ』
ジンは静かに答える。
「こちらは本人意思反応を確認し、救出対象として扱った」
『帝国側から見れば、資産の奪取だ』
「そうだろうな」
ジンは否定しなかった。
「だが、こちらから見れば、命令層に沈められようとしていた一人を救った」
通信越しに、レオンの表情がわずかに険しくなる。
『一人、か』
短い沈黙。
レオンは続けた。
『PT-A01は兵器だ。帝国の戦力として設計され、防衛線の一部として運用されていた』
ユイが管制席の横から通信に入った。
「それでも、アミィは命令と異なる意思を示しました」
レオンの視線が、ユイへ向く。
『PT-Yか』
「はい。ユイです」
『お前達は、あれを本人意思と判断した』
「はい」
『帝国は、あれを不安定反応と判断する』
「オルフェンは、そう判断したのでしょう」
ユイの声は静かだった。
「ですが、あなたはアミィを壊しませんでした」
管制室の空気が止まる。
黒瀬がわずかに目を細める。
三島は記録を続けながら、ユイの言葉を追っていた。
レオンはすぐには答えなかった。
数秒の沈黙の後、彼は低く言った。
『勘違いするな』
その声は、冷たい。
だが、怒鳴るものではなかった。
『敵を助けたつもりはない』
「はい」
『俺は、前線を壊させなかっただけだ』
レオンは言葉を区切る。
『オルフェンの強制再同期は、味方部隊にも負荷を与えていた。セレスティア干渉圏は不安定だった。あのまま乱戦に入れば、防衛線も味方部隊も崩れる可能性があった』
ユイは静かに聞いていた。
『だから止めた。お前達を助けるためではない』
「分かっています」
ユイは頷いた。
「でも、あなたが止めなければ、アミィは壊れていたかもしれません」
『それは、お前達の解釈だ』
「はい」
ユイは否定しなかった。
「それでも、事実としてアミィは今、生きています。命令層の奥ではなく、こちらで眠っています」
レオンの表情は変わらない。
だが、画面越しの空気がわずかに重くなった。
カイトは、その通信をアルタイル・ノヴァ・ブレイスの中で聞いていた。
艦防衛位置に戻り、損傷した機体の警戒を続けながら、通信だけを開いている。
レオンは敵だ。
外縁防衛線を守る帝国の指揮官だ。
エリシオンで撤退路を塞ぎ、こちらを押し返した。
だが、話は通じる。
少なくとも、オルフェンとは違う。
オルフェンはアミィを観測対象として見ていた。
限界を測るために、負荷を上げようとした。
レオンは、それを止めた。
敵。
でも、会話が成立する敵。
カイトは、それが少しだけ不思議だった。
「こういう敵もいるんだな」
独り言のように呟く。
レイの通信が入る。
『いる。だから厄介なんだ』
「厄介?」
『話が通じるからといって、味方になるわけじゃない。あいつは次も止めに来る』
「分かってます」
『ならいい』
カイトは画面のエリシオンを見た。
遠方に残る白灰と金の機体。
追ってこない。
だが、こちらを見ている。
その距離が、今の境界線だった。
管制室では、通信が続いていた。
ジンがレオンへ言う。
「そちらは追撃しないのか」
『防衛線維持を優先する』
「監察局は納得しないだろう」
『する必要はない』
レオンは即答した。
『俺の任務は外縁防衛線の維持だ。お前達を防衛線正面から押し出した。今、全力追撃をかけて防衛線を乱す理由はない』
黒瀬が小さく記録を確認する。
「防衛線維持を名目とした追撃制限。監察局方針と不一致」
三島が頷く。
ジンは画面越しにレオンを見る。
「だが、帝国としてはアミィを取り戻したいはずだ」
『当然だ』
レオンは答えた。
『PT-A01は帝国戦力だった。お前達が連れ去った以上、敵対行動として扱う』
「では、次は奪還に来るか」
『状況による』
曖昧な返答だった。
だが、そこには一つの線があった。
オルフェンのように、すぐ観測対象として取り戻す、とは言わない。
かといって、見逃すとも言わない。
レオンは続けた。
『これ以上、防衛線へ踏み込むなら止める。次に来るなら、敵として止める』
ジンは頷いた。
「こちらも、必要なら突破を試みる」
『そうだろうな』
短い沈黙。
レオンは、最後に言った。
『だが、今は防衛線維持を優先する』
それは、前にも聞いた言葉だった。
見逃しではない。
共闘でもない。
好意でもない。
だが、確かに今この瞬間、レオンは全力追撃を選ばない。
通信が切れる。
通信終了後、管制室にはしばらく沈黙が残った。
黒瀬が端末を開く。
「通信記録を整理します」
三島が頷く。
「はい」
黒瀬は淡々と読み上げた。
「レオンは、PT-A01アミィ救出を帝国資産の奪取と認識。敵対行動として扱う意志を示しました」
「記録」
「一方で、オルフェン監察官の強制再同期およびセレスティア干渉圏の過負荷について、防衛線維持上の危険要素として認識。救出戦時の前線補助回線遮断は、ルクス支援ではなく防衛線保全措置であると主張」
三島が記録していく。
黒瀬は続けた。
「重要なのは、レオンの判断基準が帝国本国および監察局と完全には一致していない可能性です」
ジンが腕を組む。
「敵であることは変わらん」
「はい」
黒瀬は即答した。
「ですが、敵の中にも判断基準の差異がある。今後、外縁方面軍と監察局の間に軋轢が生じる可能性があります」
ユイが静かに言う。
「レオンは、アミィを助けたつもりはないと言いました」
「そうですね」
「でも、壊すこともしませんでした」
黒瀬はユイを見る。
「その事実は記録します。ただし、信頼とは別です」
「分かっています」
ユイは頷いた。
「敵であることと、壊さなかったことは、両方記録すべきだと思います」
黒瀬は少しだけ間を置き、頷いた。
「同意します」
グラトン観測室では、オルフェンが今の通信記録を確認していた。
レオンとルクス・ヴァルキュリア。
ジン。
ユイ。
防衛線維持。
強制再同期への言及。
アミィを壊さなかった、という指摘。
オルフェンは静かに端末を操作した。
「また余計な通信を」
部下は何も言わない。
オルフェンは記録項目を開く。
前線指揮官レオン。
前線指揮系統上の不安定要素。
そこへ新たな追記を行う。
「敵性勢力との限定通信。監察局処置への批判的文脈を含む。PT-A01喪失について、敵側の本人意思解釈を否定しつつも、強制再同期の継続を防衛線保全上の危険と明言」
部下が慎重に言う。
「レオン司令は、ルクス側と協調したわけではありません」
「ええ」
オルフェンは頷いた。
「だからこそ厄介です」
「厄介、ですか」
「反逆でもない。協力でもない。防衛線維持という正当な任務を根拠に、監察局の判断からずれている」
オルフェンは通信記録の一部を再生する。
『敵を助けたつもりはない。前線を壊させなかっただけだ』
オルフェンは薄く笑った。
「非常に便利な言い方ですね」
彼は本国報告へ追記する。
レオン司令は、ルクス側との直接通信において、監察局処置が前線維持に支障を与えたと受け取れる発言を行った。
今後、外縁方面軍への監察局指揮権限強化が必要。
入力が終わる。
オルフェンは画面の中のエリシオンを見る。
「線を引いたつもりなのでしょう」
彼は静かに呟いた。
「ですが、線は観測されるものです」
ルクス・ヴァルキュリアは、さらに外縁防衛線から距離を取った。
エリシオンは追ってこない。
ヘルメス隊も一定距離以上は踏み込まない。
グラトンも主砲を撃たない。
ただし、帝国追撃部隊の反応はまだ消えていない。
完全に逃げ切ったわけではない。
それでも、戦域の最も濃い部分からは抜けた。
三島が報告する。
「外縁防衛線主要圧力圏から一時離脱。追撃反応は限定的。安全圏への移行継続可能です」
ジンは小さく頷いた。
「艦速を上げすぎるな。保護区画優先で離脱を続ける」
「了解」
カイトは、機体の中で遠ざかるエリシオンを見ていた。
敵。
次に来れば止めると言った相手。
アミィを帝国資産と呼んだ相手。
それでも、オルフェンのように壊さなかった相手。
カイトは静かに呟く。
「境界線、か」
それは味方と敵の線ではない。
信じるか疑うかの線でもない。
今だけ生まれた、壊し合わずに済む距離。
だが、その線はいつ消えてもおかしくない。
ユイの声が通信に入る。
『カイト』
「うん」
『アミィの反応は安定しています。今は眠っています』
「そっか」
『はい』
カイトは小さく息を吐いた。
「じゃあ、帰ろう」
『はい』
ルクス・ヴァルキュリアは、アミィを保護したまま外縁防衛線から離れていく。
完全な勝利ではない。
防衛線は崩れていない。
レオンは敵のまま。
オルフェンは、なお観測を続けている。
それでも、アミィはルクス側にいる。
そして、レオンとの間に一時的な境界線が生まれた。
それは、次の戦いで壊れるかもしれない。
あるいは、いつか別の形に変わるかもしれない。
今はまだ、誰にも分からなかった。




