第241話 撤退路の戦い
ルクス・ヴァルキュリアは、外縁防衛線正面から一段外へ下がっていた。
だが、安全圏に到達したわけではない。
アミィは保護区画で安定化処置中。
本人反応は残っている。
命令層残滓も、セレスティア残留反応も抑え込めている。
しかし、それはあくまで艦内環境が安定している間の話だった。
強い振動。
急旋回。
大きな被弾。
複数の警報。
艦内通信の乱れ。
それらは、アミィ本人反応を刺激する危険がある。
管制室では、黒瀬が現在の制限条件を読み上げていた。
「アミィ保護区画への衝撃を最小限に抑える必要があります。急加速、急減速、大角度旋回は非推奨。艦内警報も保護区画周辺では抑制表示へ切り替え済みです」
三島が続ける。
「保護区画の防振フィールド、稼働中。カナデさん、イリスさんがアミィ本人反応を監視しています」
ジンは前線表示を見つめる。
「敵配置は」
「エリシオン、正面遠方。防衛線中央から前進せず、こちらの進路を制限。ヘルメス隊、右舷外周側へ展開。さらに通常GDカスタム三種の反応を確認」
画面に機体名が表示される。
GD-08S ヴェス・シュトルム。
GD-10C ノクターン・ジャマー。
GD-09V オブスクラ・ヴェイル。
グリッドが低く唸る。
「嫌な組み合わせだな」
ジンが聞く。
「説明しろ」
「ヴェス・シュトルムは高機動妨害型。進路を乱す。ノクターン・ジャマーは通信攪乱。ミオやイリスの支援には邪魔だ。オブスクラ・ヴェイルは遮蔽と幻惑系。撤退路の確認を面倒にしてくる」
黒瀬が端末を確認する。
「ルクス側の目的は撃破ではなく撤退。敵はそれを理解した上で、こちらの移動と通信を妨害する配置です」
「レオンの再配置か」
ジンが呟く。
「おそらくな。壊しに来るより面倒だ」
前方にはエリシオン。
側面にはヘルメス隊。
妨害に回る通常GDカスタム群。
グラトンの主砲は沈黙している。
だが、その沈黙が逆に圧力になっていた。
いつでも撃てる。
だが撃たない。
だから、こちらは常に照準を意識しなければならない。
ジンは短く息を吐いた。
「帰るまでが作戦、か」
黒瀬が頷く。
「はい。アミィ救出は成功しましたが、保護対象を連れて戦域離脱するまでは完了ではありません」
保護区画では、アミィが眠るような状態に戻っていた。
本人反応は細い。
だが、レータの声に反応した後から、以前よりわずかに安定している。
カナデはその波形を見守っていた。
イリスは、片方の画面でアミィ本人反応を追い、もう片方の画面で戦場の干渉反応を確認している。
「ノクターン・ジャマーの反応が出ています」
イリスが言う。
「アミィ保護区画に直接影響はありませんが、艦内支援回線にノイズが入る可能性があります」
カナデは頷いた。
「アミィの周辺通信は最小限にしてください。必要ない情報は遮断します」
「はい」
そこへ、レータが入ってきた。
戦闘服のまま。
ヴァルクレイドへ向かう途中で立ち寄ったことは、すぐに分かった。
カナデが見る。
「レータさん」
「分かってる。長居はしない」
レータは保護ポッドの前まで近づきすぎない位置で止まった。
アミィは眠っている。
淡い白金色の光が、周囲で静かに揺れていた。
「アミィ」
カナデが止める前に、レータは続けた。
「ここにいる。すぐ戻る」
短い。
命令ではない。
強い呼びかけでもない。
カナデは止めなかった。
アミィの本人反応が、ほんの少しだけ揺れた。
『……レー……タ……』
声はかすかだった。
レータの表情が揺れる。
「うん。ここにいる」
アミィはそれ以上、言葉を続けなかった。
再び眠るように反応が沈む。
カナデが静かに言う。
「良い接触です」
「そう」
レータはほっとしたように息を吐いた。
だが、すぐに表情が曇る。
「私、本当に前線に出ていいのかな」
カナデはレータを見る。
「迷っていますか」
「そりゃ迷うわよ」
レータは小さく笑った。
だが、その笑みは苦かった。
「そばにいたい。でも、出ないとこの艦が危ない。アミィを連れて帰れないかもしれない。でも、前に出て私が壊れたら、アミィはまた怖がるかもしれない」
カナデは、少しだけ間を置いてから言った。
「今のアミィに必要なのは、レータさんが壊れないことです」
レータは黙った。
「そばにいることだけが支える方法ではありません。無事に戻ってくることも、アミィにとって大切です」
「無事に戻る……」
「はい。アミィはまだ、レータさんの声を安定要素として認識しています。だからこそ、レータさんが無理をして壊れることは避けてください」
レータは目を伏せる。
「また、全部背負おうとしてた?」
「少し」
カナデは正直に答えた。
レータは苦笑した。
「本当に、直らないわね」
「直すというより、気づければ十分です」
ユイの声が通信から入った。
『レータ』
「ユイ?」
『私も管制側でアミィを見ます。レータは、前線で艦を守ってください』
「ユイも無理しないでよ」
『はい』
レータはポッドをもう一度見る。
「アミィ。行ってくる」
少し迷ってから、言い直す。
「戻ってくる」
アミィの反応が、わずかに穏やかに揺れた。
レータは踵を返した。
「ヴァルクレイド、出るわ」
出撃デッキでは、各機が準備を整えていた。
レイのヴァナルガンド。
カイルのレイヴン・ハウル。
セラのフェンリオン・リサイト。
レータのヴァルクレイド。
カイトのアルタイル・ノヴァ・ブレイスは、まだ出撃可能状態にあった。
だが、損傷は残っている。
カイトは操縦席で機体状態を確認していた。
左肩部、応急補修。
盾、損傷大。
判断補助系、再調整中。
パイロット側の判断遅延後遺負荷、軽度残存。
グリッドの声が通信に入る。
『正直、出すなら限定運用だ』
「艦防衛ですか」
『そうだ。前に出すぎるな。艦の近くで、ノクターン・ジャマーやヴェス・シュトルムが抜けてきた時の迎撃に回れ』
カイトは前線表示を見る。
「レイ達だけで撤退路を開けられますか」
『開けるしかねえ。お前が前に出て倒れたら、艦の前が空く』
カイトは拳を握った。
前に出たい。
でも、今の自分は救出戦の時のように通信路の最前面に立てる状態ではない。
守る場所を間違えてはいけない。
「了解。アルタイル・ノヴァ・ブレイスは艦防衛に回ります」
ジンが通信で言う。
『良い判断だ』
「本当は前に出たいですけど」
『それを分かった上で下がれるなら、十分だ』
カイトは小さく息を吐いた。
「了解」
格納庫で射出灯が点灯する。
レイが先に出る。
『ヴァナルガンド、撤退路確保に出る』
続いてセラ。
『フェンリオン・リサイト、牽制狙撃に入ります』
カイルが軽く言う。
『レイヴン・ハウル、外周担当。ヘルメスは任せろ』
レータも通信に入る。
『ヴァルクレイド、限定出撃。アミィを連れて帰る道を作るわ』
最後にカイト。
「アルタイル・ノヴァ・ブレイス、艦防衛に入ります」
各機が宇宙へ放たれた。
外縁部隊の再配置は、すでに完了しつつあった。
正面遠方にはエリシオン。
以前ほど近くはない。
だが、盾を構えたまま、ルクス側が再び防衛線正面へ戻ることを許さない位置にいる。
右舷側外周にはヘルメス隊。
高機動反応が複数、航路をなぞるように動いている。
そして、その間を埋めるように、通常GDカスタムが展開していた。
ヴェス・シュトルムが高速で接近する。
青白い推進光を引きながら、ルクス・ヴァルキュリアの進路前方へ回り込む。
ノクターン・ジャマーは距離を取り、通信妨害波を薄く広げる。
濃い妨害ではない。
だが、ミオの支援網やイリスの解析回線に小さな遅れを生む。
オブスクラ・ヴェイルは、遮蔽フィールドを展開していた。
敵影が複数に見える。
本物と偽物が混じり、撤退路の安全確認を難しくしている。
ミオが通信で言う。
『支援網は広げすぎられません。アミィ保護区画への干渉回避を優先します。支援は艦周辺と前衛三機に限定します』
イリスも続ける。
「ノクターン・ジャマーの影響で解析に遅れが出ます。アミィ保護と戦場解析を同時に行うため、優先順位を分けます」
ジンが確認する。
「優先順位は」
「第一、アミィ本人反応の保護。第二、艦周辺の妨害波解析。第三、前線の敵識別支援です」
「よし。それで行け」
黒瀬が記録する。
「アミィ保護を最優先。戦闘支援は限定運用」
レイのヴァナルガンドが、ヴェス・シュトルムの前へ出た。
敵機は速い。
直線ではなく、細かく軌道を変えながら進路を乱してくる。
レイは追いかけなかった。
『速いな。だが、目的はこっちを倒すことじゃない』
ヴェス・シュトルムは、ルクス艦の進路へ割り込み、航路を乱そうとしている。
なら、追う必要はない。
通したくない場所に刃を置けばいい。
ヴァナルガンドが斬撃を放つ。
ヴェス・シュトルムは回避するが、その分だけ航路から外れる。
『カイル、外周は?』
『ヘルメスと遊んでる』
カイルのレイヴン・ハウルは、ヘルメス隊と距離を保ちながら牽制していた。
相手も深追いはしてこない。
だが、撤退路へ圧をかける動きは続けている。
『あいつら、本気で突っ込む気はねえ。でも、こっちが気を抜けば横を塞がれる』
レイが答える。
『なら、気を抜くな』
『言われなくても』
セラは後方からオブスクラ・ヴェイルを狙っていた。
遮蔽で敵影が増える。
だが、動きの重さまでは完全には消せない。
『本体反応、捕捉』
セラは高精度弾を使わなかった。
残弾は少ない。
今必要なのは撃破ではなく、遮蔽フィールドを乱すこと。
『牽制射撃を行います』
通常弾が走る。
オブスクラ・ヴェイルの遮蔽端末が揺れ、偽影の一部が消える。
イリスがその瞬間を拾った。
「撤退路前方、偽影三つ消失。本体位置を更新します」
ミオが支援網を艦周辺へ集中させる。
『艦の進路を三度右へ。今なら抜けられます』
ジンが即座に命じる。
「進路修正。小角度で行け。保護区画に衝撃を出すな」
「了解」
ルクス・ヴァルキュリアが、わずかに進路を変える。
その時、ノクターン・ジャマーの妨害波が強まった。
通信が一瞬、ざらつく。
イリスが眉を寄せる。
「ノクターン・ジャマー、艦内支援回線へ干渉。保護区画には直接届いていませんが、外部解析が遅れます」
カイトが艦の前面で機体を構える。
「ノクターン・ジャマー、こちらで牽制します」
黒瀬が言う。
「カイトさん、艦から離れすぎないでください」
「了解」
アルタイル・ノヴァ・ブレイスが艦の前面から一歩だけ前に出る。
損傷した盾を構え、ノクターン・ジャマーの支援端末へ向けて牽制射撃を行う。
敵は下がる。
だが、妨害は完全には消えない。
カイトは歯を食いしばった。
「しつこい……!」
ユイの声が管制から入る。
『カイト。倒す必要はありません。妨害の向きを逸らせれば十分です』
「了解。向きを逸らす」
カイトは射撃位置を変え、ノクターン・ジャマーが艦の保護区画方向へ干渉波を向けられないよう牽制する。
前に出すぎない。
守る場所を間違えない。
それが今の役目だった。
レータのヴァルクレイドは、艦の側面で重装の防壁となっていた。
ヴェス・シュトルムが回り込み、艦の進路を乱そうとする。
レータはそれを正面から追わず、艦の側面に重い圧を置いた。
『こっちは通さないわよ』
ヴェス・シュトルムが高速で軌道を変える。
だが、ヴァルクレイドは動き回らない。
守るべき場所に立つ。
アミィがいる艦の側面。
そこだけは抜かせない。
レータは保護区画のことを考えた。
アミィは眠っている。
怖いと言った子が、今はこの艦の中で守られている。
だから、艦を揺らさせない。
余計な衝撃を入れさせない。
『アミィを怖がらせるわけにはいかないのよ……!』
ヴァルクレイドの重装腕が、ヴェス・シュトルムの進路を塞ぐ。
敵機は直撃を避けて離脱する。
その横から、オブスクラ・ヴェイルの偽影が迫る。
レータは一瞬迷った。
本物か偽物か。
見誤れば、艦の側面を抜かれる。
その時、イリスの解析が入る。
『左の反応は偽影です。本体は右後方』
「助かる!」
レータは右後方へ盾を向けた。
オブスクラ・ヴェイルの本体がそこへ現れ、攻撃を仕掛ける。
ヴァルクレイドが受け止めた。
衝撃は大きい。
だが、艦には通さない。
レータは小さく呟く。
「私が壊れないこと、だったわね」
カナデの言葉を思い出す。
今のアミィに必要なのは、レータが壊れないこと。
だから、無茶はしない。
壊れない範囲で、守る。
戦況は少しずつ動いた。
レイがヴェス・シュトルムを進路から押し出す。
カイルがヘルメス隊を外周に留める。
セラがオブスクラ・ヴェイルの遮蔽を削る。
カイトがノクターン・ジャマーの妨害波を逸らす。
ミオが支援網を絞り、イリスがアミィ保護と戦場解析を切り替えながら支える。
レータが艦の側面を守る。
ルクス・ヴァルキュリアは、少しずつ撤退路を進んでいった。
三島が報告する。
「外縁防衛線から一段外へ抜けます。現在の進路を維持できれば、正面防衛圧から離脱可能」
ジンは頷く。
「まだ油断するな」
その時、遠方のエリシオンが動いた。
大きく追ってくるわけではない。
だが、防衛線側から一歩だけ前に出て、盾を構え直す。
黒瀬が解析する。
「エリシオン、追撃ではなく境界線維持。こちらが防衛線側へ戻ることを防ぐ位置です」
ジンは低く言う。
「レオンらしいな」
グラトンの主砲は沈黙したまま。
ヘルメス隊も深追いしない。
だが、外縁部隊は完全に退いたわけではない。
ルクス側を安全圏へ逃がすのではなく、防衛線から押し出す。
その線引きは明確だった。
カイトはエリシオンの姿を見た。
「まだ敵、か」
ユイが管制から答える。
『はい。ですが、今はその線を使えます』
「分かってる」
カイトは艦の前面へ戻る。
ルクス・ヴァルキュリアが、防衛線から一段外へ出る。
その瞬間、外周センサーに新たな反応が入った。
三島が声を上げる。
「後方遠距離に新規反応。帝国追撃部隊と思われます」
ジンの表情が険しくなる。
「外縁部隊か」
「識別中。通常GD反応多数。カスタム機も含まれている可能性があります」
黒瀬が言う。
「レオン指揮下の部隊とは別動の追撃反応かもしれません」
ジンは前線表示を見つめた。
正面防衛線からは一段抜けた。
だが、完全に逃げ切ったわけではない。
帝国追撃部隊が動き始めている。
レイが通信で言う。
『一段抜けたが、終わりじゃないな』
カイルが笑う。
『帰るまでが作戦、ってやつだ』
レータは艦の側面を守りながら、保護区画の方を思った。
「アミィ、もう少しだけ待ってて」
通信には乗せなかった。
ただ、自分の中で呟いた。
ルクス・ヴァルキュリアは、アミィを抱えたまま、外縁防衛線の外側へ進む。
背後では、帝国追撃部隊の反応が増え始めていた。




